幸せな日常2
夢から覚めた僕は体を起こして、大きく延びをした。
時計を見ると午前六時半を回ったところである。
いつも見る夢の事を僕は別に気にとめはしない。
「ん?」
思わず声を漏らした僕は布団に何か引っかかる物があった。
布団をめくると僕に寄り添って眠っている八歳の幼い女の子の瞳ちゃんだ。
「またか」
とため息と共に出た言葉だった。
そんな瞳ちゃんを見ていると、僕は幼い頃の自分を思い出したりした。
そう言えば僕も一人の夜が怖くて真奈美さんの寝床に潜りこんで眠っていたっけ。
それで僕はオネショして・・・ってこれは思い出すだけでも身が悶える程の記憶だ。即座に抹消したい。
この事は僕と真奈美さんだけの秘密にしたことだった。
とにかく僕は真奈美さんが忘れていることを願う。
まあ、そんな事より僕に寄り添って気持ちよさそうに眠っている瞳ちゃんはかわいい。
瞳ちゃんは僕の妹の一人だと思っている。
その中で瞳ちゃんは積極的に僕になついてくる。
そう言えば瞳ちゃんの事情を涙さんに聞いたが、瞳ちゃんの父親がドメスティックバイオレンスで母親を殺害して、父親は刑務所に行くことを余儀なくされてしまったのだ。
それで瞳ちゃんは居場所をなくした。
最悪な事に瞳ちゃんはその状況を一部始終見ていたと聞いている。
瞳ちゃんの前では両親の事を聞くのはタブーだ。
まあそれはともかく瞳ちゃんが起きるにはまだ早い時間だ。
風邪をひかないように僕は瞳ちゃんの体に布団を被せてあげた。
散歩でもしようとするのだが、あいにくの雪だ。
でも僕は外に出たかったので、セーターの上にダウンジャケットを羽織ってニット帽をかぶって外にでた。
すさまじく寒いが、この寒さなら、少し体を慣らせば暖かくなるだろうと長靴を履いて外に出た。
地面には雪が積もっている。
一歩踏み出し、僕は地面を歩く。
少し歩いて寒さを忘れていた。
そんな時何者かが僕に向かって雪を投げつけてきた。
振り向くといたずらな笑みを浮かべている麻美だった。
「おはよう。レイちゃん」
「お前何なんだよ」
そう言って僕は地面から雪をかき集めて丸めて麻美に投げつけた。
だが、麻美はよけて「当たらないよ」なんて無邪気に笑う麻美。
しばし麻美と僕の雪合戦が十五分ほど続いた。
僕と麻美は体力を使い果たして、大の字になって地面に倒れ伏していた。
「何か気持ち・・・良いんだけど」
疲れはてて、訥々とした口調で喋る麻美。
「だな」
散歩に行くはずだった僕はとんだ麻美のいたずらに足止めを食らってしまった。
でも麻美の言うとおり、何か気持ちよく、良い運動にもなった。
そんな時、二階の窓から顔を出して僕達を呼びかけたのが、四つ葉の里の長である涙さんだった。
「あなた達何をやっているんですか?」
穏やかな笑顔をして僕達に言う涙さん。
僕と麻美は体を起こして、見つめ会ってお互いに笑顔がこぼれ落ちた。
「そんなところで寝転がっていると風邪をひきますよ」
夜は色々と一人になって苛む事があるが、僕は幸せだと思う。
僕は一人じゃないからだ。
施設に戻ると、食堂から甘い良い匂いがしてきた。
メニューは孝さんが作ってくれたパンケーキだった。
「おう。麻美にレイジ、おはよう」
「「おはようございます」」
僕と麻美が口をそろえて言う。
「ぼんやり見ていないで食堂まで運べ」
僕と麻美は孝さんに言われたとおり、孝さんが作ってくれたパンケーキを食堂まで運んだ。
ここの施設で役割が決められている。
年上である孝さんと真奈美さんが僕たちのリーダーでその次に僕と麻美がサブリーダーだ。
そうやってみんなで助け合って生きている。
学校に行く時間になり、みんな同じ学校だから、一番最年長の僕と麻美がみんなを引率する。
雪の中危険なので僕がみんなの先頭を歩く。
ちなみに麻美は後ろからみんなを引率する。
そんな時、先ほど僕の布団にこっそりと忍び込んで来た瞳ちゃんが僕の背中に飛びついてきた。
「レイジ兄ちゃん」
「ほら瞳ちゃん。列を乱さない」
やれやれと言った感じで僕は瞳ちゃんに注意する。
そんな時、瞳ちゃんと同じ年の竜君が麻美にしがみつく。
「麻美」
年下のくせに呼び捨てをする竜君。
「竜君、抱きつかないの。それと麻美の事、呼び捨てにしないの」
そうだ。うちの施設は年齢の格差には厳しい事を孝さんと真奈美さんが決めている。
年上には敬わなければいけないのが、うちの施設のルールだ。
「麻美は俺と結婚するんだからよ」
また始まった。竜君の麻美に対するプロポーズ。
みんな「ヒューヒュー」とか言って盛り上がっている。
「おう。祝え祝え」
もはや有頂天の竜君。
「麻美は人の布団でオネショするような人とは結婚できません」
それを聞いたみんなは。
「エー竜君オネショしたの?」「最悪」「エンガチョ」等々詰られている。
「麻美、それは俺と麻美だけの秘密にするって約束したじゃんかよ」
竜君は血相をかきながら麻美に訴えかける。
「麻美を怒らせた罰よ」
じと目で竜君を見下ろす麻美は正直怖かった。
どうやら竜君は瞳ちゃんが僕の布団にこっそり入ったかのように竜君は麻美のベットに潜り込んだのだ。
それで竜君は麻美のベットでオネショしたのだ。
僕も真奈美さんのベットに潜り込んでこっそり眠ってオネショしたことがあった。
もし僕がその事をばらされていたら死ぬほどのショックに悶えるだろう。
だから僕はばらされて麻美達に笑い物にされている竜君の気持ちが分かる。
それに竜君は泣きそうになっている。
竜君の事が不憫になった僕は、
「おい、その辺にしておけよ。竜君がかわいそうだろ」
「じゃあ竜君。これからは麻美の事、麻美お姉ちゃんと呼びなさい。もしまた約束を破るなら、また秘密にしている事をバラすからね」
麻美は竜君に対して、いくつか弱みを握っているようだ。
まあ、竜君は学校でも施設でも問題児だからなあ、好かれている麻美も手を焼いているのだろう。
それはともかく早く学校へ行こう。
「はい。早く行こう、遅刻するよ」
そんなこんなで雪の中急いで学校に向かった。
学校に到着して、僕達はそれぞれの学年に振り分けられている教室へと行った。
僕達の学校は廃校寸前で全生徒が四十人にも満たない。
でも僕達は楽しくやっているし、ニュースで見かけるような陰湿ないじめはない。
ちなみに僕のクラスの五年は僕と麻美しかいない。
教室に入った僕と麻美は机に座って先生を待った。
「聞いてよレイちゃん」
「どした?」
「さっきも言ったけど、竜君が麻美のベットに潜り込んで密かに眠っていたんだよ」
先ほども思ったことだが麻美は竜君の事で困っているみたいだ。
「別に良いんじゃない。僕も今日ベットに瞳ちゃんが潜り込んでいたしな」
「そうなの?」
「ああ、何か瞳ちゃんの事憎めないや」
「まあ、瞳ちゃんは良い子だからね」
「だから麻美も大目に見てやれよ」
「何言っているのよ。女の子と男の子を一緒にしないでよ。麻美と結婚したいなんて冗談じゃないよ」
「結婚してやれよ」
すると麻美は筆箱を投げつけて僕の顔面に直撃した。
「何するんだよバカ野郎」
「女の子に向かってバカ野郎はないんじゃないの?」
「ハァ女の子?女の子?言っておくけど僕は麻美のことを女の子だなんて思ったこともないよ」
「言って良い事と悪い事があると思うよ。レイちゃんはもっとデリカシーを持った方が良いよ」
麻美が立ち上がり僕に襲いかかってきた。
「ちょっとお前」
突然の事に僕はびっくりして、その麻美の延びきった爪が僕の顔面に炸裂した瞬間だった。
「あんた達何をやっているの?」
斉藤先生の声が僕と麻美しかいない教室に響いた。
「痛いよ麻美」
「ふんっ」
とふんぞり返る麻美。
「授業が始まるんだから、夫婦喧嘩はやめなさい」
「「違います」」
否定する言葉が僕と麻美の声でハモった。
そして授業が始まる。
斉藤先生の授業は分かりやすくて面白い。
お昼になり給食が僕と麻美と斉藤先生に配られる。
ちなみに麻美はさっきから僕に対してご立腹のようだ。
まあ、麻美との喧嘩は今日が初めてじゃなく、今まで何回も怒らせて喧嘩になってしまった事はある。
仲直りするにはどちらかが折れて謝るのだが、今回は麻美が謝って来るまでは許さない。
そんなことを考えながら給食を食べていた。
麻美と目が合うと、ふんぞり返ってそっぽを向いてしまう。
何かムカつく。それに先ほど引っかかれた顔がヒリヒリする。
そこで斉藤先生がそんな僕たちをいじくそ悪そうな表情で言う。
「あんた達夫婦喧嘩はそれぐらいにしたら」
もう僕は呆れて物もいえなかったが麻美が黙っていなかった。
「夫婦な訳ないじゃないですか斉藤先生」
「えっ違うの?」
「何回言わせれば分かるんですか?」
そう斉藤先生は僕たちを初めて見た時『あなた達お似合いねえ』何て夫婦扱いするようになったのだ。冗談にも程がある。
授業が終わり、僕はそのままボランティアをしている老人ホームに向かった。
向かっている途中僕は思う。
先ほどの麻美との喧嘩だが、先に手を出してきたのは麻美だが確かに麻美の言うとおり麻美に対してデリカシーのなかった言動だったかもしれない。
僕は女じゃないから分からないが考えてみると女である麻美にあのような言動は傷つくんじゃないかと思った。
意固地になって僕は謝らないと思ったが、僕から謝るべきなんじゃないかと思った。
「後で麻美に謝っておくか」
人知れずそう呟き、僕は老人ホームに到着した。
僕が世話をしているせつこさんの部屋に入る。
「こんにちはせつこさん」
「あらレイちゃん。今日も元気だね」
せつこさんはどこか遠くを見ながらそう言った。何かいつもと様子が違っていた。
「せつこさんも元気そうで何よりですよ」
「あたしはもう長いことはないよ」
「そんな事ないですよ。これからも元気いっぱいにがんばりましょう」
「いつもすまないね」
「僕リンゴすりおろしてきます」
僕はそう言って、部屋を出て調理室に行ってリンゴをすりおろした。
せつこさんは『あたしはもう長いことはないよ』何て軽々しく言っていたが、そんなせつこさんが悲しかった。年寄りだから仕方ないと、老人ホームの人たちは言うがみんな一生懸命に生きているんだから、そんな言葉で片付けてほしくはなかった。
でも言われて見ればその事も否定はできない。
せつこさんの身の上を聞いたところ、家族を築き上げ幸せな人生を送ってきたみたいだが、この老人ホームでは家族に蔑ろにされてここに来た老人も少なくないみたいなのだ。
偉人は言っていたがたとえ人生で九十九パーセント不幸でも、残りの一パーセントが幸せなら幸せな人生を送ったことになると。
だから僕はその言葉にかけてみたい。
帰り道、雪が降っていたので僕は老人ホームのスタッフの人たちに傘を借りて外に出たら、麻美が仏頂面で僕の帰りを待っていたみたいだ。
「麻美どうして」
喧嘩中なのにどうしてか気になった。
「レイちゃん。傘持っていないと思って」
照れくさそうに僕に傘を差しだしてきたことで、麻美が何を考えているのか分かった。
喧嘩した事を謝ろうとしていた僕だが、なんだかんだ言って麻美も謝ろうとしていたのだ。だから僕は、
「麻美さっきはごめんな。お前の言う通りあれは言い過ぎたよ」
「麻美もひっかいたりしてごめん」
お互いに蟠りが解けて、僕たちはしんしんと降る雪を傘でしのぎながら歩いて帰った。
ちらりと麻美の方を見ると黙り込んでいる。
そう僕達の間に会話がなかったので僕はこんな時どんな言葉をかければ良いのか?言葉を選んでいた。
蟠りは解けたと言っても何か分からないけど黙ったままだと不気味な感じがした。
あれこれどんな言葉をかければ良いのか考え巡らしていると麻美がその口を開いた。
「レイちゃんは好きな人いるの?」
いきなり何て事を聞くのか驚いた。麻美を見るとなぜか顔を真っ赤に染めていた。
それはともかく麻美にそんなことを聞かれて僕は自然と頭に真奈美さんの姿が思い浮かんだ。
そうだ。僕は真奈美さんの事が好きだったんだ。それは今に始まった事じゃなく子供の時からだ。
でも真奈美さんが僕の大切な人になることは永遠になくなった。それに真奈美さんには孝さんとの間に新しい命を宿している。
そう考えると胸が握り潰されているかのような苦しさに苛んだ。
麻美の質問に別に問題はないと思って正直に話すことにした。
「いるよ真奈美さん」
「それは知っているよ。レイちゃんは昔から真奈美さんにべったりとくっついていたからね。あんな姿を見ていたら誰だってレイちゃんは真奈美さんの事が好きだって言うことが分かるよ」
「そうなの?」
隠していたつもりなのに知らぬのは自分だけだったことに正直驚いた。
「そうよ。それにもう真奈美さんは孝さんの間に新しい命を宿しているよ」
改めて麻美の口からその真実を突きつけられるとさらに胸が苦しくなって、言葉が出なかった。
四つ葉の里に戻ったらすぐに部屋にこもって一人になりたい気持ちだった。
だから僕はその場で大きな声で歌った。
悲しみを吹き飛ばすように精一杯大きな声で。
麻美はそんな僕にきょとんとした感じで見ていたが僕は麻美も歌うように促した。
そして麻美も僕とあわせるように歌った。
僕たちは歌いながら帰路を歩いた。
四つ葉の里が見えた頃だった。
涙先生の前で二人組の厳ついやくざのような人が怒鳴り散らしていた。
僕と麻美は歌う事を忘れてその様子をうかがっていた。
「棚街さん。もう待てませんぜ。いつになったら返済してくれるんですか?」
「もう少しお待ちください」
と涙先生は土下座をしている。
僕は怖くてどうすることもなく隣にいる麻美も同じ様子だった。
「開け払うしかないんじゃないんですかこの施設を」
そこで現れたのが孝さんだった。
「待ってください」
「あん?何だお前は?」
「支払いはこれで何とかなりませんか?」
差し出したのは通帳とハンコだった。
「八十万はあるじゃねえかよ。へっ最初から大人しく渡しておけばよかったんだよ」
「孝それはあんたの大学に行く費用じゃない」
涙先生。
「良いんですよ。大学なんて何歳になってもいけるんですから」
何事もなかったかのように振る舞う孝さん。
僕は傍観する以外何も出来なかった。
この四つ葉の里に危機が迫っている事は今日が始まった事じゃなかった。
事実を知っていた真奈美さんと孝さんに聞いたところ、一年前、涙先生の知人が借金を募らせて行方を暗まし、その保証人となってしまった涙先生が払う羽目になってしまったのだ。
どうしてそんな大事なことを話してくれなかったのかは言うまでもなく、僕に話してもどうすることも出来ないからだ。
施設に入り、僕を慕う子供達が挙って玄関に迎えてくれた。
僕は最悪な真実を知って笑えるような気持ちにはなれなかったが、それでも笑顔でみんなに対応した。
この施設が危ないことを知っているのは真奈美さんに孝さんに僕と麻美だけだ。
みんなに話しても難しい話だし、仮に理解したとしてもどうすることも出来ない。いやそれは僕が知っても同じ事だ。




