74[2-8].兎ガール(幸せを運ぶ兎歌姫)
長いので分割にします。メリークリスマス。予約投稿!!
ユーサが目覚めずに数日が経過したザキヤミの街。
昼の風に、炊き出しの匂いがのる。湿った湯気と金属の匂い、土埃がまざり、陽の粒が舞った。
大人たちは足場を組み、瓦礫を選り分け、仮の水道をつなぐ。手袋の上からでも伝わる道具の冷たさに、手首が重くなる。
子どもたちは安全柵の内側で、紙コップの水を配り、工具を並べ、泣いている子の背をさする。小さな掌が小さな背中をさするたび、ひくひくと肩の震えが落ち着いていく。
湯気が路地に漂い、金槌の音と子どもの歌声が交互に届く。音はまだ不揃いだが、人の暮らしのリズムが戻りたがっているのが分かった。
オトキミがしゃがみ、涙で目を晴らした小さな子の視線に合わせた。土が膝にざらりとつく。
「どうしたんだい?」
「……ママ、パパ、がいなくて……きょうは、ひとりで……さみしいよ」
「そっか。――でもね、“さみしい”は悪いことじゃない。君は、一人じゃないんだよ」
言いながら、オトキミの胸の奥で古い痛みがかすかにうずく。“ひとり”という言葉の手触りを、彼自身が知っているからだ。顔には出さない。出さないと決めている。
オトキミは瓢箪の口をひねり、清水をひと口ふくむ。喉に冷たさが落ちる。
《 ー 〇 呪文 ● 秘術 ◎ 召喚 ー 》
もく、と白い煙が立ちのぼり、形を帯びる。
掌の先で小さな鈴の音。白い耳がぴょこんと立つ。周りの子が、息を合わせるみたいに笑顔が並ぶ。
《 ー 兎歌姫 ー 》
ふわふわの耳飾り、白いエプロン。小さな歌姫は足先でリズムを刻み、耳を振って輪の中心へ。
赤い瞳が、宝石のようにやさしく輝く。
「うさぎの目はね……同じように泣いてる子が悲しまないように、代わりに泣いてくれるから、赤いんだ。泣いた目のまま、前を向いてもらうために」
「……そうなの? パパ達から、泣いちゃダメって言われるよ?」
「泣いてもいいんだよ。悲しくなったら、兎みたいになろう。涙で目が赤くても、同じように泣いてる子を見つけたら、いっしょに野原をかける兎みたいにね」
子どもの眉のきゅっと詰まった皺が、すっと緩む。赤い瞳の中に、泣き跡の自分が小さく映るのを見て、うなずいた。
「君は、一人じゃないんだよ」
合図もなく、アユラが弓の弦をはじき、チェロのような低音をつくる。
ガケマルは太鼓のバチで空気を打ち、太鼓の拍を刻む。指先の骨に土の弾みが伝わる。
「だから――《共に歌おう》」
ラーラーラーラー。
指揮棒みたいに耳が跳ねるたび、すすり泣きが止まり、足取りが軽くなる。
輪は広がり、笑い声が混じる。幼い肩が上下していた呼吸が、歌の呼吸にそろっていく。
周囲の親たちが安堵を吐いた。肩の力が目に見えて落ちる。
「ギルドの……フォレストさんの仲間だ」
「悪魔を最後に倒しに来てくれた人達だよね? こんな事もできるだ……素敵」
悪魔襲来の傷は深い。
だが“優しい身近な動物の召喚”こそ、今のザキヤミの市民達には一番心に響く。
支給の食糧も水も、道具も、そして笑顔も――オトキミの召喚獣は等しく運ぶ。
子らがコップを渡す手つきは、もう怯えだけで動いてはいない。
「フンッ! 何だその、悪魔も狩れなさそうな雑魚小動物は?」
石畳を無遠慮に叩く靴音。乾いた音が空気を割る。
橙の紋章に白薔薇の刺繍――タイオー派遣の天使、カマセ・イヌー。
同紋を縫い付けた二人の信徒を従え、瓦礫より高く鼻を上げる。香の匂いが風に逆らって鼻に刺さる。
「なんで俺様が、こんな田舎の復興なんぞに駆り出されねばならん」
「ザキヤミの信徒も天使も、緩い。レベルは低い。情けない愚民ばかり」
「なるほど、だからカマセ様の素晴らしい召喚獣の良さが分からぬ、低民達だったのですね。ハハハ」
吐く言葉が石より冷たく、周囲の視線が一段冷える。
空気の温度がほんの少し下がった気がした。
冷ややかな視線が返る。
オトキミは振り向かない。頬の筋肉がこわばるのを、呼吸で押し戻す。
子らに水を渡し、《ネコ忍者のミケゾウ》に軽食の籠を託す。ミケゾウが尻尾で合図を返す。
場が和むほどに、カマセの目尻が吊り上がる。
自分の言葉で場が揺れない苛立ちが、あからさまに目の端に集まっていた。
「そこの三下召喚術師。何を無視している」
取り巻きの一人が前へ出て、嘲る。勢いで声が少し上ずっている。
「カマセ様、こやつはユーサ・フォレストの舎弟――いえ、金魚のフン。しかも、ザキヤミの名家であるズー家の落ちこぼれ。『三代目の友達』が後継者になったとか。確か……名は、オトキミ・ズーにございます」
もう一人が笑いを張り上げる。
笑いは大きく、周囲の冷たい視線を気にせずオトキミを見下す。
「ハッ! 召喚獣で鳴らしたズー家も地に堕ちたな。こんなクソ雑魚獣を呼ぶガキが後継とか? 七光りどころか、今にも消えそうな残光じゃねえか。アッハッハッハ!」
「ーー!! そんなことないもん!」
マリアが両拳を握り、きっぱり一歩。握った拳は汗ばんで小刻みに震えている。
「オトキミお兄ちゃんたちは、すごいんだから! アクマのオヤダマを、たおしたんだから!」
声に呼応し、親たちが口々に言う。怒りというより“守ろう”とする声色だ。
「ここで街を支えてるのは彼らだ!!」
「よそ者が茶化すな!」
「何も知らない奴らが……謝れ!!」
カマセが舌打ちして睨みつける。
「うるさい蛆虫ども」
瞳の色がわずかに暗くなる。
「今は天使である《俺様の召喚獣》が周囲を制圧してるから安全なんだよ。悪魔が侵入しねえのは誰のおかげかも分からんのか? そんな小動物しか呼べねえ無能と俺様を比べるな。黙って感謝だけしていろ」
カマセが、手を荒く振る。指の関節が白くなるほど力が入っている。
「どきな、クソガキ。邪魔だ」
「ーー!?」
その腕がマリアに触れる前。
マリアのペンダントに埋め込まれた【シ・エルの黒曜石】が一瞬だけ輝く。
その閃きは、ユーサの仲間だけが知る《合図》でもあった。
その輝きに吸い込まれたように、オトキミが間に滑り込む。
「__ぐっ!!」
「オトキミお兄ちゃん!!?」
カマセの手を肩で受け、衝撃に足が絡み、土の上を転がる。
砂が口に入ってじゃり、と鳴った。左膝に鈍い熱が走る。
「オトキミ様!?」
アユラの目が針の色になる。呼吸が細く、長くなる。
「ア、ブ、ナ、イ!(瓢箪が、ワレる!)」
ガケマルがころがった瓢箪の召喚器を、割らぬよう掌で吸い上げる。
掌に吸い付く重みを確かめ、胸をなで下ろした。
ーーふたりの気配が変わる。
「オトキミ様に対する、これ以上の侮辱は、僭越ながら――許しません」
アユラは顔にあり得ない歪みを浮かべ、弓弦に指を掛ける。腕の内側の筋がきしむ。
「許、サ、ナ、イ!(殴り倒す!)」
ガケマルは筋肉が一段盛り上がり、拳が空気を鳴らす。歯の奥で息が鳴った。
「……やめろ、アユラ。ガケマル。………相手にする必要はない」
オトキミが片手を上げた。震えはない。
オトキミの目は、まっすぐ輪の中心――マリアを見た。
マリアが無事なことを確認すると同時に輪の歌が静まる。子どもたちの肩が固まり、親の喉が鳴った。
カマセ・イヌーは鼻で笑い、天使の片翼をわざとらしく揺らす。羽ばたきで生じた風が砂を巻き上げ、頬に細かい痛みを置いていった。
「ハッ!! “相手にする必要は無い”だと?」
翼がひと払。
砂塵が渦を巻き、オトキミの体を人の途切れた石畳へ弾く。背中に石の冷たさが刺さる。
カマセの靴底が迫る。頭に踏みつけられても、オトキミは首をわずかにずらし、力を逃がした。
耳鳴りの中でも、耳は子らの方角の気配を拾い続ける。
オトキミは輪の中心――マリアだけは、決して視界から外さずにカマセを見た。
「市民が“神に選ばれた天使”に向かって、その態度は何だ? 頭が高いぞ、ザコ」
「……っ!」
「悪魔を倒したとか、人に戻したとかいう、ユーサ・フォレストの自慢の舎弟だったか?
情けねぇ、かかってこいよ。おら、どうした弱虫? 金魚のフンだったか?
……ああ、そうか。お前の取り柄は“ズー家の家柄”だけだもんな。
その様子じゃあ、【神秘術】も授かってないようだし、先代の三代目も浮かばれねえ。
落ちこぼれが名家を潰すってのは、このことだ。アッハッハッハ!」
限界の線が破れ、アユラとガケマルが踏み出す――直前。
空気が反転した。
見えない圧が、広場の音と色を一段沈める。
熱がひと呼吸ぶんだけ引く。
鳥の影が空を横切るのも遅く感じた。
「……何をしているのですか? 貴方は」
猫忍者、きちゅね、兎ガール、そして………次の話で。




