むかしはこんな状況でした
ロビン視点
幼少期~戦場まで
少しですが暴力の描写があります
苦手な方はご注意下さい
自分の血が紅いことを初めて知ったのは、いつだったろう。
ああ、わたしの血も赤いのかと、馬鹿みたいに思った記憶がある。
いつだかわからないけれど、きっと、片手では数えられない歳になってからだろう。
わたしは、自分の親を知らない。
気付いたときにはじいさまがそばにいて、お前はわしの養い子だと言った。
気付いたときにはその集団の中にいたけれど、自分がその集団の一員だとは思っていなかった。
ほかのどんな生き物より自分と似た存在が、その集団だったにもかかわらずだ。
それくらいわたしは、集団の中で異質なものとして扱われていた。
真綿でくるむように、傷ひとつ付けまいと育てられたのだ。
だから小さな頃、わたしは怪我ひとつしたことがなかった。
幼心にも自分が爪弾きされた状態であることは理解していて、誰かが血を流していても、それが自分の身体にも流れるものだとは思っていなかった。
わたしと周囲は別のもの。そう言う認識が、完全に出来上がっていたのだ。
成長し、同じ人間同士なのだと理解しても、どこか自分を部外者に置く気持ちは消えなかった。
仲間も、家族も、いない。友人も、恋人も、作らない。
わたしはわたしを外側に置いて、周囲の関係を眺めるのが、趣味になっていた。
生きものも、生きていないものも、すべて関わり合って存在している。その関係性を見るのは楽しかった。特に人間は、感情がわかりやすくておもしろい。
いがみ合うのもそれはそれでドラマがあるけれど、やはり仲良くしていた方が遠慮なく楽しめる。喧嘩は嫌いだ。愛ゆえの言い争いならば良いけれど、憎しみ合いはみぞおちあたりがぞわぞわして居心地が悪い。憎しみ愛ならいずれ愛に変わるように、応援しつつ眺める。
普通の友人たちや恋人たち、家族や同僚の関係も良いけれど、なにより心を惹いたのは、男性同士の恋愛だった。
わたしのいた集団、風見の民と呼ばれる集団の集落は、女性の数がとても少なかった。そのため女性はすごく大切にされるしモテるのだけれど、接触回数の多さからか、安易な方によろけたのか、男性にころりと転ぶ男性の数が、それなりに多かった。
と言っても純粋な同性愛者よりも、男性も女性も相手に出来るひとが多かったけれども。
そう言う男性同士の恋人たちは、男女の恋人同士にはない、背徳感を背負っていた。幸せの中にどこか闇を感じさせる、生きものの本能に反する番。
それでも愛さずにはいられないのならば、その愛はなんて強い思いだろうか。
自分には愛も恋もわからなかったから、そんな強い思いに惹かれた。
仲良くなった精霊たちとも話が合い、わたしはどんどん、ひとの、特に男性同士の恋愛模様を眺めることにのめり込んで行った。
初めて出来たお友だちが精霊で腐レンドだったと知ったら、じいさまはきっと頭を抱えるだろうな。
そんなある日、ふと、外に出た。
慎重に組み上げられた庇護の、外に。
精霊たちにいろいろと智恵を授けられていたわたしは、隙を突くまでもなく、簡単に庇護下を抜け出せた。
ただ、なんとなく、どこかへ。
まだまだ幼い子供と言って良い短い足で、歩いた距離はそう遠くない、と、言いたいところだが、それなりに遠くへと辿り着いた。
なにせわたしの不在が判明するまで、三日もかかったそうだから。そこから探し初めて、見つかったのは一日後。
飲まず食わず、不眠不休で四日も歩き続ければ、幼児の足でもけっこうな距離を稼げる。
初めて目にする世界は興味深く、朝も夜も、とにかく歩き続けた。
周囲に精霊たちがいたから特に危険な目にも遭わず、四日間の散歩をわたしは存分に楽しんだ。
そう、単なる散歩くらいの気持ちだったのだ、わたしは。
周囲にとってはそんなことなかったのだと気付くのは、のちの婚約者にして幼馴染みである、オゥル・グレイヴが、わたしを捜して来てからだった。
「居、たっ」
「わっ」
突然肩に手を掛けられて、驚く。
「こんな、とこで、なに、してん、すか」
ぜぇぜぇと息を荒らしながら呟くのは、自分より頭ひとつ背の高い少年。
彼は、そう、将来有望株として精霊たちと共に目を付けている、四つ年上の子で、名前は、たしか…、
「オゥル?」
「ん?あ、ああ。そう。オゥル。でも、訊い、てるの、は、おれの、名前、じゃ、なくて、あんた、が、なに、してん、のか」
わたしがなにをしているか?
「散歩…?」
なにをしているもなにも、なんとなく歩いていたら楽しくなってしまっただけだ。
「…は?」
オゥルがぽかんとして、言葉を失う。
「だから、散歩。ただ、歩いてただけ」
「ただ歩いたで四日も行方くらますんじゃねぇよ!じゃない、くらませないで下さいよ」
オゥルがなにに怒っているかわからなくて、首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって、みんな、心配して」
「でも、いなくても困らない、でしょう?」
風見の民の人間は子供から大人まで、みんななにかしら、仕事をしている。わたしを除いては。だからわたし以外の誰かがいなくなれば仕事が回らなくなるけれど、なんの役目もないわたしがいなくても、誰も困ったりしないはずだ。
そんなようなことを説明すると、オゥルは絶句して、まじまじとわたしを見つめた。
「自分のこと、要らねぇって、思ってんのか…るんですか?」
「だってわたし、なにもしてない。なにかしようとしても、しなくて良いって、言われるし」
「それはあんたが、いや、待て。あんた自分の立場、理解して、ます?」
わたしの、立場?
「…風見の民の、長の、むすめ」
じいさまは、そう言った。それがなんなのか、わたしはいまだ理解出来ていないけれど。
「そうだ…ですよ。だからあんたは、おれたちにとって大切で、だから守って…」
「タイセツ…?」
首を傾げて、呟く。
違うだろう。大切なものは、愛しいもの。ずっとそばに置くものだ。
「仲間じゃないし、放っておくのに?」
大切なひとは、好きだと言って抱き合ったり、可愛いと言って撫でたりする相手だ。
人間は誰もわたしを抱き締めたりしないし、撫でもしない。
そもそも名前すら呼ばれないし、ろくに話し掛けられもしないのだ。そんなものが大切なわけがない。ずっと見て来たのだから、それくらいわかっている。
「はぁあっ!?」
オゥルは、なに言ってんだこいつとでも言いたげに顔をしかめて、とんきょうな声を上げた。なにか変なことを、言っただろうか。
「仲間じゃねぇって、なんでそんな」
「仕事もなにもさせないし、遊びもしないし、話し掛けられも、名前を呼ばれもしないから。そう言うの、仲間外れって、言うんでしょう?」
「いや違、え…?いや、違わねぇけど、違くて…。え、あんたまさかずっと、自分は仲間外れだって思ってたのか?」
「違うの?」
集落の別の子どもが仲間外れにされていたとき、大人が、同じ風見の民の仲間なのだから仲間外れにしてはいけないと叱っていた。でも、わたしが同じ扱いを受けていても誰かが叱られることはなかったから、わたしは同じ風見の民の仲間ではないと思ったのだけど。
説明すればオゥルは頭を抱えてうずくまり、しばらくぶつぶつと独り言を言っていた。
ええっと、どうすれば良いんだろう。
「…オゥル?」
声を掛ける。肩に触れても、良いのだろうか。
みんなわたしが手を伸ばすと、困った顔をするのだけど。
恐る恐る伸ばした手を、突然顔を上げたオゥルが、ぱしっと掴む。
「ロビン・コック」
「うん」
名を呼ばれて、頷いて返す。じいさまから、名乗るように言われた名だ。
名乗るように言われた名だが、名乗ったことはなかったし、じいさま以外から呼ばれたのも初めてだった。
なんだか少し、不思議な気持ちがする。
「お前年下なんだから、敬語なんか使わなくても良いよな」
「え?ああ、うん。良いんじゃない?」
別に誰かに敬語で話して欲しいなんて、思っていない。
首を傾げつつ答えると、オゥルが立ち上がった。元来た、風見の民の集落の方向を向いて、わたしの手を引く。
「みんな心配してるし、とりあえず帰るぞ。話はそれからだ」
手を引かれるのも初めてで、ちょっとびっくりする。でも、帰らなきゃいけないと言うことは理解して、頷いた。
「うん。わかった」
そのまま精霊たちに教わった呪文を呟く。
「え?ちょ、ああっ?」
オゥルが目を丸くしていたが、制止の声が終わる前に集落へ着いていた。
「瞬間、移動…」
「うん。歩くと、時間掛かるし」
もともと、気が済むまで歩いたら、こうして帰って来るつもりだった。
お腹が空いたら、戻るつもりだったんだ。
どうせ集落のひとと関わるのは月に数度の食事のときだけ。食事のときに戻れば、それで大丈夫だと思っていた。
「…っ、ロビン」
じいさまが駆けて来る。
じいさまが走るところを見るのも、初めてだった。
白混じりの鈍色の髪。しわの刻まれた顔。獲物を狙う鷹のように鋭い目と、小柄だが引き締まった身体。
それが本当ならじいさまなんて呼ばれる外見じゃないと気付いたのは、外の世界に入り込んでからだった。
振り上げられた拳を、目で追う。それがどう言うことなのかすら知らないわたしは避けもせず、けれどその拳は割り込んだオゥルに当たった。
「わっ…あ、ありがとう、ヴェーリア」
巻き込み事故でオゥルもろとも転びかけたわたしを、そばにいた風の精霊が支えてくれる。
『んーんー。いーのよー』
ヴェーリアが微笑んでわたしの頭を撫でる。そうしてわたしを抱きながら、じいさまに目を向けた。
『子どもに暴力は、感心しないよ?』
「ロビンは、悪くねぇ…です。長」
頬を押さえて立ち上がったオゥルが、じいさまに反論する。
そこでようやく、じいさまに殴られるところだったのだと理解した。
誰かからの暴力。それもまた、初めての体験だった。
今思い返せば、それがどれほど異常なのかがわかる。
「このままじゃ、こいつは、まともな生活が出来なくなる…ます。ちゃんとこいつと話し合って、周りからの扱いも、変えねぇと、こいつは今、風見の民の仲間のこと、仲間だと思ってねぇ…です」
目を見開いてわたしを見下ろすじいさまに、オゥルが言い募る。
「こいつは自分のこと、仲間外れだって言った…です。大切にされてねぇ、必要にされてねぇ、いなくなっても、誰も困らねぇって。悪いのはこいつじゃなくて、こいつ、ロビンに、そんな誤解させたおれたちだ…です」
それだけ言うと、オゥルはわたしの手を引いて歩き出した。
「みんな、お前が大事なんだよ。だから、いなくなって必死に捜したし、心配した」
手を引きながら、噛んで含めるように言う。
「駆けずり回って、捜したんだ。だからみんなに、謝れ。心配掛けてごめんなさいって」
「え、でも」
「良いから、謝れ!」
オゥルが怒鳴って、わたしを広場の真ん中に押し出した。
いつのまに話が広まったのか、広場には集落の半数くらいの人間が集まり、わたしに注目していた。…見られるのは、居心地が悪い。
「ほら、復唱。『心配掛けて、ごめんなさい』はい」
「『心配掛けて、ごめんなさい』」
「よし」
満足げに頬笑むオゥルの頬は痛々しく腫れていた。無意識に手を伸ばして、撫でる。
発動した治癒魔法が、オゥルの頬の腫れを消し去った。
「お、あ、ありがとな」
「ううん。…ごめんね?」
わたしのせいで、彼は痛い思いをしたのだろう。
もう治った頬を、もういちど撫でる。
「ありがとう、だ」
「え?」
「なにかしてもらったら、ごめんじゃなくて、ありがとう」
「…ありがとう?」
「ん」
にっと笑ったあとで、オゥルが周囲を見回す。
「こいつは、ロビン・コックだ」
隣にいたわたしにはうるさいくらいの大声で、宣言する。
周りのひとびとは、困惑した様子だった。オゥルがゆっくりと、続ける。
「“長の娘”じゃなくて、ロビン・コック。ひとりの、風見の民だ。おれたちの、仲間だ。ちゃんと、そう扱ってやらなきゃいけなかったんだ」
オゥルがわたしの手を引いて、また歩き出す。
「ちゃんと、仕事覚えろ。薪割りに、水汲みに、掃除、洗濯、料理。どれも、やったことねぇだろ?」
「うん」
わたしを連れ歩くオゥルに、大人たちも子どもも、明らかに戸惑っていた。
そんななか、オゥルがひとりに声を掛ける。
「アロウ、分担ってどうなってたっけ?年下の指導出来るようなやつが付けるように、こいつぶち込めるか?」
「…本気?」
「こいつさ、自分のこと、要らねぇ人間だと思ってんだよ。なら、手っ取り早く要る人間にしてやるべきだろ?」
アロウ・スプ。八つ年上の少年が、わたしを見下ろす。彼も精霊たちから良いカップリングを作ってくれるんじゃないかと期待されている子だ。
オゥルがアロウを見上げて、きっぱりと言った。
「さっきの見ただろ?外の傷ならこいつは自分で治せる。なら、怪我なんか気にしてなにもさせねぇなんてのは、間違ってる」
「…そうだね。うん。ごめんね、ロビン」
アロウはかがんでわたしと目を合わせると、優しい手付きでわたしの頭を撫でた。
「…どうして謝るの?」
「仲間外れは、寂しかったんじゃない?」
…サミシイ?
「ううん」
首を振って、否定した。
「寂しいことは、なかったよ。ヴェーリアも、みんなもいたし」
『ずっと独りだったら、寂しいなんて思わないものね』
「ヴェーリア?」
『こっちの話よ。あなたは気にしなくて良いから』
ヴェーリアの言葉を、素直に受け入れる。
なぜかアロウとオゥルが、顔を歪めた。なにかふたりが気分を害するようなことを、言っただろうか。
「アロウ?オゥル?」
「いや。薪割りや水汲みは大変だけれど、出来るかな?」
「わからない。やったことない」
首を振ったわたしを、アロウが抱き締めた。
「ぼくと一緒に、いろいろやってみようか。大丈夫。すぐ出来るようになるよ」
「?、うん」
どうせ抱き締めるならオゥルを抱き締めて欲しいななんて思いながら、頷く。
「薪割りは俺が教える。道具の扱いなら、アロウより上手いし」
そんなアロウの肩を、ルーク・パーソン、七つ年上の少年が叩いた。そのままアロウを引き剥がして、わたしを見下ろす。
もしや嫉妬ですか。メシウマです。
「よろしくな、ロビン。俺は、」
「ルーク」
「お、知ってたか」
「名前は知ってる…見てたから」
『ロビンは記憶力良いよー?呪文もすぐ覚えるしー』
ヴェーリアがわたしにまとわりついて、えへん、と胸を張った。
『五行も光も闇も、呪文は一通り覚えて、最近は魔法式を覚え始めたもんねぇ』
「うん。でも、魔法式は難しい」
『まだ若いんだから、だんだん覚えてけば良いって!ここ数百年でみっけた中じゃ、一番優秀よ?いけるいける』
「そうかなぁ」
『そうだって。あたしが保証する!』
ぽんっとわたしの背中を叩き、にかっと笑ったヴェーリアに、笑みを返す。
「うん。ありがとうヴェーリア」
『良いの良いの。あたしらはあなたの笑顔が見られれば、それで満足なんだからさ』
頭を撫でられて、くすぐったい気持ちになる。
「えへへ」
『おー、可愛い可愛い。こりゃ、後でどやされるわぁ』
なにか呟いたヴェーリアが、不意にわたしから手を離して辺りを見回す。つられて見回せば、ぽかんとしたオゥルたちがこちらを見ていた。
『この子は人の子だし、大丈夫な内はそっちに任せとくけど、もしも扱いがあんまりなら、貰っちゃうからね?』
「…ヴェーリア?」
『なんでもないなんでもない。こっちの話よ。とにかくそう、そっちの長に伝えときなさい。じゃあ、あたしの可愛い天使さん、あたしはもう行くから。またね』
ひらりと手を振るヴェーリアに、手を振り返す。
「またね」
美しい風の精霊は、ふわりと空気に溶けて消えた。
見送っていると、その肩を叩かれる。
「ねぇ、いまの、風の高位精霊よね?」
にこっと微笑んで訊いてきたのは、五つ年上の女の子。ドーヴ・ラヴァだ。
人間の女の子に話し掛けられたのなんて初めてで、どきりとしつつも頷く。
「うん。そうだよ」
「すごーい。私ね、風魔法って苦手なんだぁ。ロビンちゃんは得意?」
「えっと、うん。使える魔法の中だと、一番得意」
一番親しい精霊がヴェーリアだから、自然と風魔法が得意になった。気ままな風の精霊は、とてもわたしを可愛がってくれている。
「やった。今ね、あんまり風魔法が得意な子、いなくって。ロビンちゃん、教えてくれる?代わりに私が、お料理教えるから」
「うん。ちゃんと教えられるかわかんないけど、それでも良いなら」
「良いよ!あのね、中位魔法を唱えられる子すらいないの!だから、唱えて見せてくれるだけでも、すっごく助かる」
「それなら、良いよ」
「やったぁ。ありがとうロビンちゃん」
ぴょんと跳ねて喜んだドーヴが、ぎゅっとわたしを抱き締める。精霊とは違う柔らかくて温かい感触に、どきどきする。ふわりと、焼きたてのパンの香りがした。
「う、うん。よろしくね」
「よろしくねぇ!」
きらきらしたドーヴの笑顔に、笑顔で返す。
「…掃除ならボクが教えるよ。だから、ボクにも魔法教えて」
「リネット」
声を掛けて来たのは、リネット・リンク。一つ年上の男の子だ。
「五行は一通り出来るんでしょ?暇なときに、詠唱して見せてくれるだけで良いから」
「うん。それくらいなら出来るよ」
と言うか、それくらいしか出来ない。
最低限の生活の知識以外の知識は精霊が教えてくれるものしか持たないわたしからすれば、ドーヴとリネットの申し出はありがたいものだった。
見返り付きの親切なら、頼れる。
「なら、ぼくも教えて貰おうかな。良い、ロビン?」
「え、うん。でも、本当に呪文唱えるくらいしか…」
「大人ならともかく、子どもだと、その、“呪文を唱える”から出来ないんだよ。たくさん呪文を知ってるって、それだけですごいことだよ」
穏やかに微笑んだアロウが、わたしの頭を撫でる。
「薪割りがルークで、掃除がリネット、料理がドーヴなら、ぼくは水汲みかな。水汲みと一緒に、湯沸かしも教えてあげないとね。うん、しばらくはそれで回るように、上手く分担を変えるよ」
「おれは、」
「オゥルは、一番大事な役目だよ」
指を立てたアロウが、目を細めてオゥルを見下ろした。
「遊び方と、ひと付合い。教えてあげられるかな?」
その時点のわたしは、ひと付合いですらまともに出来なかった。そう言うことだ。
「ああ。任せとけ!精霊になんて、ぜってぇ奪わせねぇからな」
オゥルはにっと笑って、わたしの手を握った。
それからは見違えるように、ひとと関わるようになった。と言っても、もっぱら、ドーヴとオゥル、アロウ、ルーク、リネットとばかりだったけれど。
それでも、精霊とばかり関わっていたときに比べれば、革命的な変化だった。
関わるなかで、ドーヴが同年代にも父母世代にも大人気のアイドル的存在であることや、オゥルは言動がいちいちムカつくけど面倒見が良いこと、普段人当たりの良いアロウが怒ると誰より怖いこと、ルークは大雑把なようで案外几帳面なこと、リネットは憎まれ口をきくけれどそれは照れ隠しでツンデレ乙!なことなんかを知った。どれも、見ているだけでは知れなかったことだ。
変わったことと言えば、もうひとつ。
わたしが呪文を覚えていることがバレたからか、気遣い不要と判断したか、じいさまが直々にわたしを鍛えるようになった。
…水汲みとか薪割りとかの比じゃないくらい、じいさまのしごきがきつかった。あれば、もう、拷問の域だった。児童虐待だった。
そのお陰で拷問にも負けないロビンちゃんになったから、まあ、結果的には助かってるけどね。
ひととしての知恵を集落のひとびとから、サバイバル技能をじいさまから、魔法を精霊たちから教わりながら育ち、免許皆伝までもう一歩、と言うとき。
わたしに、国軍の養成学校への召集令状が届いた。
書類上の両親から、転送されたものだった。
わたしの戸籍上の保護者がじいさまでないことを、そのとき初めて知った。
風見の民は流浪の民だ。
特定の居住地を持たず、旅に生きる。
今のように大人数が十年以上も、ひとつところに定住している方が、珍しいことらしい。
流れて生きる風見の民は、表に別の顔を持つこともあり、
「…フローラ・ハルセーニア」
それがわたしに与えられた、表の顔だった。とある国の首都郊外に暮らす、ごくごく普通の夫婦の娘だ。兄が、ひとりいる。
「十二歳?」
「…心配せずとも、お前はぎりぎり十二歳で通る外見だ」
「そうなの?」
首を傾げつつも、召集令状に目を通す。
四年間の教育と、二年間の従軍を命じるものだった。
「…これ」
「行かなければ、まずいだろうな」
国の選択を間違ったか、と、じいさまが呟く。
「わたし、このひとたちの娘なの?」
「血の繋がりはない。本物のフローラ・ハルセーニアが死んだときに、死亡を隠匿してお前を割り込ませただけだ」
「よく受け入れたね、この夫婦」
「兄が、病弱でな」
…治療と引き換えに、戸籍を売ったのか。
風見の民の治癒魔法は最高レベルだ。おそらくその兄とやらは、よほどの難病なのだろう。
「わかった。応じれば良いんだよね」
それ以上はなにも訊かずに、召集令状を持って立ち上がった。
召集令状と共に、書類上の両親は手紙を添付してくれていた。
国の情勢や戦争相手、自分たちの外見や兄の状態、現状の周囲からの、フローラ・ハルセーニアに対する認識。フローラは、遠い親戚に預けられていることになっているらしい。
遠見の魔法を駆使して、さらに情報を集めた。
その国の、一般的な十二歳の振りが、出来るように。
「魔法はバレちゃ駄目だね。使えるのはせいぜい低位の治癒魔法くらいにしておいて…」
『体力もないことにしておいた方が良いかもね。兄が病弱で従軍免除されるくらいなんだから、まあ、怪しまれないでしょ』
「いや、体力は誤魔化すのが難しいし、ないのは筋力にしておこう。非力だけど持久力はある感じで…」
『最悪、どうにかなっちゃっても、この“家族”と風見の民には繋がらないようにしておくからね。そこは安心しとって!』
「うん。ありがとう」
精霊たち協力のもと、いろいろと準備を進めて行く。
国軍の養成学校入りは半年後、準備期間としてその三ヶ月前には来るようにと、ハルセーニア夫妻は書いていた。
「…六年間、か」
良い感じに育って来た同年代のカップルたちを、観察出来なくなるのが辛いな。
出発の数日前、集落の端で赤焼け空を見つめながら呟いたわたしの背に、声を掛けるひとがいた。
「ロビン」
振り向けば、見慣れた、けれどこれから六年間、見れなくなる顔。
「オゥル」
わたしに、ひととしての生き方を、教えてくれたひと。
にこっと微笑んで、首を傾げる。
「どうしたの?」
夕焼けが目に染みたのか、少し細めた目でオゥルがわたしを見つめる。その頬は、夕日に照らされて真っ赤だった。
少し間を置いたあとで、意を決したようにオゥルが口を開く。
「結婚しよう。ロビン」
「…え?」
思わぬ申し出に、ちょっと抱いていた感傷も吹き飛ばされた。
「は?え?な?」
「ああ、結婚っつっても、すぐじゃねぇよ。とりあえず、婚約だな。おれと、アロウと、ルークとリネット。この四人の妻になるって、約束してくれ。…長の許可は、もう貰ってある。だから、頼むよ」
「え、いや、ちょ、は?」
手回し早!じゃなくて、ええっ!?結婚!?なんでまたそんな突拍子もなく。
…相手が四人と言うことには、驚かない。風見の民の中では、むしろ少ないくらいだから。女が少ないのだ、風見の民には。
年が近い女の子は、五歳年上のドーヴと、八歳年下のサァムだけである。あとはみんな、十歳以上離れている。
そのため多夫一妻が普通で、多いひとだと十人を越える夫を持つ。…その夫全員とひとり以上子どもを授かるのだから、風見の民の女は重労働だ。
でもてっきり、わたしはその輪の外だと思っていた。だって、じいさまには奥さんがいないし。
っと、そんな現実逃避をしている場合じゃなくて。
「いきなり、なんでそんな、四人も、婚約?」
「…嫌か?」
こう見えて、オゥルをはじめとした幼馴染み四人は、風見の民の中で飛び抜けたイケメンとして人気なんだ。女からも、男からも。
そんな四人の婚約者とか、恐ろし過ぎ、である。
明らかに乗り気でないわたしに気付いて、オゥルはしょんぼりと肩を落とした。
いや、だって、そう言うヒロイン的な立場はドーヴにこそ相応しいって。
わたしの視線での訴えをどう受け取ったか、寂しげな顔をしたオゥルはうつむいて呟いた。
「そう、だよな。こんなこと、頼むのは…ロビンならわかってくれるなんて、虫が良過ぎる、よな」
んん?なんだか、話が、見えないぞ?
オゥルたちは、言わば恩人である。
困っていそうなのを話も聞かずに追い返すのは、さすがに寝覚めが悪い。
「なにか事情があるなら、聞くよ?どうかしたの?」
オゥルが、ぱっと顔を上げて、けれどすぐに下ろした。
「いや。冷静になってみたら、許される話じゃねぇな。あんまりにも、お前に失礼過ぎた」
…ふむ。
どうやらヒロイン展開じゃないぞ?これは、放って置けないだろう。
わたしの腐レーダーが、話を聞くべきと訴えている。
「大丈夫だよ。怒らないから、話すだけ話してみなよ」
「…でも」
「良いから」
少し強引に促せば、ためらいつつもオゥルは話し出した。
オゥル、アロウ、ルーク、リネットの四人が、それぞれ惹かれ合っていること。
ずっと一緒にいたいけれど、このままだと、ドーヴの夫とサァムの夫として、引き離されてしまうこと。
それを避けるために、四人まとめてロビンの婚約者になれば良いと考えたこと。
「…ドーヴやサァムと違って、ロビンなら理解してくれるんじゃねぇかって。でも、よく考えたらそんなの、非道過ぎるよな。ロビンだって、年頃のおん、」
「良いよ」
「え?」
「そう言うことなら、良いよ。婚約者でも妻でも、なってあげるよ!」
オゥルに皆まで言わせず、わたしは即決で受け入れていた。
だって、報われないホモップルが、助けを求めてるんだよ?ここで手を差し伸べなければ、腐女子の名が廃るってもんでしょう。
「え、でも、そんな…」
「オゥルたちは恩人だもん。それくらいなら安いものだよ。と言うか目の前でいちゃいちゃして貰える位置なんて、むしろ役得…、あ、いやいや、なんでもない。とにかく、そう言う話なら喜んで受けるから。逆に、オゥルたちはわたしで良いの?」
「おれもほかの三人も、ロビンなら理解してくれそうだからって」
答えたあとでオゥルがうつむいてなにやら呟いたが、上手く聞き取れなかった。
ホモの理解者に選ばれるなんて、腐女子冥利に尽きると言うものだ。ありがとう、腐女神さま。
あ、でも、
「掟だから、最低ひとりは子どもを授からないとだけど、それは平気?」
「あ、ああ。おれらは平気、だけど。本当に良いのか?ロビン」
「ん?わたしは平気だよ?そうと決まれば、ちゃんと五人で話し合って、じいさまに伝えないとね!」
「お、おう…」
六年間観察出来ないのは痛いが、その後特等席で四人の新婚生活を見られるなら、耐えられるだろう。軍や養成学校でだって、美味しい恋愛が落ちてないとは限らないんだし。
その後の話はスムーズに決まって、出立のときにはわたしとオゥルたちの婚約が結ばれていた。
「あんた、馬鹿じゃないの?」
なぜかリネットに呆れ顔されたんだけど、なんでだろう。
とにかく、じいさまとドーヴと四人の婚約者に見送られて、わたしは風見の民の集落を旅立ち、無事に軍の養成学校で四年間を過ごし、
「ちょっと、逝ってくる」
新兵卒としての戦場で、うっかり魔族さんたちを助けることになる。
ああ、こんなことしたら、リネットにまた呆れ顔されるんだろうな。
危ないことしてって、アロウは般若みたいに怒るだろうな。
ルークには笑われるし、オゥルにはどつかれるだろうな。
でも、美しい主従愛を、散らせたくないんだ。
同じように愛するひとがいる、きみたちならわかってくれるよね?
行く末が見られないのは残念だけれど。
背を向けて、振り返らずに行って。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
次話は別視点の過去です