62.虚な目に心は離れていく【ブルーリー・アイズ】②
最上階のVIPルーム。
マリアとディアが電話のために席を外し、室内にはユーサ一人が残されていた……はずだった。
窓の向こうには夜空が広がり、星たちが瞬いている中、ユーサは、ディアに似た男、ヘディと密会するように夜を過ごす。
「実は……」
そして、ユーサはジャンヌの名前だけは出さないようにしながら、自分が課された“召命”のすべてをヘディに語った。
教会の闇を暴き、六体の黒冠位悪魔と七つの秘宝石、星の勇者たちの捜索、三年の猶予、そして家族を守りながら戦うこと——全てが終わった時、自分が死ぬ事。
それを、ディアに伝えるべきか。どうすべきか。
「……という事で悩んでいました」
ユーサは、静かに語り終えた。声には疲労と不安、そしてどこか吐き出したことで軽くなった安堵が滲んでいた。
ヘディは一切茶化さず、真剣な面持ちで最後まで話を聞いていた。
「結論から言うと、神の名前さえ言わなければ、召命の説明は誰かにして良いようだな」
ヘディは一言一言を選ぶように、静かに口を開いた。
「現に説明を聞いた俺、そして説明したユーサ、どちらにも何のペナルティも起きていないように見える」
ユーサはその言葉に、ふと自分の身体を確認するように肩を回し、手足を見下ろした。
——確かに、何も変わっていない。
ヘディは続ける。
「そして、俺の個人的な意見だが……ディアに“生き返った理由”を言うかどうか、それはユーサ、お前が決めろ」
「え……?」
その突き放すようでいて優しい言葉に、ユーサは思わず顔を上げた。
ヘディは、ふと遠くを見るような視線で、語りかける。
「……『墓場まで持って行く』って言葉があるだろ、ユーサ」
視線は、なぜかどこまでも鋭く、真っ直ぐにユーサの胸に突き刺さる。
「友達だから、恋人だから、家族だから……全部を話す必要はない。ときには“言わない優しさ”ってやつが必要な場面もある。相手を思って、あえて口を閉ざす。そういうのも、大人の誠意だ」
テーブルに置かれたティーカップ。ヘディの前にあるその紅茶には、一口も手をつけられていなかった。
湯気だけが静かに立ち上る。
「夫婦円満の秘訣とか、言うよな? まぁ、俺は未経験だけど」
少しだけ冗談めかすその声音に、ユーサは曖昧な笑みを返す。けれど、ヘディの瞳は冗談など微塵も含んでいない。真剣なまなざしが、まっすぐにユーサを見据えていた。
「……“墓場まで持って行く”……」
その言葉を口にした瞬間、ユーサの胸に、深く沈んでいくものがあった。
——言うことが正しいとは限らない。
——伝えないことで、守れるものもある。
「それにさ、今回の件……浮気とかやましいことじゃないだろう? むしろ、お前は“ディアが知ったら傷つくかもしれない”って思ってるんだよな。だったら……焦らなくても、いいんじゃないか?」
ヘディの声は、どこまでも静かだった。
まるで、心の奥をそっと撫でるように。
ユーサは、はっとして彼の方を見たが、ヘディの顔には、ただ“相手を思いやる”という、人としてのごく真っ当な優しさがにじんでいた。
ユーサは小さく目を見開き、やがて静かにうなずいた。
「……急いで、答えを出さなくてもいいのかもしれないですね……」
呟いたその言葉には、どこか張りつめていた糸が緩んでいくような感覚があった。
ヘディはそれを見て、ふっと微笑んだ。
だがその微笑みは、次の瞬間、どこか少しだけ寂しさを含んだものに変わっていった。
「あと……『愛の言葉』のように、“伝えたかった言葉を伝えられない”って類のものでもないんだし……いいじゃないか。迷ってるってことは、それだけディアのことを真剣に想ってる証拠だよ」
その言葉は、ユーサの胸にまっすぐに響いた。
そして、ヘディの笑顔には——確かに優しさがあった。けれど同時に、それはまるで、ヘディが自分自身を重ねているかのようでもあった。
「え……?」
ふとした違和感に、ユーサが眉をひそめる。
それはほんの一瞬のことだった。
何か、胸の奥で小さな棘が引っかかったような気がした。
ヘディは、ほんの一瞬だけ沈黙した後、月を見上げながら、ぼそりと呟いた。
「……伝えようと思っても、もうその人がいなかったらさ。言葉なんて、何の意味もないんだよ」
まるで、自分自身に語りかけているような言葉だった。
ユーサが何かを言いかけたその瞬間、ヘディは口元に笑みを戻し、いつもの軽さで言い直した。
「……いや、ごめん。ちょっと説教くさかったな。忘れてくれ」
その瞳に、微かに揺れる“追憶”の色を残したまま、ヘディは静かに立ち上がった。
だが、ユーサには分かった。
——彼の中にも、伝えられなかった何かがあるのだと。
ユーサの顔を見て、ヘディはふっと笑った。
「じゃあ、俺は帰るよ」
そう言って、背筋を伸ばして立ち上がる。
ユーサが入れた紅茶には、最後まで口をつけなかった。
だが、扉の前で、ふと立ち止まり、振り返り言葉を残した。
「ユーサ。俺がここに来たことは……ディアには“内緒”にしてくれるとありがたい」
その言葉にユーサの視線がヘディとぶつかる。
ヘディの瞳が一瞬だけオレンジ色に輝いた。
それは、太陽のような——けれどどこか幻惑めいた光だった。
「それが、俺にとっての“言わない優しさ”さ」
声は静かだったが、その言葉の裏には確かな意志が込められていた。
「“話さないこと”は、嘘をつくことじゃない。相手を想って選ぶ“沈黙の勇気”も、時には必要だ。……そして、自分を責めるな」
その一言一言が、ユーサの中に染みこんでいく。
「……わかりました。ヘディさん」
ユーサは、深く静かに頷いた。
そして——
「困ったら、各都市にある夜だけ営業してる『ツェッペリン(降り立つ箱船)』って店のザキヤミ支部に来な。今はそこで情報屋の仕事をしてる。俺も召命に関わる情報を調べてみるよ」
そう言いながら、ヘディは自分の胸ポケットにつけているペンを指でなぞる。その一瞬、【コウモリ】の印が太陽のように微かに光を放った。
「ヘディさん……ありがとうございます」
「可愛い妹の旦那……弟が困ってるんだから当然だ。じゃあな、ユーサ。ディアを頼んだぞ」
そう言い残して、彼は静かに扉の向こうへと姿を消した。
まるで最初から、幻だったかのように。
ユーサは椅子にもたれかかり、窓の外を見上げた。
月は高く昇り、星たちはどこまでも静かに瞬いていた。
そのとき——
「パパー!! ただいまー!!」
明るい声が扉の向こうから響き、VIPルームにディアとマリアが戻ってきた。
マリアは飛びつくようにユーサの胸に抱きつき、彼はその小さな体をしっかりと抱きとめた。
「あなた……? どうしたの?」
ディアが、不意にその様子に違和感を覚えたのか、そっとユーサの頬に手を添える。
「え……あ、うん。あのさ、ディア……」
ユーサが、何かを言おうとしたその瞬間——。
「ふぁ〜……パパ……マリア……もう……」
マリアがぽつりと呟き、そのままユーサの胸の中で寝息を立て始めた。
「ふふ……、寝ちゃったわね」
ディアも微笑み、ユーサも静かに頷いた。
「……ディア。家に、帰ろうか」
「……ええ。帰りましょう、あなた」
——わだかまりは、まだ解けていない。
けれど、それを急いで解く必要もない。
今はただ、この穏やかな時間を胸に抱いて、家路を歩く。
「フフフ。久しぶりだね。マリアが産まれてから、手を繋ぐなんて。いつぶりだろうね」
ディアは嬉しそうに笑った。
ユーサはマリアを片手で抱えながら、ディアの手を握っていた。
それは、わだかまりの答えを急がない、穏やかな夜の結びだった。
connect……結び。
因みに「ツェッペリン」はZeppの名称(Zeppelin)から来ています。ZEPP 宮崎は無いですけど
ヘディのモデルになってる人がよくライブしてる場所です。




