表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
D/L Arc 魔転生 ―召命を越える月虹― D_ / Luna Another world Reincarnation Calling …en Ciel  作者: 桜月 椛(サラ もみじ)
第1章 リ・バース編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/71

41.典安のプロローグ① 家族崩壊 ー 壊れた器は、元に戻らない ー


 ——家の中には、もう誰もいなかった。


 静まり返ったリビングに、かつての家族の温もりは跡形もなく消え去っていた。

 ただ、わずかに揺れるカーテンの音だけが、この家の時間がまだ続いていることを告げる。

 

 テーブルの上に一枚の紙があった。

 離婚届。


 整った文字で記された妻の名前。

 その横に、真新しい印鑑の朱が、皮肉なほど鮮やかだった。

  

 そして——

 「私は、お母さんについていくから」


 娘の最後の言葉が、典安の脳裏にこびりついて離れない。


 典安はソファに沈み込み、天井を見上げた。

 白く、何の感情も持たない天井。

 まるで自分の未来のように、虚ろで、冷たい。


 ——何がいけなかった?


 問い続けたところで、答えなど出るはずもない。

 それでも、考えることをやめられなかった。

 家族を養うために働いた。

 必死だった。

 仕事を頑張っていた。


 「男が家族を支えなきゃいけない」


 そう信じて、ただひたすら働いた。


 家族には何一つ、不自由させなかったはずだ。

 妻にも、娘にも。

 欲しいと言われたものは全て与えた。


 ——なのに、どうして。

 

 「アンタなんか、いなくてもいい」


 ——どうして、そんなふうに言われなければならなかったのか?


 視線を落とすと、テーブルの上に置き去りにされたティーカップが目に入った。

 向かいには、もう誰も座ることのなかった、ペアのカップ。


 ——ああ、向き合うべきだった。


 けれど、もう遅かった。

 二人で過ごす未来は、すでに紙切れ一枚の上で終わっていた。

 深いため息が漏れる。


 すれ違いは、いつからだろう。

 妻の顔が、こんなにも冷え切ってしまったのは、いつからだろう。


 深いため息が漏れる。

 すれ違いは、いつからだっただろう。

 新婚の頃は確かに、笑い合えていたはずだった。

 けれど、娘が生まれてから——何かが変わった。


 典安は「家族のために」働いた。

 夜遅くまで会社に残り、休日も仕事の資料を広げた。


 妻は「家族のために」育児と家事を全て引き受けた。

 眠れぬ夜も、慣れない育児の苦労も、誰にも頼らず一人で背負った。


 お互いに「家族のために」頑張っていたはずだった。


 ——なのに、気づけば会話は減り、

 お互いにただ「義務を果たすだけ」の関係になっていた。


 「少しは育児を手伝ってよ。」

 「俺は仕事で家族を支えてるんだ。お前が家のことをやるのは当たり前だろ?」


 ——些細な言葉の積み重ねが、決定的な溝になった。


 妻の目が、あの日、はっきりと冷たくなったのが分かった。

 それでも謝ることもせず、ただ「忙しいんだ」と繰り返した。


 いつしか娘までもが、典安を避けるようになった。

 誕生日を祝おうとしても「父親ヅラするな」

 「ママと二人でいい」と冷たく言い放たれた。

 

 ——本当に、そう思われていたのかもしれない。


 そんなふうに思われていることを感じながら、それでも典安は仕事に逃げた。


 仕事の成果で得た一軒家。

 夢見た広い家。

 家族の帰る場所——のはずだった。

 だが、そこに「自分の帰る場所」はなかった。

 広すぎる空間が、典安の孤独をより強調するだけだった。


 ——何がいけなかったのか。どこで間違えたのか。

 その答えを探して、記憶はさらに過去へと遡っていく。


 ——幼い頃。

 父は図書館司書。母は小さな花屋を営んでいた。


 共働きの両親は、朝から晩まで働き詰めだった。

 典安は、両親の働く姿しか知らなかった。


 「忙しいから後にして」


 何かを話そうとしても、いつもそう言われた。

 だから、父の書斎にある本を読むようになった。

 母の花屋の仕事を手伝うようになった。


 少しでも、両親に関心を持ってほしくて。

 褒めてほしくて。


 ——でも、、両親は典安を見なかった。


 どれだけ頑張っても、両親は振り向かなかった。

 典安が何をしているのかすら気にも留めなかった。


 それが、いつしか「反抗」へと変わった。

 中学に上がる頃には不良になり、夜遅くまで遊び、学校では問題ばかり起こした。


 ——そんなある日。

 学校で、盗難事件が起きた。

 誰もが、最初から典安を疑った。


 「お前がやったんだろう?」


 担任のその言葉に、否定する間もなく両親は呼び出された。

 父は冷たく言い放った。


 「この子の素行を考えれば、疑われても仕方ありません」


 そして——母が、あの一言を呟いた。


 『お前なんか、産まなきゃよかった』


 典安の中で、血が凍るような感覚。

 一瞬、時間が止まった。

 心が砕ける音がした。


 父も、母も——その言葉の重さに顔を曇らせた。

 でも、もう遅かった。

 その瞬間から、典安の心は「家族」というものを閉ざした。


 そして

 そのまま、両親とまともに口を利くことはなかった。


 いくつかの月日が流れ。

 両親と話し合う時間は無いまま——両親は事故で亡くなった。


 その後、親戚に引き取られた典安だったが、そこにも居場所はなかった。


 「気を遣わなくていいのよ」


 その優しさすら、嘘に思えた。

 結局、典安は誰にも甘えることを覚えなかった。

 遠慮し、距離を測り続けた。


 『大丈夫です』

 それだけを繰り返した。


 ——誰にも期待しない。

 ——もう、家族なんて信じない。


 「家族」というものが、わからなくなっていた。

 近づけば壊れる。距離を置けば消えていく。

 そんな不安と恐怖が、典安の心に残った。

 やがて、彼は静かに決意する。


 「……一人で、どうにかします」

 その日から、感情を押し殺すことだけが、生きる術になった。


 ——だが、そんな典安にも、ひとつの出会いがあった。


 雨の中。

 人気のない公園で、傘も差さずに立ち尽くす女性。

 誰も声をかける者などいなかった。

 だが、典安は彼女から目を逸らせなかった。


 「あの……大丈夫ですか?」


 その一言が、始まりだった。

 顔を上げた彼女の頬を、雨の滴が伝っていた。

 泣いていたのか、それとも雨のせいか。

 どちらでもよかった。


 「……大丈夫」


 そう答えた彼女の声は震えていた。

 その一瞬、典安は彼女に、自分自身の姿を重ねていた。

 ——誰にも気づかれない寂しさ。

 ——置き去りにされたような孤独。

 典安は、その震えを抱きしめたいと思った。

 それが、二人の始まりだった。


 交際は、自然な流れだった。

 互いに傷を抱えた者同士、寄り添うことでしか生き方を知らなかった。

 だからこそ、穏やかで優しい日々だった。


 「あなたといると、独りじゃないって思えるの」


 傷を舐め合う関係ではなかった。


 「わたしは、そばにいるよ」


 支え合うことで、ようやく「生きている」と実感できる、そんな関係だった。

 だから、結婚も自然だった。

 そして娘が生まれた時


 典安は、心の底から思った。


 「もう、誰も失わない。両親のようにはならない」。。と。


 だが——

 それでも、すれ違いは生まれた。


 理由は、子どもではない。

 家庭という形が壊れたのでもない。

 原因は、典安自身だった。


 妻は、典安を見ていた。娘を見ていた。

 家族三人で歩む今を、未来を、ずっと見据えていた。


 だが、典安は違った。

 「家族を支えなければ」という焦りに囚われて、

 いつしか「背中」で家族を守ろうとしていた。

 目の前にいたはずの妻も、娘も、いつしか典安の視界から消えていた。


 仕事にのめり込む典安を、妻は何度も見つめていた。

 言葉に出そうとして、やめた瞬間がいくつもあった。


 「あなたは、ちゃんと家族を見てる?」


 その問いを、いつから妻は呑み込むようになったのか。

 典安は「男だから」「父親だから」

 そう自分に言い聞かせ、目を逸らし続けた。


 本当は——

 必要だったのは「金」ではなく、「一緒にいる時間」だった。

 本当は——

 守るのではなく、「同じ目線で生きること」が必要だった。


 だが、典安は気づけなかった。

 夫婦から父と母になったその時、

 妻は「家族」を見つめ続けていた。

 けれど、典安は「父親になること」ばかりを優先し、

 一人で背負い込むことでしか「支える」方法を知らなかった。


 そして、その差が——

 決定的な溝を生んだ。


 「私、もう無理だよ」


 その時、妻の声は震えていた。

 ——あの雨の日と、同じだった。


 だけど、典安はもう手を伸ばせなかった。

 今さら、何をどうすればいいのか分からなかった。


 そして、全てを失った時、ようやく理解した。

 ——人は簡単には変われない。

 ——やり直すことなど、不可能だ、と。


 誰よりもそれを知っていたのは、

 きっと、典安自身だったのかもしれない。


 けれど——それでも。

 家族を、愛する人を、きちんと見つめ直せる機会があるのなら。


 ——そんな未来が、あるのなら。

 典安は、心のどこかで——まだ願っていたのかもしれない。

 そう考えるうちに、典安はいつの間にか、気づけば、目から涙がこぼれていた。


 「もう一度やり直せたら——」


 だが、その後悔を口にする相手は、もういない。

 妻も、娘も。

 この家には、もういないのだから。


 「……どうして、こんなことになったんだ……」


 ふと視線を落とすと、テーブルの端に置かれたコーヒーカップが目に入った。

 最後に、妻と二人で飲もうとしたまま。


 「……片付けなきゃな」


 独り言のように呟き、典安はそれを手に取ろうとした。

 その瞬間、手が滑った。


 カップはゆっくりと宙を舞い、

 次の瞬間、甲高い音を立てて床に砕け散った。


 「……あ……」

 呆然と立ち尽くす。

 その音だけが、やけに鮮明に響いていた。


 ——まるで、今まで積み重ねてきた何かが壊れた音のようで。


 震える手で、典安は破片を拾おうとした。

 だが——

 「っ……!」

 指先を、鋭く切った。

 じわりと赤い血が滲み出し、白い破片に染み込んでいく。


 それでも典安は、ひたすら破片を拾い集めた。

 元に戻そうと、必死に形を合わせようとした。


 ……けれど、どこかが噛み合わない。

 どうやっても、元の形には戻らない。


 「……壊れた器は、もう……元には戻らない……」


 ぽつりと、典安は呟いた。

 それはカップのことではなかった。

 この家も、家族も、自分も——もう取り返しがつかない。

 血の滲んだ指を見下ろしながら、典安はゆっくりと力を抜いた。

 破片はそのまま、床に広がったまま。

 直そうとした手は、諦めたように膝の上で止まる。


 もう、どうにもならない。すべてが——遅すぎた。


 ——妻である愛と出会った日からの事を、また繰り返し思い出す。

 雨の中、一人震えていた愛。

 「大丈夫?」

 その一言が、二人の始まりだった。

 孤独な魂同士、惹かれ合った。

 支え合い、やがて結婚し、娘が生まれた。

 「両親のようにはならない」

 そう誓ったはずだった。


 だが——典安は、未来ばかりを見ていた。


 【月虹】の夜。プロポーズの言葉。

 『生まれ変わっても、幸せにする』

 『死んだ後じゃなくて、今の私を幸せにしなさいよ』


 ——その時から、ずっとだったのかもしれない。


 典安は「今」を見ていなかった。

 愛は「今」を生きていたのに。


 「残ったものは……今あるものは……」


 その手に砕けた器の破片しか残さなかった。

 やり直すことなど、できはしない。

 最後の涙を流し、典安は膝をついた。


 「僕を……もう一度……」

 答えは、もう誰にも届かない。


 そのまま——

 典安の人生は、静かに幕を閉じた。

 ——それが、彼の「終わり」だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ