先人は嗤う
未来を見る事無く旅立った沢山の人達。もしもその人達が「今」という時代を見る事が出来たとしたら、果たしてどう思うのだろうか。
第二次世界大戦の昭和、第一次世界大戦の大正、日清日露の明治。そして慶応から遡る江戸時代に戦国時代。それらの時代の人達が「今」を見たとしたならば、果たしてどう思うのだろうか。
嗤うだろうか、嘆くだろうか。それとも平和な時代なのだなと、平等な時代なのだなと、便利な時代だなと、そう羨望の眼差しでみてくれるだろうか?
若しくは息苦しそうな時代だなと、窮屈そうな時代だなと、「艶」の無い時代だなと、そう思うだろうか?
人は「強欲」にして「貪欲」なる生き物である。必要でなくとも手に入れようとする、比類無き強欲にして貪欲なる動物である。
その「欲」と呼ばれる物は行動の原動力となり生命力にもなりえるが、「欲」そのままに皆が行動したとするならば、きっと他の動物社会同様「弱肉強食」と、そういった直接の力による支配社会になる事は想像に容易い。
故に人は「法」を作った。その欲を抑えつけようと、文字で出来た「法」という名の拘束具を作った。それにより人の行動を制限すると共に、精神を支配する事が可能となった。
遥か昔に発明されたその拘束具は、時を経る毎に増え続けてゆく。それはひとえに平和や平等、安心安全、健康に繁栄、環境に資源に自然の保護と、それらを得るという目的を旗印に、留まる事無く増え続けている。それらは息苦しく窮屈と言える事でもあるが、きっと「進化」と、そう呼ぶべき事である。そして人々はその「進化」の中で、「欲」を満たし続ける。
人は他の動物同様に食欲、睡眠欲、性欲といった3大欲求を筆頭に、生きている限り「欲」を持たざるをえない存在であり、他の動物が思いもしないであろう「金が欲しい」「有名になりたい」と、そういった多様な「欲」を持つ稀有な動物である。若しも「3大欲求以外の欲は無い」と、そう口にする者がいるならば、その者は自分の「欲」に気付いていないだけであろう。
例えば、人が日常という生活を送っていれば「こういう道具があれば良いな」と、「こういう事が出来たら良いな」と、そんな風に思う事は多々あるはずである。それ即ち「欲」である。「利便性」を求めるといった「欲」である。人は余程の事情が無い限り、誰もが「利便性」を求める動物なのである。
それは今に始まった事では無く、有史以前という遥か昔から、人はそれを求めては試行錯誤を繰り返し、その都度、便利なる物事を世に出し続けてきた。それをひたすらに繰り返す事で、数多の技術と共に経験という結果を生み出し続けてきた。そして後世の者達はそれらを以って更なる「利便性」を追及し続けてゆく。当然それらも「進化」と言える事である。
それらの「進化」には対価が伴う。その対価こそが「艶」という物であり、「進化」に比例して失ってゆく物である。だがそういった対価を支払ってまで求め続ける「進化」とは、一体どれ程の意味があるのだろうか。雇用の面で言えば誰かを楽にさせてくれると同時に誰かを苦しめている可能性のあるその「進化」に、一体どれ程の価値があるのだろうか。それを求め続けた先には、一体どのような世界が広がっているのであろうか。ひょっとしたら全てを機械に支配されるといった世界だろうか。若しくは「破滅」と、そんな言葉が相応しい世界だろうか。それとも「幸せ」と、そう呼ばれる物が全ての人に満遍なく降り注いでいるといった、そんな優しい世界だろうか。
どちらにしても、その答えが出るのは遥か遠い未来の事だろう。きっと今を生きる我々が、その答えを知る事は無いだろう。我々はただただ陽が昇れば動き始め、陽が沈めば体を休めるを繰り返す。そうして日々を創造しながらにして未来へと紡いでいくのみ。
我々は「時代」を旅する存在。その「時代」にたまたま巡りあった名も無き存在。一見すると同じに見える1日を、ただただひたすらに繰り返す存在。先人達から引き継いだその「時代」に更なる進化を与え、それを未来に引き継いでいく事を義務とする存在。この星の成り立ちからすれば一瞬にも満たない、そんな「時代」を必死で生きる儚き存在。
そんな「時代」を旅する人生にあって、ほんの少しの時を無駄に過ごしたとして、果たしてそれを悪と呼んで良いものだろうか。
◇
紺のスーツを纏った恰幅の良い中年男性は、そんな内容が書かれた数枚の紙に目を落としていた。
「ふぅぅぅ……」
男性はそんな長めのため息を吐きつつ、事務椅子に座ったままに天井を仰ぎ見た。そんな背中を預ける格好となった事で、事務椅子の背もたれは「ギキキィイ」という短い悲鳴を上げた。
男性は数秒間黙ったままに天井をみつめた後、天井に向けて短いため息を1つ吐いた。そしておもむろに姿勢を戻すと、目の前の事務机越しに姿勢良く立つ、グレーのスーツを纏った20代半ばの男性をじっと見つめた。
「平成は飛ばしての昭和大正明治、そして慶応から戦国と、随分と壮大に遡って行くねぇ」
「恐れ入ります」
「しかし昭和ってのはさ、私から見ればつい最近の時代なんだよね。そう考えるとさ、日本も随分最近まで戦争してたんだなって、思わなくもないよねぇ」
「私は平成生まれですので、昭和と言うと随分昔な気がしますが」
「ああ、そうか。そうかもね」
「ええ」
2人の顔には優しい笑みが零れていた。そして中年男性は、手にしていた紙に再び目を落とした。
「しかし『艶』って言い方が良いねぇ」
「お褒め頂き有難う御座います。最初は『風情』という言葉にしようかとも思ったのですが、敢えて艶という言葉を使用しました」
「なるほど。しかし今見てて改めて気付いたけどさ、この『艶』という字は『豊かな色』って書くんだね。いやあ、良く出来てるねぇ」
「言われてみれば確かにそうですね。私も今気付きました」
「しかし進化に比例して艶を無くしてゆく、便利な物は艶を無くさせる、か……言い得て妙って感じもするね」
「有難う御座います」
「私は昭和生まれの今50歳だからさ、確かに今は艶という物が無いなって思う時が、無くは無いよね」
「そうなんですか?」
「うん。いろんな事が法律や条例で禁じられたり制限されてゆく事もそうだけどさ、身近な物だと……やはり音楽媒体かなぁ」
「音楽媒体?」
「君は見た事無いかも知れないけどさ、私が小さい頃はまだレコードやカセットテープといったアナログ媒体が主流だったからね。CDなんてデジタルの媒体は私が高校生になってようやく出て来た感じでね、当時は便利になったなぁと思っていた訳だけどさ、今では不思議とレコードの音に憧れると言うかさ、アナログの音に和むというか、レコードその物に憧れるというかね。CDを含めたデジタルの音楽はそれらに比べて遥かに音質も良いしコンパクトで便利なはずなのに、何故か不便なアナログに憧れるよねぇ」
「私が物心ついた時にはデジタルが主流というか他にありませんでしたし、レコードという存在を知ったのもかなり後でしたから、その感覚は分かりかねますかねぇ」
「それもそうか。他には……CMとかかな?」
「CM? コマーシャルの事ですか?」
「そう。たまに過去のCM映像をバラエティ等で放送する事があってさ、それを見てるとさ、何か艶っぽさを感じるね」
「艶っぽさですか?」
「艶っぽさと言うか、当時は色鮮やかだったなんて気がするというかね。CM映像その物の画質は悪いのにね。まあ、今の風潮からすればアウトな内容も多いかも知れないけど、そういうのに艶を感じるよね」
「私も何度か昔のCM映像を見た事がありますが、古臭い映像にしか見えませんでしたけどねぇ」
「ははは、まあそうかもね」
「はい」
「まあ、艶というのはそういった個別の物で無く、時代という意味の方が相応しいのかなぁ」
「時代ですか?」
「そう。例えば私にとって『艶があった時代』ってのは、やはり10代の前半から中旬かなぁ。その頃に見た景色は私の原風景とも言えるなぁ」
「なるほど」
「とはいってもさ、それは単に自分の若い時を美化しているだけかも知れないけどね」
「と言いますと?」
「私の言う『艶があった時代』というのはさ、昭和50年代の始めから終わりにかけてになる訳だけど、私が艶があったと思うその昭和の時代もさ、それ以前、例えば昭和の前半、若しくは明治大正生まれの人からすれば『艶の無い時代』に見えていたんだろうなぁってね」
「ああ、そういう事ですか」
「結局自分の生きて来た中で一番輝いていた時代、何も考えずに楽しめた時代を『艶のあった時代』って言ってるだけかも知れないね」
「なるほど。確かにそうなのかもしれませんね」
「私には今の時代が艶の無い時代に見えているけどもさ、今10代の人が50歳位になった時にはさ、今のこの時代を『艶のあった時代だった』なんて、きっと振り返るんだろうね」
「ですかね」
中年男性は20代男性に目を向けた。
「しかし20代の君が思う艶ってのは何だろう? 君はまだ20代だから艶が無くなったなんて感じる事は無いんじゃないの?」
「私の場合には街の移り変わりですかねぇ」
「え?」
「実は私、実家と呼べる家が無いんですよ」
「……」
中年男性は機微に触れたかと思い、若干顔を曇らせた。
「あ、別にネガティブな話では無いですよ? 私の実家を含む町全体が再開発地区だったので、皆が合意の基に立ち退いたという話です」
「ああ、そういう話ね……」
「ええ。で、立ち退いた後は少し離れた町の新築マンションに引っ越しました。私が小学校2,3年の時の事ですから、もう20年近くも前の話です」
「じゃあもう随分と前の話だね」
「ええ。そもそもその実家というのも、風が吹けば揺れるといった凄く古い木造でしてね。住んでいた時には本当に嫌で嫌で。で、思いがけず新築のマンションに引っ越す事が出来て。いやあ、その時は本当に嬉しかったと、おぼろげに記憶しています」
「なるほど」
「まあ、いくら新築マンションと言えども、数ヶ月も暮らせばそれが当たり前になる訳でして、何の感動も無くなりましたけどね」
「まあ、そうだろうね」
「ええ。で、つい最近、たまたまその町の付近を通る事がありましてね、そしたら家は勿論ですが、道路を含めた町全体が跡形も無く消え去っていたと、まあそんな事がありました」
「そういう事かぁ。なるほどねぇ、それは私も経験あるなぁ。木造長屋的な街並みが跡形もなく消え去ってさ、なんかお洒落なマンション郡が建ち並ぶとかね。道路を含めての区画整理事業でガラリと変わる様は本当凄いよね。ほんと跡形も無く消えてさ。結果としては綺麗になるし便利にもなるしさ、きっと良い事だらけなんだろうけどさ、人は居るのに何かどんどんと無機質になるように思えてね。まあ、そこに新しく入って来る人には何も関係無い話だけどね」
「仰る通りです。いやほんと、寂しかったというか何というか。あんなにボロい家でも、記憶で言えば一番艶のある記憶と言いますかね……もう、あの頃の事は記憶しか残っていない状況ってのは、何か不思議な感覚でしたねぇ……」
「なるほどね。逆にその思い出は今から4,50年経った時、もっともっと感傷深い思い出になっているかも知れないねぇ」
「ですかねぇ」
「まあ、ただでさえ戸建もどんどん建て替えられてさ、場合によっては幾つかの戸建てが消えたその地に綺麗なマンションが建つ事も日常だからね。区画整理事業はそれの大規模版っていうだけだけどさ」
「そうですね」
「そういったスクラップアンドビルドも経済から見れば悪い事では無いしね」
「ああ、確かにそうですね」
「私だって新しい物が出来た時には綺麗で便利になったなとも思うし総じて良かったなって思うしね」
「私もです」
「そして失ってから気付く。新しい物は常に創造出来るが、古い物は創造出来ないのだと」
「確かに」
「家と云った町並み以外にもさ、例えば離島なんかも景色が変わったよね」
「離島の景色ですか?」
「うん。今まではカーフェリーやら渡し船でしか行けなかった離島に橋が架かる、若しくはトンネルが掘られる。私はそういう場所で生まれ育ったわけではないから離島の苦労は分からないし、そういった橋やトンネルが出来る事で島に住む人達は便利で楽で安全安心といった多大なる恩恵を受ける事になるはずだから良い事なんだろうけどさ、何か寂しいよね」
「ああ、そういう景色って昔の映画とかでみた事ありますねぇ」
「かつては四国やら北海道なんかにはさ、電車が乗り込む連絡船って船があったんだよ?」
「へぇ、面白いですねぇ。もう跡形もないんですか?」
「船は資料館みたいにして残っているのもあるけど、景色その物はもう無いみたいだねぇ」
「へぇ」
「他にも線路とかね」
「線路?」
「そう。列車も次々に廃止されて駅も線路も撤去されてさ。まあ廃線は時代の流れ等もあって仕方無いんだけどさ、線路や駅は出来るならば残しておいた方が良いと思うんだけどね。とはいえ残しておくだけでも経費がかかるとか安全上の問題もあって難しいんだろうけどね。そもそも採算が取れないが故の廃線だろうしね。でも線路が残っているだけでも情景が浮かぶというかさ」
「ああ、確かに草むらに隠れて錆びたレールがあるだけでも絵になりますね」
「人は果てしなく便利さや新しい物を求め続ける。それに比例して昔の物、要らない物は廃棄していくと言う事だね。勿論それが誤りだなんて思って無いよ? 新しい物を求め続ける事は仕事に繋がり経済に繋がる。果ては安心安全にも繋がる事もあるだろうから必要な事だと思うしね」
「ですね」
「まあ、単なる懐古主義と言われるかもしれないけどさ、新しい物ばかりが常にある、常に求める、常にスクラップアンドビルドというのは、何か寂しいねぇ」
「そうですねぇ」
2人共が過去に思いを馳せるようにして、優しい笑みを浮かべていた。そして中年男性は、手にしていた紙に目を落とした。
「『時代を旅する存在』って言い方も、中々良いねぇ」
「恐れ入ります」
「確かに地球の歴史から見ればさ、人間の寿命なんて取るに足らない短い時間だよね。それを朝は無理矢理起こされ夜は遅くまで働いてさ、考えてみれば不思議な話だよね」
「同感です」
「そんな短い時間の中を一生懸命働き続けてさ、その中のほんの少しの時間を無駄にしたからといっても、別に悪では無いと、私も思うよ」
「御賛同頂き、有難う御座います」
20代の男性は笑みを浮かべながらに軽く頭を下げた。
「っていうかさ、ここで言う便利な物って何の事? 目覚まし時計かな?」
「ネットとパソコンの組み合わせ、といった所ですかねぇ」
「なるほどねぇ。何時でも何処でも仕事が出来るみたいな?」
「何時でも何処でも何時迄でも、飽きない何かが其処には存在すると、そんな感じでしょうか?」
「なるほどねぇ」
「はい」
「しかしこれはエッセイみたいだねぇ」
「そうですか?」
「うん。とても遅刻の始末書には見えないよ」
「そうですか?」
「うん。で、何?」
「は?」
中年男性はジロリと、20代男性に目を向けた。
「ちょっと遅刻した位で怒るなよって事? 別に悪では無いだろって?」
「いえいえ」
「別に遅刻を悪と迄は言ってないよ?」
「勿論承知しております」
「就業規則に反しているだけであって、悪とは言ってないよ?」
「仰る通りです。なので『呼んでいいのかなぁ?』っていう疑問形です」
「ふーん。で、遅刻の理由は『便利な物』って事?」
「まあ、そうなりますかね……」
「何時でも何処でも何時迄でも、飽きない何かが其処にあったので寝ずにそれをやり続け、目覚まし時計をセットしないまま寝落ちしたと、そんな感じ?」
「ほぼほぼ、仰る通りです」
「ふーん……そういえばさぁ」
「はい?」
「過去の人はさ、今を羨ましいと思ってくれたんじゃないかな?」
「と言いますと?」
「ゼンマイにボタン電池にソーラー電池」
「は?」
「そしてクオーツに電波にGPSにネット」
「何の話ですか?」
「時計だよ時計」
「ああ、時計ですか……それが何か?」
「ゼンマイなんてアナログな物からさ、そんな秒単位の正確さを持った時計と共にさ、沢山の種類の目覚まし時計があって良いなぁって、羨ましいと思ってくれたんじゃないかな?」
「……」
「そういえば『進化の行きつく世界』なんて事も書いてあったね? それは私が思うに、自動で絶対に起こしてくれる目覚まし時計が皆に等しく与えられる世界とかかもね。ははは」
20代男性は嫌味を言われている事に気付くと、口を真一文字に結んだ。
「そういえばさ」
「はい」
「そんな機械みたくさ、正確に朝9時に出社する必要はないんだよ?」
「え?」
「ん? どうしたの?」
「いえ、あまりにも想定外の答えでしたので」
「そう?」
「はい、意外でした……でも本当に良いんですか?」
「勿論だよ。もっと早い時間に出社しても良いんだよ?」
「……は?」
「1時間でも2時間でも早く出社して良いよ? 勿論9時出社扱いだけどね」
「……」
「どうせ始発が出る時間位までネットをやってるんじゃないの? そのまま寝ずに来ればよかったじゃん」
「……」
「勿論、強制では無いけどね」
「……」
20代男性は思う。何の風情も艶も無い時代だなと。だがこうも思う。今日の出来事を4,50年経った後に思い出した時、艶のある懐かしい時代だったなと、そう思っているのかもしれないなと。そう思うと、自然と笑みが零れた。
「何笑ってんの?」
2021年01月18日 2版 誤字訂正他
2020年09月19日 初版