103[2-37].張り紙の人物 その名は……
ヘディさんに言われた通り、受付で会計しようとしただけなのに。
なぜか胸の奥に、罪悪感みたいなものが残っていた。
「……あんた。本当にこの金額って言われたんですかい?」
受付の男が、会計表を見たまま固まっていた。
疑ってるというより、信じられない顔だ。
「え? あ、はい」
「……ちょっと確認してくるんで、待っといてください」
男は言い終える前に身を翻し、奥へ消えた。
「……やっぱり、疑われてもおかしくない金額だったんだ」
態度は横暴っぽいけど、金額の偽装だとか僕を疑ってる感じじゃない。
事故を潰す確認の速さ。
この店が、ただの飲食店じゃないってわかる。
男が戻るまでの間、ワンドリンクで頼んだジュースをすすりながら、店内を眺めた。
「……ここ、前世で言うライブハウスみたいな場所なのに……裏情報屋もやってるんだ」
ステージがある。
音がある。
酒とジュースと、笑い声と、拍手がある。
前世の知識が勝手に浮かぶ。
「ライブハウスって確か……飲食店扱いにして、ドリンク代を払わせるんだっけ。音楽はあえて、おまけみたいにして」
コンサートホールと違う。
ここは、音楽が主役みたいで、酒も主役みたいで……たぶん、目に見えない情報も主役だ。
客はぎゅうぎゅう詰めじゃない。
でも空気は熱い。
変に有名すぎないぶん、変な人間も紛れやすい。
「……こっちの世界に来て、音楽に触れてこなかったから分かんないけど。何が流行ってるんだろ」
壁に貼られたチラシを眺めた。
《ジョーカー・ダミアン 慈善活動&復興野外ライブ 近々決行!!》
《王子エッグ ギターリサイタル 水竜カーニバルにて開催!!》
《太鼓踊 孤児院の二代目院長 主催 歴史ある新世代の慰霊祭!!》
《巨神の蹴裂伝説フェスティバル アンドロイドと共存を望む者達の旋律!!》
「……復興か、それに各都市で色々イベントがあるんだな」
こういう形で街が息をつないでるのが、妙に現実的で、妙に眩しい。
チラシを二、三枚、視線で追う。
その隣に、明らかに異物が貼ってあった。
指名手配。
賞金首。
物騒な紙が、音楽のチラシと同列に並んでいる。
「……そりゃ、裏情報屋もやるわけだ」
冗談みたいに思った瞬間。
一枚の紙に吸い寄せられた。
空気が違う。
紙面が冷たい。
次の瞬間、僕の視界に文字が浮かんだ。
ー 「わたしを 覚えているか?」 ー
「……え?」
思わず目をこする。
酔ってない。ジュースだ。
なのに、もう一度。
ー 「わたしとの 約束を 覚えているか?」 ー
間違いじゃなかった。
「……どこかで、その言葉……」
呟いた瞬間、耳鳴りがした。
頭の奥を針で突かれたみたいに痛む。
反射で目を閉じ、額を押さえた。
数秒。
呼吸を整えて、目を開ける。
浮かんでいた文字は……消えていた。
「……今の、なんだ」
紙を見直す。
他の手配書はだいたい同じ文言だ。
《デッド オア アライブ》
生死問わず。
でも、この一枚だけ違う。
《アライブ オンリー》
生け捕り限定。
その下の報奨金額は――冗談みたいな桁だった。
「一生遊んで暮らせるって……こういう数字か……」
肖像の人物は、男なのか女なのか分からない。
幼くも見えるのに、大人の影がある。
――なのに、なぜか、妙に“知ってる”気がする。
「……どこで見たんだっけ?」
紙に顔を近づける勢いで見つめた。
その時。
「奥さんがいるのに、気になる人がいるんですね」
「わぁっ!」
反射で身体を跳ねさせ、ジュースをこぼしそうになった。
振り返る。
ディアだった。
「ディア!? なんでここに!?」
心臓が一段跳ねた。
ヘディさんに「内緒にしろ」と言われたことが、真っ先に脳裏をよぎる。
「あなたがギアドさんの店に行ってから、全然帰ってこないから。心配して見に行ったのよ。そしたら、かなり前に出たって聞いて……道端で、あなたを見かけた人がいるって聞いて」
淡々としてる。
でも目は淡々としてない。
「それで、ここに入ってみたの」
ディアの言葉で時計を見た。
ヘディさんとの会話が思った以上に長かったことに、ようやく気づいた。
「……ご、ごめん」
「うん」
ディアは短く頷いて、僕がさっき見ていた紙へ視線を移す。
「ずっと無視して集中してたから。ここ、音がうるさくて聞こえてないのかと思って、近くまで来たのよ」
「あ、ごめん。実は……この張り紙の人、見たことある気がして。でも、思い出せなくて……。顔を覚えるのは『得意』な筈なんだけど……」
言い訳みたいに言うと、ディアは小さく笑った。
「……何? そんなにおかしい?」
「だって、あなた。人の顔を覚えるの、苦手でしょ」
「……え?」
数秒、息が止まった。
「興味がないことは、見えてても見てない。だから“得意”だと思ったのが、ちょっと面白くて」
自分では得意に思っていたのに、こう言われると自信が無くなる。
反論しようとして、できなかった。
僕の記憶って、そんなに信用できるものじゃなかった気がしてきたから。
その直後、ディアの目が報奨金に吸い寄せられた。
「……え!? 嘘!? これ、本当にこの金額がもらえるの!?」
声が一段大きい。
教育ママのスイッチが入った音がした。
「このお金があれば……マリアを噂のガーサの秘術学園に……いや、そもそも私達がガーサに住めないし、知らない土地に引っ越すよりも、ザキヤミの学園で……、いや……マリアのしたい事を考えれば……」
ディアの呟きに、別の意味で背筋が冷えた。
前世。
典安の妻・愛は頭が良かった。
理系で、医療系の学校に行っていたから、娘・真理の将来の学費で揉めて。
あの喧嘩、言葉、空気……を思い出した。
「そこも……一緒なら、本当に、生まれ変わっても出会ったんだな。間違ってなかった……」
そう思った瞬間、僕の脳の奥に小さな穴が見えた。
――(……あれ? そもそも、なんでディアが、“愛”だと、わかったんだっけ?)
口には出さない。
でも違和感だけが確かに残る。
張り紙の人物の顔も、同じ場所で引っかかり続ける。
いつも、何かを思い出そうとすると、引っかかる。
その時だった。
「あんたら珍しいな。伝説の夢人に食いつくなんて」
さっき奥へ消えた受付の男が戻ってきていた。
「俺が生まれる前からあるんだよ。見つけたら遊んで暮らせる、生きる宝。夢みたいな存在で、張り紙が貼られてから一度も見つかってない。だから『伝説の夢人』」
男は張り紙を顎で指す。
「ちなみに、『見かけた』って情報だけでも、報奨金の十分の一が出るらしいぞ」
ディアの顔がぱっと輝いた。
「あなた! さっき見覚えがあるって言ってたわよね!? 思い出せそう? どう!?」
食い気味だった。
でも男は一拍も置かず言った。
「言っとくけど奥さん。もし誤報だったら、死刑で家族も含めて処刑されるらしいから気をつけな」
空気が凍った。
ディアの表情が百八十度変わった。
「……あなた。無理して思い出さなくていいわ。地道に教育資金は働いて稼ぎましょう。目の前の欲に飛びつくなんてよくないわ」
僕は力なく頷いた。
「あぁ……そうだね」
男は肩をすくめる。
「とりあえず、ユーサ・フォレストさん。会計いいかい?」
「あ、そうでした。すみません」
受付に戻る。
財布を出して、金額を見て、顔が固まった。
特別料金と聞いてたのに、それでも現実に刺さる数字がそこにあった。
会計をしながら、男が呆れたように笑う。
「いやぁ、まさかヘディがあんたと繋がってたなんてな。すげえよ。いつから知り合ったんだ?」
僕は苦笑いで誤魔化す。
「いつからも何も……知ってるのは……」
ディアの方を見て、口の中で「ディアの兄さんだから」と言わずに止める。
「……ん?」
また、何かの別の違和感が、喉の奥に残っている。
「あの、主人をご存知なんですか?」
ディアが受付に聞く。
ディアの言葉に、引っ掛かっていた言葉が消えた。
「この街で、ユーサ・フォレストを知らない情報屋はモグリ以下だよ。街を救ってくれた“救世主”を知らん人はいないしね」
受付の軽い言い方が、逆に重い。救世主と言われるのは何か痒い。
でも、頑張った結果に繋がったんだと思えば、嬉しくも恥ずかしくもある。
時間も時間なので、帰ろうとした瞬間。
「……まぁ、また来てくれよ」
受付に言われながら、僕とディアはツェッペリンを出た。
出入り口で、僕はもう一度だけ振り返った。
さっきから引っかかり続ける、その張り紙。
名前欄だけを確認する。
そこには短く。
『シド』
その二文字だけが書かれていて、もう語りかける文字は現れなかった。
『作者コメント』
ずっと、書きたかった話。何故でしょうね。書いてて思うけど、偶然がシンクロする。




