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 案外と悲しいものだ。

 片桐祐は思うのだ。

自分の名前を呼ばれないというものは。

 片桐祐。タスクと呼ばれるが、本当の読みは、自分と名づけ親にしかわからない。

 名前と同じく、自分の仕事が他人に理解されることはないだろう。それはなんとも悲しいものだと思う。

 今年で十六歳。ちなみに早生まれなので周りより一つ先に歳をとれる。もう立派な大人で、一つ下の周りの彼らが子供に見えてしまう。

二月。凍る様な冷たい風が隙間から入ってくる教室で、もうすぐ受験を控えているのに、そんなことばかり考える。



 片桐祐は、放課後の教室で漫画を読んでいた。

 漫画は、幽霊の女の子と人間の男のラブストーリー。最近、売れ出したもので、素直に面白い。

 既に受験でほとんど授業がなく、学生たちは各自、狙っている高校の調べをしたり、勉強にという多忙を極める季節だが、片桐はのんびりしていた。 別に狙っている高校の内定をもらったわけではないが、そもそも勉強の必要性を感じないのだ。

 片桐は、恐ろしいほどに記憶力がいい。

 教科書などは、一度ざっと目を通せば全て憶えてしまう。だから、片桐は一度としてテストで赤点をとったことがない。常にトップクラス。教師は学校のためにも片桐に私立のいい学校にいってくれればと願っている。当の本人には、そんな意欲なんてものは欠片もないのにあれこれとうるさい。 今日も職員室に呼び出され、説教とお小言をくらって、うんざりして、片桐は放課後の教室がわりと人がいないことと静かなことを発見した。居残り勉強する学生たちのために放課後だけ特別にストーブをいれてあるのであたたかい――せっかくだからとここで漫画を読んでいた。

 受験も、学校も、どうでもいい。片桐にとって大切なのは、今、現在だ。

「おい、片桐」

「あん?」

 顔をあげると、クラスメイトの本田がいつの間にか立っていた。本当はずっと前から気が付いていたが無視していたのだ。まさか、話しかけてくるとは思わなかった。

 眼鏡に、黒い髪に学ラン。どこからどうみても真面目な学生スタイル。本田は、元々は私立の中学にいくはずが、受験当日に風邪をひいて、やむなく、この学校にきた秀才だ。

 そして秀才は、天才をほっておかない。いつも羨望と憎しみの眼差しで片桐を見つめてくる。

「お前、どこいくか決めた?」

「テキトー」

 そういうと、本田が顔をしかめるのがわかった。だが、一瞬だ。そんなものは。秀才は、中々に狸で、穏やかな顔をして話しかけてくる。人当たりがいいこともいい学校いくための条件だ。片桐はこの本田がいい私立の高校に行くために涙すら流すほどの努力――ボランティア、学校の成績、生活も真面目一本で通していることを知っている。それで楽しいのかと片桐は良く思うが、本人は不満なんて顔に一つだって出しはしない。

「頭いいくせに、お前さ、将来の目標とかないわけ?」

「あるよ」

 片桐は即答した。

「なに、それ。そのためにも勉強しなきゃ」

 お前は、俺の母親か。

 うんざりとして、片桐は本を閉じて鞄につめると立ち上がった。

「もうやってるよ。俺は」

 小さな声で、呟く。

 片桐は、殺し屋だ。


 はじめて人を殺したのは、十三歳。

 殺したのは、それまで自分を育ててくれた師であるオロチ。

 戦後から名を売り出した犯罪組織のフウマでも特別の地位を持つオロチ。

 その地位と名を受け継ぐのは、弟子の役目だ。

 ただし、方法は、師を殺すこと。

 片桐は、フウマ至上最年少でオロチの名を冠した。

 そもそも、片桐は師であるオロチに恩をさらさらと感じていなかった。

 何故ならば、この師こそが自分の母と父を殺し、その挙句に自分の目の前で死体を犯した男だったからだ。その男が、どうして、その子供を殺さないでいたのか、更には殺されるとわかっていて弟子などにしたのかはわからない。だが、とりあえず、片桐は、両親の復讐を成し遂げる事はできた。

 ただしそれで復讐は完成しても、片桐はまだそのとき十三歳の子供で、正義や悪なんてものはもうおとぎ話とわかってしまっていた。映画や小説ではないのだ。死ぬまで生きるしかない。選択するしかない。たとえ憎い相手が死んでも。


 欠伸を噛み締めて、学校の外に出ると、流石に寒かった。ぶるりと肩が震えた。

 どうにも、寒さというやつは、あまり好きになれない。

 ごそごそと鞄の中からマフラーを取り出す。

 受験中は、ほぼ授業がなく、自習になることをいいことに片桐の鞄の中は漫画とお菓子にマフラーに手袋しかはいっていない。

 不意に携帯電話が上着のポケットのなかで震えた。

 中学生でも、ほとんどの人間が持っている気軽な連絡機械。学校の規則では禁止だが、ばれなければとられたりはしない。教師は、なかなかにそうしたところ甘いらしい。むしろ保護者とのトラブルがいやなのだろう。たやすく携帯電話をとるような真似はしないし、見ないふりをする。

 懐から取り出して耳にあてる。

「仕事だ」

 耳に響く女の声はいつも 単刀直入だ。

「どんな仕事、アマテラス」

 片桐はマフラーを首にまきながら尋ねた。

 アマテラスは、片桐の上司であり、フウマの現在の主。そして、たぶん、この世で一番、愛している女性だ。

「ヤクザ事務所だ。出来るか」

「接近戦はいやだ。服が汚れる。銃を用意してほしい。……どこにあるの?」

 アマテラスのことだ。もう用意しているんだろう。

「お前がいつも通ってる公園のトイレの二番目にもうある」

「りょーかい」

 片桐は、返事をしながら携帯電話に耳を当てた。

 アマテラスの吐息が聞こえるかと思ったが、せっかちにも切れてしまった。

「さーて、仕事、仕事」


 片桐は、ビルの屋上にいた。

 指定された公園のトイレの二番目から受け取ったボストンバックをかついで、そのまま一番いい場所を探す。

 片桐は、さまざまな特技を持つが、その中でも重宝されているがロック・クライミングの能力だ。片桐は射殺においては、想像できないような、それでいて射殺にはもってこいのポイントを見つけ出し、確保することが出来る。 自分よりも十キロくらい重いものもでも背負って岩でも、壁でも、少しの窪みかがあれば昇ることができる。

 まぁ、ただ今日は、そこまでするような相手ではなかった。

 いわれたヤクザの事務所の近くにはビルがあった。――とはいえ、危険は出来るだけ避けるに越したことはない。

 ビルはビルでも、目的地から離れた距離はざっと三百メートルほどある屋上。

 片桐は目がバツグンにいい。一つぐらいビルを挟んだ敵を見逃すことはないし、自分の能力の限界を知りたい。ただ単純に自分はこんなにできるというただのアピール、見栄、好奇心。それら全部を満足するために仕事にいつもひとつひとつ自分で難題を与える。――出来る。

 ビルを挟み、そのビルの開いた窓から見る目標の事務所は、まるで自分が襲われることがないという自信に満ちている男たちがいる。周りに何人ものボディーガートがいるのだから、安心するのも当たり前だろう。

 まさか、こんな遠いところから、命を狙われていると誰が思うか。

 射撃用の望遠スコープから目標を見る。

 ビルの一つ挟んだ間の窓から目標を定める。いつでも撃てるように射的兵用の変形「座射」の態勢で通称、ドラグノフを構える。

 ドラグノフは、正確にはSVDスナイパーライフル。旧共産圏で最も多用されているスナイパーライフルだ。

 九郎は癖のないもの、とくに良く知られるものを好む。

 殺せ。――頭の中で片桐が命じた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 か細い震える声でライフルを握り締める「九朗」は呟く。 

 目標の頭を捕らえたのに、引き金を引く。

 ビル一つを通り越し、銃弾が目標の頭に花を咲かせる。

 真っ赤な花。

 慌てる部下たちを一人、一人、片桐は、射殺していった。

 そのたびに「九朗」の口からは、ごめんなさい、ごめんなさいと誰に言うわけでもない謝罪の言葉が漏れ出す。

 謝罪の言葉を聞いていると片桐は、うんざりとする。

 片桐の中で、射的を得意とするのは「九朗」だ。彼は、腕はいいのだが、いかんせん、殺し屋には向かない弱い人格だ。

 

 九朗は、射的の天才だ。元オリンピック選手候補。その腕前であれば、金メダルは確実とまでいわれたにもかかわらず、土壇場でヴィバルによって薬物を盛られ、失格となった。その復讐に九朗はヴィバルたちを次々に殺し、殺し屋となった。そんな男だ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 態勢を解いて、ドラグノフをか細く震えながら「九朗」は呟く。

 もう、いい。――うんざりとして片桐は「九朗」に交代を命じた。


 片桐には、自分を含めて十人の人格がいる。それぞれに得意とする分野があり、また不得意の分野がある。人種、性別、年齢はそれぞれに違う。まったくの別の人間。それが一つの体に十人。

 彼らは、片桐を主人格として生まれた。

 片桐は十年ほどの前の記憶が欠落している。正確には夢を見ているように憶えているが現実味がないものばかりだ。

 母親と父親が目の前で殺され、それから世界は闇だった。施設にはいり、地獄のような日々がはじまった。蹴られ、詰られ、女の子たちは男の相手をし、男は辛い重労働をして、子供たちのもらうべき金を、施設の権利者が私腹を肥やして――まったく絵に描いたような地獄。そこを襲ったのが、オロチ。再びまた目の前にあらわれた。

 オロチという男は、そのとき片桐を拾い、育てた。まるで他人事だ。実際、他人だった。

 片桐祐という存在は、眠らされていたのだから。

 肇が、そうしたのだ。

 片桐の中では、補助人格であり、命令塔。彼は、両親をなくし、孤児院という人身売買――片桐は、そこでの記憶をまったくといっていいほどなくなっているが、地獄以外のなにものでもないと肇は言っていた。 孤児院での生活によって、片桐には多くの人格が生まれた。それは、自分を守る者、または殺そうとする者、生まれる人格は生まれる度に凶暴性を増し、片桐自身を殺そうとした。その中でも肇―― 一番初めに生まれた彼は、片桐を深い眠りに導き、孤児院を出るまでの一切の記憶を封じこめたのだ。

 肇は、片桐にとっては保護者のようなものだった。また、痛みや理不尽を引き受ける担い手でもあった。

 最低の、狂った人生だと、今更だが思う。なにもかもむちゃくちゃで現実味がない。まるでアニメのヒーローだ。いや、こんなヒーローはいないか。

ただおかげでアマテラスに会った。

 アマテラスと出会い、片桐祐は覚醒した。

 自分の中にいる人格をどうすればいいのか。この能力をどうすればいいのか。

 自分は壊れているんだろう。だが、その壊れこそが、自分を活かしてくれる。 人を殺すことも出来る。生きることも出来る。

 だから片桐は迷わない。


「正義の制裁完了」 

 言って、なんだか恥かしい。

 悪いやつを殺したのだから、正義。

この世には、必要な悪もある。そして、不要なものもある。不要なものを殺すのが必要なことだ。だから、自分のしていることは正義だろう。弱いやつは倒されれば悪なのだ。

 片桐のなかで、正義と悪というものは、はっきりと区切られている。そのため迷いというものは、ない。

 ただ今の台詞は、あんまりにも陳腐だ。どこぞのヒーロー番組ではないのだし。 もっとかっこいい台詞を口にできないものか。

 片桐は、特撮のヒーロー番組が大好きだ。

 十六歳だが、六歳のときから眠り、今ようやく目覚めた片桐の人格は、ようやく十歳にさしかかろうかというところだ。

だからこういう仕事のとき、なんだか、自分が、特撮ヒーローみたいで、少し楽しい。 そんなこというと子供だと笑われるので誰にも言わないが。

 けれど、ヒーローたちは、いつも肉体が戦っている。こんな銃を使うのは、ちょっと卑怯だ。やっぱり自分はちょっと悪いヒーローだ。そんなヒーローは、正義なんて口にしないものだろう。

 やっぱり、最後までかっこよくいきたい。

「おなかすいた」

 ライフルをボストンバックにしまいつつ、片桐は呟く。

 回収してもらうためにボストンバックは、ビルの屋上においておく。

 ビルを出て、通りで見つけたマックに向かう。

 あそこのセットバーガーについてくる玩具が、確か特撮ヒーローカードだったはずだ。今日は仕事をしたのだし、買い食いくらいいいだろう。なんたってダークヒーローだ。悪いことをしないと。


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