第9話 風邪からの自己分析
連休を取る前に病欠しちゃって、超気まずい。
だが連休は取る。
図太くそんなことを主張しつつ、更に病欠明けにも関わらずこっそりサボってエッセイ書きはじめるような不届き者が世の中にはいるらしい。
いやぁ、本当に久しぶりに風邪を引いて病欠しました。
これまで病気になるのは週末の休みのみと決めて調整してましたが流石に今回は無理でした。無理なものは無理ですわ。
急遽、休みましたが、やっぱり自分が居なくても信頼できる人がいれば仕事は意外とどうとでもなるものですね。電話連絡だけでまったく問題なかった。多分、来週休んでも問題ないでしょう。よぉし休むぞー!
さて、今回は久しぶりの風邪で感じた事があったので、またエッセイを書いています。
今回感じたのは『健康の有難み』でした。
健康は全ての根幹だと、しみじみ思い知りました。
ぼんやりする頭に音に過敏になる耳。イガイガする喉に、痛む節々。
ワンテンポ反応が遅れる目に落ちた食欲。無理矢理食べ物を口に突っ込むと舌まで鈍く、布団に入れば熱を持った身体が汗をかきすぎて気持ち悪い。久しぶりに1日で3回も着替えました。
精神面でも翌日、翌々日も続けて風邪がヒドイ場合に備えて無意味に段取りや補填をグルグルと考えてしまったりして気持ちも落ち着かず、考えても仕方ない事を諦め悪く考えてしまう始末。
そんな風邪を経て、あー責任を持たなきゃいけない仕事ヤダーと言っていたけれど、実はソレすらも恵まれていると感じました。
身体的・精神的な辛さから逃げられ、何気なく普通通りに生活できるのであれば喜んで責任ある仕事もする。そう思う程に。
ただ、症状が軽くなり実際に仕事に戻ってみると、やはり『はたらきたくないでござる』が顔を出すという不思議。
我ながら、とことんに不条理な生き物ですわ。
でも自分自身を、そんな不条理な生き物と認識し、その時の状態、状況次第でコロコロと考えが変わる程度の人間であると認識してみると、また気の付くことがありました。
『所詮こんなもん』という一種の諦めの気持ちは、それまであった自分という存在の上辺をベリベリと剥がして遠くに投げ捨ててくれたので、投げ捨てられた物を客観的に観察する事ができました。
そうして観察してみると、私は自分自身について、どうにも無意識に過大評価をしていたように感じます。
長年仕事をやってきたことで『自分のやれること』が増えており、そこに自信を持ち過ぎていた。20代で土地を購入したとかの経験もそうですが、無駄に自分の決断に自信があった。
もしできないことに直面しても『でも』自分はアレができる。とか『けど』アレはできる。とか。自然と『でも』『だけど』などでマイナスを隠して、わざわざ出来る事を持ち出し、そこに優位を感じることで自己のプライドを守っていたように思います。
つまり他者を信じて頼らなかっただけでなく無意識に勝手に勝ち負けを作って見下していた可能性も出てきてしまいました。
なかなかの『傲慢』です。
謙虚であろうと心がけていたけれど、よくよく考えてみれば、これもまた傲慢ゆえの考えなのかもしれません。
謙虚であろうと心がけるということは、心がけなければ傲慢になるかもしれないともいえる。本当に謙虚な人は、謙虚であろうなどと心がけるはずがないのでしょうから。
つまり『滲み出る謙虚さ』と『装われた謙虚さ』があるとすれば、後者を身につけてしまっていたのかもしれない。
過剰に自己を低くすることは危険だけれど、過剰に自己を高くすることも危険。『装われた謙虚さ』の芯は自己評価の高さ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
自己評価という点についても、高くせず、かといって低くもせず。どちらにも転ばず中庸を歩く必要がありますね。偏らずにバランスの取れた最適の状態にする。
難しいことですが少し頑張ってみようと思います。
またこの発見を通して『自己分析』というのも非常に大事そうだと感じました。
なにせ『責任のある仕事をしたくない』というのも自己分析からの発見でしたし、私にはまだまだ自己分析自体が足りていないのでしょう。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。
まずは、自分自身をしっかりと知ることから始めるべきなのかもしれません。
そして私の自己分析に合っているのは『書き出し』
エッセイで文字に書き出してみる事。
よーし、これからもどんどん恥を書き捨てるぞー!