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柳羽は中国人だ。正確にいえばハーフ。母親が日本人で、父親が中国人。半々と周りからは白い目で見られ、無視されることはしばしばあった。しかし、それがハンデになったといえば、そうでもない。
柳羽の家は中流階級で、幼少時代は金銭面だけのことを言えば比較的恵まれていた。 なによりも一人っ子であることと、一族を支配するのは祖母だが、彼女はアメリカにわたってひと財産をなしたほどの女傑。息子の妻が日本人であることにかなり御立腹していたが、なんだかんだといって孫は可愛がってくれた。むしろ、期待され、金を使い、数多の教育を施してくれた。
香港で生きていたことが、一番の影響だろう。 父と母は香港で出会い、結婚し、そこで暮らした。定期的に祖母がいるアメリカにも遊びにいったし、そこで暮らすようにと祖母は何度となく口にしていたが父ははねつけていた。母親と祖母の仲が険悪であったのも原因だが、それ以上に支配する存在から父自身が逃げたかったのだろう。
ある意味、それは幸いだった。
香港は興味の尽きない国だ。その存在も、歴史も。住む人間たち、すべてにおいて統一されておらず、混沌とした、不思議な場所。そこを柳羽は愛している。恋をしているといっても過言ではない。まるで女のようであり、荒々しい獣。愛国心といえばいいのか、だが、そんな狂気的なものではないとも思っている。ただ恋をしているという言い方が一番あっている。
二十歳で留学という名目で日本の専門学校に訪れた。そのころは留学生を受け入れる学校は少なく、留学生は柳羽をいれて二人しかいなかった。
日本に来たのは遊びではなく、勉学のためだった。そのころはまだ純粋さを持っていたのだ。自分の夢や能力への過信といった。しかし、留学する人間にありがちの落とし穴に柳羽もはまった。つまりは、夜の街を体験したのだ。
祖国ではファッションには自信があったが日本の歌舞伎町というところはまるで違った。自分がなんとも田舎臭く、垢抜けしてないように思えてならず、金と欲望の街の輝きに柳羽は進んで首まで浸かった。
たぶん、あれは祖母の血だろう。言葉一つ話せないくせに、アメリカに身一つで渡り、財を成し遂げた。自分もその血が流れている。遠くへと行き、成功したい。世界を見たいというあくなき貪欲さが。
その頃、まともな日本語は話せなかったが、それでも柳羽には若さと貪欲さがあった。
言葉を覚えるために購入した雑誌を嘗めるように読み、知識を吸収すると株に手をだした。天賦の才能だったのだろう、柳羽は、金を産む鳥となった。 金には困らないとなればあちこち手を伸ばし、事業を成功させていった。そのときは経験不足だった。派手に動けば、必ず目をつけられる。その当時は日本のヤクザたちも元気で、暴力的だった。目をつけられて狙われ、逃げ回るはめに陥った。なによりそのころは中国人とヤクザの戦争があちこちで勃発していたのだ。まったく関係のないと主張しても、中国人ということだけでなにかしら被害を受ける時代だった。
そのとき、助けてくれたのがアマテラスだ。
その恩は必ず返す。 それが持って生まれた種の考えであり誇りだ。
「中々の味だな」
アマテラスの満足な笑みに柳羽も満足した。
高級ホテルの最上階にあるレストランを貸切って、柳羽とアマテラスにツクヨミの三人は食事をしていた。
食事もよいが、窓から外を見れば宝石をひっくり返したようにネオンが満ちた、素晴らしい夜景だ。
「前にいっていた情報、流しておきましたよ」
仕事の顔で柳羽は言い返した。
「お前は、手がはやいな」
「仲介人は、新鮮さが売りですから」
わざと茶化したあと、柳羽はホテルのキーを差し出した。アマテラスは満足そうに笑ってそれを受け取った。
「どうぞ。部屋に男三人、女が三人まってます」
アマテラスはバイだ。男でも女でも抱く。そんな女だ。かくいう柳羽も一度、アマテラスに強姦されたことがある。過去にも未来にも、自分を抱く女は、彼女だけだろう。
一時は愛人でもあった柳羽は、アマテラスの好みをよく知っているので、時折こうして相手を提供している。
「私は先に失礼します」
それまで沈黙を守っていたツクヨミが立ち上がった。
「ツクヨミ、お前もこい」
アマテラスは、自分のする行為を愛情だと考えている。だからこそ、ツクヨミに性的な趣向も押し付けている節がある。
ツクヨミが十歳の誕生日に渡されたのは、男の子と女の子。その子たちを抱く事――柳羽が用意したものだ。
「いいえ。遠慮します母上」
「逆らうか」
アマテラスの顔に剣呑が帯びる。 しかし、ツクヨミは表情に笑みを貼りつけたまま首を横にふった。
「仕事です。そろそろサキが戻ってくる」
「あんな人形を抱いて満足するんじゃないよ」
その名にアマテラスの声にますます険が宿る。どうもサキのことを毛嫌いしている節があるのだ。それも致し方のないことだと柳羽は思うが、当のサキにしてみれば不運としかいいようがない。
「抱きませんよ。あんな女は」
ツクヨミはきっぱりと言い返した。
「ただ、母に女でも男でも世話されるほどに落ちぶれてはおりません」
「ふぅん」
アマテラスの顔に笑みが戻ったのは、ツクヨミの回答が気に入ったらしい。
「お前は明人の子だな」
「……あなたの子でもありますがね」
それだけ言い残してツクヨミは席を離れた。今度はアマテラスは止めなかった。むしろ、息子の成長を喜ぶ慈愛深い母親の顔をして見送った。
ツクヨミは店をでるとすぐにネクタイを外し、眼鏡もとる。
ホテルの前でタクシーを拾って、本社に戻って、迷わず地下のラボに足を運んだ。
地下は通常は前線で戦う者を支援する後方部の者たちが集っている。その中でもラボは特別なところで、一部の者しか入ることは赦されていない。
専用のロックに暗証番号をいれてドアをあけると、ラボのなかには銀の台、いくつかの専用器具が置かれている。はじめて此処に入った者が受ける印象は手術室という他人行儀で、出来れば近づきたくないと思わせる場所だろう。それははずれはていない。ここはある女の体を定期的にメンテナンスするのが主となっている場所なのだ。
その女はなにも纏わずに銀のテーブルの上に横になっていた。
「サキ」
黒く長い髪の、日本人離れした美しく、整えられた無駄のない肉体。その体は、この一ヵ月の過酷な任務で疲れ果てているだろう。ラボでの定期的な検査を請け負えて、今は眠っていた。
ツクヨミの声にサキは目を開けた。
「ツクヨミ」
「ご苦労だったね」
労いの言葉をかけてやるが、サキの表情はかわらない。
サキには感情というものがない。
人間にあるべき、心というものが欠けている。正確には封じられてしまっている。
ツクヨミの父である、明人がサキを拾った。
彼は、サキを愛人といえば、まだましな。奴隷として扱っていた。そのとき、決して裏切らぬようにと感情を殺す暗示をかけ、未だにサキを支配している。 それは残酷なことであったし、ある意味では救いだったのかもしれない――明人は人間を人間とは思わぬサディストであった。ある意味アマテラスよりもタチが悪い。――ツクヨミは父を知らないが、聞く話を集めると人間の屑だ。
ツクヨミはクズの父親とろくでなしの母親を持った。二人の唯一の美点をあげるとしたら、人を人と思わない、その冷酷さ、くらいかもしれない。その血が自分にも流れていることをツクヨミは心から嫌悪し、誇りにも思っている。
「取引があるそうです」
サキが言うのは、ここ長らく敵対している麻薬組織のことだ。
今まですべて失敗におわっていた内偵をサキは見事にやりとげた。
たった一人で、その肉体だけを使って。 それがどれだけ過酷なことなのかツクヨミは想像しようとしてやめた。そんなことをしても無駄であるし、なによりも、自分がするべきことは彼女の痛みを感じることではなく、その情報をどうやって活用するかということだ。
人を人とも思わない。おかげで上に立つにはずいぶんと役立つものだ。
「ここを押さえたら、やつらはだいぶ疲弊するはずです」
「そうか、ありがとう」
ツクヨミは満足げに頷き、サキの頭を撫でた。
「オロチにあった」
「オロチ、ですか」
サキは眼を瞬かせる。
「あいつがほしい」
「オロチを?」
「ああ、必ず飼いならしたい」
ツクヨミには野望がある。
それは、母の手から、このフウマという暗殺組織を奪うことだ。
母は、ツクヨミに全てくれる。
だが、それはただ恐怖の上に成り立つものでしかないことをツクヨミは理解している。
情けない話だが自分は、母が怖い。 誰よりも強く、なによりも賢く、美しい女が。
その呪縛から逃れるためにも。――父は結局、母から逃れられず、殺されてしまった。ツクヨミにとって母は父を殺した仇でもある。不思議な関係だと、今更ながらに思う。父はろくでなし、尊敬だってしていない。だが、母に殺されたと言われれば激しい憎悪を覚えるのだ。 肉親愛なんてものは一番縁遠いものだとおもっていたのにもかかわらず。それとも会わないぶんだけ思う気持ちは少なく済み、愛せるのかもしれない。
なによりも、ツクヨミはフウマという組織を愛している。この組織を自分のものにして、守りきってみせると物心ついたときには決めていた。それも流れる血かもしれない。自分のものだと意識しなくても知っている。流れる血は脈々と、刻みつけていく記憶と意思。
なによりも気になるのは、母はフウマを大きくしたが、それはなんだか破滅に向かっているように思える。
だからこそ、母から逃げて 戦うのだ。これは母の血かもしれない。邪魔なものは殺し、手に入れる。
自分は確かに父と母の子供なのだろう。フウマを愛し、守り、上へと立ちたい。
そのために着々とツクヨミは動いていた。 社でもだいぶ自分の部下といえる者たちもできてきた。
「だが、まだたりない。オロチ……あれを必ず、俺の手で飼いならしてみせる」
◆
どれだけ望まなくとも、時間は経つ。
――三者面談。
貴重な三日も割くこととなる、苦痛極まるイベントは、学校の授業を昼間できりあげられるので自由な時間を満喫できるが、その日、面談になる学生は、どこの高校を受けるかということを教師と親の前で決定しなくてはいけなくなる、逃げ場のない特大の精神的プレッシャーを与えられる。下手するとかなり最悪な結末が待ち、せっかく二日も自由になれる日があってもそれらが台無しになることだってある。
片桐の場合も最悪だった。
今までの先代のオロチであったら、ここまでいやがることもなかった。彼は淡々とするべきことだけをこなしてくれた。
だが、柳羽は違う。
彼は、熱心な父親だ。
書類上では、柳羽とは義理の親子ということになっている。先代のオロチが死んだあと、――戸籍上の父親だ。その父親の死亡後に、当時香港にいた遠い親戚である柳羽が引き取ったという筋書きだ。
「それで、うちの子は、どうでしようか」
スーツを着込み、ぴっしりとした姿は、まるでホストだ。無駄に整った顔立ちは、こういうとき他者を威圧するか、和ませるかのどっちかだ。そして、柳羽は間違いなく後者だ。
「ええ、タスクくんは、とっても優秀なので、今のままでたいした問題は」
予定の高校についてもすでに口にしている。そこはアマテラスに行けといわれていたので決めた――というかなり適当なものだが、教師としては学校の偏差値をあげてくれるところだったらしくほくほく顔である。
「先生」
柳羽が真剣な声で間を挟んだ。
「私は、うちの子は有能です。目指している高校だって大丈夫でしょう。しかしですね、知りたいのはこの子の生活態度です」
「生活、態度ですか」
教師の声が僅かに困惑の色を帯びる。まさか、ここで、そんなことを聞かれるとは思わなかったのだろう。
片桐だって思わなかった。なにをいいだすんだ。こいつは……とおもわず睨みつけてしまった。
「ええ。ですから、この子が、学校ではどうなのかが知りたいんです。いじめられてないか、また、悪いことをしてないか」
片桐は、横で聞いていて、内心はうんざりとしていた。
最低限の親子関係を築ければいいのに、彼は、どうも、それ以上を望んでいるようだ。今までもそういうことはちらちらと感じることはあったが、片桐は無視していた。とうとう本日、実力行使に出たようだ。
そんなこと教師が答えられるはずがない。
片桐は学校においては、優秀な成績を維持している。多少高校を選ぶのにいろいろともめはしたが、概ねいい子でとおしているのだ。
「遠慮なさらず。どうぞ、言ってください。うちの子はどうですか。実父が死に、私は仕事であまりいい父親ではないので。この子と一番長く一緒にいる学校の教師の方にぜひとも教えていたた゜きたいんです」
「は、はい。ええっと、大変にいい子で、問題もなく……」
柳羽は勢い込んで言うのに、もごもごと言い返す教師。片桐は心の底から、同情した。 そしてここにいなくてはいけない自分にうんざりとした。
「あんたのあれ、やめてくれないか?」
片桐は、うんざりとした面持ちで、廊下を歩いていた。
学校の白く、長い廊下を真っ直ぐに歩く。そのまま右に曲がれば、下駄箱だ。片桐はシューズを。柳羽は保護者用のスリッパを、廊下の前に出されている黄色のスリッパ箱に戻す。
「どうして? 面白かっただろう」
にこにこと笑う柳羽。こいつは教師が困り果てるのを楽しんでいたのか。
「めんどうだから」
頭をかきながらため息をつく。
「どうして、あんたみたいなのが、有能なんだ。裏世界では」
「そら、お前が子供だからな。まぁ実際子供だしな」
柳羽が笑いながらいうのに片桐は眉を顰めた。柳羽は片桐の態度を無視して靴を履き、校舎を出てグランドを端を歩き出すのに片桐も続いた。なんとなくこの男をほっておくのはむかついたからだ。
「どうせ、子供だよ。そんなこといちいちいいたいわけか?」
「そうやって、人の話を聞かない」
柳羽は笑いながら片桐を一瞥して肩を竦める。嫌味なほどに様になっている。
「片桐、俺は、お前が大事だ。そう、大切な息子なんだ。その関係を大切にしたい」
「つまりは息子がほしかったてことか」
はっと片桐は皮肉を口にすると、柳羽は首を傾げた。
「そんなこというな。パパ、泣いちゃう」
「誰が、パパだよ」
「そんな風にカリカリすると、手の内がわかるぞ」
「んだと」
片桐が怒りに口を開いて罵りの言葉を出そうとすると、柳羽が足をとめた。
「お前は、もう、俺の会話のなかにいる」
その言葉に一瞬意味がわからなかったがすぐに理解して片桐は顔を強張らせた。腹が立つことに、いつもいつも柳羽はうまく自分をまるめこんでしまう。
「いいか、片桐」柳羽がふりかえる。「笑っていろ」
「どういう意味だ」
「笑うんだ。そして道化でいろ」
柳羽が手を伸ばして片桐の肩をつかんだ。
怖気が、背筋を襲うのがわかった。
「最高の絶望と闇は、笑いながらやってくるのさ」
「あんたは」
喉を鳴らす。息が苦しい。圧迫されている。
「俺は、そのためにお前を引き取ったんだ。俺の持てる限りを教え込んでやる」
「……気のいい熱血な父親と、今のあんた、どっちが本心だ」
「絶望と闇は笑いながらやってくる。それはとっても人のいい笑顔だったり、美しい姿だったりとな。……だから、出来るかぎり道化でいるんだ」
「道化」
言葉を繰り返して、唇を舐めていた。味わうとこの言葉には苦味を覚える。
「最後に嗤うのは、道化だ」
目を細めて嗤う柳羽に、はじめて恐怖を感じた。そのとてもなく深い闇には片桐は懐かしさすら憶えた。 はじめて、この男を好きだと思った。
「いいか、片桐?」
「……わかったよ」
「いい子だ。さーて、パパと」
そのとき、片桐の携帯電話が鳴った。
片桐はすぐに出た。仕事の電話だということはわかっている。
「はい」
『片桐か、今日の六時に仕事がはいった。アジトを一つ潰す』
アマテラスだ。早急なのに、また大きな仕事だ。
「一度、そちらに戻って詳細を聞きます」
『本部には戻らなくていい。近くのアジトである<ロベ>にいけ。連絡はつけてある。そこで詳細と共にお前専用の武器がある』
片桐は目を細めた。
『六時には<ロベ>にクシナダもくる』
「二人なんですか」
『いや、サキが応援にくる。……一度、<ロベ>に顔を出したら六時までは自由だ。以上』
それだけいって電話が切れた。
「仕事か?」
柳羽が尋ねた。
「うん。<ロベ>にいけってさ」
「あそこのウェイトレスのねーちゃん、美人なんだよな。パパが一緒についてってやるよ」
柳羽の顔がにんまりと歪む。
<ロベ>とは、フウマが所有するアジトの一つで、表向きは小さな喫茶店だ。
「スケベ」
片桐は軽蔑した目で吐き捨てる。
「一旦顔を出すけど、六時までは自由だってさ」
「んなら、飯を食うか。そのあと、オペラに付き合え。一時の公演の予約はとってある。それで、仕事が終わったら、レストランにいこう。そこも予約してるが、遅くなってもいいだろう」
手回しの早さをみると、今日は片桐と親子ごっこを楽しむつもりだったようだ。
「いいよ。パパ」
片桐は笑ってみせた。




