出会ってからの全てを返せと言われましたので、そのように。
東国由来の夜の帳、黒曜石の色をした髪と目は、どうやら外ツ国では不気味らしい。
婚約者の男性はこちらに来たばかりで右も左も分からない自分を見て不吉だ不気味だと言うばかりで屋敷から出るなと言った。
対面初日以後、彼にはあっていない。知っている事は彼が「アーカイド伯爵」で、その父親がこの国の宰相で、父上曰く、この婚約はわたしが産まれる前から決まっていたものでわたしに拒否権はないだとかそんな事を言っていた。
貴族の子女として生まれた以上、政略結婚に別に抵抗はない。婚約者が望むのだから屋敷から、……いや、わたしに宛てがわれた部屋から1歩も出られなくても問題はない。
寧ろ都合がいい。
面倒な貴族社会のルールでほぼ毎日行われる夜会やら茶会に参加しなくてもいい。
わたし付きのマナー講師や教師、使用人は嘆くがわたしはひとりの方が好きなのだ。人の集まる場所に行かなくても良いのは人酔いをするわたしの為の婚約者の情けなのだと思う事にする。
かといって部屋に篭って何もしないワケじゃない。
小さい頃からわたしについて回るお犬さまのお世話は、婚約者からの命より大切なわたしの仕事だ。
1日でもサボるととんでもない事になる。
お犬さまは毎日2度は散歩をしなくてはならない。
ただ、婚約者が外に出るなと言うので結界魔法を利用してその中を散歩したり遊んだりする。
この屋敷に来た8年前はこの苦肉の策にとんでもなくご立腹していたけれど、今は「しょうがないから妥協する」と結界魔法の中をわふわふ言いながら走り回っている。
「アーカイドさま。いらっしゃいますか?」
あ、今日は音の聞こえが良いな。
この屋敷すぐ音が籠るからあのひとの声はあれきり一度も聞いていない。
この声は家令のセバスチャンだ。後、他にも何人かのメイドの声。
はて、騒々しいな。何か祭りでもあるんだろうか。
「メイさまが16になられたのは承知ですね?」
げ。
これはあれだ、デビュタントがどうのとか言う話だ。
行きたくない行きたくない。
8年も外出してないんだからどうの、とかそれらしい事を言うけれど、わたしは今の生活に満足しているんだから放っておいて欲しいんだが、
…「ヒデヤスさまから、メイさまの婚約披露はまだか、と催促がきております」…父上ェ。
「嗚呼、あのカラス女か。そろそろどうにかしなくてはならんと思っていたところだ」
カラス?カラスっつったか?誰だよわたしをカラスだとか罵倒するやつは。お犬さまがそら恐ろしい顔でお怒りなんだが、そんな不遜な発言したのは何処の誰だよ?1週間は眠れん事が確定したんだが?!
◇◇◇
「お似合いですよ、メイさま」
「ふりふりで動き辛いから帰っても?」
「ダメです」、と付き添いのアンが言った。似合うか?
わたしは思い切り東国生まれだからこんなひらひらのドレスは見るだけでキツイ。着物がいい。むかし母上や姉上達が袖を通していた、おそろいの、桜色の大輪の花が咲いていた美しい着物。
「メイはそれね」と喪服の様な真っ黒なやつか、死装束みたいな真っ白いやつのどちらかしか着た事がないけれど。
「ところで、会場には動物は連れ込めない、と説明をしたはずですが?」
わたしの足元で当然の権利としてお犬さまはいるわけだ。そういえば、アンに説明した事は無かったか。
「この子はこちらの国の言葉に合わせれば精霊だ。わたしから離れる事は出来ないんだ」
「まあ!メイさまは、精霊憑きだったのですか!!」
…婚約者。
8年も時間があったのに、それくらいの事も説明していなかったのか。そうでなければわざわざ異国から嫁を選ぶ理由が無かっただろうに。
たしか宰相が、こちらの国には精霊憑きの姫君がいないからどうしても、と何年も通い続けて見だしたのがわたしだと言うのに余程不気味な女に関わり合いになりたくないらしいな。別に興味もないが。
「いやだわ、ケモノ臭い。ねぇ、どなたか、ケモノを外に摘み出してくださる?」
無駄に胸を強調した、グリーンのドレスの女がそう言った。
もう、この国ではケモノと精霊の区別もつかんのか、嘆かわしい。
と言うかあの女わたしと同じドレスだな。最近の流行なんだろうか?流行なら似たデザインが被るのも仕方なし、と言ったところか。
「いやだ、いやだわ。皆さん、ご存知でしょう?あのカラスの様な黒髪、不吉だわ。災いが起きるかもしれないわ」
婚約者と似た様な事言うな、この女。
「ねぇ、アナタも嫌でしょう?ねぇ、ウィリアム?」
「嗚呼そうだ。父上に言われて8年も手元に置いたが不吉な事しかない。あんなカラス女は放逐しよう」
お犬さまがグルグルと唸る。8年ぶりに顔を見たからピンと来ないが、アレ、わたしの婚約者か。じゃあ、先週わたしをカラス女だと呼んで今日のデビュタントに出席する様段取りを付けていたのもアレか。
「…ウィリアムってなんだ?通名か?」
「メイさま、アーカイドさまのファーストネームですよ。まさか、ご存知なかったのですか?」
「ご存知ないな」
道理で屋敷の聞こえが悪いワケだ。
「ウィリアム・アーカイド=ラマ。それがアーカイドさまのフルネームです」
ファーストネームは親しい間柄の人間ならば知っているものだ、とアンは言ったが仕方ない。アレにとってわたしはどうやら親しい間柄では無かった様だからな。
「おい、カラス女」
「メイ、と言うたった二文字すら頭に入っておらん婚約者殿が、何か?」
女が、「婚約者?」と言う。嗚呼、アイツ、自分に婚約者が「8年前から」いる事を言っていなかったな?「ただの遠縁の親戚だって言ってたじゃない!」とひとしきり喚くと「まあいいわ、どうせ捨てられるんですもの」と言った。
「嗚呼、そうだよ。今、この瞬間から「元」婚約者になる。だからキミは何も気にしなくても大丈夫」
……。
「だからさ。別れて?あーあ、出会ってからの全てを返して欲しいよ。オマエがいなければレイチェルにもっと早く出会えたんだから」
……てすてす。てすてす。
「この、バカ息子!!」
騒ぎを聞き付けた宰相が「あまりにも愛らしいから外に連れ出したくないと言っていたのは戯言だったのか」とかなんとか叫んでいるが、どうでもいい。
「犬神姫がお前の様な愚息にどれほど…」
「出会ってからの全てを返せと言う事なので、そのように。」
8年が無意味になったのはこっちだ、バーカ。マナー、学問、歌、ダンスと並行して枯れたラマ領にお犬さまと手を掛けていたのに無駄にしおって。精霊がいなければ領民みな飢えて死んで責任とって腹切る事になると言語の違い、文化の違いを越えてまで異国のわたしを迎えに来た父親の努力を無駄にしおって。
『家畜が死んだ』
『土地が枯れた』
『民が死んだ』
どう責任を取るつもりやら知らんが、どうやらわたしはいらぬ存在らしいし、今からでも祖国に帰るか。
嗚呼
でも
「アナタを死なせるつもりはないな、宰相」
◇◇◇
「大丈夫か、ラマ?」
「だ、大丈夫デス…」
祖国に向かう船の上、ラマは死体みたいになっていた。船酔いしやすい体質らしい。精霊憑きのわたしが産まれた瞬間からそばにいるのに彼にはお犬さまの加護が無いものなのは残念だ。
「そらそうですよぅ、姫様。『花嫁を迎えに』って国に来たのに得体の知れん男の妻に、ってバカ伯爵に渡されたンでしょ?カミさんは字面通りに受け取りますからね」
嗚呼、だからずっと「嘘をつかれた」とお犬さまはそっぽ向いていたのか。ならば、今からでも言葉通りにすればお犬さまは許してくださるのでは?そうすれば、ラマは船酔いしなくて済む、と言う事だろう?ラマは妻に先立たれて独り身、わたしが嫁いでもなんの問題もないな。
「メイ、キミ…、なんか、とんでもない事考えてない…?」
「貴殿をどの様に説得すれば我が花婿になってくれるか程度の問題しか考えていないが?とんでもない事とはどの様な事を指す?」
「十分とんでもないよ!」とラマは叫んだ。そうか?
お犬さまの気がそれで済むのならば全然大した問題ではないのだが、一般的、…精霊のいなくなった地域では違うのか。わたしはなんにおいてもお犬さま、その次に婚約者を大切にしろと言い聞かせられてきたからピンと来ないな。
「ディオニュソス・アズール=ラマ。メイリーン・ラピス・ソフィア・テレジア=アースガルズが婚姻を申し込む。異論はないな?」
「30も歳の離れた子持ちの男と王族が釣り合うわけないでしょ!キミはまだ若いんだから、また新しい相手を見付けたらいいんじゃないかな?!」
大変だ。
ラマとは同じ言葉を話している筈なのに理解不能な言い訳をされるのだが、やはり女人から殿方に婚姻を申し込むのは何か問題があるのだろうか。神話でも、女人が先に声を掛けたところ骨の無い子どもが産まれたと言うし、やはりラマ本人からわたしに婚姻を申し込むのが良いのか?
「あきらめんさい、異国の方。神憑きはなんにおいても普通とはズレとる」
「精霊憑きはそういうものだと文献では読んだ事はありますが、自分の親とそう変わらない男と夫婦になって幸せだとはとても思えないんですが」
「そらカミさんが決める事やけん、人間はどうにも出来ませんなぁ。姫様の母君も、そうやって嫁いだ身ですし」
神は女系継承する、と母上が言っていた。いちばんつよい犬神さまを継承したアナタはどんな人生を送るのでしょうね、といつも言っていた。
とりあえずは、ラマ、…アズールをどうにか説得して婚約者になって貰う事が最優先事項だな。