39.仮面の内側 悪魔のアリバイ【灰化粧】
サラキ・エル→ザドキ・エルに名称変更
【生きる意味を照らす、心の光】の光が無くなり、裁判長席にいた二名の最天使長が姿を現した。
先程と同じ光景。
シ・エルとザドキ・エルが仲良さそうに見えるように、シ・エルが無理やり肩を抱き合っていたままだった。
「チっ! ナンダ。消えてないって事は、ザドキ・エル元最天使長は、悪魔じゃなくて本当に天使だった。ってコト?」
「ふいふい。シ・エルと一緒に消えて、最天使長達が悪魔だったら最高にお笑いだったのにな」
アン・エルとイフ・エルが、映像越しに。呟いた。
その言葉を聞いてからか、多くの民衆が残念そうにしていた。
あれだけ非道な事言っていた天使が、実は悪魔だったという事実の方が納得しただろう。
単に性格の悪い天使が、ザキヤミを統制している天使のトップだった。
……と、ユーサは考えていたが。
「パパぁ? あのてんしちょうさま。げんき、ないよ?」
「ん?」
マリアの質問で、マリアの目が良い事を思い出すユーサ。
「は……ハッ……HA……」
ザドキ・エルが声にならない声をあげていた。
仮面で顔色がわからなくても、側から見て明らかに体調が良くないように見えた。
姿形に特に変化はなかったが、先程までの威勢は無くなり、まるで借りてきた猫のように大人しくなっていた。
シ・エルが不敵な笑みを浮かべた。
「ユーサ、こっちに来てくれ」
消耗しきったユーサがゆっくりと裁判長席へ向かう。
シ・エルとザドキ・エルが手の届く距離まで来たユーサ。
シ・エルは淡々と言った。
「天使教皇様からの命令だ『ザドキ・エルに罰を与える』。ザドキ・エルを殴っていいぞ、ユーサ」
「っ!?!?」
ザドキ・エルが目を見開き、首を振り、目で懇願する。
「いきなり何を、、というより、そうは言われても……正直、力が入らないんだよ」
「ジル氏の【生きる意味を照らす、心の光】の影響で、ユーサの中にあった魔力が枯渇したんだろう。無意識に働いていた力が無くなれば残った秘力と体力でどうにかしよう。方法を教える」
「方法?」
__なぜ、シ・エルが自分にこんな話を持ちかけるのか。
唐突な提案がどうにも怪しい。しかし、体力もなく消耗し切ったユーサは警戒する。
すると、シ・エルがニヤリと笑う。
「まず余を殴っていいぞ」
「……は?」
驚愕するユーサ。市民たちもどよめく。
「ふぃふぃ。なるほどね……シ・エルは、最高に良い性格をしているねぇ」
映像の中で、イフ・エルがシ・エルの意図を理解したような物言いで、愉快そうに笑う。
「? どういう事ダ?」
アン・エルが首をかしげる。
シ・エルは、イフ・エルに黙っているように視線を送った。
「まぁ、とりあえず見てな。面白そうな場面が見れるぞ」
イフ・エルは含み笑いを浮かべる。
「どうしようもない事に頭を働かせるとは、何を考えてんだかネ……」
アン・エルが呆れた声を漏らす。
「天使教皇様の命令。悪魔ではない証拠が終わっていない。ザドキエルではなく、余も殴って良いぞ」
「いや……なんで、僕が? シ・エルがやれば良いだろう?」
シ・エルは言うが、ユーサは寒気を覚えた。
__シ・エルの笑顔には、何か裏がある。彼のことだから、単純に殴られるつもりなどないだろう。
ユーサの顔にそう書いてあるのを感じたシ・エルが理由を伝える。
「警戒しなくて良いよ。できないからお願いしてるんだよ」
「できない?」
「そう。余達、各都市の最天使長同士で、直接戦う事を禁じられている。戦争や争いが起きないよう、天使教皇様の命令で最天使長同士の血の契約を交わしている。だから、ユーサにお願いしている」
市民だけではなく、教会の一部の信徒も知らなかった様子を見せる。
ユーサは、ザドキ・エルの反応を見て、シ・エルが嘘を言っているようには聞こえず信じた。
「悪魔が人間の顔に化ける【灰化粧】はある程度のダメージを受けると破壊されるらしい。その為、先ずは練習で余が殴られてダメージがあるかどうか確認する」
【灰化粧】の存在と見分け方の方法が、市民達に露呈した。
物理的な暴力で悪魔の化粧が落ちる事に不思議に感じる者が多くいた。
「パパ? シ・エルさいてんしちょうさま、なぐっちゃうの? いたいのはいやだよ?」
マリアが不安そうに問いかける。
ユーサは、完全に悪役にされている気分で気乗りがしなかった。
しかし——
「マリアちゃん。実はね。余はユーサに殴る以上の酷い事をしたんだ」
シ・エルが言う。
その言葉で、ユーサの脳裏にフラッシュバックする。
——シ・エルは、かつて自分を殺した。
古ぼけた教会。
前世の失敗。やり直した生活。それを嗤っていたシ・エル。
ユーサの中で、すべてが鮮明に蘇る。
「……!!!」
ユーサの表情が変わる。
怒りに満ちた、誰も見たことのない形相。
「因みにユーサ、あの日の件で起きた事をバラすと、もしくは本気で殴らなかった場合、ディアさんとマリアちゃんは余がいただくよ」
シ・エルはユーサの耳元で囁く。
「えっ!!?」
地獄耳のディアが、小さく息を呑んだ。
「前々から実は興味があったんだ、君の奥さんに」
シ・エルが薄く笑う。
「……人の物ほど欲しくなるのが人情。この場合は欲情だろうか?」
シ・エルのその一言で、ユーサの表情が完全に変わった。
悪魔や神ですら恐れるユーサの怒り。
力が入らなかった筈の拳は、音を立てて石のように固く握られていた。
ユーサが怒りの表情をする度に、シ・エルはユーサにだけ見えるように、今にも殴りたくなるほどの憎 たらしい表情を浮かべて続ける。
「そういえば、二人目がいなかったね? マリアちゃん、弟か妹が欲しいって言ってたね? 不能な君の 代わりに——余が願いを叶えてあげるよ。アッハッハッハッハーーーー……」
ユーサの拳が黒いオーラを纏い、シ・エルの左頬を狙う。
だが——
ー カラーン ー
ー カラーン ー
シ・エルは、土星の鐘を二回鳴らした。
「おっと。当たらないねぇ、アッハッハ。」
ユーサの拳がシ・エルの頬に当たる直前で止まる。
シ・エルの鐘の音により、ユーサの体が完全に静止したのだ。
「……アン・エル、お前はシ・エルの鐘が何回目で動けなくなる?」
イフ・エルが微笑みながら見守る。
「ン? 確か、、五回目だった気がすル。それがどうかしたカ?」
「シ・エルの鐘の音は回数を重ねれば重ねるほど強くなる。因みに、俺は六回目で動けなくなる」
「シレっとなに自慢してんだドチビ。 ユーサ・フォレストは二回か、及第点以下ダナ」
イフ・エルとアン・エルが、ユーサについて冷静に分析する。
その声が聞こえたのか、ユーサは数字化された事でどれだけシ・エルの部下との戦力差があるのかを把握した。
「余の鐘の音は、最大七回まで重ねることができる。君の怒りの力なら……と期待していたが、残念だ。君は生き返る前と変わりない強さだ。それどころか、弱いままだ」
シ・エルが嗤う。
「所詮、君の怒りの力などこの程度だ。身の程を知るが良い、アッハッハっ!!!」
ユーサの中で、古ぼけた教会、シ・エルに殺される前の情景が脳裏をよぎる。
鐘の音二回で、当時の自分と同じように——動けなくなるはずだった。
だが——
「………へぇ。やるじゃん」
イフ・エルだけが、その異変に気づいた。
ゆっくりとユーサの拳に隠れていた黒いオーラが溢れ始めた。
「アッハッハっ………え? ごふっ!!!」
高笑いをしていたシ・エルの左頬が、ユーサの拳により抉られた。
轟音と共に、裁判長席の壁が崩れる。
天使の絵が描かれた壁に、シ・エルの身体がめり込んでいた。
「……!? はっ!!?」
時が止まっていたザドキエルや市民たちが、再び動き出す。
シ・エルの能力が強制的に解除された。
「アーハッハッハッハ。無様に飛んだなシ・エル。アンはスカッとしたゾ。なんだ、やるじゃないかユーサ・フォレスト」
アン・エルが爆笑する中、イフ・エルが何か含み笑いをする。
「ママー。どうしてうれしそうなの?」
マリアは、ディアの顔が緩んでいたのに気づく。
「あらやだ。シ・エル最天使長が、パパに酷い事を言ったから、少し嬉しくてね」
シ・エルとユーサの会話が聞こえていたディア。
ディアの回答にマリアは首を傾げていた。
「ふふ……ふははは……あっはっはっはっはっ!!!」
倒れていたはずのシ・エルが、笑いながら立ち上がる。
その顔には、ひび割れた仮面。
「ふふ、、、ふははは、、、あっはっはっはっハッハッハっはっはっはっはっはっは!!! 最高だ!! 最高だよ!! ユーサ!!」
シ・エルは、背中から蒼色の片翼を出し、ゆっくりと起き上がりながら笑い始めた。
「それだよユーサ。君の怒りは素晴らしい! 人に取って、怒りは最高のエナジーだ!!」
負傷していたかのように見えたが、シ・エルは背中から蒼色の片翼を出して背中のダメージを抑えていた。ゆっくりとユーサに近づいた。
「怒り、憤り、怒気、憤怒、鬱憤。怒りの形はどれでも良い。怒りは手加減を無くし、理性を壊し、心の闇を晴らすこともある」
シ・エルはユーサに殴られた左頬をさすりながら嬉しそうに笑いながらユーサに近寄る。
鐘の音による時間を止められて動けない状態とは、また違う違和感。
殴った側のユーサが、シ・エルの狂気に警戒して動けなくなった。
「人は時に、怒りのエナジーにより信じられない力を発揮する。無理だと思っていた自分の殻や壁を壊して夢を叶える事だってある。ユーサ、君の怒りは君が望む、幸せな夢を叶える為に必要な力の一つなんだ」
シ・エルの言葉が続く中、シ・エルの仮面に亀裂が走る。
「ユーサ。先ほどの感情(怒り)を忘れないで欲しい」
シ・エルは、まるでずっとユーサに伝えたかった事を教えて嬉しそうに、全てを晴らしたかのように素敵な笑顔を向けていた。
シ・エルが言葉を言い終わると仮面が音を立てて壊れた。
シ・エルの素顔が白日の元に晒される。
ユーサは、シ・エルの素顔を初めて見た。
市民たちが息を呑んだ。
その素顔は——驚くほど美しい。
天使の中の頂点である最天使長の名に相応しい。
顔と顔が合わさるだけではなく、目と目が合うだけで恋が始まりそうなほどに美麗な顔立ち。
「やだ! シ・エル最天使長!! 美!!?」
「なんて美しいお顔なんだ。推せる!!!」
「いやん!! 素敵な超イケメン!!!」
シ・エルの素顔を見たのはユーサだけではなかった。
市民達、特に女性からは黄色の悲鳴が聞こえた。
「おやおや、割れてしまったね」
「いけません! 天使様が素顔を庶民に晒すなど、重罪です!!」
信徒が叫ぶが、シ・エルは新しい仮面を拒否する。
「いや、もうその必要は無い。教会に悪魔が潜んでいるかもしれないという疑惑をかけられた以上、素顔をむしろ晒すべきだ。それが天使である余が考える市民達への配慮だ」
シ・エルは優しい笑みを浮かべながら市民達を見て続けた。
「悪魔は、灰化粧をする事で人間の顔に誤魔化せる。そして、ある程度負傷すると灰化粧が剥がれて悪魔の顔が現れる。そう考えると、余とユーサは悪魔ではない証明になる」
シ・エルの言葉で、ザドキ・エルが冷や汗をかいた。
シ・エルはユーサを無視して、ゆっくりとザドキ・エルに近寄り……
「失礼、ザドキエル」と言い、ザドキ・エルの仮面を外した。
「なっ!!? シ・エル!! 貴様!!!」
ザドキ・エルが慌てるも、体の動きが遅い為、仮面は奪われた。
「え?」
ザドキ・エルの素顔を見た、市民達が一斉に声を出した。
ザドキ・エルの顔を、東洋の女優のように美しい顔立ちだった。
__しかし、ザドキ・エルの顔には、不自然な亀裂が入っていた。
まるで、綺麗に磨かれた陶器に刻まれた傷。
ヒビが深く刻まれたその顔は、まるで砕ける寸前の偽りの仮面のように見えた。
——いや、違う。
それは比喩ではなく、本当に"何か"が剥がれかけているのだ。
「……ザドキ・エル、余は化粧をしないから質問なんだけど」
仮面を弄ぶように指で回しながら、シ・エルは飄々とした声で言う。
「化粧というのは、顔にヒビが入るものなのかい?」




