いずれ灰なる永遠よ
夜風に靡く白髪を月光が照らした。薄く閉じた瞼の奥で朱色の双眸が煌めく。シャツから覗く病人のような白い皮膚の下、凶暴を孕んだ骨肉が隆起していた。人気のない路地裏、7フィートはあろう彼の巨躯による影が女を覆っている。
女は華奢であった。金色の長い髪は後ろで一本に結われ、赤いドレスによく映えている。
彼女の傍らには倒れた男。首元には何かに噛みつかれたような跡があった。
「やめて……殺さないで!」
尻餅をついて後退る女に、にじり寄った男は万力の力を込めた拳を振り下ろす。
ごぎゃ、と鈍い音が鳴った。
相対するにはあまりに薄い頭蓋が砕かれ、首がへしゃげる。自重を抑えられなくなった身体が崩れ、あたりは静寂に包まれる
――はずだった。
ぶらりと垂れた頭部を揺らし、女のか細い脚は男の腹を下から蹴り飛ばした。ヒールのつま先をめり込ませて、巨体が宙に高く舞う。男は痛みに悶えながら、落下の衝撃を受け身によって軽減する。起き上がると、女は首を手で支え、皮膚から飛び出てきた血管で表面から元の位置に固定した。
「ちぐじょう、おば、お前、どうしでお、襲ってくるのよ。お仲間でしょうか」
激昂する彼女の口腔に白い牙が光る。陥没していた頭部が次第に元の形へと戻っていた。
「同じにするな化け物。俺は、人間だ」
男は女から距離を取りつつ、拳を構える。
「人間ん? さては成り立てか。どうやら体のコントロールもできちゃあいないようだし、ただの張りぼてじゃないの。……命乞いして損した」
「じゃあ殺してみるか?」
「そうするわ」
瞬間、女は右脚で地面のレンガを蹴り砕き、破片を男の顔面へと飛ばした。男は腕で顔を覆ってそのまま突撃する。想定外の行動だが女は焦らない。追撃のために力を込めていた左脚で跳躍して回避する。が、その脚を男は鷲掴み、固い地面に頭部を叩きつける。遠心力で威力を上げてさらに一撃。掴まれていない右脚で、拘束している男の腕を蹴り砕き、女が抜け出す。浮かんだままの彼女の顔に男の肘打ちした。
女が怯んだところに即座に再生した腕で追い打ちをかける。
「雑魚みたく頭潰したって、あたしは死なないってのに、必死だこと」
「だが、再生力は削げる。動けなくなるまで、砕いて、潰して、朝日で焼き殺してやる」
「あらそう。でもチェックメイトねぇ!」
右の手刀で女は男の分厚い胸板を貫く。それに構わず殴りかかろうとしたとき、男の心臓が握られた。感じたことのない痛みに思わず女を蹴飛ばして引き離すが、感覚が消えない。
不敵に笑う女、その右手首の先がなかった。
その先がどこにあるのか、気が付いた男が取り出そうとするが、心臓が握られる激痛にその場に倒れ込む。
「気づいたのは偉いけど、一手遅かったわね。未成熟の癖にバカスカやってくれちゃって。頭蓋がデコボコよクソ野郎。今まで再生力に頼って勝ってきたんでしょうけどね、吸血鬼同士の搦め手は初めてだったのかしらぁ?」
ねえ、と心臓がさらに強く握られる。あまりの激痛に耐えられず男は叫ぶ。
「ふふ。わざわざ食われにきたってね。ご苦労様、ご苦労様ぁ! いいデザート。私の血肉にしてあげる」
「……れ……ぁ」
「ん? 最後に何か言いたいのかしら?」
「…………やれ。シーナ」
瞬間、女の胸を弾丸が貫いた。
何が起きたのか理解できず、胸に開いた穴に触れた。
「え?」
「――汝、理に背きし生命よ」
女は目を見開く。
「きょ、教会の祝詞? お、お前お前お前! 教会の洗礼を受けた吸血鬼狩りが吸血鬼!?馬鹿な、馬鹿な馬鹿な! ありえ、な」
「――聖なる銀の裁きの下、灰に帰せ!」
「きぇああぁあああああ!!」
心臓に残った銀の弾丸が聖なる光を放ち、名も知らぬ怪物が灰へと帰す。
その光に、男もまた当てられる。口から大量の血液を吐き出し、それが灰となった。男は喉の奥に残る砂利っぽさに咳き込む。そのまま彼の意識は遠のいていった。
ごつごつと頭が叩かれる感覚で男は目を覚ました。何が叩いているのかと確認すると、見知った少女がつま先で彼の頭部を足蹴にしている。
「生きてる? ローランド」
「……死んでる。よくやった、シーナ」
シーナと呼ばれた少女は白を基調としたワンピースを着た小柄な少女だった。真っすぐに伸びた黒髪、健康的に焼けた肌。その手には拳銃が握られている。
「どのくらい寝てた?」
「もうじき夜明け」
相棒が吸血鬼と知っていながら、しばらく起こさなかったシーナにローランドは苦笑する。万が一でも太陽に直接当たらないように、シーナに持たせているバックからフード付きのローブを取り出した。
「移動するぞ。教会に嗅ぎつけられる」
「そしたら、また殺せばいい」
「俺が言うなら仕方ないが、お前が殺すって言うのはどうなんだ……?」
「ローランド殺そうとした。殺されても仕方ない」
洗礼を受ける前に追われる身となったシーナは祝詞での吸血鬼退散ができず、ローランドは自身が吸血鬼となったことで対吸血鬼用の武器を持つことさえできなくなった。互いが互いの穴を埋めて吸血鬼退治が成り立っている。
「教会は、なんでローランドを殺そうとしてくるの」
「……俺が存在してはいけないから、だそうだ」
洗礼を受けた人間は吸血鬼にならない。
それが教会の教えだ。だが、ローランドは世にも珍しい後天性の吸血鬼だった。
吸血鬼を祖先に持つものも教会の洗礼を受ければ救われる。それが教会の遥か昔からの教えである。それがローランドの存在で覆されてしまう。
今まで必死に尽くしてきた教会は、ローランドが吸血鬼になったことを知ってすぐさま刺客を放ち、彼だけでなくシーナまで狙った。
彼にとって教会も吸血鬼ももはや一緒だった。
「しかし、今回は大失敗だったな。頭潰して固まったところを心臓打ち抜くつもりが、危うくやられるところだった」
「……ローランドのハリボテ筋肉」
「やめろよ。傷つくだろ」
「すぐ直る」
「それでもだ」
街路裏を出ると風が出迎える。その風はシーナの長い黒髪を靡かせ、ローランドの瞳にシーナの首筋が映る。吸血衝動に駆られたローランドは誘惑を振り払うべく己の頬を強くぶった。
「……どうしたの。いきなり一人SM?」
「どこでそんな言葉覚えたお前」
二人は異端の吸血鬼狩り。彼らは狩り、己を狩ろうとするものさえ狩り尽くす。
彼らの狩りは人を襲う衝動を抑える故か、はたまた彼らの正義故か。
いずれ灰なる者なれど、その心、せめて消えるときまでは。
一日クオリティ。