107[2-41].沢山の嘘の中に、一つの真実がある《ライズ・アンド・トゥルース》
苦手な戦闘パートが続きます。
日曜の月。
太陽に近い性質を持つと囁かれる、橙の光。
その月明かりが、裏路地の奥まで染み込むように差していた。
橙の光の下で、ヘディの瞳が赤から橙へと変わる。
陽炎のような熱が立ち、銀髪さえ嘘だったかのように、橙の色に染まっていく。
「仲が良いままで、お前を殺して。……【神秘術】を、奪うべきだった」
声にはまだ、あの優しい義兄の調子がわずかに残っていた。
だが、その芯はもう別物だった。
橙の悪魔人が、そこに立っていた。
ユーサの喉が、ひくりと震える。
前世。
義兄との確執。
自分が原因で通じ合えず、最後まで理解されなかった日々。
だからこそ異世界で、ディアの兄であるヘディと仲良くなれたことは、ユーサにとって――救いだった。
やり直せる気がした。
あの記憶を、この世界で上書きできると信じた。
幸せだった。
気兼ねのない空気も、義弟という呼び方も。
――全部、嘘だった。
ヘディは続ける。
「ユーサ。奪えないなら……無理やり、そうなるように……してやる」
指先が、ゆっくりとユーサを指した。
「お前にその力は必要ない。オレがその力を上手に使ってやる。力の無駄遣いだ」
さらに一段、言葉が刺さる。
「ユーサ。お前に家族は守れない。
この世界でも、やり直しのチャンスなんてないんだよ」
その声音。
その指先。
ユーサの中で、過去が重なった。
ー 「お前には、チャンスなんてないんだよ!!」 ー
前世の義兄の声。
最後に会った日の冷たい視線。
突きつけられた指先。
倒れたまま動けず、誰も手を伸ばしてくれなかった、孤独の底。
ヘディの瞳は、もう隠す必要もないほどに橙へ揺れ、陽炎が歪む。
ユーサの目には、それが義兄の幻覚のように映った。
「あ……あ……」
言葉が出ない。
身体が固まり、足が動かない。
「!? ユーサさん! どうしたんですか!? しっかりしてください!」
普段は冷静なエヂヒカが、珍しく声を荒げた。
だがユーサの目は焦点を結ばない。空を掴むように、視線だけが彷徨っている。
「……だめだ。幻術の類か……」
エヂヒカは即座に判断し、前へ出た。
「俺達でユーサさんを守るぞ!」
「ペイペイ!! はいよ! 俺らがそこらへんの料理人と思わない方がいいぜ! オレンジの悪魔人よ!!」
エヂヒカは楽器の形をしたトレイの盾を構え、
ペイシンはギターみたいな形のフライパンを両手で持って構えた。
守りながら戦う。
最初から狙いは、勝つことではない。
――ユーサが戻るまで、時間を稼ぐこと。
ヘディは二人を見もせず、熱を引き連れて歩み寄る。
まるで太陽そのものが、細い路地に降りてきたような圧だった。
「退け、雑魚ども。火傷や失明では済まんぞ」
その言葉だけで、二人は理解する。
自分達では敵わないかもしれない。
だが、だからこそ退けない。
「ペッ!! こちとら、いつも火を扱って料理してんだよ! 火傷が怖くて料理が作れるかよ!!
真夏にアウトドアキッチンもしてんだ! そんな太陽の加護程度でやられるかよ!! なぁ? エヂ様!」
「……そうだね。まぁ、こんな燃えてるお客さんを相手にした事はないけど……、
ウチの店のVIPに、怪我をさせるようなお客は……縛り上げて、出禁でも済まされないね」
軽口で、恐怖を押し込める。
先に仕掛けたのはペイシンだった。
地を蹴り、ハンマーのようにフライパンを振り下ろす。
「捕らえた……なっ!?」
紙一重。
ヘディはその一撃を、影が滑るような速さでかわした。
避けた先へ、エヂヒカがトレイを投げる。
円を描いた銀の軌道が、逃げ道を塞ぐ。
だが――当たらない。
「!?」
「消えた!?」
「……意外だな。ザキヤミの料理人は、手練れもいるのか。情報にはなかった」
「料理人だからって、包丁しか握れねぇと思ったかよ! オラァ!!」
声の場所で即座に反応して、二人の連携が続く。
しかし、攻撃の当たる直前に姿が消え、また別の場所に現れる。
ヘディは戦いながら二人を測る。
「情報にはなかった連中……というよりも、戦闘を表立ってしていない感じか?」
力量と癖を読み、情報と照らし合わせる素振りを見せた。
「だが……相手が悪かったな」
その瞬間、ヘディの身体から橙の光が弾けた。
閃光。
路地が白く塗りつぶされる。
「うっ!?」
「っ――!」
ユーサとエヂヒカの動きが止まる。
反射で目を閉じた、その一瞬。
その“止まり”こそが致命傷だった。
「ユーサさん、逃げ――」
「人の心配をしている場合か、色男」
ヘディの拳が、無防備なエヂヒカの腹へ突き刺さる。
身体がくの字に折れ、そのまま壁際へ吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
「器用なヤツだな。そんなトレイを盾にするとは」
エヂヒカは歯を食いしばりながら、トレイを支えに立とうとする。
「しかも、熱伝導じゃなく魔力伝導を高めて、魔力を流し、衝撃を逃がす細工か」
「……その通りだよ。ギアド製だ。術の衝撃は逃がせる」
月光に、トレイの表面とギアドのロゴが一瞬だけ光る。
「そうか。やはりギアド・スターアストの商品は情報通りだな。……だが」
ヘディが一歩踏み込む。
「防いだのは術だけだ。加護まではできないみたいだな」
「……っ、な……!?」
次の瞬間、エヂヒカの全身を灼けるような熱が駆け巡った。
外傷はない。衝撃も受け流したはずだった。
それなのに、身体の内側だけが煮えたぎるように熱い。
「ぐ……ぁ……」
「その姿では説得力が落ちるな、色男。欠陥品として返品してもらったらどうだ?」
エヂヒカは信じられない顔で膝をつき、耐え切れず、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「まずは一人……ん?」
そこで、ヘディの視線が動く。
「――あの筋肉男はどこだ?」
「ここにいるぜー!!!」
横合いから、ペイシンが飛び込んだ。
サングラス越しに視線を絞り、気配を殺し、奇襲のタイミングを見計らっていた。
だが、当たらない。
武器が触れた瞬間、そこにヘディが“いなかった”かのように消える。
残っているのは、陽炎みたいな橙の輪郭だけだ。
「ちっ! これも当たらねぇのかよ!!」
ペイシンがサングラスのずれを指先で直す。
その仕草を見て、ヘディがわずかに目を細めた。
サングラスにある細工に気付いた。
「なるほど。夜中にサングラスをする格好つけの脳筋ではなかったか。だが――」
ヘディは胸元に触れた。
ー 「……」 ー
呟きのような“詠唱”。
胸元を押さえ、何かを確かめるように指を滑らせた。
次の瞬間、橙のオーラが膨れ上がる。
ヘディの輪郭が、二重、三重に裂けた。
「うおっ!? えええ!!? ほ、本体どれだよ!!」
「何を言っている。この馬鹿は。種明かしする訳ないだろ」
橙の光が跳ね上がる。
再び、閃光。
今度は一つではない。
二重、三重に増幅した光が、路地を埋め尽くす。
「ぐあ!! 嘘だろっ!? ギアドさんの作ったサングラスしてるっつうのにぃ!!」
「サングラスで全ての光を遮断できる訳ないだろう。魔力だけではなく、加護がこもった光だぞ」
ペイシンは視界を奪われ、目の奥が焼けるように痛む。
よろけた隙に、無防備な身体。
視界を奪われた一瞬を、ヘディは逃さない。
「うぐっあああ!!!」
重い一撃が、ペイシンの身体を吹き飛ばした。
サングラスがずれ、石畳の上を転がる。
悪魔の力と、月の加護が備わった光。
ギアドの武器も道具も、まともに意味をなさないまま――ペイシンとエヂヒカは敗れた。
「まぁ、それなりに強かったぞ。オレには到底敵わないだろうが」
そして路地に残ったのは、俯いたままのユーサだった。
目元を隠し、動かない。
戦意を失ったようにしか見えない。
「……ユーサ、さん!!」
「あ……危ない、っすよ!! 逃げて……ください!!」
二人が必死に声を張る。
だが、返事はない。
ヘディが笑いながら歩み寄る。
手を伸ばせば届く距離まで来て、囁いた。
「ユーサ。何も恐れることはない。お前に戦う意志がないなら、オレが代わりに戦ってやる。
だから……オレに、お前の力をよこせ」
ヘディが、ゆっくり手を伸ばす。
ユーサも、ゆっくりと手を上げた。
まるで洗脳されているかのように、ユーサの膝が折れた。
跪く。
ひれ伏す。
誓いを立てる騎士のように、従う形だけが整っていく。
「……っ!」
エヂヒカが歯を食いしばる。
「ユーサさん!! 目を……!」
「無駄だ。オレの瞳を見た者は抵抗できない」
ヘディの指が、ユーサの手に触れる。
淡い光が、接触した場所からにじんだ。
ヘディの口元が歪む。
勝ちを確信したような笑みだった。
「はは、最初からこうすれば良かったな」
――次の瞬間。
「!? な――」
ヘディの動きが止まった。
ユーサの指が、ヘディの手首へ深く食い込んでいた。
握り潰すように。
逃がさないように。
離れないように。
「これだけ近づけば……掴めば……離れないよね」
ユーサの体から、赤の秘力と黒の魔力が交差し始める。
空いた手へ、黒い圧が集まっていく。
「!? 幻惑が切れた!? いや、自力で解いたのか!? 馬鹿な……!!」
ヘディが瞬間的に逃げようとする。
だが掴まれた手が、離れない。
そして――ユーサの脳内で、シ・エルの言葉が反響した。
ー 「神秘術や神の奇跡は、殺して奪うことはできない」 ー
ー 「だから、もしユーサの【神秘術】が欲しい場合は
ユーサに継承させてもらえるほどに《親密な関係になる》ことが必須条件になる」 ー
ー 「奪えないから、近づく。
奪えないから、懐に入る。
奪えないから、家族や仲間みたいな顔をする。
そういう奴が、一番怖いよ」 ー
まるで、こうなることが分かっていたみたいに。
その言葉が、ユーサの【怒り】を煽った。
自分は大丈夫だと思っていた。
救われたと思った。
やり直せると思った。
しかし、その幸せだった時間が、胸の奥で音を立てて崩れていく。
そして何より――。
その嘘を、“嬉しい”と感じてしまった自分自身が、許せない。
ユーサから強烈な圧が噴き上がる。
暴風のように、路地の空気が歪んだ。
「くっ……! 離せ!!」
ヘディの声が、初めて焦りを滲ませる。
全身から太陽の熱が迸り、掴まれた腕を灼いていく。
だが、その痛みすら引き金になった。
逃げない。
離さない。
まるで罰を受け入れるみたいに、ユーサは握る力を強める。
「静まりやがれ!! さっさとその力をよこせ!!!」
その叫びで、ユーサの【憤怒】に火が付いた。
パチン。パチン。パチン。パチン!!
指を鳴らす音が、路地に跳ねる。
空いた手に、黒曜石のメリケンサックが召喚された。
ユーサは、低く言った。
「……そんなに欲しいのかよ……この力が……」
歯を食いしばる。
「だったら……」
声は震えていた。
怒りだけじゃない。
笑いと泣きが、喉の奥でぐちゃぐちゃに混ざっていた。
「くれてやるよ……!」
拳が走る。
「――っ!?」
一撃。
たった一撃で、路地の空気が割れた。
「ぐっふああぁっ!!!」
内臓ごと潰れたかのような鈍い破裂音が、石壁に反響する。
橙の月光の下で、戦況がひっくり返った。
ヘディは魔力の流れを変え、身体をゆらめかせながら腕を引き抜く。
距離が開く。
熱が引く。
「ユーサ……貴様……」
「ヘディさん」
ユーサの声が、すとんと落ちた。
怒りと悲しみが、奇妙な静けさの中で混ざっている。
「嬉しかった……幸せだった……『今度こそ』、やり直せると思った……」
空気は、もう戻らない。
ヘディの喉がわずかに鳴る。
「嘘だったんですね……全部……僕の過去も……前世も……調べて……楽しんでたんですね」
「……あぁ、そうだよ」
「僕が求めたものを、ずっと欲しかった“真実”を……そんなふうに踏みにじってたなら……」
ユーサが一歩、踏み出す。
もう、義兄でも義弟でもない。
「安らかに……楽に……」
黒曜石の拳が、ぎしりと鳴る。
「死ねると……思うなよ!!!!」
橙の月が、二人を照らしていた。
ユーサの顔を見たヘディが、初めて“恐怖”を飲み込んだ。
怒りも悲しみも吹っ切れた顔に、“涙”が堕ちる。
それはまるで、ユーサが信じたかった“真実”そのものが、“嘘”としてこの夜に消えていくみたいだった。




