102[2-36].ツェッペリン『降り立つ箱船』 ヘディの情報②
星の勇者が亡くなっている。
しかも、千年前に。
ユーサの目が泳ぐ。
息が止まる。
【召命】が……叶えられない。
「……ど、どうしよう」
ユーサの声は掠れていた。喉の奥が、息を拒むみたいに固い。
「落ち着け、ユーサ」
へディは机の向こうで、淡々と言った。
声は軽い。だが、言葉の芯は軽くない。
蝙蝠の紋章が入ったペンを器用に回しながら、ユーサの心を落ち着かせるように続ける。
「情報というのは、武器でもあり防具にもなる。視点や視野が広がれば、起点や気持ちも変わる。他の情報で解決策を見つけるしかない」
ユーサは顔を上げた。
情けない顔のままでも、目だけは逃げなかった。
「……何か……あるんですか?」
「あぁ。星の勇者が、約千年前に亡くなっている。だからこそ、彼らが生きている事を願うのであれば、視点を変える」
へディは頷いた。
「彼らが、生き続けるには、どうすれば良い?」
「生き続けるには……」
ユーサは、最近、この話を聞いた気がし、ハッと驚き思い出す。
ー「ジル・D・レイは、エル教会の天使ではないにもかかわらず、千年近くの長い年月を生きたとされている。それは救世主の神秘ではなく、悪魔の神秘――つまり魔法で不死を得ていた悪魔だった可能性だ」ー
ユーサの脳内で、フォールス・エルの声が再生される。
「ジルさんが……“魔法で千年近く生きた”って、フォールス・エルっていう天使長が確認しに来ました」
ユーサの回答に、へディは採点する教師のように微笑んで頷く。
「なんか……悪魔の疑いがどうたら……とか言ってました」
「そう。そのジルって人は、魔法で生き延びていたんじゃない。神秘術で輪廻転生をしていたんだ」
へディの言葉に、ユーサが目を開き、言葉を失う。
「神の奇跡だけじゃない。神秘術にも禁術がある。特に悪用される可能性がある術はな。神秘術【生きる意味を見つけ出す輪廻転生】という術だ。
ただ、その術で輪廻転生している事が問題なんじゃない。禁術になっているのは、デメリットが問題なんだ」
へディは、一旦、話を整理する合図みたいにペン先で机を軽く叩いた。
「下手をすれば、悪魔になっていた可能性もあると言われている術だから、フォールス・エルっていう天使長は来たんだと思う」
「え? 悪魔に……?」
そこで、ユーサは、フォールス・エルが強行突破してジルの死体を確認し、研究員を連れて来た理由に納得した。
「……っていうか、輪廻転生ができているなら、ジルさんは……」
ユーサの声に、僅かな期待が混じる。
――魂として、また会えるのではないか?
そんな希望が、勝手に心を持ち上げた。
へディは即座に首を振った。
「残念だが、ユーサ。そのジルって人は、体が残っていただろう?」
「あ、はい。ありました。それが……何か?」
ユーサは通夜の棺を思い出す。参列者よりも先に、ジルに別れを告げていた自分。
ク・エルが時間をかけて、神の奇跡で死体を綺麗なままにしてくれていたのも見届けて、棺に入っていくところも確認している。
「輪廻転生をする場合は、証拠を残さない。……術の影響で、肉体の痕跡すら消えるらしい
だが……、ジルって人はどうだった?」
「……あ」
「そう。……ということは、輪廻転生に期限が来たのか、限度回数を超えたのか……理由はわからないが、もうジルって人の魂には……残念だが、会うことはできないと思うぞ。
オレが知る情報だけで言うならだが、多分な。……会える可能性は、無いに等しい」
期待は、一瞬で沈んだ。
浮かびかけた心が、重さを思い出して落ちていく。
へディは、さらに釘を刺すように言った。
「もう一度言う。禁術である輪廻転生の神秘術は、死ねばまた『次』へ押し出される。
期限も回数も不明。天国にも地獄にも辿り着けないまま、終わらせることすら許されない。――それが、禁術の一番恐ろしい点だ」
ユーサは黙る。
ジルが背負ってきたものの重さが、今さら胸に刺さる。
「そこで」
へディは言った。
そこで、空気が少しだけ変わった。
「可能性として、星の勇者達も……輪廻転生をしている可能性がある」
「え?」
「理由は、彼らの肉体……死体が見つかっていない」
へディは、調べた資料の紙をユーサに見せる。
「つまり……彼らは何か訳があって禁術を使った可能性がある。そして……」
へディは言葉を切り、紙束をもう一枚出した。
「タイオーに『黄金の勇者』という四人が来る、という情報を得た」
「黄金の……勇者」
「もしかしたら、その四人が……星の勇者かもしれない。――仮説じゃない。オレの希望だ」
へディは肩をすくめる。
「彼らはとんでもない力、神秘術を持っているという噂だしな」
ユーサの胸の奥で、タイオー行きが『義務と仕事』から『目的と手がかり』へ変わっていく。
「その前に」
へディは机に指を置いたまま言う。
「ユーサからもらった情報で、オレが調べることができた内容をまとめるぞ」
星の勇者。
創造神アーク・A・ディア。
禁術である神の奇跡オール・デッド。
エル教会の闇。
その四点を重点的に調べたとヘディは伝える。
「まぁ、先ずはさっきの話の続きだ。星の勇者について確認できたのは、ザキヤミの資料でここまでが限界だ」
へディは調査書を机に置いて渡した。
ユーサは紙を受け取り、目を滑らせる。
「すごい……綺麗にまとめられている。ありがとうございます」
【星の勇者】
五人の少年少女達。現在死亡。
現在、エイ歴2009年。
星の勇者達は、1009年頃に消息不明。
その一年前に、とある悪魔集団を倒したとされ、人々を救い勇者とされる。
ザキヤミには、星の勇者の伝承、伝記は見つからなかった。
各勇者の出身は、タイオー、キサナガ、コガシマ、モトマク、オカフク。
各勇者の伝記は、各都市のデイ神社とエル教会の文献に記されているとのこと。
キサナガに五人の勇者の石像がある。キサナガに一番詳しい文献があるかもしれない。
ユーサは紙を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
「……夢の中で、五人がタイオーにいたかもしれない」
欠片みたいな記憶。
タイオーという地名に、妙な引っかかりがある。
「なんとなくだけど……タイオー出身は……」
言いかけて、飲み込んだ。
自分かもしれない、という直感が、まだ形にならない。
へディは頷いた。
「さっきも言ったが、タイオーに四人の勇者が現れる。勇者なんて称号をもらう者は、千年に一人いるかいないかと言われている。
なのに、その勇者が四人も同時に現れるなんて、中々無い事態だ」
へディは、別の紙を出しながら言葉を継ぐ。
「因みに、ユーサの知ってるデイ神社のジルって人が見つけた才能達らしいぞ」
「ジルさんの……」
ユーサは紙束を握り直した。
ジルが自分のためにしてくれたのではないか。そう思いかけて、胸の奥が熱くなる。
諦めかけていた心に、光が差したような瞬間だった。
「よし……なら、オレもタイオー支部のツェッペリンに出張できるか聞いてみるよ」
へディは、そう言いながら席を立った。
「いつ、タイオーに行くんだ?」
「最低でも……一週間以内には、向かうことになりそうです」
ユーサがそう言うと、へディは短く頷いた。
「よし。じゃあ少し待っててくれ。所長に聞いてくる」
そして付け足す。
「あ、他の【召命】に関わる資料がオレの棚にある。気になる物があれば好きに見てていいぞ」
へディが部屋を出た。
手持ち無沙汰になったユーサは本棚を見る。
そこにあった『神の歴史』。
手に取る。
「そういえば……神様が、調べてみると良いって言っていたな」
この世界の神話。
禁術の一つ【世界平等の死】について。
世界平等の死は、発現後、発動者が新たな神になるという神の奇跡の中でも禁術中の禁術。
原初の神エイが禁術を使用して、現在の世界が生まれたとされている。
発動条件は、創造神の魂。
現代であれば、創造神アーク・A・ディアの生まれ変わりの依代――ディアを生贄にして発動させる。
「……って事か。だから、神様は【召命】に入れて、守れって言っていたのかな?」
そして、追加の条件を見てユーサは目を細める。
『この世で生まれる事はできない“何か”』が必要。
最悪魔邪神王が「条件があと少しで完成」と言っていたのは、この“何か”を悪魔側が持っているからなのか。
ユーサの思考が勝手に繋がろうとする。
「けど……最近になって、これが嘘だったという情報なんだよね?……シ・エルのせいで」
創造神の生まれ変わりを見つけるためには、創造神が保有していた神の奇跡が目印とされていた。
諸説あるが、有名なのは――悪魔の攻撃を完璧に防ぐとされた【神鉄の処女】
何者にも傷づけられない術。
それが証明になってしまう。
マリアが発動した神秘術。ディアから生まれた娘が、術を発動できた。
「魂って分裂するのかな? それとも、ディアとマリアに半々になって……二人合わせて一つの魂になっている……?」
ユーサの中で、よくわからないまま、進んでページをめくる。
原初の神エイは、天使達に試練を与え、神になるための力を分け与え続けた。
そこから夫婦神。父の神ガイ・A・アーク。母の神ナート・M・アーク。が選ばれた。
そこから更に、数多の天使が生まれ、天使は各自、神に選ばれた。
そして、夫婦神のとあるすれ違いにより、生と死が生まれた。
「日本の古事記……イザナギ、イザナミみたいだな」
ページをめくるほど、神の名は増えていく。
「神様って……ものすごくいるんだな。……八百万の神みたいだ」
暦や通貨の語源になった原初の神エイ。
創造の神アーク・A・ディア。
維持の神アルカ・D・アーク。
破壊の神デスト・L・アークシオン。
幸運の神グッド・L・アーク。
暗闇の神ビィ・L・アーク……
数え切れない。
だから一旦ここまで――そう思った時だった。
ユーサは、ある“欠落”に気づく。
持続。
続行。
意地。
維持。
近い語はあるのに、“継続”の神が表記されていない。
ー 「私はね。生命の中で最も重要な要素の神になりたくて――なれたんだ」 ー
ユーサの脳内で、ジャンヌが言っていた言葉が再生される。
「……そもそも、名前を言ってはダメって【召命】にもあるし……バレないように……隠している?」
その瞬間。
「神話をそんな真面目に読むなんて、珍しいな。義務教育で習うだろ?」
背後から声が落ちた。
「わぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
ユーサは飛び上がった。
「……びっくりした。帰って来たんですね」
「悪い悪い」
へディは悪びれず笑う。
「情報屋っていうのは隠密行動も多くてね。無意識に気配を消す事もあるんだ。あはは、ギルドの五本の指に入るユーサの背後を取れるんだから、誇っても良いな。流石はオレだ。ふふふ」
ユーサは、戦いで背後を取られた記憶がほとんどないだけに、余計に納得してしまう自分が悔しく感じた。
「というか」
へディは笑みを消し、机へ戻った。
「その神話の聖書も実は、禁術に関してだけじゃなくて、偽典になっている可能性が出てきたんだ」
「……偽典?」
「あぁ。長年常識とされていた禁術の条件が、シ・エル最天使長が嘘を入れたせいでな」
へディは淡々と言う。
「出典《神の秘密・知恵の天使:ラジ・エル》の記録であるラジ・エルの書に、今、調査が入っているそうだ。
各都市の教会図書館だけではなく、ガーサにある天空図書館に本当の聖書――ラジ・エルの書があるかも。
……って事で、教会の研究機関は血眼になって毎日徹夜で調査しているらしい」
ユーサは、思わず顔をしかめた。
当の本人はあっけらかんとしているのに、周囲だけが地獄を見ている。
「それに、悪魔の王が言っていた聖戦も教会の都合で真実が揉み消されていたのが露呈した。
改めて、聖戦、神話、神の奇跡の真実の調査で……悪魔のスパイもある意味、教会に止まるしかない。
だから、シ・エル最天使長が、結果的に活躍した事になっているらしい。すごいよな」
呆れたような、感心したような声だった。
「そもそも、ほとんどの天使が神に会った訳じゃなくて、『神の声を聞いて天使になる』らしいからな」
「え? そうなんですか?」
「らしいぞ。それだと、本当にエル教会に神様がいるのかが怪しいと思うけどな。ユーサは神様に会っているらしいから、これってユーサの方が天使なんじゃないのか?」
「どう……なんでしょう」
ユーサはへディの言葉に納得するも、無宗教だった自分が神様に会っている事に違和感を覚える。
「というか……よくそんな教会の内部事情まで知ってますね」
「ふふふ。ユーサ君。情報屋を舐めんなよ」
へディは嬉しそうに得意気な顔で笑う。
「昨日のデイ神社の情報もオレは知ってただろ? 自分がいる領域では、特に耳に入るんだ」
「あ、確かに」
ユーサは、謎の違和感の正体に気づく。昨日起きた事が、何故、無関係なへディが知っていたのか納得する。
そして、嫌な方向へ話が曲がる。
「ふふふ。その気になれば、ユーサ。お前の浮気調査もお手のものだ。経験人数から性癖まで調べられる」
「……っ」
「浮気についてはオレも男だから目を瞑ってやるが……バレて、ディアを泣かすことになったら、このペンでお前を串刺しにしに行くからな。
ペンは剣よりも強し……って証明するよ」
蝙蝠の紋章が入ったペンの先を、わざと見せる。
「う、浮気なんてしませんよ」
「はは。信じてるよ、義弟よ」
ユーサは、咄嗟にヘディの『義弟』という言葉に息が止まる。
ー 「お前のような出来損ないが、妹の旦那だったという事すら虫唾が走る」 ー
前世で上手くいかなかった、義兄との関係。
それが、今は、嬉しそうに、楽しそうに話せるヘディとの関係に感慨深く、胸の奥がうずいていた。
涙すら、浮かんできていた。
「ん? どうした」
「あ。いえ……なんでも無いです」
「おいおい。本当に浮気してないよな? 調べちゃうぞ?」
「し、してませんって! 本当に!!」
「あはは。悪い悪い」
へディは、笑いを引っ込めて話を戻す。
「というか、話を戻すけど、シ・エル最天使長と知り合いなんだろ?
ガーサの天空図書館から資料がもらえないか聞いてみたらどうだ?」
「あ、それも知ってるんですね……確かに。でも……」
シ・エルに、これ以上借りを作りたくない。
ユーサの顔に、それが露骨に出る。
それを感じ取ったのか、へディは話を切り替えて空気を変える。
「オレもタイオーに出張して良い、って決まった。気になることがあれば追加で調べるけど、何かあるか?」
「あ。そういえば……」
ユーサは、デイ神社に現れた“オレンジの悪魔”の話をした。
「……そうか」
へディの目が、僅かに細くなる。
「なんだか気になるな。太陽の加護を持つ天使なら、タイオーの天使の可能性もある。行方不明になった天使を調べておくよ」
そして、確認する。
「ちなみに、ユーサは早くても、いつ頃タイオーに行くんだ?」
「一週間以内には……って言ってましたけど、早くても……多分、明後日ぐらいですかね。
手続きとか色々あるみたいで。あと、シ・エルが迎えを用意するって言ってました」
へディは少し考えてから言った。
「じゃあ、出発の前夜にもう一度ここに来てくれ」
声が落ちる。
軽い言い方のまま、重い釘を刺す。
「あと……くれぐれもディアに、ここに来ること、オレに会ったことは言うな」
へディの赤い瞳が、一瞬だけオレンジ色に揺れた。
「あ……はい。わかりました」
ユーサは、何も違和感を拾えないまま、約束だけを胸にしまう。
「今日はありがとうございました。えっと……料金は……」
「ん? あぁ、特別料金にしておくよ。受付で払っておいてくれ」
「え? 良いんですか? 申し訳ないんですけど……」
「良いよ。因みに本来はこの金額なんだよ」
へディが情報料金の相場を見せる。
その桁を見た瞬間。
ユーサの目が、今日一番で大きく開き、財布の心臓が止まった。
「ふふふ。ユーサがギルドで有名であるように、オレもこの業界ではある程度、有名なんだよ」
「す、すみません……」
「気にするな。……妹の旦那だ。オレにとっては、大事な義弟だからな」
その言葉の嬉しさのあまり。
ユーサは、さっきの揺れを、もう思い出せない。
「はい。おやすみなさい。ヘディさん」
そして、嬉しそうに部屋を出ていった。




