第十四話 絶対順守の命令
朝。
一階の食堂に向かうと西条と千夏はすでに椅子に座っていた。
否、揉めていた。
「おはよう、早いな」
「おはようございます」
西条はいつも通りの笑みで挨拶を返してくる。
対し千夏は挨拶もそこそこに再び西条へ向き変える。
「ミツキさん聞いてくださいよ。
この人宿代と食事代50000ルーク払えっていうんですよ。何か言ってやってくださいよ」
昨日の段階でそうなるだろうと思っていた俺は落ち着きながら椅子に座る。
それにしても俺の時は42000ルークって言ってた気がしたが。
「何かって何をだよ」
「西条さん、ミツキさんという証言者が来ましたから改めて聞きますね。
何か証拠でもあるんですか? 私は一言もそんなの払うとは言ってないはずですよ」
ふふん……と千夏は胸を張った。
「そうですね、言ってはいないです」
「でしょう?」
「ただこちらに……」
西条は昨日の紙を見せる。
宿代を支払うという一文には丁寧に線が引かれており、契約書には千夏のサインがある。
まごうことなく千夏のサインである。
千夏はその紙を無言で見て、そして次の瞬間。
「ちょっと待ってくださいよおおおおおお! だって私知らなかったですし、ていうか私お金ないです。水晶玉も無いのにどうしたらいいんですかああ!」
泣き出した。
一心不乱に西条の身体を揺するが西条は朗らかな笑みを崩さず一枚の紙を差し出す。
「そろそろ諦めてサインします?」
「それだけは嫌です!」
紙を手で弾く。
咄嗟に掴んでそれを見た。
奴隷契約書。
富豪サイオンの奴隷になります。
給金一日20000ルーク
最低契約期間3ヵ月から。
アットホームな屋敷、あなたの将来を応援します。
備考、もし子供が場合は要相談。
アフターケアはお任せください。
「うわぁ……」
給金はあれだけどこれやばい奴だ。
何やらすつもりだよ。
ちらっとブラック臭のする一文もあるし。
アフターケアって辺りも大分怪しい。
いや、もうこれ地雷案件だろ。
「利息も含めて借金はあと89万るーくですね、この契約をするならば利息は増えないようにしますよ」
「嫌です、これだけは嫌なんです」
いよいよもって可哀そうだ。
西条はしがみつく千夏を無視して俺の方を見る。
「さて、ミツキさん。考えはまとまりましたか?」
「ああ、一晩寝たおかげで出来そうな案は思いついたよ」
「ほう……お考えを聞いても?」
「大司祭リンクスを買収する」
「ええ!」
西条にしがみついていたはずの千夏が涙を拭いながら俺を見る。
「ミツキさん聖職者を買収するって今聞こえた気がしたんですけど正気ですか?」
「正気だよ、正気で本気だ」
西条は眉一つ動かさず俺を見る。
「報奨金は500万ルークですからね。それ以上のお金があれば可能かもしれませんが……、一体いくら用意するつもりですか?」
「一千万ルークだ」
「一千万……」
千夏は目を丸くする。
「どうやって? 異端審問が始まったら交渉なんて無駄ですよ。そう考えると猶予は一日。
どうやってそんな大金を? 何かあてでも?」
あてか、そんなもん一つしかねえよ。
「西条」
「はい?」
「俺に一千万ルーク貸してくれ」
「分かりました」
「え、良いの?」
二つ返事で望んだ返事が返ってきてこっちが驚いた。
「必要なんでしょう? それで、対価に何を払うおつもりですか」
「何を対価にすれば貸してくれる?」
すっかり泣き止んだ千夏は突拍子もない会話を始めた俺達を交互に見ている。
「ああ、あと追加で千夏の件だが。俺が借金ごと権利を全て貰う」
「え! ミツキさん!?」
千夏が驚いた声を上げて俺に服を掴んでくる。
「待ってください、この借金は私の物ですよ? ミツキさんには関係ないでしょう?」
関係は無い。
だが、エリュシカならこんな状況を見たら助けただろうし。
何よりエリュシカ救出にこいつが必要っていう理由もあるんだが。
西条は楽しそうに笑った。
「そんな事をしてあなたに何の得が? いえ、それも必要なんでしょうけど。そうですね……」
西条は観察するように俺の身体を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見た。
「ここで私があなたの命が欲しいと言ったが支払ってくれるんですか?」
「ちょっと西条さん!」
「良いぞ」
「ミツキさん!?」
「ただし、支払いはエリュシカを助けてからだ」
「……確かに助ける前に支払ったら無駄金ですからね。
ですがあなたにとって本当に彼女はそれだけの価値があるんですか?」
西条の不思議そうな顔に俺はポーズを決めながら笑う。
「西条、男は惚れた女の為に命を捨てるもんだ」
「命は大事にするべきですよ」
「さっき命よこせって言ったやつの発言とは思えないな」
俺の言葉に西条は笑い出す。
「つくづくあなたの考えは理解が出来ないです。利益を追わない非効率的な行動ばかりしますね」
「理解なんて求めてねえよ。ほら、契約書でも持って来いよ、契約してやるから」
「……分かりました、少々お待ちください。部屋で作ってきますから食事を先にどうぞ」
それだけ言い、西条は部屋に戻っていった。
「ミツキさん……」
千夏はまるで俺を神様でも見るような目で見て来るが放っておいた。
完全に誤解だというのに。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
朝食を食べ終えた頃に西条はやってきた。
「ではこちらにサインをお願いします」
書面には契約書というだけあって長々と説明文が書かれている。
そんな中、俺は二つの文を確認する。
『借金含め千夏の権利を全てミツキに譲渡する』
『商人西条榊からの借金は死ぬまでに必ず支払いを終わらせなければならない』
「逃がす気ゼロだな」
「保険ですよ」
「万が一にも俺が踏み倒さない為のか?」
俺の質問に西条は微笑むだけで何も言わない。
「まあ、命なんて貰ったところで金にならないもんな」
「止めますか?」
「いや」
そわそわしする千夏が見る中、俺は迷うことなく契約書にサインした。
「これで契約成立だな」
「はい」
瞬間。髪が淡い光を放った。
更にその光は俺の胸へと向かっていく。
ズキリという痛みが走った。
服をずらし見ると俺の左胸に契約書の上部に書かれている。
何かの紋章のようなものが浮かび上がっている。
「なんだよこれ」
「契約の証です。実はこれもマジックアイテムの一つなんですよ。
絶対順守の契約です。契約から逃げられるとは思わないでください」
「この野郎」
こいつ念には念を入れてやがった。
「勘違いしないでください。これでも私はあなたのことを気に入ってるんですよ」
「はいはい」
西条はいつも通りの朗らかな笑みを浮かべた。
次に千夏を見る。
「はい、これで千夏さんの借金などはミツキさんに渡りました。
端数を含めると約一千百万ルークって所でしょうか」
「ミツキさん、ありがとうございます。危うく知らない富豪に売られてしまう所でした。
これで私も自由です!」
千夏は溢れんばかりの笑みで俺に感謝をしてくる。
西条は不思議そうに首を傾げた。
「千夏さんは何を言ってるんですか?」
「はい?」
「私は千夏さんの権利を借金事全てミツキさんに譲渡したんですよ?」
「え? それが……ええ?」
「ミツキさんに権利を譲渡したって事は、あなたは自由ではなく現在ミツキさんの物です。
自由なんて無いと思いますけど……言っている意味は分かりますか?」
「…………」
千夏はしばらく沈黙して顔を真っ青にする。そして叫んだ。
「ええええええ! じゃ、じゃあもし私がミツキさんに脱げと言われたら脱がなきゃいけないですし、性奴隷になれと言われたら言われるがまま朝から夜までめちゃくちゃに貪られるって事ですか!?」
「お前はなんて事を叫ぶんだ」
周囲を見ると凄い注目を受けている。
どんな奴だと思われてるんだろう。
ていうかそうか。言われてから気づいたけどそういう事も出来るのか。
千夏を見る。
千夏は確かに頭は弱いが可愛いし占い師でフードを付けていたから知らなかったが、胸もそれなりにある。
なるほど、魅力的かもしれない。
しかし、俺にはエリュシカがいるんだ。悪いな。
「そういうのもあるかもしれませんねえ」
「西条さん!」
「でもすいません、もう契約してしまったので、私にはもう何も出来ません」
「そんなぁ……」
千夏は絶望の表情を浮かべる。
なんだかんだ言って俺が千夏に会ってから数日も経ってない。
知らない富豪ではないが名前くらいしかまだ知らない奴の所有物になってしまった、となればそりゃそうなるよな。
とはいえ……。
俺は千夏の肩を叩く。
「ま、そういう事だ。それじゃあ早速だけどお願いがあるんだけど良いかな?」
「え、嫌です」
即答である。拒否されちゃったよ。
「西条?」
「大丈夫です、この契約書の契約は絶対ですから。しっかり命令すればたとえ本人が嫌と言っても身体が勝手に動きます。ちゃんと最初に言葉を入れてください。絶対順守の命令をする……と」
言葉が必要なのか、ちらっと隣を見ると千夏は真っ赤な顔になったと思ったら真っ青になってと、面白い事になっている。
契約書ってしっかり読まないと怖いね。
……とそうだ、忘れないうちに。
「なあ西条」
「はい?」
「百万ルーク借金追加して良いから俺に商人のまねごとを教えてくれ」
「構いませんけど、あなたは借金を何だと思ってるんですか……」
「まあまあ、よし。それじゃあ準備もこの辺で」
俺は千夏に目を向けた。
「お待たせ、それじゃこれより絶対順守の命令をする」




