86[2-20].スーパーヒーローは 遅れてやってくるから 待っていられる
勝利の朝みたいに――太陽が、俺たちに光を差す。
……はずだった。
ガタン。
崩れた壁が、もう一度鳴った。
「……運が悪かったな。オトキミ・ズー」
音が、嫌に重い。
「悪魔を倒したかどうかは、【死の灰】になったかを確認すべきだったな。……そして」
朝の光がそこへ触れた瞬間――橙の悪魔の気配が、逆に濃くなる。
「夜が明ける前に、倒すべきだったな」
声がさっきより低い。喉の奥が乾いていく。
悪魔は朝日の中で立ち上がっていた。倒れていたはずの場所から。
まるで、光が餌みたいに魔力が増幅していく。橙が太陽の色と重なるように膨張する。
皮膚の上に、何かが重なる。――『太陽の加護』?
「な……なんで? 悪魔は光に弱いんじゃ……」
ケイちゃんの声が涙で滲む。
俺も同じことを思った。常識が崩れる音がした。
悪魔は嗤う。
「何を言っているんだ? 小娘。悪魔が太陽の光により力を得ないなんて……誰が決めた?」
アユラが歯噛みする。
「オトキミ様。コレは……」
「忘、れ、て、た(戦っていたのは、純粋な悪魔じゃない)」
「おいおいおい……マジかよ。コイツ、天使に取り憑いた悪魔人だったってことかよ!?」
純粋な悪魔なら、聖なる光に弱い。
でも、『人を支配した悪魔』は、別の理屈で動く。
「AHHAHHA!! 今更気づいても遅いぞ色男。そして――その太陽光線で死ね。黙っていろ」
指先が向く。橙の線が刃みたいに伸びる。
「!!? うわあ!!」
「危な――ぐふっ!!」
「アユラ! ガケマル!!」
魔力と信仰力が凝縮した『悪魔太陽光線』が、二人の足の急所を貫いた。
肉が裂け、血が噴き出す。床に落ちる音がやけに軽いのに、現実だけが重い。
「お前は自分の心配をした方が良いぞ、オトキミ・ズー」
次の瞬間、俺の片足に痛みが走った。
ーー骨が鳴る。
聞くだけで吐き気がする音。粉砕骨折。
体が理解する前に、神経が叫ぶ。
「ぐぁあああ!!」
「オトキミさん!!」
ケイの声が遠い。視界の端が白く飛ぶ。
祓串を握ったまま、意識が無くなりそうになる。
悪魔が俺の顔を踏みつけた。
畳が軋む。頬が擦れる。血の味が増える。
でも……目だけは逸らさない。
「あの【神秘術】で理解したぞ。貴様が、あの忌々しいターシィ・ズーの言っていた弟か」
息が詰まる。
兄の名前が敵の口から出た。それだけで胸が爆ぜそうになる。
「教会の天使ですら一目おく存在の召喚術師で、初代ワン・ズーの名前を借りた、甘い男だったな」
「あんた……兄を知ってんのか?」
悪魔は恨みの色で笑った。
「あぁ……知っているとも。忘れもしない。各都市の腕の立つ召喚術師での大会。最終戦の時だ。確かに俺はアイツに負けた。『次こそはお前を負かせてやる! 覚えてろよ!』って言ったんだ……、けど奴はこう言った」
そこでわざと間を置く。俺の反応を見ている。
踏みつける足が愉快そうに重くなる。
「 ー 大丈夫だよ。僕が負けても弟がいる。僕よりも、弟の方が強いから ー 」
その言葉が心臓を刺した。熱い。痛い。苦しい。
でも同時に……胸の奥で、何かが、燃え直す音がした。
悪魔は叫ぶ。踏みつけが強くなる。視界が潰れる。
「フン! 何が弟の方が強いだ! その無様な姿は何だ!? 俺様の方が強いじゃねえかよ!! Ahhahhahha!! ザマアミロ!! ターシィ!! ズー家の落ちこぼれどもが!!」
祓串が、手の中で違う重みを宿した。
兄の杖を元に作った、この武器の重さが俺を繋いでいる。
悪魔の足の力が、一瞬緩んだ。
俺の中の火が、それを見逃さなかった。
祓串を振る。秘力で足を払う。
「Ahhahhahha……っナ!?」
悪魔の体勢が崩れ、後ろへ下がる。
「ガッハッ……ガッハッハッハっ!! ……何だ、あんた。兄が憎かったのか? 悔しかったのか?」
口から笑いが漏れた。痛みの中で、笑いが出た。
「あんたの気持ち、痛いほどわかるぜ。……まさか、悪魔と意見が一致するなんてな」
祓串を杖代わりに、折れていない足で立ち上がろうとする。眩暈がする。
でも――笑ってしまう。
「あとさ……ありがとうよ。嬉しくて笑っちまう。命が……心が……メラメラ燃えてくるぜ」
再び、祓串に意識を合わせる。紙垂が揺れる。
枯渇しかけた秘力は、全身を鬼にできない。
もう完全な【神秘術】は唱えられない。
「Ahhahha!! 愚か者が! そんな枯渇しかけの秘力で何ができる!!!」
「その通りだ」
ーー俺の手には、何がある?
「残った力で……できることを……するだけだ!」
必要な分だけを、作る。
自我を保ったまま。
『鬼の腕』だけ、召喚して、一体化させた。
「バカな!!? 召喚獣の一部だけを体に憑依させるなんて……聞いてことがない!! ありえん!!」
「なら、確かめようぜ?」
まさに…… ー 鬼が出るか 蛇が出るか ー
『鬼の腕』に力を込めて、拳を振るう。
「悪霊……退散!!!」
腕の拳が悪魔の腹部に深く食い込む。
その衝撃に、悪魔が吹き飛ぶ。橙が悲鳴みたいに散る。
「こ……こいつ……強い!? 人間のくせに……天使階級で言えば……パワーズ天使レベルの強さ……GAAAAAAAAァァアアア!!!!」
倒れた悪魔が唸る。
「俺が強いんじゃねぇ……。俺達兄弟が……強いんだよ」
言った瞬間、喉が焼けた。
兄のことを「俺達」って言えた。それだけで痛みの質が変わる。
「クソっ!! ……俺が負けるなんて……屈辱だ!! ……ぐ、GAAAAAAAAAAAA!!!!!!!」
悪魔は再び吹き飛び、橙の魔力が薄れていった。
【死の灰】に体が変わっていくのが見えた。
「やっと。……終わったか?」
今度こそ、終わったと思った。
完全に力が抜けて『鬼の腕』をつけた腕も上がらず、倒れそうになった瞬間。
「オトキミ様! ダメです! フラグ立てないでください!!」
「不、吉(言わないで!!)」
「あ? 何だよ、フラグって? 旗?」
だが――敵も終わっていなかった。
影から声がする。「約束だ」と。
「……ヤメロ!! 負けるぐらいなら……差し出せ……だと!? 嫌だ!!」
【死の灰】に変わっていく悪魔の体から、橙が消える。色が抜ける。
元々、人だった、天使だった気配が消える。
代わりに、灰色が黒に侵食されていく。
黒が床を這い、壁を舐め、天井へ張り付く。
神社の空気が急に重くなる。
音が吸われる。
呼吸が重い。
血の温度が分からなくなる。
「オトキミ様!! これは……!?」
近くにいるはずの声が遠い。
アユラは深い傷を負いながらも、倒れそうな俺を支えに来た。
「オトキミ様!! これは……サキュ・B・アークが使っていた……【明けない魔夜中】です!!」
「逃げ、られ、ない(力が……出ない!!)」
世界の色が黒へ寄っていく。
秘力も信仰力も薄くなる。
悪魔は笑った。
真っ暗な顔に、無数の目明かり。
「サキュが使えた【黒魔法】を、我らなりに改良したのさ」
――戦っていた天使に取り憑いた、本体が姿を現した。
「まぁ、デイ神社内程度しか包めないがな。それでも……今は充分」
そう言いながら悪魔は、倒れたままの残り二人の悪魔も一つに取り込んだ。
悪魔の体が二回り大きくなる。
腕が蛇のように伸び、俺の首を掴む。
持ち上げられる。
足が床から離れるだけで恐怖が内臓を引きずり出す。
指の力が、ゆっくり締まる。
コイツ……わざとだ。
苦しい……!!
「兄弟の力? くだらん。所詮、家族でも他人。別の思念体なんだよ」
息が細くなる。視界が狭まる。
絶望を見せたら相手が強くなる――分かっている。分かっているのに、絶望は勝手に湧く。
「あの、シ・エル最天使長のように……ユーサのアニキみたいに……」
だから、意地でも「言葉」にする。
「虹を掴むように……なりたいんだ……」
声が掠れる。けど、言う。
「……諦めるかよ!」
悪魔が嗤う。
「AHHAHHA!!!! 虹を掴む話か! それは幻想だ!! 愚か者には……死をくれてやる!!」
首が軋む。骨の内側まで握り潰される。
空気が、入らない。
視界の端が黒に溶け――
……終わる。
そう思った、その瞬間。
「オトキミが言っているのは、幻想じゃない。夢だよ」
声がした。
軽い。
この闇に似合わないほど、軽い声。
同時に、風が通った。
息じゃない。外の風。
黒い膜のどこかに、針穴みたいな抜け道が開く。
「シ・エルになれるかはわからないけど……僕ぐらいなら、オトキミでもきっとなれるよ」
優しい声。
ユーサのアニキの声。
次の瞬間――重さが消えた。
「GAAAッ!!? AAAAAAAッーーーー!!!!!」
悪魔の腕が、落ちた。
畳に当たる鈍い音。続いて、黒の中で断末魔が跳ねる。
俺の喉に、空気が戻る。
咳が勝手に漏れた。肺が、やっと生き返る。
そして、身体が落ちる前に。
腕が来た。
身に覚えのある腕の中。
血と汗の匂いがするのに、不思議と怖くない。
「誰かが僕の代わりに戦ってくれれば、僕の意志は消えない。助かったよ」
近い声。
近くにある、絶対の安心。
待っていた声。
「僕の意志を継いで戦ってくれて、ありがとう」
俺は、笑ってしまった。
泣きそうなのに、笑うしかなかった。
黒が一瞬だけ薄くなる。
裂け目から、朝の光が刺した。
光の中で、ユーサのアニキの顔が見えた。
疲れてる。ボロボロだ。それでも、目が優しい。
「あと……遅くなった。……待たせて、ごめん」
俺は息を吸う。
喉の奥が熱い。たぶん、声も震えてる。
「良いんですよ……」
けど、今度は言える。
あのとき、言えなかった【言の葉】が、今なら言える。
「スーパーヒーローは、遅れてくるから……カッコいいんです」
言った途端、涙が勝手に出た。
「……だから、待っていられるんですよ」
痛みも、悔しさも、過去の後悔も――息と一緒に流れていく。
ユーサのアニキが、少し困った顔で笑った。
「そう? 僕はね――来るまで耐えてるヒーローの方が、ずっとカッコいいと思う」
その一言が、胸に落ちた。
残ったのは――頑張ったことが、報われたっていう感覚だった。
スーパーヒーローは、遅れてくるから、かっこいい。
だから、待っていられる。
来た時の喜びが、きっと……最高の瞬間になるから。
そして、スーパーヒーローが来るまで、持ち堪える人達もかっこいいと思っています。
誰かが、自分の作ったモノ、意志をつなげるということは、凄く大切で
作ったモノが死ななくなる。僕の大好きな人の言葉の、僕なりのオマージュ、リスペクト




