#3 小娘憑き・沙夜
「ご主人たまー……。なにしていらっしゃるんですかぁ」
「げ」と僕が声を上げ、「あちゃ」と間宵が続いた。喜ばしくのない闖入者を前にして、僕ら兄妹はほとんど同じ顔をしていただろう。
主人のベッドを占領していた問題児だ。見た目は限りなく人間に近い。人間でいうところの小娘に近い姿をしている。が、実のところ人間ではない。先ほどまでの会話から類推してもらえば分かるように、彼女は「小娘憑き」という種の憑きものだ。
半年前に出会った憑きもの――目前にいる少女は僕のことを「ご主人様」と呼ぶ(今しがた「ご主人たま」と言ったのは寝ぼけているためだろう)。その呼び名が示すように両者は主従関係にあり、僕がいるから沙夜は生きていられて、僕は沙夜に何度も救われている。
自分で言うのもあれな話だが、沙夜との出会いは精神面にも大きな成長をもたらした。彼女と出会う以前の僕は他人に関心を示さず、世の中に無頓着、無感動、なにかにとらわれたかのように現在だけ考えて生きてきた。
そんな僕に未来や過去を大切にしようと思わせてくれたのが、なにを隠そう、この憑きものである。
彼女と接していくにつれ現れた変化は微々たるもので、目に見えるような大したものではない。知人だけが感じとれる程度の些細な変化だ。それでも昔の自分よりも好きだ。自分自身がそう思える。だから僕は彼女に感謝をしている。
沙夜は大きなツインテールをぱたぱたと跳ねさせて、僕と間宵を交互に指さした。
「むむ、『げ』とはなんですか。間宵さんも『あちゃ』とはなんですか。眠る前には『おやすみなさい』起きた時には『おはようございます』というものではありませんかぁ、それが人間のマナーというものではありませんかぁ、ふぁー」
大きなあくびをかましながら沙夜がリビングに入って来ると、母の好きだった花、ルクリアの香りが室内に広がる。
ここは僕らの実家ではない。幼い頃に両親を亡くした僕らは、斉藤家に引き取られた。あれは小学校へ入学する手前の話だったから、かれこれ十年以上も昔の話となる。
向こうで暮らしていた幼少期、母はいつだってリビングの机上にルクリアの花を飾っていたため、鮮麗なまま記憶が残っている。この匂いを嗅ぐと、子どもの頃を思い出し慕情の念を抱く。沙夜と一緒にいて落ち着くわけは、そういうところもあるのだろうか。
「おはようございまふ……ご主人たま……」
こちらへよってきた沙夜は僕らの間に割り込んで、体を密着させてきた。べたべたとくっついてくるところは、出会った頃からなにも変わっていない。
「沙夜、どうして起きてきたんだ? 僕と間宵は大事な話をしている。早く部屋に戻れって」
「子ども扱いしないでください……ふぁい」
まるで朝と間違えているような態度だ。どっぷりと更けた夜、こんな暗がりのなかで朝と勘違いするほうが難しいだろう。いくら“抜けている”ところがある沙夜といえども、そこまで愚かな憑きものなはずがない。
「ご主人たま……。早く学校行きましょう……。遅刻してしまいます」
――重症だ。
「あのなぁ、お前、今何時だと思っている?」
「いまぁ、いまぁですねぇ……ええと……“間宵さんが”ご主人たまに夜這いなされていたところまでは、うっすら覚えているんですが、現時刻となると測り兼ねます」
「よばッ! お兄ちゃん! また“沙夜ちゃんに”夜這いされたのッ?!」
「間宵、落ち着いて主語を認識しろ、主語を……」
間宵の発した「また」というところにも深い意味合いがあるのだが、説明するまでもない。察してもらいたい。
「あるぇ、まだこんな時間でしたかぁ……」
不思議そうな面持ちで時計を見つめる沙夜。よほど眠たいのか、首がこくりこくりと幾度も折れる。水飲み鳥を彷彿とさせる挙動だった。
「それよりもご主人たま、文化祭ってなんですかぁ?」
「聞いてたのかよ」
わざわざ、かいつまんで話すのも億劫だったので代わりに説明してくれと、間宵に目配せした。すると彼女は、
「ちんげん菜を品種改良したものよ」
などとガセネタを吹き込む。
「ほぅ。なるほどなるほど、ありがとうございます」
この憑きもの――これまでずっと普通と違った生活をしてきたために、常識に欠けたところがある。それでいて純真すぎるゆえか他人のことを信じ込むきらいがある。
抜群なのは記憶力と計算能力、それ以外のステータスは少しばかりお粗末なことになっている。
特に貞操観念が圧倒的に低く、すぐに体を接触させてきたり、口づけを迫ってきたりとする。そんな性質から小娘憑きではなく、痴女憑きと呼ばれることが多い。とはいえそれは沙夜らしさなので、むりに矯正しようとは思わない。
「それはそれは……ぜひ食してみたいものです」
普通の憑きものは主に迷惑をかけないよう進化を遂げたため、食事や睡眠をとる必要がない。ただしうちの憑きものは人間のように食事をとり、人間のようにぐーすか眠る。そういった習慣的な性質は日ごろの生活によって変化するらしい。
「間宵、変なこと教えるなって。それと沙夜――」
定まらない焦点のまま、うつらうつらとしている沙夜に視線を投じた。
「――もう寝ろ」
僕と沙夜の応酬を他人事のように眺めながら――たった一人の肉親――藤堂間宵は音を立てて笑っていた。
そう、藤堂間宵はたった一人――唯一、血のつながった関係。
僕らの両親は死んだ。二人とも。一年前までは交通事故で死んでしまったのだと信じていた。片足を骨折した僕が入院していた病院へ見舞いにいく途中のことだった――と。
しかし、真相はまったく違っていた。二人は事故死ではなく、藤堂の血族をつけ狙う組織に殺されたのだと憑きもの殺し――大榎悠子は語った。全幅の信頼をおける相手ではないので、たしかな情報であるとは限らない。ただ、整合性のとれた話であることは認めなければならない。
藤堂家は古くから莫大な妖力を所持する家系として知られている。
妖力とは憑きものを扱う上で基盤となる力のことだ。妖力がなければ憑きものを認識することが出来ない。それでいて、妖力なしでは道という特殊な力も扱えない。あいまいな解説で申し訳ないが、とにかく憑きものを使役するためには不思議な力が必要となる――この場はそれくらいの認識をしてもらえれば差しさわりない。
たくさんの妖力を持つことは、その分だけ危険視される。憑きものを活用して企てられる悪事は世の中で溢れている。そのため膨大な妖力を誇る憑きもの筋は、周囲の人間から危険視され、嫉み憎まれることも多い。これまでは(運がいいのか悪いのか)憑きものの存在を知らずに育ったことが功を奏して、偶然、僕と間宵は死の運命から間逃れた。今となってはそう思う。
ともかく親を失ったことにより、代理人が見つからなければ児童養護施設に預けられる事態にまで差し迫った。そんな時、僕ら兄妹の面倒をまとめてみる、そのように名乗りをあげてくれたのが――
「こら、あんたたち、何時だと思ってるのっ!!」
――突如としてリビングに怒鳴り込んできたこの女性、斉藤京子という人物だった。
今年で不惑を迎えた彼女、年のわりに若々しい見た目をしている。目尻に刻まれた小さなしわを除けば、冗談で抜きで大学生を騙っても疑うものはいないだろう。
穏やかな性格の持ち主で、ものごとに対して限りなく寛容だ。たとえば、僕ら兄妹二人がどれほど激しい喧嘩していても(本当に止めてもらいたい時ですら)、微笑ましそうな顔をして見守っているくらいだ。
けれど、礼儀やマナーだけに関してはもの凄まじく厳しい。夜中に騒いでいたことなど――もちろん、許してもらえるはずがない。
「事情を説明しなさい」
「あの、間宵が怖がって、トイレに一人で行けないっていうもんだから……」
ありのまま真実を語ろうとした僕を制して、間宵が一歩踏み出した。毅然とした態度で京子さんの前に立つと、はっきりした口調で彼女は言った。
「お兄ちゃんに襲われました」
「……」
「……」
無言で間宵を睨む。先ほどまでの喜色満面をどこかへ隠して、彼女はアーティスティックな涙顔を作っていた。
「……そうなのあっちゃん?」
ドギツイ視線がそそがれた。慌てて僕は弁明する。
「京子さん、違います! 真相は真逆です!」
「ま、真逆って……。まよちゃん、あなた」
今度は間宵の方へ視線を投じる京子さん。人を呪わばなんとやらだ。一人だけ助かろうなど考えが甘すぎる。
「……お兄ちゃんの寝込みを襲ったの?」
「そ、そんなわけがないじゃないですか!」
間宵は真っ赤な顔して首をふった。対面に立つ京子さんは、驚きのあまりに怒りなどは吹っ飛んでしまったらしく、ただ困惑しているようすだった。僕らの背中を押しながら小さく耳打ちした。
「ほらほら、こんな時間に騒いじゃいけないわ。さっさと部屋に戻って……静かにやりなさい」
「え? あの……きょ、京子さん!?」
それではもはや寛容を通り越して、放任だ。
京子さんに急かされるまま階段をあがっていきながら、僕らは角突き合わせる。
「お兄ちゃんのせいで変な誤解されちゃったじゃん!」
「誰のせいだと思ってんだ! そういうの開き直りって言うんだぞ!」
「えっと、ご主人様、間宵さんとなにをやるんですか? あのう、楽しげなことならば、ぜひとも混ぜていただきたいのですが……」
「「…………」」
的外れなことを言い出す沙夜を息ぴったしに無視して、向かい合った二つの部屋にそれぞれ入った。
次回 ▷ 近日中
#4 秋晴れ天気の登校風景
#5まではAサイドが続きます。