50.罪悪に満ちた慟哭(ギルティ・クライ)④
漆黒の帳が、空を覆うようにゆっくりと後退していく。
あれほど濃く、重く、視界と希望すら奪ったザキヤミを包む”ブラック・アウト”が、まるで命を失った獣のように、静かにその支配を緩めていた。
「お、ユーサが早速終わらせてくれたね。余の勘通りだ」
上空からその光景を見下ろしていたシ・エルは、朗らかな笑みを浮かべた。
彼の手には、鈍く輝く土星型の鐘。その音は、神の奇跡を媒介する祈りの器だ。
今までは“死者を出さぬための奇跡”を、外部から静かに拡げていた。
だが、もうその必要もないと判断したのだろう。
手元の小さな土星型の鐘を優しく撫でる。
鐘の振動を徐々に弱め、祈りの領域を収束させ始める。
その鐘を通じて流していた神の奇跡の祈りは、ブラック・アウトと連動するように徐々に薄れ始めていた。
「……ユーサ・フォレスト。……私が果たせなかった使命を……貴方が、マリアちゃん達と……」
その呟きは、地下に身を潜めていたク・エルの口から零れた。
自らは市民を守ることができなかった。だが、代わりに彼等が戦い抜いた。
その事実が、彼女の胸に熱く、痛みと感謝の入り混じった感情を残していた。
「本当ダ。まさか勝てるとは思わなかったワ。やるじゃないカ、ユーサ・フォレスト。ク・エルよりお手柄ダ」
アン・エルの冷たい、無機質な声が響く。
その言葉は皮肉とも賛辞とも取れるが、ク・エル本人はそれに返すことなく黙していた。
そして、アン・エルは口調とは裏腹に感心したように微笑んでいた。
しかし__
「……いや。まだだ。終わってない」
そのとき、空気が一変した。
誰よりも先に、イフ・エルがその場に冷気を吹き込むように、口を開く。
彼の鋭い感性が、異変を捉えていた。
浮遊する映像端末の向こう。
画面に映るサキュの姿が、魔の粒子と共に消滅しかけていたにも関わらず、何か――“気配”だけが残っていた。
「ン? どういうことだ? ドチビ?」
アン・エルが小首を傾げながら問いかけるも、イフ・エルは無言で映像に視線を固定し続けた。
「イフ・エルが、そう言うという事は……まだまだ余のやる事はあるという事だね。フフフ」
シ・エルは嬉しそうに声を弾ませた。
愉しむように、眼下の戦場へと祈りの視線を投げかける。
◇
__地上。
ユーサの放った神秘術と十手による一撃により、サキュの巨体は一瞬にして崩れ落ちた。
それと同時に、都市全体を覆っていたブラック・アウトも、まるで命綱を断たれたかのように縮み始めた。
「……やった……倒したのか?」
「ほ、本当に……?」
市民たちの中から、安堵と戸惑いの入り混じった声が漏れ始めた。
「やったー!! フォレストさんが悪魔を倒したぞ!!」
誰かの叫びが、瓦礫の街に反響する。
続いて沸き起こる市民たちの歓声。恐怖と絶望に染まっていた人々の表情が、次第に安堵と歓喜へと塗り替えられていく。
「あなたっ!」
「パパっ!」
ディアとマリアが、ユーサの元へ駆け出そうとする。
だが——
「待ってっ!!」
ユーサは、二人へ手を伸ばし制止する。
その仕草は、拒絶ではなかった。警戒だった。
その瞳は鋭く、どこか張り詰めた気配をまとっていた。
「まだ……終わっていない」
その瞬間——
「ッチ。流石ね、ユーサ・フォレスト。でも……もう遅いわ!!!」
地に伏していたはずのサキュが、突如として跳ね起きる。
その口元には、血を吐いた者とは思えぬほどの笑みが浮かんでいた。
彼女の指先が、縮まりかけていたブラック・アウトの残滓を掴む。
そして——再び魔力が闇の空気を舞う。
「二手三手先を考えずに動くほど、私が愚かだと思ったの? 最悪魔邪神王様の【邪悪な血の契約:バッド・ブラッド】を色濃く受け継ぐ私は……そんな馬鹿ではないわ!!」
血だらけの口元から叫び声と同時に、縮まりつつあった《ブラック・アウト》を再び拡大させ、黒き帳の断片をねじ曲げた。
「ユーサ・フォレスト!! 秘力が尽きた今、アンタの魔力を復活させて、この街をアンタ自身に破壊させるわ!!!」
次の瞬間、ブラック・アウトが収束する代わりに、濃密な暗黒が一ヶ所に圧縮される。
そこへ、ユーサを中心とした空間が飲み込まれた。
「しまっ——!!」
神秘術【レッド・ゾーン】の反動で動けぬユーサ。
「あなた!!」
「パパ!!」
ディアとマリアが叫び、彼を庇うように駆け寄る——その瞬間、三人はまとめて“それ”に囚われた。
◇
再び、上空の天使たちの視点。
「オイ……これ、大丈夫なのか、シ・エル……? ん? ……あれ?」
アン・エルが辺りを見回す。
音もなくシ・エルは姿を消していた。
「……ふぃふぃ。なるほどね」
イフ・エルが小さく笑った。映像越しの闇を見据えたその目には、何かを読み取った気配があった。
「……どういうことダ? 何が起きル?」
アン・エルが苛立ち混じりに訊ねる。
だが、イフ・エルは答えず、ただ意味深に口角を上げた。
「それはお前——『最高の結末』だよ。なーに考えてるんだろうね。俺達の上司は」
やっと50話……。2年以上かけて、まだ終わってません。。気長にお待ちください。




