#5 結成された調査団
八時十分ごろには学校についた。ホームルームが始まるまでだいぶ時間がある。どうにか時間をつぶせないだろうかと、沙夜と他愛のない会話をしながらランニングロード沿いを歩いてゆく。すぐに飽きてしまった。結局、少し早いが止むを得ない。昇降口まで足を運び、靴を履きかえたのちに階段をあがった。
『じゃあ、沙夜。今日も影の中でおとなしく学校が終わるのを待っていてくれよ』
『え……今日もですかぁ……。昨日も一昨日もご主人様の影の中にいたんですよ。一日くらい大目にみてくれたって……』
『窮屈なのは分かってる。申し訳ないとは思うよ。けどさ、そう言わずに分かってくれよ。な、今度、お前の好きな鍋焼きうどん食わせてやるからさ』
『ええ、まぁ、それなら承知しないこともありませんけど……』
今までは学校にいるうちの間、そこかしこに歩き回る沙夜のことを許容していたが、最近になって沙夜には影の中に入ってもらうようになった。クラスメイトたちに「甘い匂いするけど香水でもつけてるのか?」と問いかけられることが増えたからだ。
僕には香水をつける趣味などない。彼らが指摘したのは九分九厘、香水の匂いではなく、沙夜の匂いだ。なぜだか嗅覚だけは一般人も憑きものの存在を認識できる。理由は知らない。好奇心旺盛な間宵はその理由を考えているようだった。僕には興味がない。そうなっているのだから仕方がないと割り切れるタイプの人間だ。
ただ、「香水をつけている」とは思われたくなかったので、沙夜の放つ甘くかんばしいルクリアの香り――それをなるべく周囲に漂わせないよう影に入れておくわけだ。
僕の影に沙夜が入ると、その影は彼女の形に変形する。そういった難点があり、「半憑依状態」と呼ばれるこの手法は使い勝手がいいように思えて、けっこう神経が削られる。周りの生徒に悟られないように気を配りながら、過ごさなくてはならないからだ。
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――『無感動なお兄ちゃんには価値がいまいち分からないかもしれないけど、他の人が見たら目の色を変えて喜ぶのよ?』
昨夜放たれた間宵の発言など取引のための誇大表現だろうと、本気にしてなかった。
しかしながら桜下祭のチケットを目にした途端、目の色を変えた人間が本当にいた。
「な、ななななななんで、あっちゃんがそんな貴重なアイテムを持ってるんだよ!」
僕の友人――坂土泰生だ。
廊下を吹き抜ける風になびく爽やかな短髪、男のくせに愛嬌のあるつぶらな瞳。生徒手帳の写真だけ見れば、イケてる見た目と評される美青年だ。百八十を越える長身なため、僕は十センチほど見上げる格好になる。
そんな彼は今現在、興奮のあまりに分泌されたよだれを口から垂らしている。この男を見るたびに思う。口を閉じていれば、学校一の美男子という名誉たる称号を勝ち取れるはずなのに、と。
彼が優れているのは容姿だけではない。容姿と同等なくらい知能指数が高い。いわゆる麒麟児というやつで、四月の実力テストでは少し勉強しただけで、学年主席といった最優秀な成績をおさめている。
だから優良なステータスだけをかいつまんで並べると、“ほとんど”完璧な人間であると言えた。
天に愛された存在なのだ――唯一の欠点であり致命的な欠陥でもある、“変態”すぎることを除きさえすれば……。
教室につづく廊下を歩く途中、泰誠とばったり出くわしたので誘ってみようかと、チケットを手渡したところ、彼は「おはよう」もなしに、
「さてはどっかから盗んできやがったな、この外道野郎っ!」
いきなり胸ぐらを掴みかかってきた。
「もし……もし仮にこの盗難品を受け取っちまうと、俺までも共犯扱いされちまうのか……。くうううう、こんな究極の二択を迫ってくるたぁ、俺はてめぇを恨むぜ、あっちゃんよぅ!」
「……は? さっきから、なに言ってんの?」
「桜下祭を諦めるのか、友の犯罪の片棒を担ぐのか……。ううむ、背に腹はかえられん! 俺はつかのまの享楽を選ぶぜ! もしも、ばれてしまった日にゃ一緒の監獄に入ろうぜ!」
なにやら、不当な手段でチケットを入手したのだと、早とちりしているようだった。
「おい、人聞きの悪いことをたらたら語るなよ。なにを勘違いしてるのか知らないけど、これは盗難品でも、裏ルートで取引されたものでもないぞ」
「じゃあよ、どうしてお前がこんな超レアなもんを持ってんだよ?」
「ほら、知ってるだろ? うちの妹だよ。このチケットは間宵からもらったんだ」
「あー、そうか。間宵ちゃん桜下女子の生徒なんだっけか。なるほどなぁ、得心がいったぜ」
「得心がいったなら、手を離してくれ。いい加減苦しい」
「悪い悪い、どうやら独り合点しちまっていたみたいだな」
僕の襟首から手をぱっと話した。
「それにしたって、二枚とも俺にくれるだなんて、どういう了見だよ。せっかく間宵ちゃんから誘ってもらえたのに、あっちゃんは行かないつもりか?」
「いや、行くよ。僕の分なら別にあるんだ。全部で四枚もらったんだよ」
「もらえるチケットは、一生徒につき二枚ずつのはずなんだが?」
「どうして、お前が他校のルールを熟知しているのかはさておくとして、残る二枚は奈緒からもらったものだ。ほら、お前も会ったことあるだろ? 僕の幼なじみのさ」
「へえ……奈緒ちゃんに、ねぇ」
「チケットがありあまってるんだ。だから受け取ってくれないか? 落ち着かないんだよ、このチケットが手元にあると」
僕の頭はいまだ「一万円札ほどの価値があるかもしれない」という認識にとらわれていた。
「なんか俺、あらゆる意味でお前に怒りを覚えてきたんだが……!」
「ほら、二枚あげる。せっかくだし美恵ちゃん誘って、一緒に行ってこいよ」
変質的な性格を持ち合わせているためかこの男、美男子である上に明晰な頭脳の持ち主だというのにもかかわらず、色恋とは縁がなかった。これが面白いほどにモテない。
二学年にあがったばかりのころは引く手あまたで、言いよってくる一学年の女子生徒がたくさんいた。表面的なステータスだけにつられアプローチをしてしまうのだ。初めはぷりぷりと可愛さを振りまいていた生徒たちも、彼の人格に触れるにつれ、だんだんと虚無的な顔になり、被害者たちは“自主的な失恋”を喫するはめになった。
彼の性格には難点があった。一言で言えば、変態。それに修飾語をつけるならば、類稀な変態。周りの人からは「変態軍帥」とまで呼ばれる。この男の性質を言葉だけで説明および理解しようとしても無駄だ。僕ら常人が理解できる域を凌駕しているからだ。
それが――こんな男にも(神様が幸せの配分をどのように間違えたのか知らないが)六月初旬にとびきり可愛い恋人ができた。
泰誠の恋人――木篠崎美恵という少女は同じ高校に通う一学年の後輩だ。その名のごとく、美麗に恵まれた容姿をしている。さらには、この地域で有名な金満家の娘でもあった。そのため、「変態軍帥にはもったいない女の子だ!」と、彼をよく知る人物たちは異口同音で述べる。嫉妬に狂ったクラスメイトたちから、二人の縁をとりもった善良な人間までも非難を浴びせられることがある。ちなみに二人の橋渡しをしたのは――僕だ。
「み、美恵ちゃんを誘えだと?」
僕の提案に仰天すると同時に、泰誠は激しく首をふった。
「ばかいえっ! 俺たちが行くのは女子校だろう、言うなれば女人禁制のパラダイスだろう!?」
「女子校が女人禁制なわけがないだろ」
「とにかくだ、あっちゃん、考えてもみろ。竜宮城に恋人連れていく浦島太郎なんていると思うか? それと同様、美恵ちゃんを桜下祭に連れていけるはずがないだろうっ! あっちゃん、よく聞いとけ、『文化祭、恋人さえも、お邪魔むし』だっ! 盛大なイベントを前にしちゃ、ガールフレンドなんて障害物以外の何者でも……」
「あらら、泰誠さん。だれがお邪魔むしですって?」
噂をすれば影がさすというやつか、話題にあがった木篠崎美恵が不意に後ろから現れた。愛々しく首を傾けてうっすら笑っているところが、かなり恐ろしい。対して泰誠は一瞬ひるみかけたものの、即座に言葉をあらためた。
「つまり、俺がなにを言いたいのかと言えば……もしも愛嬌たっぷりの美恵ちゃんを桜下祭なんぞに連れていったら、祭りなどそっちのけでみんなが彼女の愛らしさに注目してしまうだろうがッ! なあ、あっちゃんッ! ちょっとは考えてから物を言えよ、バカッ!」
その前言撤回たるや、激しいVターンを決め込むカーチェイスのワンシーンようだった。しかも、どことなく僕に責任を転嫁しようとしているように聞こえたのは気のせいか。
「ここにきて、驚異的な頭の回転を発揮しないでください! 今さらごまかそうとしたって無駄ですよ!」
眉根をあげた美恵ちゃんが泰誠につっかかる。
「はっはっは! おはよ、美恵ちゃん! 今日は一段と可愛いな!」
泰誠はもはや、何事もなかったかのような飄々とした態度である。
「見えッ見えなお世辞はやめてください!」
美恵ちゃんはぷくっと頬を膨らませた。
「それとべつにいいですよ。他校の文化祭に行くことくらい許可しますって。だいたい、あなたを縛りつける気なんて、さらさらありませんし……」
この男を野放しにしておくなど、ずいぶんと考えが甘い気がしたが、僕の立ちいるべき話ではない。二人の間には二人なりのルールがあるのだろう。
「つまり、他の生徒といちゃいちゃしても構わないってことか?」
「む、だいぶ話が飛躍しましたね! いッつも極端なんですよ、あなたの言動は!」
「分かった。祭りの間に限り、女子生徒のスカートのなかを覗き見ることは自重する」
「スカ……あなたって人はまだそんなことしてるんですかっ!! 今日限りでやめてください!!」
「それはできない相談だ! 高校に通う意義を失っちまうだろ!」
「まったく学校をなんだと思ってるんですか! あなたほど破天荒な人は初めてです!」
「はは、相変わらず仲良さそうで安心したよ」
僕がそう言うと、つい先ほどまで言い争っていたのに、「だろ?」「でしょう?」などと二人が口をそろえて微笑むものだから、嫉妬心よりも先に愉快さを覚えてしまう。ある種、お似合いのカップリングだ。
「おはようございます。藤堂先輩」
ここで美恵ちゃんが僕へ向けて頭をさげた。初めて存在に気がついたというような動きだった。
「おはよ。ちょうどよかったよ、美恵ちゃん。どうかな、再来週の土曜日なんだけど予定、空いてないかな?」
スケジュールを思い起こしているのか、美恵ちゃんは十度ほど首を曲げて思案した。
心の純白さが表面に押し出されたような白い肌。天然色の栗毛は黒いヘアゴムでポニーテール状にくくられており、前頭部あたりから後れ毛が右目だけを隠すように垂れている。普段はコンタクトレンズを使用している彼女、今日は赤メガネをかけていた。それがとても似合っている。年頃の可愛らしさと知的な雰囲気が中和されてるところが、この少女の魅力だ。
「あー……とッても行きたいです。けど……その日は友達のやっているバレエのコンクールを観にいく約束があるんですよ……。なので残念ですが……」
彼女独特のスタッカート節を口調に交えながら、そんなことを口にすると、隣にいた泰誠が瞳のおくを濁らせた。
「もしや……他の男じゃないだろうな?」
「どの口がそんなことを言うんですっ!? 言えるんですかっ!?」
美恵ちゃんの言うとおり、恋人を束縛する行為はこの男に許されない。
「男の人じゃありません。女友達です」
「戸籍上は女でも、男だって可能性はあるだろ? 美恵ちゃんは騙されているんだ、目を覚ませ」
「もう! どれだけ私、信用ないんですか! 見た目も戸籍上も生物学的にも、どの観点から観測しても女の子です!」
それだけいっせいにまくし立てると、美恵ちゃんは「やれやれ」というように息をついた。僕と泰誠のつき合いはかれこれ一年半となる。だから彼女の気持ちは痛いほど分かった。
「藤堂先輩。この人、可愛い女子生徒を前にすると多分、盲目的になっちゃうと思うんで、彼のことをしっかり見張ってくださいね」
「苦労してるな、美恵ちゃんも。分かってるよ、僕に任せてくれ」
「さあ、あっちゃん、美恵ちゃんの許しも出たことだし、二人で行こうぜ、エデンの園へ!!」
美恵ちゃんの苦慮を一切とりあわず、泰誠は今にも獣に変身しそうなほど気持ちを昂らせていた。先輩風を吹かせて、快く引き受けたはいいが、泰誠の監視は僕だけではかなり不安だった。少なくとも心強い味方がもう一人は欲しいところだ。
「あ、そうだ……」
適任な人物を一人だけ知っている。
「桜下祭には、英華ちゃんも連れていこう」
「おいこら、てめえッッ! たばかったなッッッ!!!」
「英華ちゃん」という呪文を僕が口にした途端、坂土泰誠は整った顔をゆがませて、廊下全域に轟くほどの絶叫をあげた。
なぜこの男がこんなにもうろたえたのか――それは「英華ちゃん」こと坂土英華は、苗字から分かるように泰誠の妹だからだ。泰誠は過度のシスコンであり、「英華ちゃん」のことを心から可愛がっている。「英華ちゃん」がそばにいると、他の女性にでれでれするのをつつしむ傾向がある。
つまり「英華ちゃん」とは、変態軍帥、坂土泰誠の言動を、唯一封じ込めることができる抑止力であり、誉れだかき生物神器なのである。
「ふう……それならば安心です。では、私はホームルームが始まりそうなので、この辺で」
美恵ちゃんは僕らに背を向けると、
「……念には念を入れて、英華ちゃんに油性ペンと瞬間接着剤を持たせて……。ほかにもいろいろとアドバイスして置いた方が……」
謎めいたことをぶつぶつとつぶやきながら、一学年の教室へと向かっていった。
美恵ちゃんが立ち去るのを見届けてから、僕らは二年A組の教室に入った。
真夏日と変わらない勢いでクーラーが稼働しているため、教室内は寒いくらいだった。埃っぽいクーラーの臭いと、ワックスの臭いが混ざりあった異臭に、鼻腔をつんざかれる。新学期特有の刺激臭に顔をしかめながら、僕は自席にかばんを置いた。
「はい、じゃあこれ。チケット、英華ちゃんに渡しといてくれ」
チケットを彼に手渡そうとすると、泰誠はえらく苦い顔をした。先ほどまでは乗り気だったのに、受け取るのをしぶっている。どうしたのだろうか――。
「けどなー、ほら夏休みだっただろ? だから先月はお財布の紐がゆるくてな。二万円の出費は致命的だ。とりあえず物は受け取っておくけどよ、入金は十月まで待ってもらっても構わないか?」
「ば、ばか!! ただでやるって言ってるんだよ!」
「あっちゃん……正気か?」
信じられないと言わんばかりの顔をしていたので、「お前こそ正気か?」こちらも信じられないと言わんばかりの顔をして応じた。
「本当に金を払ってまで欲しがる人間がいるとはな……。とにかく、英華ちゃんをしっかりと誘うんだぞ。それが交換条件だ」
「ぐ……。分かった、分かってるぜ」
「じゃ、残った一枚のチケットだけど……」
これで四枚のうち三枚はなくなった。余らせるのはもったいないし、くれた二人に申し訳ない気がする。誰か同行する人はいないかと、教室をざっと見渡した。
「なになに〜、なんの話してるのかな?」
そこでタイミングよく、僕らと親しいクラスメイトが教室に入ってきた。いつも登校してくる時刻よりも遅めだ。手いっぱいに書類を抱えているところから察して、なにやら朝一番に生徒会執行部の業務があったらしい。
今年度の前期から生徒会執行部、副会長に就任した彼女。きっと後期は生徒会長の座を獲得するはずだ。少なくとも、彼女以上にその役職に適当な人物を僕は知らない。
「おはよ、手嶋」
「おはよう〜、あっちゃんくん」
このおっとりとした口調と渾名のうえに敬称をつけて「あっちゃんくん」と呼ぶ癖は、手嶋美代子の特徴だ。
残った一枚は――彼女を誘おう、そうしよう。
「なぁ、手嶋、再来週の土曜日なんだけどさ……」
手島は清々しいほどの二つ返事で了承してくれた。
かくして――四人、「白色の憑きもの」を調査する一団が結束された。無論、間宵の頼みごとである本来の目的、事情を知るのは僕のみだが……。
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再来週、様々な人たちが心待ちにしていた桜下祭が開催される――そして、出向いた桜下女子高等学校にて、僕は思い至らされるのだ。
散々否定してきた「運命」という言葉の――。
ある意味、うす気味悪い神秘性を――。
「序幕(A) 誘致の噺」終
藤堂敦彦から主人公を交代し、唐草秋人サイドに視点が移ります。
「序幕(B) 秋人の噺」【#1 となりにいる憑きもの】