#2 家族ごっこ
雑誌記事によれば、フリーターの若者が増えたことが、近年、社会問題になりつつあるらしい。その文章は「最近の若者たちの荒んでしまった心はもはや手遅れか」と続けられる。まともに直視できたのはその二文だけだった。
私は一個人としての尊厳を顧みず、ひとくくりに扱われるのが嫌いだ。とにかく周りの人と一緒くたにされたくない、それは誰しもが一度は抱いたことのある願望ではないだろうか。
記事には見出しだけでも「最近の若者」と「フリーター」、ひとくくり用語が二つも連なっている。この記事を担当した記者には、よほど最近の若者に恨みがあるらしい。もっとも、「最近の若者であるフリーター」の私が非難する権限はないが……。
他にも冗長な文句ばかりが書き連ねてあった。「輝きを失った未来を救えるか」「当時を思い出せ」「昔の人は強かった」とうとう――たいそうなお題目が並べられている。また、さまざまなトピックスのなかにまぎれて、ばかに明るい広告文が配置されていた。こうも暗い記事が続けば広告スペースだけがいやに目立つ。もしかすれば、広告を目立たせるためにわざと暗い内容の記事ばかりを並べたのかもしれない。
私は雑誌を棚に戻してから、書店をあとにした。大通り沿いを歩いてゆくと、遠目に真四角な図書館が見えた。そちらの方角から子どもたちがはしゃぐ声が聞こえる。私は図書館へ続く道を歩くことにした。静かな場所よりも賑やかしい方へと足を向けてしまうのは私のくせである。
図書館と隣接した公園では子どもたちが鬼ごっこをしていた。そういう光景を眺めていると、かすかながらも希望を感じる。若々しい子どもたちから希望の光を感じるのではない。私の少年時代と変わらない遊びをする光景を眺めて、なんとなく安堵する。目の前にある光景が記憶しているものと合致したとき、どうしようもない喜びを覚える。変わらないことほど落ち着くことはない。押しつけがましい不条理な期待とも呼べるだろう。
それら風景を眺めながら家路を歩いてゆく。平日のこの時間にぶらぶらしていられるのは、フリーターである私の特権だろう。生活において軸を持たないようにしている。最低限の起伏さえあれば他になにもいらない。楽しいときは楽しみ、悲しときは悲しむ、それでいいと思っている。
今日に至るまで私は生きる手段が限られたなか、精いっぱい生きてきたつもりだ。両親はすでに他界している。父は生まれたときにはすでにいなかった。高校在学中、私は母を失い、親戚の家に引き取られることになった。引き取られた親戚の家庭からは家族の一員と認めてもらえず、地獄のような日々を過ごしてきた。そのため、一般的な家庭というものを私はよく知らない。
悪環境のなか、死に物狂いで金をためた。ハタチを迎えたとき、念願だった独り立ちがかなった。せまい居場所から飛びたてたのだ。あれから二年経った今はもはや、育て親の顔などもう忘れようとしている。私は憎い相手を憎まずにいれるほど、お人よしではなかった。
大抵、人生というやつは生命活動を終えるまでの間、徹底的に「維持」を続けるものだ。子どものうちは、友好関係を維持する、家族との距離を維持する。大人になった時には、家庭環境を維持したり、身分に相応な生活を維持したりする。高齢期となれば老後の生活を維持することになる。維持することだけに徹した生き方、守りの生き方をする人がほとんどだ。維持のみを続けようとすれば、当然のことながら高望みはできない。高望みをしない人間からすれば悪くのない生き方だ。私だって高望みなどしてはいない。
そんな理屈のもと、私は「現在」だけを「維持」する生き方になった。がむしゃらに「現在」のみを生きる私にとって、「現在」以外のことを考える余裕はない。
だから――
だからこそ――
――大切にすべきは「未来」よりも「現在」だ。
見えもしない先のことなど、考えるだけばからしい。見えないものは存在しない。あるものだけがこの目に映る。見えるもの以外に存在するものはない。それだけだ。
「過去」にだって同じことが言える。母親が健在だった過去の記憶にしがみつくつもりなどはない。過去はしょせん、一瞬一瞬の記憶をよせ集めた塊でしかない。そのため、川の流れに削られてゆく岩のように、歳月がかさむに連れて、ばらばらになり、ちりぢりになり、うやむやとなる。文字にして残そうとも、写真にして残そうとも、たしかなものは残らない。こぼれ落ちて終わりだ。
結果的に、ありもしない栄光時代を語る人間ばかりが世の中にあふれかえる。よせ集めた記憶のかけらをいいように解釈して、「私はこのように生きてきた、だから私の人生に価値はある」と自分たち命の正統性を必死に主張するわけだ。そんな「過去」を生きる人たちの誇大な言い回しが「未来」へ向かわんとする若者の心を荒ませるのではないか、時に私はそう思う。「現在」を生きる若者の自信を喪失させ、希望をくじくのではないかと……。
過去の記憶に、虚飾やら見栄やらのノイズが混じってしまうのは、人類の長所であり短所だ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。むごたらしい過去をなかったことにして現実から逃避することは、生きてゆく上での大切な心得である。
もっとも、私だってそうだった。母は死んだ。私を残して死んだ。それでも私の持つアルバムのなかで母はいつも笑っている。過労で死んだはずの母は、まるで幸せな生涯を遂げたような晴れやかな笑顔を浮かべている。それを見て、私は安心する。母は苦しんでなどいなかったのだと、幸福に包まれながら死んでいったのだと、ありえもしないことを想像する。
失うだけ失って、手放せるものだけ手放して、やっともっともらしい答えにたどり着いた。この世に生きている以上、見えるものは常に現在のみであり、この場には現在しかない。「未来」も「過去」も「現在」を生きた足跡でしかない。そんな感じだ。
とはいえ、過去を大切にすることは大事なことだ。未来に希望を持つことは素晴らしいことだ。それでも優先されるのはやはり「現在」だ。
美しい過去を偲ぶのも、輝ける未来を望むのも、現在を生きるための手段にしかならない。
この頃の私は、そう思っていた。長い年月をかけて積み上げて立てた稚拙な理論をさも正しいと、信じて疑わなかった。
「それ重そうだね。持ったげよっか?」
不意に声をかけられた私は漠然と巡らせていた思考をはたと中断させた。見れば、となりを歩く憑きものが気遣って、私の持っているビニール袋に手をかけていた。ビニール袋のなかには大量の野菜、玉子と牛乳がそれぞれ二パックずつ入っている。それなりの重量がある。
私は慌てて小娘憑きの手をふり払う。ポケットから取り出した携帯電話をすぐさま耳に当てる。「もしもし」と開口一番に言っておく。
「……必要ない。こんなところで怪奇現象を起こしてどうするんだよ」
携帯電話を耳に当てながら、憑きものと会話をする。公園を抜け今現在、私たちが歩いているのは小さな商店街のアーケードだ。人通りが多いため、ビニール袋が宙に浮いたとなれば、たいそうなパニックになるはずだ。
「なによ、また怪奇現象がうんちゃらってやつ? 軽〜く持つだけなら平気だって。支えるだけ、ね、いいでしょ?」
「いーや。お前の手を借りるまでもねぇよ」
「む〜……。あたしは憑きものとして、秋人の役に立ちたいだけなんだけど……?」
「必要ねえってば、俺のことは俺がする」
見えないものは存在しない。あるものだけが目に映る。見えるもの以外に存在するものはない。そしてこの「白色の憑きもの」は私の目に映る。たしかに私のとなりに存在する。それだけだ。
この憑きもの――肌は小麦色だが、容姿は白い。肌着などは一切身につけておらず、肌の上から薄い生地の白いサンドレスを直接まとっている。王冠を模した飾りを髪留めとしてポニーテール状に束ねられている銀色の髪は、尻まで届くほどの長さがある。なので、肌のほとんどが衣服と髪の毛で覆われていることとなる。それらの白色の隙間から小麦色に焼けた肌がちらちら覗ける。
全体的に白く、遠目から見ると幽霊のように見えることだろう。「幽霊が白い」というのは固定観念に過ぎないが、白色が人の恐怖心を煽ることはたしかだ。霊を信じたことのない私だって、夜道、この少女と出くわしたときは驚いたものだ。叫び声をあげてしまったほどである。
「白色の憑きもの」との出会いは二年前、上京してすぐのことだった。過ごしていた家庭から飛び立ち、誰からも束縛されることのない悠々自適な生活を送れると、心を躍らせていた矢先の出来事だ。この少女が現れたため、私は結局、一人にはなれなかった。天はよほど私を一人きりにさせたくないらしい。
憑きものに関与した知識は、それなりに蓄えていた。唐草家の妖力は他家と比べて、なかなかに強い。きっと自分の命が長くないことを悟っていたのだろう。手遅れになる前に母が憑きものの知識を、委細まで詳らかに語ってくれたのだ。そのため、憑きものは憑きもの筋の持つ妖力がなくては生きていけないことを知っていた。
小娘憑きの話を聞いてみたところ、この世に振り落とされたばかりで、なにやら行く宛てがないらしかった。ならば――縁は異なもの味なもの、ここで出会ったのもなにかの縁だ――我々はすぐに主従関係となった。「運命」を信じ込む節のあるこの私、唐草秋人は天から与えられた巡り会い、縁を大切にする人間だ。
親を持たない憑きものという生命体に対して、じゃっかんの同情があったことは否定しない。少なくとも、「ただ生きていくこと」の過酷さを知っていた私には、見捨てておけるほど薄情な性格は持ち合わせていなかった。
突然私の目の前に姿を見せた憑きもの。どうやら二年前(つまりは私と出会ったころ)に生まれたばかりらしい。不思議なことに憑きものという生命体は年を取ることもなければ、肉体的に発達することもない。体型も服装も髪型も、二年前からこのままだ。
「あんなぁ。話しかけてくるなよ。こうして電話持ちながら会話するのって、結構しんどいんだぞ……」
「だったら、声を出さなければいいじゃん。声に出さずともさ、伝えられる方法があるんだよ――」
と言うと、となりにいる憑きものはスキップするようにして、私から伸びた影を踏んだ。妖力が憑きものに供給されたため、その分の痛みが伝わった。
憑きものは人に憑依することができる。それを完全憑依状態と呼ぶ。ただしそれは妖力が少ない人間にしか有効ではなく、私のような憑きもの筋には取り憑くことができない。
半憑依状態とは、取り憑くのではなくただ影の範囲内に入ることだ。主が意識を保ったまま影のなかへ身を潜めることもできる。これは憑きもの筋だからこそ成せる技法だ。半憑依状態であれば頭でねった“思い”を念じて飛ばすといった手段で、声を出さずとも意思を通達することができる。
『――ほらこんな風にさ』
このように、小娘憑きの声が“思い”となって私の頭に響くわけだ。
『この手段なら他の人に聞こえないし、わざわざそんな野暮ったいものを手に持つ必要なんてないよ』
小娘憑きがしたり顔で笑った。
『そうだとしてもだよ』
『だって他の憑きもの筋はみんなそうしてるじゃん。秋人だけが恥ずかしがるようなことはないってば』
このような方法で会話をすれば一般人から怪訝に思われない。となると、たしかに携帯電話を持つ必要性はなくなる。
ただ、私は日常生活でこの手段をあまり使わないようにしていた。これといった理由はない。コミュニケーションの際に筋肉を動かさないのは、どこか味気ない気がするだけだ。
「嫌いなんだよ。そういうそっけないのは……」
「あたしはべつに構わないけど?」
「俺が構うんだ。いいか、それに“思い”を伝えるってすごく簡単に感じるかもしれないが、心に思ったことがそのまま伝わってしまう危険性があるんだ。お前に心のなかを見破られているような気がして落ち着かねえんだよ」
「ふ〜ん。でもさ、秋人が日頃考えてることって、どうせ女子高生かわいいとか、そういうのでしょ?」
「うるせえよ」図星だった。「とにかく使わない。ほれ、要件がすんだら、影から外れろ。お前が気にするようなことじゃねえよ。俺がそうしたいって言ってるんだから、それでオーケーなんだよ」
「まぁ、秋人がそう言うなら、使わないけどさ〜。ならせめて人気の少ない道を選んだら?」
「静かすぎるところは嫌いだ」
憑きものとの会話を終えると、携帯電話をポケットにしまった。鮮やかだったはずのジーパンはひどく色落ちしている。そろそろ買い換える時かもしれない。などと懸念していたところで、またも小娘憑きから声をかけられた。
「ねね、うちについたらストツーやっていい?」
「だから話しかけんなってば」
そう言ったのちに、私は彼女から視線をそらし、空に向けてつぶやいた。
「……一時間だけな」
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
私は革靴を脱いでから自室にあがる。憑きものは土足のままあがり込む。理屈は知らないが、人間と違って憑きものの体は汚れることはない。
六畳半といった小ぢんまりとしたスペースには、部屋の面積に見合った調度品が配置されている。家賃だけがやたら高額な借家であり、通りすがった人から「ここに住んでいる人って本当にいるのだろうか?」と疑われかねないほどボロいアパートの一室だ。近隣に住む子どもたちがいつ肝試しにきてもおかしくない。
それなりに整理整頓をしているので虫が湧くような悲惨な目にはあっていないが、壁の薄い室内で小娘憑きとしゃべっていると壁を鳴らされることがある。右隣の住人は会社員の男であり、やや怒りっぽい人物だった。だから九時を超えた時には会話を慎むようにしている。さすがの私も深夜帯には騒がないようにする思慮分別くらいはある。
もう一方の隣室に住むのは石岡という大学院生だ。彼は私より一個分、長じている好青年である。このアパートに越してきたさいに、我々は親密な関係となった。万年、仏頂面といった顔をしているわりにユーモアのセンスがあり、彼といると退屈しなかった。時々酒を飲み明かすことさえある。私に携帯電話をあたえてくれたのがその男だ。
左隣の電飾は灯っていなかったので、どうやら、石岡はまだ大学の研究室にいるらしかった。
「今日のご飯なに?」
「お前には悪いが、今日は鍋だ。すごく味のうすいやつな」
「あたし、鍋好きだよ。夏場のそうめんよりも好き」
「白色の憑きもの」は「ひひひ」と音を立てて笑った。普段は憎々しいほどに強情で高飛車な憑きものだが、こういう健気なところはなかなかに可愛らしい。
「じゃあ、飯作るからしばらく待っててくれよな」
「うん。待ってるね」
私は食事をつくりにキッチンまで足を運ぶ。正確には三歩だけ足を運ばせる。キッチンは無理やり備えつけたという感じで、リビングとキッチン間をへだてた距離は一メートルほどしかない。
小娘憑きはテレビゲームを興じていた。ブラウン管のテレビを睨みつけながら、コントローラーをせわしなく動かしている。憑きものでありながら、最近はゲームに夢中になっている。彼女がやっているのは機械音痴な私が唯一こしらえるゲームだ。これもくだんの石岡からもらったものである。
キッチンの背後から、かちゃかちゃとけたたましい音が聞こえてくる。振り向いて憑きものの後ろ姿をぼんやり眺める。私の視線を感じ取ったのか、小娘憑きがこちらへ振り返った。
「ねえ! 秋人! 一緒にやろうよ!」
「やらない。お前負けるとすぐ泣くし」
「泣かないよ。泣くのは秋人のほうでしょ?」
「うっせい! ほっとけ!」
「白色の憑きもの」が言ったとおり、私は泣き上戸だ。人情ものに弱く、べたな展開ばかりが用意されたメロドラマに感動を覚える。ありきたりだなと理解していたところで、こぼれでる涙をこらえることはできない。知らず知らずのうちに涙はほおを伝っている。友人たちから「男のくせに泣き虫だ」とからかわれることがしばしばあった。過言ではない、私は泣き虫だ。
「とにかく、ゲームばっかしてないで、料理の仕方くらい覚えたらどうだよ」
「料理なんてしなくてもいいの。あたし、憑きものだもん、ひひひ」
それもそうか。料理をしたがる憑きものなど、この世に存在しないだろう。
醤油で味付けしたスープに野菜を入れてじゅうぶん煮込み、塩と胡椒をまき散らしたのちに味見をする。いつも通りの淡白な味がした。完成した品を食卓まで運び、中央へどんと置く。土鍋から立ちのぼった湯気が部屋に広がった。
「さあ、できたぞ。野菜オンリー、唐草オリジナル雑多鍋だ」
「うわい、見事に野菜ばっかしだね!」
低いテーブルに向かい合って腰かけ、私たちはパチンと手を合わせる。
「「いただきます」」
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
私と憑きもの――。
種別は違えど、同じ食事をとり、同じ部屋で就寝する。いわゆる同居生活というやつを送っている。
とはいえ、これは恋人たちのする営みではない。
彼女との距離は近く――はるかに遠い。
手を延ばせば触れられる距離――。
人間と憑きものの種別の差異――。
家族に限りなく近く――家族にはなりえない。
我々の関係は恋人でも、友人でもない。
まともな家庭を知らない私が抱いた、手前勝手な憧憬を形にしたもの――。
幼い子どもたちが演じるようなもの――。
夢想の家庭そのもの――。
いうなれば、そう――
――「家族ごっこ」だ。
次回
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