77[2-11].ディアの記憶:瞳の住人(リヴ・イン・ユア・アイズ)②
長いので分割した後半
あなたとの出会いのあと。
私はあなたに惹かれた。
《外の空気に首輪を引かれる》ように、あなたを求めていた。
誰からも距離を置かれ、近づいた男性は怪我を負う。
なのに、あなたは平気だった。
「ディアの瞳は、ずっと見ていたくなる宝石みたいに綺麗だね」
ーー“不吉な赤目”と否定され続けた目を、あなたは肯定してくれた。
あなたは私の弱さを直そうとしなかった。
ただ隣に立ち、その形を一緒に覚えようとした。
「弱い私も居て良いんだ」と思わせてくれるように。
そんな、あなたに対して私は時々、《背を向けた》。
“呪い”が、あなたまで奪う気がして。
ある夜、私は“吸血衝動”と“呪い”のことを打ち明けた。
あなたは真剣な顔で考えてくれて、まっすぐ言う。
「大丈夫だよ。吸血衝動が怖いなら、僕の血を飲んでいいよ。献血って思えばいいのかな? ある程度、適度に血を抜くのは体にも良いらしいし、気にしなくて良いよ。……嫌かな?」
直接首元から――それだけは抵抗があった私を見て、あなたはナザさんに頭を下げた。
「ディア用に、僕の血を輸血パックに詰めてもらえませんか」
ナザさんは肩をすくめ、笑って頷いた。
「見た目は女みたいなヤツだけど、いい男だよ。アタシが保証する。大事にしな」
私は輸血パックを受け取り、その温度を両手で抱えた。
プラスチック越しなのに、あなたの体温がなぜか指に宿って、涙が勝手にこぼれた。
それから私は、あなたの血だけを飲むようになった。
*
やがて、あなたは私の“呪い”の根を掘り当てた。
「解決するために、友達が見つけてくれた『ラーマとシータの指輪』っていう秘術道具で、幸せになるための試練を乗り越える必要があったんだけど。その時に分かったんだ」
あなたは微笑み、ゆっくり言葉を置いた。
「ディアの“呪い”は、“呪い”じゃない。
君のご両親の神の奇跡
――【私の最愛の娘】だった。
誰からも傷つけられないように、過保護すぎるほど強く守る結界。
君が記憶を失っても、遠く離れていても、ずっと見守っていた。
ちょっと強すぎた、ご両親の“優しさ”だったんだ」
あなたは、怪我した箇所を隠しながら言葉を続けた。
きっと、呪いを解除するために私が想像する以上の戦いがあったのかもしれない。
あとで知った事だけど。
私が無意識に発動していた【私の最愛の娘】は、血を糧にしていた。
不思議と恐ろしかった“吸血衝動”は薄れ、長く間が空いた時や、私が“氷”を使いすぎた時にだけ、喉の奥で小さく鳴くようになった。
あなたは、私の全てを守ってくれた。
「それから、ご両親に約束してきたよ。
『これからは、娘さんを僕が守ります。たとえ、死んで生まれ変わっても』って。
……そしたらね、
『死んだ後のことじゃなくて、生きている今の娘をお願いします』って、叱られた」
その時、忘れていた扉がわずかに開いた。
優しい、最後の両親の顔だけが、光のほうから戻ってきた。
私はそれを胸に抱え、あなたの手を握った。
【月虹】のかかる夜、あなたは指輪を差し出した。
「生まれ変わっても、君を見つけた。今度こそ、君を幸せにする」
心臓が飛び跳ねる程、嬉しかった。時が止まった瞬間だった。でも……。
「今度こそ……って、どういうことですか? 誰か別の人の話をしています?」
「……え?」
あなたが、初めて狼狽えた顔を見せてくれた。それすら、私は愛おしく感じた。
この人が、ブンちゃんが言っていた。
“感謝を忘れない、誠実な人”なんだ。
*
私たちは子を望んだ。
季節が二度、三度と巡っても、腕の中は空のままだった。
注射の跡、小瓶の残り香、秘術の符――できることは全部、やってみた。
結果だけが、静かに“まだ”と言い続けた。
ナザさんの診察室で、私は俯いた。
吸血鬼は絶滅危惧種。繁栄が難しい――紙の上の言葉が、まるで判決みたいに重い。
「……私が原因、なんですよね」
声が勝手に細くなる。そこへ、あなたが一歩、前へ出た。
「あの、ディアが原因じゃなくて、僕が原因かもしれません。僕の体を詳しく診てください」
「え?」私は顔を上げた。
あなたは、まっすぐナザさんを見た後、私の方を見た。
「ごめんね、ディア。一人で抱え込ませてた。一緒に考えよう。絶対何かある。できることは全部やってみよう」
ナザさんは、口の端だけで笑って、カルテを閉じた。
「だいたいの男はね、不妊を女のせいにするんだよ。ユーサみたいな男は、なかなかいない。本当、大事にしな。っていうか、親として娘を大事にできないなら容赦しないよ」
胸の奥で、何かがほどけて、涙が出た。
検査は、時間を食べた。
結果は、静かにやってきた。
――夫の染色体に、稀な“ゆらぎ”。本来ならありえない、女性型。希少中の希少。
医療技術の進んだザキヤミでの現代医学では解決できない問題。
原因が私ではなく、あなたであったという事実。
白い吐息が浮かぶ、冬の寒い帰り道。
「見た目だけじゃなかった」とあなたは苦笑いして、それから俯いた。
《白い溜め息に知らされる季節を繰り返しながら、ふと思うの……》
沈む気配が、あなたの肩から伝わる。
《――なぜ私はここにいるんだろう?》
今度は私の番だ。
守られてばかりじゃない。
この日の為に、私は医療に携わってきたんだ。
「……大丈夫。今度は、私があなたを、守るから」
私は都市の文献を当たり、祈るように頁を繰った。
古い処方箋、失われた秘術、脚注の脚注――その端に、小さな光。
キサナガに、人魚同士が繁栄できるように特殊な術があること。
【両性でも妊娠可能な診療秘術】が残っていた。
私はすぐにブンちゃんへ書簡を出した。
返事は、走るみたいに早かった。
『任せなYO! ディアのために最強のお姉ちゃんに任せNA!!
医師と術者はウチが繋いでザキヤミに行ってもらうからNE!』
私は深く息を吸って、あなたの手を握った。
「信じよう。ブンちゃんを」
秘術診療室は、ガラス越しの光が柔らかかった。
術者の合図、息の数、薬液の滴る速度……すべてが一つの譜面になって、私たちの身体に調律をかけていく。
日に日に、体の奥の気配が変わる。静かな湖に、目に見えない風が吹き始める感覚。
そして――
「……聞こえる?」
小さな鼓動が、私に触れた。
世界の音が全部遠のいて、その音だけが近かった。
「ディア……!」
夫の目に、透明なものが溢れた。私の目にも、勝手に溢れた。
ー 「嬉しい涙は、もっとたくさん流していいんだYO!」 ー
ブンちゃんの声が、心の中で笑った。
月の満ち欠けを数えるたび、部屋の色が変わる。
私は相変わらず太陽に弱いけれど、窓辺の光が怖くなくなった。
お腹の上に手を置くと、そこに確かな“誰か”がいた。
花の名を教えるように、薬草の香りを吸うように、私は一日に何度も「愛してる」と言った。
その日、空から白いものがひとひら落ちた。
《雪は、祝福の花》。
どこかで、記憶の中の両親が教えてくれた。
まるで、天国から私たちを祝うかのように。
*
産声は、小さな鐘の音に似ていた。
マリア。
名を呼ぶたび、胸の中で花が咲く。
マリアが生まれた日、誕生日を迎える度に、あなたは毎年、同じ言葉をくれる。
「マリアを産んでくれて、ありがとう、ディア。愛してるよ」
《そばにいて》
その時、気づいた。
太陽になれなくても良い。
《ずっとあなたの笑顔を見つめていたい》
あなたの笑顔が太陽で
私は……それで咲く花。
《移りゆく瞬間を、その瞳に住んでいたい》
太陽を見上げる花のように、貴方をずっと見ていたい。
あなたが宝石のようだと言ってくれた瞳を、ずっと見ていて欲しい。
あなたが映る瞳なら、
この世のどんな花よりも綺麗な花になる筈だから。
私は過去の自分を思う。
“不吉な赤目”と呼ばれ、触れるものを凍らせていた私が、今は、ひとつの小さな手のぬくもりで溶けていく。
この幸せが、
《永遠に続くように――鮮やかな風景画みたいに、時を止めてほしい》。
でも、時は止まらない。止める事はできない。命は限りがある。
いつかは、幸せな日々が終わりを告げる日が訪れる。
だから、神様に祈る。
いつの日か《鮮やかな季節》へ、三人で連れ立っていけるように。
《雪のように空に咲く花のもとへ》。
家族みんなの命が終わりを迎えても、天国へ行けるように。
生まれ変わっても、また幸せであるように。
*
――その幸せに、影が差す。
気づけば、私は、誰もいない道を走っていた。
石畳を打つ靴底の音が薄い。月が近すぎて、夜が軽い。
――気づかないフリは、やめなさい――
耳のすぐそばで、誰かが囁いた。
私の声色。
けれど、年輪みたいに古い響きが重なっている。
冷たくも温かい、水底の光のような声。
その真ん中で、あなたが倒れている。
呼べば返事をしそうな筈なのに、返事をしない。
――本当は、気づいているのでしょう?――
手を伸ばす。
温かかったはずの手が、ゆっくり冷えていく。
胸の中に、空気の入らない場所が広がる。
私は首を振る。幻を撫でるみたいに、夫の頬に触れる。
――君は、後悔を残しないように、話し合って、通じ合って。どんな事が起きても“すれ違わないで”――
声に合わせて、石畳の縁に薄い霜が生まれ、
花の輪郭のまま静かに広がる。
それは、私の“氷”。
けれど今ははっきり分かる。これは、私だけの力じゃない。
誰かが、私の内側から手を添えている。
――だから、いつでも力を貸す。家族を守りなさい――
喉の奥で私の名を呼ぶ声がして、それが私自身の声だと気づく。
――今はもう、氷の力しかない。その源を胸に芽吹かせた。氷の秘術のさらに奥を感じてーー
理解できない言葉に恐れた私は。
幻を撫でるみたいに、夫の頬に触れた。
瞬間、霜の輪はほどけ、ただの月の光に戻る。
【月虹】の明かりが少し濃くなった。
ーー“創造”の力へ繋がる事に、早く気づいてーー
*
私は跳ねるように目を開けた。
朝の明るさ。
ナザ病院の白いベッドのシーツ。
耳に残っているのは、現実の静かな寝息――あなたの呼吸だけ。
さっきまでの冷たさは、まだ指の内側に貼りついている。
「……夢?」
分からないのに、言葉は口の方から先に出た。
私はあなたの頬にそっと触れる。生きている体温が、指先から腕に戻ってくる。
涙が出るほど、当たり前の温かさだった。
あなたのラーマの指輪と、私のシータの指輪が「もう離れない」と月明かりをわずかに拾って瞬いた。
「生まれ変わっても、ずっと一緒……なんだよね?」
返事はない。
それでも、返事を待つみたいに、私はあなたの手を両手で包んだ。
その時――扉が軽く、けれど急いで開いた。
トムさんが入ってきて、廊下の緊張を部屋へ連れてくる。
「ディアちゃん、急いで。シ・エルが言っていた通りに動くわよ」
私は立ち上がる。涙を拭う時間も惜しい。
太陽の下に出れば、私はたちまち疲れるかもしれない。
――それでも、照らす光に枯れたりしない。
私は、あなたの花なのだから。
《悪い夢》と《現実》が、同じ速度で胸の中を走り出した。
私の中に眠る、もう一人の私が、力をくれたような気がした。




