78[2-12].人の皮を被る悪魔は……
ザキヤミの夜。
ナザ病院の外壁が揺れ、黒い爪痕が石灰を削った。悪魔がゆっくりと窓に細工を仕掛け、ユーサがいた病室の窓を開けて押し寄せる。
だが、ベッドにいるはずのユーサの姿はない。そして、気づいた時には悪魔たちは叫び声も上げることなく絶命し、灰になる。
仕込み杖から刃を抜きざまに、トムが達人の居合の如く一閃。
「いやねぇ。なんだか自分の子どもを囮に使って、虫ホイホイみたいな扱いにするなんて」
トムは今朝、シ・エルからの連絡と指示を受け、ディアと組んでユーサを移送したことを思い出しながら呟く。
入口でトムが仕込み杖を回す。空気を裂き、病院の埃が舞う。湧いた悪魔の影と角を切り裂くが、倒れた個体の後ろから、また数体が這い出す。
「どれだけいるのよ。これじゃ合流できないじゃない……。とりあえず、ナザちゃんの病院は死守よ。ギルドのみんな! 愛と月の加護下に悪魔をお掃除するわよ!」
トムが持つ無線のような秘術道具が鳴り、病院の内外でギルド員が一斉に交戦態勢へ。
「各自、やれることをやりな! ギルドの連中に守ってもらいな! その代わり負傷したら治療するんだよ!」
「ありがとう、ナザちゃん。あんたたちも、できれば負傷しないようにね!」
小結界石のある隠し地下室へ、ナザが先導して看護師たちと共に残された入院患者を運ぶ。それを守るようにギルド員のタンク役が盾列を作り、殲滅係が悪魔たちを切り裂く。列は担架が通る隙を保ち、連携は崩れない。
ナザは煙管をふかしながら悪魔たちへ煙を撒く。薬草の香と色煙が、誘惑・混乱・幻覚・眠りの状態異常を重ねがけする。
その隙にトムが一閃。残った悪魔たちをギルド員が叩き折り、秘術を唱え、焦げたにおいが散る。
「ところで、この前壊されたエル教会の結界石は、直ったはずじゃないのかい? これじゃエル教会も、税金泥棒だねぇ」
「本当よねぇ、嫌になっちゃうわ。シ・エルに言っておかないと。――だからまずはここを終わらせましょう!」
…………………………
場面は変わり、デイ神社。
石段の上、白い息が揺れている。ク・エルが先行して天使の速度で駆け抜ける。
「はぁ、はぁ……ク・エル天使長、さすがだ。もう……はぁ……上り終わっている」
「オトキミ様、足元に気をつけてください。きつかったら、ガケマルさんにおぶってもらいましょう」
「え?(アユちゃん、最近、怖い)」
遅れて、オトキミ、アユラ、ガケマルが駆け上がる。
「……これは」
ク・エルが最初に鳥居前に着き、境内には祈祷師、巫女見習いだけでなく、市民の負傷者まで横たわっていた。
「……なぜ市民までデイ神社に? ……いえ、詳しいことは後に」
ク・エルは着物の袖を払って跪き、掌を合わせる。彼女のみが使える、傷を再生できる【再生女神の抱擁】の発動準備を整える。
一人ひとりの重症度を見極め、危機的な者だけに神の奇跡を唱える。
先日の各都市悪魔襲来で力を使いすぎ、サキュ・B・アークに遅れを取った反省を活かし、軽度・中等度は応急処置、重傷者のみ【再生女神の抱擁】。
残りはこれからの戦闘に備えて温存する判断をしたが。
「……しかし、数が多すぎる。……躊躇している場合では――」
「じゃあ、俺の召喚獣で傷を治しましょう」
オトキミが到着するや状況を一瞬で把握し、瓢箪から次々と召喚獣を呼び出す。
「……こんなに……複数の召喚獣を。……しかも、医療道具まで扱えるなんて」
アユラとガケマルが手際よく応急処置セットを配り、獣とは思えないほど器用に治療道具を使う召喚獣たちに、周囲がどよめく。
「ク・エル天使長は重傷者の治療をお願いします。残りは――」
「……いえ、これだけの召喚獣がいれば、獣の癒しだけで軽傷者は治療せずとも手間は省けます。……これなら、ナザ院長のスタッフが合流するまで、治療ラインは保てます」
状況変化に応じ、ク・エルは臨機応変に戦況を組み替える。
「……ここは私に任せて。……オトキミ君たちは、ユーサ・フォレストとディア様のところへお願いします」
三人は目線で合図し、社殿奥の回廊へと消える。
「……素晴らしいチームですね。……さすがはユーサ・フォレスト。……エル教会の天使たち、信徒たちにも彼らを知っていただかないと」
ク・エルは優しく微笑むと、残った負傷者の脈を確かめ、もう一度、神の奇跡を唱えようとする。
「……私も。……できることをしましょう」
《 ……神よ、お気に召すがままに。……傷も、悲しみも、食べ尽くします 》
《 【神の奇跡】 【再生女神の抱擁】 》
重傷者を抱きしめながら、緑色の光と優しい風に包まれ、みるみると傷が修復する。
それを、数人へと行うが――。
「……思っているよりも……いますね」
連続で【神の奇跡】 を唱えることで、明らかに疲弊し始めるク・エル。
「いや! 目を開けてよ! ママ!! パパ!!」
血だらけで倒れている両親を起こそうと必死に叫ぶ子ども。
どうすれば良いか分からず、ただ声をかけ続けるが、目覚める様子はない。
「……いや、嘆いていられません。……後悔しないためにも、できることを」
力を温存しておくべきだと分かっていても、ク・エルの中で大事な人を救えなかった過去が甦る。
気づけば【神の奇跡】 を使いすぎて疲弊し始めるク・エル。多くの市民から感謝される中、最後の負傷者を治療し、彼女は社殿の方を見る。
「……急ぎましょう。……嫌な予感が――!?」
金属音が鳴る。
ク・エルは天使武器の大鎌を、殺気の走る方向へ薙いだ。
何かが高速で接近してきたのを弾いた音。そして、後ろへと下がる砂と小石が擦れる音が重なる。
次の瞬間。
空気が“橙”に汚れた。
炎ではない。光でもない。夕焼けの皮を被った、粘つく悪意。
吸い込めば肺の奥が焦げるような、異質な匂い。
「……っ!!」
大鎌で受けたはずの衝撃が、遅れて肩へ刺さる。
鋭い痛み。皮膚の下で、何かが細い針を這わせたような感触が走った。
「……不覚」
血が落ちる。緑の着物が濡れ、彼岸花の刺繍が赤で縁取られていく。
致命傷ではない。だが、神の奇跡の連続行使で削れた集中が、刃の角度を一瞬だけ甘くした。
ク・エルは膝をつきかけ、すぐに踏みとどまった。
ここで倒れれば、社殿奥へ繋がる道が開く。
──シ・エル様が何を考え、何を隠しているのか。全てを知らずとも、使命は守る。
「……私は、天使です。……セブンス・ヘブンの」
息が白く揺れた。
震えそうな指先を、柄に絡め直す。痛みで世界が狭まっても、判断だけは鈍らせない。
視線の先に、人影の悪魔が立っていた。
人型。無表情。けれど、その輪郭を包む橙と黒のオーラが、体の外側に貼り付くように蠢いている。
まるで中身より先に、別の意思が先に歩いているみたいに。
「……あなたは、……いったい」
ク・エルの胸に、小さな違和感が落ちた。
神の奇跡を使いすぎたとはいえ、戦闘力は同等か、それ以上。
戦い方が悪魔のものではない。人の重心、間合い、踏み込みの癖。
それなのに、眼だけが空っぽで──橙が、その空洞を覗き返してくる。
次の一撃が来る。
ク・エルは大鎌を構え直し、地面を半歩削って位置を変えた。
「……いえ。……あなたが誰であっても……やられるつもりはありません」
橙の気配が、笑った気がした。
そして、また刃が交わる。
…………………………
オトキミたちが目指していた、ユーサたちが隠れている場所。
神主であるジルが管理している秘密部屋。
社殿のさらに奥、隠し戸の向こう。
湿り気を含んだ土の匂い。壁の札は濡れ、墨が滲んで黒い筋を引いていた。
橙の燐光が、そこだけ昼のように明るい。
人影が立っている。
胸元に刻まれた、橙の紋章。その縁をなぞるように、白薔薇の刺繍。
綺麗すぎるほど整った糸が、今は不気味に光って見える。
鈍く光る腕が、ジルの胸を貫いていた。
血の匂いが土と混ざり、息をするたび喉に絡む。
ジルの唇が動く。
声にならない。祈りにも、警告にも、名前にもならない。
ただ、苦しげな吐息だけが漏れた。
「ジル様ぁ――ッ!! いやあぁあああ……!」
近くにいたケイが、泣き叫ぶ声を轟かせた。
橙の燐光が、ふっと揺れる。
人影は振り向かない。
代わりに、紋章の奥で……何かが脈打つように見えた。
白薔薇の刺繍が、笑っているみたいに。




