第七話 マグナスの使徒
俺は立ち尽くしていた。
それは俺だけじゃない。
周囲を見れば一緒に戦っていた彼らも一様にエリュシカを見ている。
強い、強すぎる。
ドラゴンと戦っていた人数は数十人。
彼らは必死に戦っていた。
これまでこの世界で他の魔獣とも戦ってきたであろう彼ら自警団。
そんな彼らを全部足したのよりエリュシカ一人が強いのだ。
とんでもないが、それでも勝った。
絶対的な強者であるドラゴンを倒した。
たった一人で全滅しかけた俺達を救ってくれたのだ。
静寂が場を包む。
あれか? ここは俺が声を上げるべきか?
こほんと小さく咳ばらいをする。
よし、今こそ勝ち鬨を上げるのだ。
「よ……」
「きゃあああああああああああ!」
「…………え」
「マグナスの使徒よ!」
「邪教徒だ!」
「あの禍々しい気配、間違いない!」
「……は?」
魔法使いの悲鳴を皮切りにその叫びは、恐怖は伝播していく。
あっという間だった。
ドラゴンにも勇敢に立ち向かっていた盾を持った戦士が
恐怖に慄き、冷静に詠唱を続けていた魔法使いが悲鳴を上げる。
あのドラゴンに恐れず向かっていた誰もが怯えている。
「ちょっ、待ってくれよ……」
「殺される!」
「早く教会へ!」
「報告だ、教会へ報告するんだ! 皆警戒しながらここから逃げろ」
俺の声は小さくかき消されていく。
恐慌のうねりはどんどん大きくなり、人々は半狂乱となる。
一人佇む少女に対してである。
「おっさん!」
盾で俺を庇ってくれた戦士を見る。
しかし、彼もまたじりじりと距離を取っていく。
おいおい。
「どうしてこんな、なぁエリュシカも何か言い返……」
エリュシカの返り血に染まった手を掴む。
しかし、エリュシカは口を真一文字に閉じて俯いている。
掴んだ手は可哀そうな位に震えている。
待てよ、いや待てよ。
エリュシカは守ったんじゃないのか?
ドラゴンに襲われ、何人も死にそうだった。
間違いなく全滅間近だった。
そんな絶望的状況を救ったんだ。
それを称賛することはあってもそんな。
まるでドラゴン以上に危険なのが来たみたいな……。
そこでハッとする。
気づいた。
戦闘前、見ず知らずの俺を助けてくれた程。
お人好しなエリュシカがどうして今回動かなかったのか。
迷っているばかりで動かなかったのか。
強い視線がエリュシカを射抜く。
隣に立っている俺を歯牙にもかけない。
数十もの厳しい悪意が真っ向からエリュシカに向かっているのだ。
「どこかへ行け、マグナスの使徒め!」
飛んでくる石。
それは恐怖の対象に対しては愚行としか思えないがそれを大真面目に、
まるで子供のような攻撃を仕掛けてくる。
石は届かず、いや届かせなかったのか手前で落ちる。
当たっていない。
でも、その効果は絶大だ。
エリュシカの身体がびくりと跳ねた。
「酷すぎるだろ……
ふざけんなおま……っ!」
「…………っ!」
叫ぼうとした俺の腕を思いっきり引っ張る。
「エリュシカ?」
「…………」
エリュシカは無言で首を振る。
そして俺に預けていたフードを強引に取って街とは反対方向に歩いて行った。
俺は無言で歩くエリュシカの後ろをついて行った。
すっかり街が見えなくなったころ、切り株に腰を落とし
エリュシカは身体についた返り血を拭う。
思っていたより返り血はついていなかったが、
鎧や剣の持ち手についた血は固まってしまっていて川で流さないと落ちなそうだ。
俺はなんていえばいいか分からず、隣の木の根に腰を下ろす。
ぼんやりとさっきの事を思い出す。
良い奴らっぽかったのに。
いや、悪いのは……
「ごめん、こうなるのが分かってたんだろう?」
「…………」
「俺が力もないのに前に出なければ、エリュシカに助けてもらわなかったら」
エリュシカはふるふると首を振る。
「慣れてる」
「慣れてるって……
もしかして街に入る前にそのフードを被ったのも何か意味があるのか?」
エリュシカは何も言わないが、フードを被っているときは何も言われなかった。
だから恐らくそうなのだろう。
「マグナスの使徒って何なんだ?」
エリュシカは一気に顔を上げて俺を見る。
が、今まで無表情無感動だったくせに珍しく迷っている表情を浮かべている。
言うべきか言わないべきかという逡巡している顔だ。
「んーと、大丈夫だ。俺は何を聞かされても恐れない。
今までだって、さっきだってそうだっただろう」
安心させるように笑いながら右手でガッツポーズを決める。
エリュシカは一度俯いてから、ぽつりぽつりと話し始めた。
‐‐‐
エリュシカはもともと山のふもとにある小さな村の出身らしい。
静かな村で楽しく暮らしていたそうだ。
山の上には社があり。
村ではそこに神様が祀られていると信じられており、
村に危険が迫った時には神様が守ってくれると信じられていた。
そんな村が強い魔獣の群れに襲われたのは十年前。
エリュシカが七歳の時の事だ。
村の大人達が守るために戦ったが全然歯が立たなかった。
彼らが普段戦うのは小型の魔獣。
大型でも十数人で一体を倒す程度だ。
しかし、この時に来たのは中型が主だったがトロール、一角獣等多数の魔獣。
少なくとも大人達では勝てなかった。
エリュシカや子供達は大人の指示通り山の上の社へと走った。
途中、横から山を登ってくる魔獣に何人もの子供が殺された。
エリュシカも肩から血を流しながら、それでも社にたどり着いた。
一番手に社にたどり着いたエリュシカは願った。
『お願いします、神様。村を助けてください。お父さんやお母さん達を助けて
私に戦える力を、村を守れる力をください!』
エリュシカは願った、今なお戦っている両親や大人達を助けたいと。
村を守りたいと。
願った直後、社に光が宿った。
エリュシカの願いに呼応するように返事をしたのだ。
エリュシカの受けた傷はみるみるうちに癒え、内側から力が湧いてきた。
そして溢れんばかりの力を手に入れたエリュシカは壊滅寸前だった村に駆け付け。
暴れていた魔獣をたった一人で殲滅した。
七歳の少女が魔獣を一掃したのだ。
倒し終えてから自分の能力値を確認すると自分は恐ろしい力を手に入れていた。
エリュシカは喜んだ。
数値こそ一桁だがクラスはAクラス。
次こんなことがあっても自分は村の人たちを助けられる。
きっと村の人達にも感謝されると思った。
けど、生き残った彼らは感謝どころか恐怖した。
昨日まで普通に話していたはずなのにエリュシカを見ると悲鳴をあげて逃げる。
生き残ったエリュシカの親族ですらエリュシカを嫌悪し追放しようとした。
能力値をよく見ると最後の欄にマグナスの呪い……というスキルがあった。
邪神マグナス。
千年前に大陸に現れ暴虐の限りを尽くした邪神達の一人。
山の上の社は人と魔王両者に嫌われた邪神マグナスの一部が封印されていたのだ。
邪神は身体の一部をそれぞれ大陸各地に分けて封印されているのだが、ここはその一つだった。
エリュシカは声を聞かれても、姿を見られても恐怖されてしまう。
エリュシカは力と引き換えに全ての人に恐怖される存在となってしまったのだ。
ちなみに一年前破魔のフードを手に入れるまでは街に入る事すら出来なかったらしい。
‐‐‐
話を聞いているとなかなか壮大な話である。
まず邪神や神様やらの伝説があるのは分かる。
だがそいつらが実際めちゃくちゃな力をもって実在していたってんだから凄い。
とはいえ、エリュシカは流石に強すぎると思っていたからその説明を聞いて納得した。
ふと考える。
十年前にエリュシカは七歳だった。
という事はエリュシカは現在十七歳。
そんな子と俺はディープなキスをしたのか。
年上の美人とディープなキッス。
うっは、たまらんな。
問題はゲロの味だったことだが。
それにおっぱいもなかなか大きいと思っていたがこれで発展途上という可能性も……。
……って違う違う違う。
ゲスな事を考えるな、落ち着け童貞。
俺は彼女を守ってやるんだろう。
今はそんなことを考える時ではない。
だが、言われてみると合点がいった所は多数ある。
例えばやけにこいつの喋りがへたくそな所だ。
無口……といえば簡単だが。
普通に話せばいいところも話さず身振り手振りに頼る所がある。
これも十年近く誰とも話してこなかったらそうなるだろう。
そういえば街でも店主を前に全く口開いてなかったよな
逆をいえばフードを手に入れるまでよく生きてられたな。
と言いたいが、戦闘能力自体は強いから問題ないのか。
ボッチの俺としてはマイナスも少ないしむしろ欲しいかも。
孤高の戦士、なんかアニメの主人公とか出来……。
っていや待て、出来ねえだろ。
確かに能力値が高いから魔獣に殺されないってのは良いが。
それって結局今回みたいに助けた相手に嫌われるんだろう?
助けた相手から石を投げられる。
ボランティアで募金したら舌打ちされるみたいな。
それのどこがむしろ欲しいスキルだ。
人助けするたびに罵倒されるって傷つくってレベルじゃねえぞ
俺なら人助けなんて二度としなくなる位にトラウマになるわ。
俺はエリュシカを見た。
エリュシカはあの時、プレデタードックに襲われていた俺を助けたよな。
けど、そう考えるとこいつマジかよ。
恐怖され、嫌悪されると分かってて助けたって事だよな。
目の前で死にかけてる人を放っておけなくて。
そう考えればエリュシカが最初助けた俺の様子を窺っていた理由も分かる。
きっとかつて助けた誰かのように嫌われると思ったんだ。
助けては恐怖され、嫌われて、それでも目の前で困っている人を放っておけなくて助けて
それでも感謝されることは無い。
彼女はそれを何度繰り返してきたんだろう。
何度期待して裏切られてきたんだろう。
俺なら何度目で人助けをやめるだろう。
心折れるだろう。
あの占い師は言った。
彼女は弱いと、助けてあげろと。
これで傷つかないわけがない。
七歳から十年、ずっと一人でやってきたんだ。
様子を見る、助けるのを迷う。
当たり前だ。
嫌われ慣れている?
そんなわけあるか。
彼女自身恐れているんだ。
嫌われることに恐れを抱いているんだ。
石を投げられるたびに何を思っていたんだろう。
ドラゴンにも立ち向かっていく彼女が、ちっぽけな石を投げられただけで体を震わせる。
びくびくしていた。
彼女は沢山の人を救ってきたのに。
じゃあ彼女自身は一体いつになったら救われるんだ。
彼女はいつまで……。
「エリュシカ!」
俺は反射的に両手でエリュシカの手を握った。
エリュシカはびくりと身体を震わせ、恐る恐る下げていた顔をあげた。
その瞳にあるのは怯え。
過去の話を聞いた俺が逃げるんじゃないか、恐怖するんじゃないか。
もしくは他の人達みたいに嫌悪するんじゃないかという泣きそうな目をしている。
手を取った。
が、何を言うべきか。
こういう時に洒落たことでも言えればいいのに俺じゃ出てこない。
俺は口が上手い方じゃない、女の子を喜ばせるような上手な事は言えない。
けど。
「ありがとう」
俺は人並みな事を言った。
これしか言えない。
俺は感謝の言葉位しか言えないのだ。
「えっと、その……いつも俺死にかけてごめん。そのたびに助けてくれて
ドラゴンの時とかも死ぬかと思った。だから、本当にありがとう……」
ごもりながら格好の付かないださい感謝の言葉を言う。
もっと慰めるような言葉の方が良かった?
「おお!?」
突然エリュシカが体ごと抱き着いてきた。
当然のことながら俺は支えきれずに背中から後ろに倒れる。
思いっきり頭を打った。
痛いと文句を言いたかった。
けど、胸の中でぐすぐすと泣いている声が聞こえるのだ。
嗚咽が聞こえるのだ。
きっと今まで堪えてきたのかもしれない。
言いたい言葉は霧散する。
俺はどうすればいいか分からず、とりあえず恐る恐る背中に手を回した。
良い匂いがする中、ジンジンする頭の痛みがちょっと邪魔くさかった。