60.虚な目に心は離れていく【ブルーリー・アイズ】
ずっと前から書きたかった人物、話をやっと書けます。書くのに、何年かかったんでしょう。。
——夜空に浮かぶ星たちが、ひときわ澄んで見える場所。最上階の窓を開け放ったVIPルーム。
その静寂な空間には、宴の喧騒がほんの少しだけ、遠い風音のように届いていた。
夜風がそっと吹き抜ける開け放たれた窓の向こうには、澄み渡る空と、満天の星たちが静かに瞬く。
室内には柔らかな照明が灯され、木目のテーブルの上には、店が腕によりをかけた温かな料理が並んでいる。
「おいしい! でもね、マリアはパパのごはんが、いっちばんすき!」
頬をいっぱいに膨らませながら、マリアは嬉しそうにフォークを動かす。
その笑顔は、まるでこの世のどんな奇跡よりも尊く、輝いて見えた。
「そっか……嬉しいな。じゃあ、また作るね」
優しく笑って答えるユーサ。その声には、静かな安堵と、深い幸福が滲んでいた。
その隣で、ディアもまた穏やかに微笑む。
ごく普通の家族の食事。
けれど、それがどれほど遠く、どれほど願っても手が届かなかった時間だったかを、二人とも知っていた。
ふとマリアがテーブルに身を乗り出して、ユーサとディアの顔を覗き込む。
「ねぇパパ、マリア、きょう、がんばったでしょ?」
「ああ……マリアは本当に、強くてえらかった。パパ助かっちゃったよ。ありがとう」
ユーサはそう言って、娘の頭にそっと手を置いた。マリアは「エヘヘ」と嬉しそうに笑う。
食事は進み、料理の皿が一つ、また一つと空になっていく。
お米とパンをどちらも楽しめる和洋折衷な料理。
香ばしいスープ、やわらかい肉と魚の料理。
どれも心にしみる優しい味だったが、それ以上に“今ここにいる”という事実が、家族にとって最高の“ごちそう”だった。
「……夢みたいだね」
ディアがぽつりと呟いた。
それに、誰も返事をしない。返せなかった。
夢であってほしいと願った過去があり、夢では終わらせたくない今がある。
この幸せが、ただの通過点でなく、これからも続いてほしいと誰もが思っていた。
やがて、デザートの時間がやってくる。
餡子とケーキの甘味がバランスよく混ざった香りが室内を満たし、マリアが大きな瞳を輝かせながらフォークを構える。
「いただきますっ!」
元気なその声に、ユーサとディアはそろって笑った。
——この瞬間が、どれほど貴重なものか。
——この時間を守るために、また明日から戦わなければならないことを、二人は痛いほどに感じていた。
だからこそ、いまこの時間だけは、すべてを忘れたかった。
家族三人。星と夜の見守る中で、ただ静かに笑い合っていた。こうして食卓を囲めていることの奇跡。
マリアが頬にクリームをつけながら無邪気に笑うたび、室内の空気が少しずつ柔らかくなっていく。
ディアはその様子を、ふと、ゆっくりとしたまばたきで見つめていた。
(……幸せだな)
そう、心の中で呟いた。
ようやく辿り着いたこの時間。家族三人で囲む食卓。
その温もりに、心がじんわりと満たされていく。
けれど。
胸の奥のどこかで、ずっと引っかかっていた問いがあった。
——どうして、夫は戻ってこられたのか。
命を落としたはずのユーサが、こうして隣にいて笑っている。
葬儀の日。絶望の中で手を伸ばして感じた冷たい体。もう触れられないと思っていた夫。
(……聞きたい。でも、聞きたくない。黙っている、ということは何か事情があるはず)
この空気を壊したくない。
娘の笑顔がある。ユーサの柔らかい声がある。
それを曇らせたくないという、心からの願いがあった。
——けれど、知ってしまっている。女性の第六感が、愛する者が抱える違和感を気づかせる。
ユーサの目がときおり遠くの星を見つめて、沈黙に沈むことを。
言葉にできないものを抱え、どこかひとりで戦っていることを。
(でも、お願い。教えて……あなたが、どれほどの覚悟で戻ってきてくれたのかを)
フォークを静かに置いたディア。
ゆっくりと微笑みながら、けれど瞳の奥にある揺れは隠さずに——問いを口にした。
「ねぇ、あなた。……どうして、生き返ることができたの? 何があったのか、教えてもらえる?」
その声は、柔らかくも、どこか哀しく。
ほんの少しだけ、震えていた。
マリアの小さな笑い声が、かすかに残響する中。
ユーサの手が、わずかに止まった。
その声は静かで、けれど逃れられない真実を求めていた。
「……それは……」
その声を口にした瞬間、ユーサの指先がわずかに揺れた。
フォークを持つ手が、デザートの表面で止まる。
甘さの余韻すら、口の中から静かに消えていった。
(……どう、答えれば良いんだ)
ユーサは心の奥で、そう思った。逃れられない問い。
いずれ、向き合わなければならないと分かっていた。
夫婦だからわかる。
——ディアも、ぎりぎりまで迷っていたはずだ。
この幸せな時間を壊したくない、という想いが、声ににじんでいた。だからこそ——痛かった。
(答えるべきか? いや、違う。……答えて、良いのか?)
問いの中身ではなく、「答える」という行為そのものに、ユーサは今、恐れを抱いていた。
神の名を明かしてはならないという約束。
ジャンヌ・D・アークという存在が、全ての枠を超えた“何か”であることを直感しているからこそ、その禁を破ることの意味。
それだけではない。
——三年以内に、すべての召命を果たさなければならない。
——それができなければ、マリアが死ぬ。自分が死ぬ。
——そして、無事全てを成し遂げて終わらせても、自分は死ぬ。
重く、圧し掛かる未来の影。
それを、ディアに言ってしまえばどうなるか。
彼女は自分を責めるかもしれない。マリアを見つめて泣くかもしれない。
(言いたくないわけじゃない。けど……言ってしまって、良いのか?)
口を開きかけては、言葉が喉に詰まる。
心の中の問いが増えていくたび、返事は遠のいていく。
——“黙っていることが、守ることなのか?”
それとも——“語ることが、真実に向き合う第一歩なのか?”
ユーサの視線は、食卓の上ではなく、もう一度夜空へと向かう。
澄んだ星々が何事も知らぬ顔で、ただ瞬いていた。
言葉の先が、喉の奥に引っかかる。この一言が、未来の形を変えてしまう。
家族の顔が、信じられないものを見るように曇ってしまう——そんな予感があった。
ユーサの心臓の鼓動が、ひどく大きく響く。その一音ごとに、答えが削られていく。
——カン。
その瞬間、乾いた音が空気を裂いた。
扉をノックする音だった。
「失礼いたします、ユーサさん」
柔らかくもよく通る声が、室内に流れ込んだ。
ユーサ達が視線を向けると、エヂヒカが控えめに扉を開け、申し訳なさそうに頭を下げていた。
「ディアさんへ、お姉さまからお電話が入っています。サキナガにいらっしゃる、ブン様より」
「__っ! ブンちゃん!? から?」
ディアの声が、わずかに驚きと嬉しさを含んでいた。
そして、わずかな躊躇いののち、立ち上がる。
ディアが立ち上がると、マリアも元気に椅子を降りる。
「マリアも、おねえちゃんとおはなしする!」
椅子を降りたマリアが、明るく手を振りながらエヂヒカのほうへ駆け寄る。
「……行ってくるわね、あなた」
ディアは切なく、そう言い残し、マリアと並んで扉の向こうへと歩いていく。
その背中が消え、扉がそっと閉じられた。
——カチリ。
扉が閉まる音の後、再び部屋には静寂が戻る。
その音を聞いた瞬間、ユーサは肩の力が一気に抜けていくのを感じた。
それが「助かった」という安堵なのか、それとも「言えなかった」という後悔なのか、自分でもわからなかった。
(……どうすれば、良かったんだ?)
ユーサの胸の奥に、錘のような重さが残る。
このままでいいのか、という葛藤。
——ひとりきりの静寂。
ユーサは、夜空に視線を移した。
星が、ただ静かにそこにある。
喧騒は遥か下階に遠ざかり、今この部屋だけが異質に静かだった。
ディアとマリアの声も、もう聞こえない。
「……あと、三年で終わらせるなんて、ほんとにできるのか……」
吐き出した呟きが、部屋の奥でかすかに反響した。
答えてくれる者などいない。神も、星も、黙ったまま。
ただ、星たちが遠くで瞬いていた。
「三年で、すべての召命を……マリアが七歳になる前に終わらせないと、マリアは……」
心が重たく沈んでいく。
黒冠位の悪魔を一体倒せたとはいえ、あれは命懸けの戦いだった。
奇跡の連鎖と、家族の支えがなければ、今この瞬間に自分は存在していない。
「……それに、まだ“星の勇者”があと四人も……」
どうやって探す? 何を手掛かりに?
何もかもが霧の中だった。
「……それに、ディアとマリアを守りながら……サキュみたいな敵をあと五人……そして、エル教会の闇を暴く……? 無理だよ……」
夜空を見つめながら、溜まっていた思いが口から溢れる。
ー 「ユーサ、試練というのは乗り越えられない人に襲い掛かりはしないものだよ」 ー
「……神様。生き返らせてくれたのはありがたいけど……あまりにも、試練が多すぎですよ……」
ユーサが神に文句をこぼした。
そのときだった。
「 ー どうして、そんな虚な目で、空を見つめているんだい? ー 」
——声。
夜だけではなく、闇に閉じ込められたようなユーサの中に太陽の光に似た何かが差し込む。
静かな、けれど確かに存在感のある低音が、すぐ隣から届いた。
静かな声に、ユーサははっと声を上げた。
気づかぬうちに、傍らにひとりの男が立っていた。
先ほどまで見ていた妻に似た、銀髪に赤い瞳。
しかし、透けるような白い肌はどこか冷たさを帯び、月明かりに浮かび上がるその姿に、ユーサは戸惑い警戒する。
「……誰、ですか?」
ユーサの言葉に、男は軽く笑った。
その笑みには親しさがあったが、どこか演技のようでもあった。
「ひどいな。ユーサ。俺を忘れたのか?」
「……え?」
慌てて言葉が詰まるユーサ。見覚えのない男。
しかし、ユーサは、人の顔を覚えるのが苦手だった。そのため、男の言葉で自分の責がある可能性を考えた。
ディアとよく似た銀髪。瞳の中に住んでいたいと思えるほど、赤い宝石のような瞳。
白い肌、整った顔立ち。その佇まいは、どこか懐かしさを含んでいた。
「本当に、俺を忘れたのかい? 俺の目を良く見て欲しい」
その声に、ユーサは息を呑む。
男の赤い瞳が、一瞬だけオレンジ色のような——太陽のような輝きを放った。
幻か、それとも何かの奇跡か。
そして、その記憶が呼び起こされた。
__たしか。。
「……ヘディ……義兄さん……?」
おそるおそる、口にするユーサの言葉に、男は「やっと思い出したか」とでも言いたげに頷いた。
「そうだよ、ユーサ。でも、“義兄さん”はくすぐったいな。名前で呼んでくれって、前に言っただろ?」
懐かしさと違和感が入り混じる。
確かに“知っている人物”のはずなのに、どこか噛み合わない。
記憶に滲んだ温もりの中に、冷たい異物が混じっている気がする。
何が足りないのか。何が過剰なのか。
答えは出ないまま、ユーサは曖昧に頷いた。
「あ……そうでした。すみません、ヘディさん」
口ではそう言いながらも、心の奥に棘のようなざわつきが残る。
彼の言葉、仕草、笑み。すべてが自然に見えるのに——まるで、よくできた仮面のようだった。
それでも。
「可愛い妹の旦那が、空を見ながらため息ついてるから、気になったよ」
ヘディの声は、まるで月明かりに溶けるように滑らかだった。
「困ったことがあれば、相談に乗るよ。ユーサ。君はもう、俺の弟で……俺の“家族”だからね」
“家族”という響きに、ユーサの胸の奥がじんとした。
ディアと似た銀の髪、吸血鬼の血を象徴するような紅の瞳は、当たり前。
その眼差しがほんの一瞬、夕陽のように揺らいだ気がしたのは——気のせいだ。
そのとき、ユーサの中に渦巻いていた混乱が、ゆっくりと凪いでいった。
「はい。ありがとうございます……ヘディさん。実は……」
そう答えながらも、ユーサは気づいていなかった。
その夜、彼の影は、月光に対して少しだけ——不自然に歪んでいた。
何故、君は虚な目で空を見ているの?
主人公は、生き返ったけど、最後に死亡するという事実。それをどう乗り越えるのか。。
真実を話す事は、良い方向に行くのか、悪い方向に行くのか。考える話にしたいです。




