12
片桐がまずしたのは自分のコネをフル活用することだ。
こんなときのために、片桐は義理の父である柳羽から多くのことを学んできたのだ。おちゃらけているが、さすが裏社会のフィクサー。彼の人脈は多岐にわたっている。それらの半分くらいならば片桐も使うことは出来る。そのなかで目をこれだとつけたのは、ヤクザの美龍会の――若頭の遠山。
ヤクザといえないほどに整った美貌にスーツに身を包めて、パソコンを駆使しているのはどこかの企業の社長のようだ。
実際、表ではやり手の企業会社で通している。成功者としてハウツー本も出しているほどだ。
何人くらいがこの男が関東を制覇しているヤクザだと知っているのだろうか。
その男ならば、麻薬組織のことも知っているはずだと思ったのは、ほとんどカンだが、壊滅寸前の組織が爆弾を所有しているということは、それを与えた者がいるはずだ。
フウマが潰れれば利益をちょうだいする組織は多い。そのなかでも一番は美龍会。敵対しているわけではないが、味方でもない。むしろ昔は武闘派でも名の知れたヤクザにとってフウマは決して良い隣人ではない。最近はフウマが成長しすぎて目の上のたんこぶになっていた。
組織全体が手を貸している、とは思わないが――美龍会はかなり大手だ。そうなればいろんな連中がはいってくる。腐っていくことは止められない。
片桐は一度自分の持ち金を全額、降ろせるだけ一気に降ろしたあとヤマトを連れて遠山が経営する賭博場に足を運んだ。
高級ビルの中に経営しているのは違法のものだ。
見た目は一般の会社を装っているがなかではヤクザに、それに精通した政治家やら裏社会の住人たちが一時の楽しみをむさぼるために群がっている。
そのなかで片桐とヤマトは目立っていた。若さとともにその身に纏う雰囲気が研ぎ澄まされていた。触れれば切れる、それくらいに鋭い刃物が二本、人の形をしているようなものだった。
片桐は迷いもなく奥のテーブルに来た。
そこではがたいのよい、強面の男たちが花札をくばり睨みあって真剣に勝負しているのに片桐は口笛を吹く。するとカードを配っていた男が顔をあげ、片桐を認めるとすぐに奥へといき、遠山を連れてきた。
仕事から戻ってばかりといいたげな地味だが身なりのよいスーツに身を包ませた遠山はやや驚いた顔をしたが、にやりと笑うと、手をふった。それが合図のように席にいた男たちが立ちあがり去っていく。広くあいてしまった席の一つに遠山は腰かけるのに、片桐は無言で席についた。
「どうした」
「情報がほしい」
片桐は簡潔に告げる。
カードが配られるのに片桐は無言で手を伸ばした。
「どんな」
「しらばくれるな」
「知らから聞いてるんだ」
「麻薬組織」
遠山は笑った。
ぶた。
出した金が回収される。
片桐は目を眇めた。
再びカードが配られる。
勝つ気のない茶番。これが遠山と向きあうために必要なら片桐はいくらだって金を出すつもりでいた。
「あんたのところだろう」
「俺は知らんよ」
「それでもあんたのところだろう」
片桐はカマをかけた。
遠山は笑っている。
「それで、何が知りたい?」
「今使っているアジトが知りたい」
遠山は黙ってカードを撫でる。まるで女を愛するときのように。
「知らないことは教えようがない」
「調べろよ。あんたのところだろう」
遠山の目が鋭くなった。――あたった。と、片桐は理解する。自分のカンは正しかった。遠山はあえて知らないふりをしていたのだ。
「まぁ、誰がしたかはわかるが」
片桐はカードに視線を向けた。
再び、ぶた。
金が回収される。
「次で勝ったら、っていうのはどうだ」
「もう賭けるもんがない」
片桐は両手をあげた。
「なにがほしい」
「情報」
「ねぇよ」
片桐は笑う。
「儲けさせてやっただろう」
「足りない」
遠山は欲深い声で告げる。
「まだ足りない」
「家も、女も、金もない」
「じゃあ、お前だ」
片桐は唸った。
「ホモめ」
「バイセクショナルは楽しいぜ」
からからと笑う遠山に殺意が湧いた。こんな会話をしている暇はないのだ。それを遠山はわかっているのか、わざとじらす。ミスを誘うように。
「どうする」
「俺は」
片桐は奥歯を噛みしめると、すっと横から手が伸びた。
「俺の腕っていうのはどうだ」
「ヤマト」
片桐は息を飲み、ヤマトを見上げた。
遠山はちらりとヤマトを吟味するように見つめたあと、あと笑った。
「誰だ」
「片桐の同僚」
ヤマトはにやりと余裕たっぷりに笑い返す。
「俺の腕はどうだ」
「金にならん」
取りつく暇もなく言い返す遠山に片桐は一瞬、ほっと息を吐いた。その隙を遠山は見逃さなかった。
「いいぞ、腕を切り取って渡してくれるか」
「おい!」片桐がたまらず叫ぶ。「金にならないだろう」
「楽しみにはなる」
片桐は舌打ち。遠山はにやにやと笑う。ヤマトの仕事を知ったうえで、その片腕を叩き落とすということに面白みを見出したようだ。
片桐はちらりとヤマトを見る。
「こんな賭け、何にもならない」
「楽しそうだ」
遠山ははやくも乗り気に言い返す。
「片桐、やれよ」
ちょい待ってろと遠山を制したあと、ヤマトを伴ってその場を離れると部屋の隅に行き、顔をのぞいて睨みつける。
「お前はバカか」
遠山の目がなければ一発くらい殴っていたところだ。だがヤマトは余裕たっぷりに、どうして片桐が怒るのかがわからない顔をする。
「なんでだよ」
「片腕がなくなったら、もう殺し屋はできないんだぞ」
ヤマトは銃関係はからっきしだがそれを補うほどに接近戦、とくに格闘技は精通している。
もし、片腕をなくしたら殺し屋としてヤマトは死ぬことになる。
遠山はそこまで片桐の顔色から読み取ったのかは不明であるが、片腕がなくなれば今後は働けない。美龍会はフウマの幹部の一人を合意的に潰せれば万々歳。同時に片桐に精神的なダメージを与えようと舌なめずりしているに決まっている。
「お前は勝つだろう」
「ヤマト、今の見ただろう、俺ははったりしかない、負ける可能性はある」
相手として遠山は最悪だ。
たいていのゲームにおいて片桐は負ける気はしないが、それでも相手による。気だって焦っているのだ。
先ほどのゲームだって、気が付いたら負けてしまった。
「片桐」
ヤマトの両手が肩を掴み、真っ直ぐに見つめられてくるのに、片桐は息を飲む。
「大丈夫だ」
ヤマトの笑顔に片桐は目を丸め、泣き声を口から漏らしていた。
「ヤマト」
「俺はお前に命を賭ける。クシナダのことも、だ」
「俺が負けたらとうする」
「信じてる」
その一言だけで、この男はすべてを投げ出そうとしている。その信頼の重みに片桐は呼吸も、瞬きも忘れてしまっていた。
だが、ふっと心が軽くなった。
大丈夫だ。
信じてる。
この二つの言葉が片桐を突き動かす。脳裏にクシナダの笑顔と、ヤマトの笑顔が描かれ、消える。
なくしたくないもの。失いたくないもの。
それを一人で背負うことはないのだ。目の前に一緒に背負ってくれる者がいる。
「わかった。お前の命を預かる」
「おう」
「どういう結果になっても恨むなよ」
「ああ」
ヤマトはにやりと笑うのに片桐も微笑み返すと、口の中で「肇」と名を噤む。そして懐から眼鏡を取り出すとかけた。
とたかに片桐の纏っていた今までの焦りの雰囲気が影を潜めた冷静さを宿した。
「あんたは、肇さん」
ヤマトは目を丸めた。
この三か月の付き合いで、ヤマトは片桐の特殊体質を知って何人かの片桐のなかにいる人格とは知り合いになっている。ほとんど出てくるのはひふみで、その次が九郎。
肇は挨拶に一度だけ会っただけだが、その知的な雰囲気にヤマトは敬意を払うようにしていた。
「片桐にはまだ早いので、私がやります。ヤマトさん、私のことも信頼しますか?」
「肇さんも片桐の一つであることは変わりない」
ヤマトの迷いのなさに肇は嬉しげに笑った鷹揚に頷いた。
「行きましょう」
肇はヤマトを背につれて先ほどのテーブルに戻る。
遠山は戻ってきた片桐を見て、おや、と片眉を持ち上げるが、何も言いはしなかった。
「勝負」
「よしきた」
カードが配られる。
肇は目を眇めて、カードを撫でる。
「仲間の腕をかけているのに、自信があるな」
「まぁな。あんたこそ自信があるな、余裕もあるようだし」
肇のはったりに遠山の顔が動く。
「なんのことだ」
「麻薬」
遠山は顔色がはっきりと険しくなった。
「あんたの組織がわざわざ協力するなんてそれしかないだろう。けど、あんたのところは、麻薬はご法度だ」
「……腐ったやつもいるのさ」
「そいつを知りたくないか」
「……」
肇は猫のように笑いながらカードを一枚捨てる。
「取引だ」
遠山は黙っている。その思案の表情はどうすることが得かと損得勘定しているようでもある。
「その前に勝負が先じゃないかな」
「そうだな」
二人はほぼ同時にカードを表に出した。
遠山のカードはぶた。
肇のカードは決して高くないが、役が揃っていた。勝った。
「ぎりぎりの勝負だな」
「悪いか」
肇は勝ち誇った顔をすると遠山は嘆息して首を横に振ったあと、目を眇めた。
「先のは、はったりじゃないだろう」
「俺は嘘とはったりと真実で戦う」
「二枚舌め」
遠山はおかしそうに罵った。
この男が器が大きいと感じるのは、たとえ裏切られたとしてもそれを笑って寛容することだ。それと同じくらい報復も笑って出来る。
「それで、うちの腐ったところ、教えてくれるのか?」
「一掃してやってもいい」
遠山は顔を険しくさせてすぐに手をひらひらと振った。
「いや、それはいい。それはうちの仕事だ」
「そうかい?」
笑って誘惑するが、遠山はのってこなかった。
少し待てというと、奥へと消えていってしまった。その背を見送って、ようやく肇は息を吐き出すと、後ろにいるヤマトを見た。そのとき眼鏡を外す。肇が自分の役目を終えて片桐にタッチする。
「勝ったのか」
「正確には勝たせてもらった、かんじだけどな」
室内は決して暑くもないのに、手で顔を扇ぎながら片桐は苦笑いする。
「肇さんは?」
すぐにヤマトは片桐と肇が交代したことを見抜いて小声でささやく。
「戻った。ヤクザ相手のはったりは、あんまり好きじゃないんだってさ」
「へー」
「昔、それやって、痛い目みたんだってさ」
片桐はくっくっと笑う。
肇は片桐なかの人格たちの命令塔で、人格のなかでは知能はずば抜けて高い知的な男だとして知られているが、その実はただの詐欺師だ。
三十四件の詐欺行為――どれもこれもヤクザや裏社会の者を相手にぎりぎりの窃盗を繰り返してきた。命と命のやりとりが大好き。スリリングであればあるほどに燃える。むろん、そういう勝負では決して負けない。強運でもあるが、カジノでのイカサマ、口先だけの交渉といった分野では恐ろしく長けている。
それでもヤクザ相手のはったりは肝が冷える。
とくに遠山のような男は敵に回すのは得策ではないことぐらい肇も、片桐もわかっている。
今回は目溢しされた――というほうが正しい。
「おい」
遠山が奥から出てくると、一枚の紙を差し出した。それを片桐は受け取りちらりと視線を向けた。
「調べたがついたのはそこだけだ」
「はずれてないだろうな」
「わからんね」
遠山は素直だ。こういうところで嘘はつかない。
「俺がもっている情報はこれだけだ。ただし、それが正しいかどうかなんざ知らんね。そうさ、お前たちがここまできてわざわざ探すものがあるかなんて、さぞや大切なんだろう」
片桐は下唇を噛みしめる。
カマだと思うが、心が動揺する。それにヤマトの全身から殺気が放たれるのがわかった。片桐は遠山を見つめたまま、鎖がつながれた猟犬を落ち着けるように手でヤマトの身体を軽くたたいた。彼の全身から溢れる手、ぴんっと張り詰めていた殺気がとたんに緩めた。
遠山にはそれだけでわかったらしい。にやにやと笑っている。この男に弱味を握られた。そう思っただけで背筋に冷たいものが走った。
「フウマはお前らの行動を知ってるのか?」
「なんだと?」
ごくりと喉がなる。
「わざわざ二人だけで乗り込んできて、こんなまどろっこしいことをする。アマテラスは不在で、いまはツクヨミが組織を指揮していたな」
遠山は指で顎を撫でる。わざともったいぶった言い方をしてじらし、焦られる作戦だ。
「確認してもいいかね」
「……好きにすればいい」
片桐は冷たく言い返すと立ち上がった。
「行くぞ、ヤマト」
ヤマトは一瞬迷った顔をしたが、すぐに片桐のあとをついて歩いていく。
賭博場のドアを出て、長い廊下を歩くとヤマトはたまらず口を開いた。
「おい、いいのか」
「黙ってろ。あいつに脅されるぞ」
片桐の苛立った脅しに、ヤマトは口を噤んだ。
黙ったまま二人はエレベーターを使い、一階に降りてビルを出ると乗ってきたバンにすぐに乗り込む。
遠山はツクヨミに今回の二人の行動について問いただしたりはしないだろう、そのほうが遠山にとってはなにかといいはずだ。
頭のなかでそう計算しているが、嫌な予感は拭い去ることはできない。その手のカンはいつもいやなほどにあたる。もう猶予はない。携帯電話は電源を切っているが、そろそろツクヨミが自分たちの命令違反に気が付いてもいいくらいだ。
焦るな、と心が言うがそのたびに心臓がどくん、どくんと大きく音を立てる。
弱い自分を叱咤するように片桐は拳で胸を叩く。
はっ、と息を一つ吐き出すとヤマトを見上げる。
「逃げるか、今なら間に合うぜ」
「ばか」
ヤマトが片桐の頭を軽く叩く。
「どこに行けばいい?」
「ヤマト」
「お前らとなら地獄も悪くない」
この男のこういう率直なところ、悪くない。嫌いでもない。
片桐は自然と自分の心に余裕が湧きあがるのを感じ取った。
「……俺はごめんだね。天国がいい」
「なんだとぉ」
車のエンジンがかかると片桐はある場所を口にする。それにヤマトの目が険しくなった。そこはここからさして遠くはないが、都内よりやや外れた、潰れたボーリング場がある。隠れるのにはもってこいの場所だ。そして、戦うにしても。
エンジンが獣のように吠え、走り出す。
獲物を狙って、ただひたすらに、疾走する。
都内からやや離れたボーリング場。
カラオケなどの施設も備えているそこは、山の近くにあり、いくら騒がしくしても平気だが、やや都内から遊びにいくには距離がありすぎて、一年くらいで経営が立ち行かなくなって閉鎖。いまは捨てられるようにして雨露によって錆びれている。
山間ということもあって、夜に訪れるとまるでゴーストタウンの一角かのようにホラーな雰囲気がある。
その前にいくつかの車、さらには耳を澄ませば人の声が聞こえてくる。
片桐とヤマトは、建物が見えてくると車を隠して、そこから歩いた。毎日、訓練で十キロ以上の距離をライフルに見立てた重石を持って走っているので疲れることはない。
武器としては、ヤマトは素手だが、片桐はバイカルMP412。そして、もう一つ、これは片桐自身があまり使わないようにと普段は部屋の箪笥のなかにしまっているもので、使わないようにしていたものだ。
命令無視のため武器が限られていたので、ないよりはマシと持ってきたが、実践では絶対に使いたくない。
ボーリング場の入口に二人は張り込み、耳を澄ませる。
複数の声が聞こえてきた。
確かにいる。
音だけでだいたい何人かを把握すると片桐もヤマトも身を低くして、入口から中へと移動する。今は使われていない広いボーリング場の床に男たちがいたのに片桐は戦いを開始した。迷いもなく引き金を引き、男たちを撃ち倒していく。その隙をついてヤマトが走る。
「ヤマト、クシナダを探せ」
「おう」
片桐は出来る限り、一人、一人と確実に仕留めていく。武器が限られているのであまり無駄はしたくない。
ヤマトが奥へと進むまでのつなぎになったのに片桐は弾が尽きると補充しようとすぐそばの棚に隠れる。
男たちが反撃として銃弾を放つ。補充する弾は一個。これでいけるか?
疑問が浮かんだとき、背後から気配に片桐は振り返る。ボーリングの玉を高く持ち上げた男が笑っている。
「!」
間一髪で、片桐は避ける。が、銃を落とした。最悪だ。
それに続いて残りの男たちが銃を放つのに実践では使いたくない、それを手にとる。
「くそったれ」
悪態を一つ。
それを引き抜き、ボーリングの玉を再びふりあげようとしてきた男を叩き切った。胴体が真っ二つにされて男が倒れる。
片桐の手には黒蛇王という刀が握られていた。
代々フウマのオロチに就く者が扱うことを許された名刀。そして、妖刀。
刀師である矢部龍之介が、一本目を作りあげてから、十代にわたって弟子も一本づつ作り上げた作り上げた十本刀。
十本それぞれに曰くつきの扱いが厄介な刀。
その中でも黒蛇王は持ち主のえり好みが激しく、気に入らないとあれば持ち主すら破滅へと導く。
血塗られた歴史にある刀がどういう経緯でオロチの所有物になったのかは不明だが、先先代から受け継がれている代物だ。
刃そのものが黒く、斑というとても珍しいものから黒蛇王――蛇のような刀からその名がついた。
先代のオロチは、黒蛇王の扱いがとてもうまかった。刀に愛され、また愛し返していた。
片桐はそんな扱いは出来ない。この刀を見るとひどい気持ちの悪さに襲われるのだ。刀の放つ魔性のせいか、血か、覇気か。――そんなもののせいかもしれない。だからあえて使わないようにと隠していたのだ。手入れだってろくにしなかったはずだが、たった一振り――最低限とはいえ刀の使い方は学んでいたが、それで人間を叩き切ることができるとは思わなかった。
「……行くぞ、黒蛇王」
久々の食事に歓喜するように、黒蛇王が輝き、鳴いた。
ヤマトは奥の廊下を走り、そこにいる一人だけいた見張りの男を蹴り殺し、さらに奥の部屋の前に立つ男にとびかかると、その目玉をつぶし、壁へと叩きつけた。そしてドアを開けた。
冷たい床に全裸の女が――クシナダがいる。その上に被さっている男が二人。
カッと怒りがヤマトの脳内を駆けた。
「この、ゲスがぁ!」
ヤマトは吠え、恐ろしいほどの速さで驚く二人の男にとびかかり、一人の顎を砕き、もう一人は喉を潰して殺した。
「クシナダ!」
ヤマトは急いでクシナダの身体を抱え上げる。その身体はいくつもの暴力と、男たちの欲望のはけ口にされてぼろぼろだ。
「クシナダ!」
ヤマトは悲鳴のような声をあげ、クシナダを抱きしめる。
ぴくりと、クシナダの身体が震え、瞼がうっすらと開く。ヤマトはほっと笑う。生きている。こんなひどい姿でも、生きていればいいとヤマトは奇跡に感謝さえした。
「……片桐」
クシナダの口から微かにこぼれる、祈りに似た声はヤマトの心を打ち砕いた。
血だ。血だ。血だ。
刀が求めるままに片桐は刀を振るった。接近すればあとは刀のものだった。優雅な食事するように一振りすれば、敵の手足を叩き落とすことが出来た。
――気持ちいい。
片桐は殺戮に酔った。
人を斬る、血を浴びるというのは気持ちいい。
刀とまるで同化したように、一人の人間を斬るたびに全身に電流を流したような痺れが走るのははじめての経験だった。
銃を撃つときとまるで違う。
銃のときは自分が殺した、という実感がない。ただ引き金の重さだけがあるだけ。引き換え刀は実際に感じることが出来る。相手の死を間近に見ることもできる。爽快だ。こんなにも楽しくて、たまらないことを今までやめていたとは。
殺したやつが落とした銃弾を拾い、片手で操る。
撃ち、斬る。
片桐は息を荒く、最後の一人の膝を打って歩けないようにすると、その状態の男の頭に刀を振り下ろして、始末した。
「くくくく」
笑いが漏れた。
気持ちがいい。
たまらなく、心地がいい。
刀を見ると、ようやく満足したといいたげに黒い輝きを散らす。
「俺のこと、ちょっとは認めるか?」
刀は答えないが、それでも片桐は満足して床に落としてあった鞘を拾いあげて刀をしまうと、そっとキスを落とした。
人の気配がしてそちらを向く。敵かと思ったが、違った――ヤマトだ。
「ヤマト。クシナダは?」
片桐は笑顔で駆け寄ると、ヤマトの両腕にクシナダが抱かれ、眠っていた。
その姿を見たとき、冬空の下で冷水をかけられたような痛みを片桐は覚えた。
あちこちに打撲と男の匂いが漂っている。なにをされたのは一目瞭然だ。
「命には別条はないがはやく医者に見せたほうがいい」
「うん」
片桐は今までの爽快感が吹き飛び、逆に心が萎えていくのがわかった。クシナダを助けにきたはずなのに自分は殺すことに酔いしれていたことが恥ずかしく思えてならない。
ヤマトが歩くのに片桐はあとをのろのろとついていく。
隠してあった車までくると、クシナダを後部座席に横たえた。人一人が寝てる十分に余裕のある作りだ。
「お前はクシナダを見てろ」
「うん」
ヤマトの言うことに片桐は素直に従った。
そっと寝ているクシナダの傍らに赴き、その手をとってやると、握り返してきた。
「クシナダ? 起きたの? それとも起こした?」
わざと明るく片桐は尋ねる。
「……片桐?」
「うん?」
「やっぱり、あなたがきてくれたのね」
クシナダの言葉に片桐は一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐに笑って頷き、両手でクシナダの手を握りしめた。
「もう大丈夫。なんの心配もないよ」
「ええ。あなたが、いるもの、ね」
クシナダは力なく微笑み、目を閉じた。
「この愚か者め」
本部に戻ると、片桐とヤマトはツクヨミから呼び出され、事態について報告することになった。すべてを聞き終えてツクヨミは冷たく吐き捨てた。
心から軽蔑した目で射抜かれるとさすがに肝が冷えた。いくら若くともアマテラスの子だけはある。部屋の温度が確実に二度は下がった。
「今回については成功したが、お前たちは命令に反した。その結果がどういうことになるかわかるな」
「待ってくれ。俺が片桐をそそのかしんただ」
「ヤマト、違う。俺だ!」
ヤマトにだけ罪を着せるのは片桐の意に反する。一人だけいいかっこなんてさせるつもりはない。
「黙れ、バカ者ども」
ツクヨミの一声に二人は黙った。
「クシナダも生きていた。だから今回は大目に見る。しかし、今度すればただではいまないと思え。私は、自分の命令を聞かない部下を飼うほどに優しくない」
「大目にみるってことは……」
ヤマトが恐る恐る尋ねるとツクヨミは嘆息した。
「しばらくは謹慎しろ」
ずいぶんと甘い処置だと思うが、これは成功したからこそだ。もし失敗した結果だったらここで殺されたとしても文句は言えない。
二人はほっと溜息をついた。
「行っていい」
「はい。片桐、行こうぜ」
ヤマトに促されて片桐は笑って頷く。二人が部屋を出ようとするとき、電話が鳴った。片桐はすでにクシナダとヤマトのことを考え、その電話の内容を聞くつもりなんて一切なかった。
「はい。……私が北条誉ですが……は? 北条紅は私の母です。……強盗に押し入れられて殺された?」
その言葉に片桐は足を止めて振り返る。
電話をしているツクヨミが青白い顔をして、早口にまくしたてた。
「母が、北条紅が死んだんですか? それは確かですか……そう、ですか。死んだんですか」
アマテラスが死んだ。
片桐は世界の崩壊する音を聞いた。




