#4 秋晴れ天気の登校風景
まさしく秋晴れだ――。
「秋晴れ」という言葉の細かい使用法は知らないが、「気持ちよく晴れている秋の空」には違いないのだから、この天気を「秋晴れ」と称しても問題ないはずだ。
九月十二日の空を見上げながら目を細めた。雲一つない青々とした空のふちっこ、東方に浮かんだ太陽だけが燦然と輝いている。天空のステージはおひさまの独壇場である。
さすがに昼間になると残暑の厳しさが現れるものの、朝のうちは涼しい気候でいてくれる。つまり暑すぎず寒すぎず、不快にならない程度の空気が肌身に伝わってゆく。アスファルトで舗装された路面から真夏時にあった熱は、すっかり放散されていた。そのため、ずいぶんと心地がいい。
「ぼけっとしちゃって、どーしたの?」
右隣を歩く少女に声をかけられたので、ゆっくりとした動作で彼女のもとまで視線をおろした。
前髪の切れ目から覗ける少しだけ目尻の上がった目――猫目がちな瞳がじーっと僕の姿だけに焦点をあてたまま外れない。
小早川奈緒――彼女は僕の幼なじみだ。
奈緒の住居は斉藤家から大またで歩いて十歩もない距離にある。こちらへ引っ越してきてから僕たち兄妹と小早川奈緒は、すぐに親密な関係となった。僕ら三人は小学生のころから今も変わらず、こうして学校までの道のりを一緒に登校している。
「いや、なんでもないよ」
「なんだか話をまったく聞いてないように思えたんだけど?」
化粧気のない代わりに張りのある頬はほんのり淡い朱色で彩られている。この少女の特徴とも呼べるぱっちりとした二重まぶたには独特の愛嬌があり、網膜まで見通せるのではないかと思しきほど瞳の色が無垢に澄んでいる。穏やかに吹く春風を体現したような少女。そんな奈緒の顔に、ふと中学時代の面影が重なった。
今でこそ、女の子らしい顔立ちをしているが、昔は性別を間違えられることがよくあった。
その理由として、もともと男勝りな性格だったことがあげられる。強い意志のもと行動し、いつだって自分の性質をはっきりさせていた。ささいなことで女々しく泣いたりもしない。物事を初志貫徹しようとする粘り強さにかけては、彼女の右に出るものはいないのではないか――質実剛健を地でいくような子どもだった。
男の子と間違えられる主たる要因は、内面性なものだけでなく外面にもあった。なかでも特筆すべきは髪型だろうか。中学から高校へあがるまでの奈緒の髪型は、長さが三センチに満たないほどのベリショートなものだった。
当時、陸上競技に専念していた彼女。「髪に視界を妨げられると走りにくいから」といった理由から髪を伸ばすことをひどく嫌がっていた。信念めいたものだった。それが、高校へあがってから陸上を辞めたことを契機に伸ばすようになった。そうすると、発育盛りだったこともあり、みるみるうちに女性らしさが現れていった。
その代わり映えといえば、最近になってやっと慣れてきたものの、しばらくの間、彼女の変化に僕ですら対応しきれなかったほどだ。
去年の夏から冬にかけて伸び続けたヘアスタイル。どこまで伸びるものかと面白半分で観察していたが、去年の冬ごろから変化は現れなくなり、彼女の髪はロングとまでは伸びることはなかった。あのころとほとんど変わらず今もなお、襟足が肌にかかり首筋が見えなくなる程度のレベル、そんな髪型のまま維持されている。
「なんかいつにもまして変だね、あーちゃん」
ちなみに、彼女の口から出た「あーちゃん」とは僕のことを指し、藤堂敦彦から取った渾名だということは考えるまでもない。なんと安直なネーミングだろうか。
「なにがおかしいんだよ、奈緒。朝早い時間帯の僕はいつもこんな感じじゃないか?」
「まぁ、そうだね。テンション控えめなのはいつものことなんだけどさ。でも、最近なんか、そういうの多くない?」
「え? そういうのって、どういうの?」
「どこ見ているのか分からない時がある……っていうのかな。虚空をぼんやり見つめてるみたいな……正直、ちょっと危なげな感じ?」
「どこ見ているのか分からない時」とは、おそらく沙夜に視線を向けている時のことだろう。
沙夜だけに限らず憑きものの姿は例外なく、小早川奈緒を含めた一般人には視認できないのだ。憑きものの存在を認識するには、妖力という不思議な力が必要となってくる。
妖力――ほとんどの人間が体内に宿している、言葉では表現しきれない不思議な力。人間が行動を起こすうえでの「力の源」とまで呼ばれるが、たとえ妖力がなくとも寿命に影響を及ぼしたりはしない。ずっと妖力に頼って生きてきたものが失ってはまずいが、はじめから妖力を持たない人間はなくとも生きていく上では困らない。「力の源」などと大げさなうたい文句とは裏腹に、あってもなくとも構わない、その程度の力だとも言える。とにかくある人にはある、ない人にはない、なんとも存在意義のあいまいな力だ。
ほとんどの人間が妖力を秘めている。ただし妖力があれば憑きものを視認できるわけではない。一定量以上の妖力を保持していなくては認識することができない。
食事もいらない、睡眠もいらない、都合勝手のいい憑きものという生物。彼らが生きていくのに唯一必要なもの――それこそが妖力だ。
妖力を宿した人間が憑きものに注いでやることで、始めて憑きものは生きていける。妖力供給は難しいことではない。憑きものが憑きもの筋の影に接することで簡単に供給してやれる。憑きものが「電子機器」、影が「充電器」、憑きもの筋が「電源」の役割をそれぞれ担っていると言い換えれば、少しは分かりやすいかもしれない。
主となった人間は練られた妖力を憑きものに供給する。従者となった憑きものは主に恩を返すため力の限りに奉仕する。だから主従関係と表現される。僕と沙夜もその関係にあるーーというのは今さら言うまでもないか。
また、僕や間宵のように、憑きものを使役するのに必要な力を宿した人間は憑きもの筋と呼ばれる。憑きもの筋は親から子へ子から孫へと子々孫々、家系ごとに脈々と伝わってゆく。親が片一方でも憑きもの筋であれば、その家庭から輩出される子どもは一律的に憑きもの筋であることになる。
そういう理屈を沙夜と出会うまで知らなかった。妹である間宵も同じく“見える人”だと知ったのは、情けないことについ最近だった。とにかく沙夜と出会ってから、外部にも内部にもさまざまな変化があらわれた。
「なんか、あーちゃん、それにまよちゃんも、私に隠しごとしてない?」
「な、なんだよやぶから棒に……。なんのことだか分かるか、間宵」
「ううん、全く。見当もつかないよ、お兄ちゃん」
左隣を歩く間宵に声をかけると、彼女からはあっけらかんとした返答があった。僕らはそろいもそろって、すっとぼけを決め込んでいる。一般人の前では、“見えるもの”を“見て見ぬふり”しているわけだ。
大切な幼なじみに嘘をつく必要はないのだが、精神異常者だと心配される謂れもない。もし仮に、事細かに説明したとしても、たとえ相手が気のおけない人だとしても、到底信じてもらえるとは思えない。実際に見えている僕ですら、沙夜から話を聞いた際、突飛すぎる内容をすぐに呑み込めなかったくらいなのだから。
現に小早川奈緒にだけは過去一度、僕が生涯ずっと隠してきた秘め事を――いわゆる憑きものが見える事実を――打ち明けたことがあった。
――『僕には幽霊が見える』
幽霊と言ったのは、当時まだ憑きものの存在を知らなかったからだ。もちろん信じてもらえなかった。二年経った今でも、からかわれることがある。もしもここに神様が現れて記憶を消してくれると言うのならば、僕は真っ先にあの日の記憶を消してくれと頼むことだろう。僕にとっては思い出したくもない、黒い歴史なのだ。
「二人して、なーんか怪しいなぁ」
「「怪しくなんてない(です)よ」」
「この話題になると、二人が息ぴったりになるところなんて特に怪しい」
奈緒は嘘を見やぶる慧眼を持っており、浅はかな僕の虚言などは瞬時にあばかれる。こちらから語らずとも、いずれ真相にたどり着いてしまうのではないか、時々、そういった着想すら抱いてしまうほどだ。
「そ、それで、僕たちさっきまでなんの話していたっけ?」
そのように問いかけると、奈緒は不機嫌を表すように眉をひそめた。こちらの負い目を諌めるべく、わざわざ嫌悪を顔いっぱいに広げてみせた、そんな表情だ。
「もう、やっぱり全然人の話を聞いてないじゃない! 合服になったんだねって話をしてたんだよ!」
「あ、ああ、ごめんごめん。そっか、これのことね」
ごまかすように笑いながら、僕は制服の襟を持ち上げてみせた。
涼しくなってきたので二学期が始まってそうそう服装を変えた。簡単に言えば、半袖シャツから長袖シャツに変更させただけだが、女子校に通う彼女からしてみると、男子生徒の一般的なワイシャツ姿がどうにも珍しく映るらしい。
管理の行き届いていない僕の制服とは違って、間宵と奈緒の二人が着ている制服はしゃんとしまっていた。ノリのきいた真っ白なシャツにチェック柄のネクタイがぶら下がっている。そのネクタイと同じ模様したプリーツスカートを着用していた。僕らの制服が違うのは(男女の差を抜きにして)、僕だけがべつの高校へ通っているからだ。
僕の高校は自宅から軽々と歩いていける距離にあり、彼女ら二人の通う桜下女子高等学校は最寄り駅から二駅分だけ先にある。僕の学校が駅の手前にあるので、高校までの道のりを一緒に通うことが可能なわけだ。彼女たちが一限目に間に合うよう家を出るため、僕は始業時刻にかなり余裕を持たせた時間帯に到着することとなる。
「まぁ、制服の話題なんてもうどうでもいいや、それよりも――」
これまでの話題を仕切り直すように、奈緒は前髪を払った。秋の香りに混ざったシャンプーの匂いがくすぐったい。
「――あーちゃんさ。再来週の土曜日さ、ひま?」
こちらの返答も待たずに二枚の紙切れを手渡してきた。紙切れにしては少々厚い。見たことのある紙切れだなぁとよく見れば、それは桜下祭のチケットだった。
「あ、桜下祭のことね」
「そうだよ。なんだ知ってたんだ」
「ああ。知ってた」
「それなら話は早いや。ねえ、あーちゃん、良かったら文化祭に遊びにこない? ……いやさ、もちろん、あーちゃんがこういう行事を嫌うことはよく知ってるんだけど、来年からは受験で忙しくなるじゃん? だからどうしても今年こそは……」
奈緒の振るう長広舌をさえぎって、僕は一言だけ言葉を返した。
「うん、行くよ」
正確に言えば、すぐ横にいる間宵が小賢しく笑っている限り、参加する以外の選択は僕に許されない。
こちらが快諾したのにもかかわらず、「返答を聞かずともあなたの気持ちは分かっているよ、だから無理する必要ないんだよ」というような穏やかな笑みをたたえながら、奈緒はしきりに頷いている。
「うんうん。やっぱり……そうだよね。人ごみ嫌いなあーちゃんが文化祭に来るわけないよね……ってあれ?」
僕のことを二度見した。
「あーちゃん、今なんて言った?」
「うん、行くよ」
「ほんと?」
「ほんとだってば。しつこいなぁ。なんだよ、僕が行くと迷惑するのか?」
「いやいや、そんなことない。すっごい嬉しい。それにしても即答とは驚いたなぁ。なんか、あーちゃんにしては珍しく乗り気だね」
決して乗り気なわけではなかったけれど、奈緒が両手を組み合わせて大げさに喜ぶものだから、そういうことにしておいても構わないかという気になった。
「あと入場チケットなら、すでに二枚も持ってる。だからこれは返すよ」
奈緒の組まれた手に先ほどもらったばかりのチケットを差し込んだ。
「え。誰にもらったの?」
奈緒は返答をうながすように首をかしげる。
「ふふ、なんのことだろ」
と左隣では間宵がにんまり笑っていた。
「あ、なんだ。こんな身近に先客がいたのか」
得心がいったのか、間宵を見つめながら奈緒は首肯した。
「そういうこと」
僕も首肯した。
「とにかく、絶対にきてね。絶対だよ」
「絶対だと念を押されると、行く気が削がれるんだけど……おとと」
奈緒が二枚のチケットを束ねて、あらためて胸元に押しつけてきた。進行方向を阻まれた僕はつんのめる格好になる。
「ほら、これもあげるからさ。だから、絶対に来て!」
「え……。いやだから、こんなにたくさんいらないって。ご覧の通り、僕の体は一つしかない」
「そんなこと言わずに受け取ってよ。もしあれだったら、他の人に売りさばいてもいいからさ」
「なんだよ、それジョークか? しょせん、ただの紙切れだ。売れるわけがないだろ?」
「それを言うんならお金だってただの紙切れじゃん」
などと間宵が横から茶々をいれてくる。
「ただじゃないだろ。お金なんだから」
僕の屁理屈は華麗にシカトされた。
「……うーん、どうだろうねぇ……。チケット一枚につき一万円くらいなら、平気で出す人いるんじゃないかなぁ」
奈緒の言葉を受けて、チケットを折りたたんでポッケにしまおうとしていた僕はぴたりと手を止めた。
「……え? そんなに?」
もし仮に真実だとすれば、たいそう値打ちのあるものを軽々しく握っていたことになる。高校生である僕にとって一万円という額は大金に値する。
「だから言ったじゃん。お兄ちゃんには分からないだけで、めちゃくちゃ価値があるんだってば」
面白がった間宵がそうつけ加えた。
「なんか……お前らのせいで、このチケットがだんだん一万円札に見えてきたじゃないか」
「あはは、冗談だって冗談。チケットごときで、そんな大枚はたく人がいるわけないじゃん」
僕の肩をばしばし叩きながら、奈緒はけらけらと笑った。からかわれていたようだ。
受け取ったチケットを陽光に透かしてみると、やはりコピー防止の「透かし」が入っていることが確認された。描かれているのは形容しがたい幾何学模様だ。見ようによっては鳥の翼にも、葉っぱにも、鹿の角にも見える。その中央部に「高」と文字が打たれている。厳かな雰囲気を放つ桜下女子の校章だ。
「ところでさ、このチケットなんだけど、どうしてこんなにしっかりとした“つくり”なんだ? いくらなんでも大げさすぎないか?」
その問いかけには間宵が答えてくれた。
「昔はそれほど厳しくなかったらしいよ」
「厳しくなかった?」
「うん。とはいっても、昔から在校生による招待制ではあったんだけどね。ただ、そこまでしっかりとしたチケットじゃなかったんだよ。そのせいか、大量にチケットをコピーして、無断でばらまくような人が出てきたらしいの。その人の思惑通りというか、校内に入りきらないほどの人がおしよせて、大混雑からの大混乱。祭りどころじゃなくちゃったわけ」
「なんのためにそんなことしたんだよ?」
「知らないよ、そんなこと。趣味の悪い人間が、そのさまを眺めて楽しんでいたんじゃない?」
「へえ……変わった人間もいるもんだな」
「その対策として厳重な人数調整のもと行われるようになったらしいよ。そう、念のためにね」
「ふうん、念のためにしては大げさすぎると思うけど……」
「ちなみに今の話は――十年も昔のことでした」
オチをつけるように締めくくった。
「うわ、僕を騙したのか!」
「やだなー、騙したわけじゃないよ。そういう噂も伝わってるってことだよ」
「噂か……。そうだよな、いくらなんでも祭りが中止になるほどの人が押しよせるはずないもんな」
日曜日ならありえない話ではないが、開催されるのは土曜の真昼間だ。
「いやいや、本当にすごい賑わいになるんだって。あ、いや、わたしも初参加だからよく知らないんだけどさ」
そう言い、間宵はぺろりと舌を出した。
三人は雑談を交えながら秋に彩られた道の上を着々と進んでゆく。落ち葉の絨毯はまだまだ薄く、垢抜けない色のまま青々としている。試験前につけ焼刃な知識を取り入れる学生のように、秋がきたので取りあえず落ち葉をふりまいてみた、お茶を濁しておいた、そんなお茶目な印象を抱かせる。
とそんな時、沙夜が僕にしか聞こえない伝達方法で恨み言をもらした。
『退屈ですよー、ご主人様! たまには私のこともかまってください! 退屈で死んでしまいそうです! はい!』
こうしている間、沙夜はずっとふてくされている。憑きものである彼女が僕らの会話に交わるわけにもいかない。なので、第三者が介入した途端、相手にしてもらえなくなる。それがよほど嫌なのだろう。
最近、僕が友人たちとばかり接しているせいか、ひがむような口調で「ご主人様以外の方たちにも私の姿が見えるようになればいいのですが……」などと毎日のように世迷い言を並べる。そんな彼女に対して、僕はからかい半分で囃し立てるのだ。
そうなったら世の中は大混乱だ、と。
『家に帰ったらな。そしたら存分とつき合ってやるから、学校にいるうちは勘弁してくれよ』
『はいはい、そう言いつつも放ったらかしにするんですね、分かってますよーっだ!』
しかめ面の沙夜は、腹いせがてら道端に散らばる木の葉をけとばした。見える人間にとっては憑きものが落ち葉をけっとばしたという単純明快な事柄だが、一般人の目には風も吹いていないのに落ち葉が舞い上がったように映る。
心霊写真もポルターガイストも金縛りも――なんてことはない。このような原理から怪奇現象なるものが発生するわけだ。
憑きものについての知識を得た今となっては、この世に不思議なことは、なにもない。
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