61.良い女の条件 ~“信じ、待ち、許す”……若しくは『言わない、聞かない、覗かない』~
ギアドの台所、最上階のVIPルームを出たディアとマリアは、通路を歩きながら奥の一室へと案内されていた。
「こちらでお電話をお繋ぎしております」
エヂヒカの言葉に、ディアは静かに頷いた。
室内には、どこか懐かしい黒電話が一台置かれていた。
ディアが受話器を取ると、すぐに、耳元に聞き覚えのあるハイテンションな声が響いた。
「ディア!無事だったんかYO!?アンタのこと、ナザのババアから聞いたから、すぐ電話したんYO!!」
「ブンちゃん……ありがとう。心配してくれたのね」
「当たり前っしょ!妹なんだからYO!」
久しぶりに聞く、陽気なギャル口調。胸の奥が、少しずつほどけていくのをディアは感じていた。
「ありがとう、ブンちゃん……。私もずっと心配だった。あの時、シ・エル最天使長の神の奇跡でキサナガへ行った後、どうなったのか気になって……」
「まぁ、いろいろあったけどYO! ちゃんと無事だったYO!」
しばらく互いの安否を確かめるように、柔らかな会話が続いた。
だが、ディアには、ひとつ気がかりがあった。
——あの時……シ・エル最天使長の映像を映す神の奇跡。あの映像の天使……
キサナガの都市を守った存在。
天使長ル・エル。
その姿、呪文を唱える声が、どこかブンに似ていた。
何より持っている武器、水鉄砲。そして『人魚』の印。ブンが持っている武器と同じだった。
だが、ブンのようなギャル口調とは正反対。言葉ひとつ発さない無言の天使。
「ねぇ、ブンちゃん……その……ル・エル天使長って、知ってる?」
「知ってるYO! なんで?」
あっさりと返ってきた答えに、ディアの心臓が跳ねた。
「あ! ……ちょっと聞いてYO、ディア!」
ブンは怒り心頭の様子で、まくし立てた。
「ウチのギルドの連中がね、『あっちの金髪天使様は一瞬で都市を守ったのに、こっちの金髪は遅刻して何も成果なし』って、ため息つきやがったのYO! ウチだって、百キロ以上離れたザキヤミから帰ってきたのにYO! そもそも、あのシ・エルの転移術が、都市から遠い場所に出されたんだYO! それは遅刻にもなるYO! ぷんぷんっ!」
「そ、そう……なんだ……」
ディアは曖昧に笑った。だが、心の中では別の感情が渦巻いていた。
——やっぱり、私の勘違い……だったのかな……。
ル・エルはキサナガで“雨を凶器に変える神の奇跡”を使い、襲来した悪魔を一瞬で葬った天使。
映像越しでも、あの沈黙と威圧感は鮮明だった。
ル・エルの呪文を唱えた声が、ブンのそれに酷似していた記憶がディアの頭で駆け回る。
けれど、今こうして電話越しに聞こえる彼女の陽気な声が、どうしても重ならず、言葉を失う。
「え? 何? どしたん?」
「……あの呪文を唱えた声、ブンちゃんにそっくりだったから……。まさか、って思っただけ。ううん、気にしないで。私の勘違いだったみたい」
「え? なになに、誰が誰に似てたって?」
「ううん、本当に気にしないで。ブンちゃんが無事でよかった。それだけ」
「ふふーん! 愛する妹にそう言ってもらえるなら、もう満足YO! あーあ、ナザのババアも、ギルドの連中もディアみたいに優しくしてくれたらなー!」
ディアはくすりと笑った。
そのとき、隣にいたマリアがディアの袖を引いた。
「ママー、マリアもおねえちゃんと、おはなししたい!」
「はいはい、じゃあちょっとだけだよ」
受話器をマリアに渡すと、マリアはブンに向かって元気に話し始めた。
「マリアね、このふつかかん、すっごくがんばったの!」
その姿を見つめながら、ディアは静かに思った。
——やっぱり、私の勘違いだったんだ。 たとえ、ブンちゃんが天使様だったとしても、何かを隠すなんて、するはずがない。
「ママー! おねえちゃんが、またママとおはなししたいって!」
受話器を戻されたディアは、それを耳に当てた。
「ねぇ、ディア。ユーサが……生き返って本当によかったね」
「……うん。ありがとう、ブンちゃん」
ユーサの名前が出て、先ほどまでの事を思い出すディア。
ブンの声に癒される一方で、ディアの心には、ずっと引っかかっているものがあった。
——今のままで、本当にいいのだろうか。
「……ブンちゃん」
何気なく口を開きかけたその瞬間、どこか心の奥に溶けきらない違和感が残っていた。
そんな微かな感情も——隠しきれなかったのだろう。
ふと、ブンの声が真面目な色を帯びる。
「ん? というか、ディア……なんかあったNO? 悩んでたり……してない?」
不意打ちのような言葉だった。けれど、それは確かに、まっすぐ心の奥に届いた。
「……あ、うん。……よくわかったね、ブンちゃん」
思わず言葉を漏らしてしまったディアに、電話の向こうから誇らしげな声が響いた。
「当たり前っしょ! あんたの声聞いたら、一発YO! お姉ちゃんだからNE!」
変わらない口調。だけど、そこに確かにあったのは、誰よりも妹を思う“本気”の気持ち。
ディアは小さく微笑み、ぽつりと本音をこぼした。
「……ありがとう。……実はね……どうしても、考えちゃうの。大事な人が何かを抱えていると……聞きたくなる、知りたくなる。でも、それって……迷惑なんじゃないかなって。……信じてないみたいに思われるかも、って……」
言いながら、自分の言葉があまりに子どもっぽいもののように思えて、ディアは目を伏せた。
相手のためを思うことが、時に重荷になってしまうこともあるのではないか。
そう思い込んでいた自分を、少し恥ずかしく感じる。
けれど次の瞬間、ブンの声が明るく弾ける。
「そんな時はね、ディア! “最強”にイケてる良い女のお姉ちゃんが! “良い女の条件”を教えちゃうYO!!」
「……良い女の条件?」
ディアは思わず吹き出しそうになりながらも、受話器に耳を傾けた。
「そうYO! それはね……“信じ、待ち、許す”!!」
その言葉は、まるで呪文のように、ディアの胸に染み込んでくる。
真面目に言っているはずなのに、どこかリズミカルで、でも不思議と心に染みてくる言葉たち。
ディアは胸の中で静かに繰り返した。
——信じて、待って、許す。
その三つの言葉に、今まで絡まっていた想いが少しずつほどけていくのを感じる。
しかし。
「……でも、それができるか自信がないよ」
「そんな時はNE、ディア。難しかったら、こうすればいいYO」
ブンは続けた。
「『言わない、聞かない、覗かない』!」
「……『言わない、聞かない、覗かない』……」
ひとつずつ、ブンの声を追うように心の中で繰り返す。
すると、不思議なほど、重たかった霧が少しずつ晴れていく。
ディアは思わず微笑んでいた。
「それができれば、ディアはきっと、も〜っと良い女になれるYO!」
「……ありがとう、ブンちゃん。……あの……ちなみに、それって、ブンちゃんはできてるの?」
冗談まじりに問いかけたその瞬間。
一瞬の沈黙のあと、電話の向こうからひときわ大きくなったブンの返事が返ってきた。
「愚問だNE、ディア! もしできてたら、ウチは今ごろ恋人の1ダースくらいはいたYO! あれ? 言っててナミダが出てきたWA……」
笑いながら泣き真似をするブンの声に、ディアは思わず吹き出した。
それは、あまりにもブンらしくて、あまりにも優しい声だった。
電話越しにふたりの笑い声が重なる。
その響きが、遠く離れた場所でも、確かに“姉妹”であることを感じさせてくれた。
「……本当にありがとう、ブンちゃん」
受話器越しでも、二人の笑顔が確かに通じ合っていた。
「それじゃあ、ディア。ウチも、キサナガの復興が落ち着いたら、愛する妹の顔を見に行くからYO。またね!」
いつも通りの陽気な声が電話越しに響き、ブンとの通話は切れた。
「……ありがとう、ブンちゃん。あなたがいてくれて、よかった」
静かに受話器を置いたディアは、マリアの手を握った。
「ママ! パパのところにもどろ!」
その声に、ディアは頷く。
けれど、胸の奥で、ふと疑問が浮かんだ。
——そういえば、生き返ったこと……まだ、話してなかったのに。どうして知っていたのだろう?ナザさんに聞いたのかな?




