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小娘つきにつきまして!(3)  作者: 甘味処
序幕(A) 誘致の噺
4/13

#2 招待されて桜下祭



 わざわざ電飾を灯すまでもないと判断した僕らは、暗がりのままリビングを横断する。途中、蛇口から水滴がシンクに落下する音がぴしゃと鳴った。ドアを開けた振動により張っていた一滴がこぼれ落ちたのかも知れない。もしくは空耳だったのかも知れない。


 どうでもいいことばかり考えてしまうのは、起きぬけの思考が活発に働いているからだ。朝と取り違えた脳みそが本格的に起床しようとしているらしい。やっかいなことだ。


 ひっそりと静まり返ったリビングは自室よりも涼しかった。天井から床までを結んだ掃き出し窓があるためだろう。開かれていなくとも外気で冷たくなったガラスから冷気が放たれている。


「いい? 絶対にここにいてよ。いなくなっちゃだめだからね」


「はいはい。分かってるよ。ここで待ってるから、さっさと用をたしてこいって」


 間宵の背中を押してやると、彼女はおとなしくトイレに入っていった。ぱちんと電気のともされる音がトイレの個室から聞こえた。


 部屋へ戻るとこっぴどく怒られそうだったので、言いつけ通りまどろみながら待っていた。ソファーにもたれかかり、赤白く灯っているテレビの電源ライトを見つめていると、無自覚に首が傾いてゆく。いよいよ睡魔からの勧誘に負けそうになったところで、がちゃりとトイレのドアが開かれた。


「えへへ、ありがと」


 暗がりにぼんやり浮かぶ間宵の顔は、どことなく照れくさそうだった。


 これで役目はすんだはずだ。リビングをあとにしようとソファーから立ち上がった。


 さてと、起きなくてはならない時間まで大分ある。これから寝なおせば必要最低限の睡眠を取れそうだ。幸い、途切れることのない眠気があるため、横になればすぐに眠りの世界へ没入できそうだ。


「じゃ、もういいだろ。僕は戻るぞ」


「待って……」


 背後から呼びかけられたので振り返ると、間宵は可愛らしく小首をかしげていた。なんの真似だ?


「お兄ちゃん、ココアでも飲まない?」


 心の底から暗雲みたいな不安がもうもうと巻き上がる。


「べ、別にいらないよ。それよりも眠たいから、もう寝る」


 さっさと退散しようとした僕の腕は――がしり――間宵につかまれた。構わずに足を進めたが、間宵の腕に思いのほか力がこもっていたため、一歩たりとて動くことが出来なかった。抵抗むなしくリビング方面へ引き戻されてしまう。


「あ、あの、あのさ……ちょっと待ってよ! とりあえずそこに座って。ね、ほら、だってココア飲んだら心が安らいで眠りやすくなるんだよ。ね、ね、だから一緒にココアでも飲もうよ。ココアを飲もう」


 黙ってソファーに腰掛けろと、彼女の目が語っていた。


「……おい、間宵、なにをたくらんでるんだ?」


「とにかくまずはココアを飲もう、ね、ね」


 うわずった声に促されるまま、リビングの中央に配置された真紅のソファーに着席した。黄緑と薄紅が交わったアーガイル柄のパジャマをばたばたと振りながら、ココアを作るべくキッチンの方へと間宵は駆けていった。ほどなくして間宵が両手にマグカップを持って戻ってきた。テーブルの上にココアを配りながら、すぐ隣に腰かける。マグカップから漂う甘い匂いが鼻をついた。


「お兄ちゃんにこんなこと言っちゃいけないんだろうけどさ……」


 間宵はしばらく間を置いてから歯切れ悪くつぶやいた。ぐいと顔だけをこちらへ向ける。二人の視線がぶつかった。


「なんだよ? 言いたいことがあるなら、はっきり……」


「大好きだよ、お兄ちゃん」


「ぶッ!?」


 発令――全身の皮膚が警告信号を鳴らした。


「ごっほ! ごほごほ! おま、おまおまお前! なんのつもりだっ!」


 あまりの驚きに、喉を逆流するココアにむせかえった。


 藤堂間宵は出し抜けに「大好きだよ」などと歯の浮くセリフを口にする人間ではない。明らかに様子がおかしい。


「なんかおかしいと思っていた! お前さては本物の間宵じゃ……むご!」


「しー、静かにして。京子きょうこさんを起こしたら大変なことになるよ」


 にゅっと伸びた白い指先に口を塞がれたことにより、助けを呼べなくなった。もっとも僕だって「京子さん」という人物が怖かったので、押し黙ったままこくこくと頷く。


 抵抗しないのを感じ取ったのか、間宵は僕の口から手を放した。


「ぷは……それで……お前、なんのつもりだ?」


「ねえ、わたしの大好きなお兄ちゃん。もうじき、わたしたちの学校で文化祭があるのは知ってるよね?」


「ああ、知ってるよ。桜下祭おうかさいだろ?」


 名門、桜下女子高等学校で毎年行われる文化祭と体育祭を混合した行事がある。それは「桜下祭」と呼ばれている。学生のみならず教師たちの全面的な協力によって催される。その張り切りようたるや、他の学校で定例的に行われる学園祭の比ではない。


 大規模な祭りということだけあって、学内の児童だけでなく外部の人間まで入場することができ、これが輪をかけてたいそうな賑わいになる。地元ではかなり有名だった。雑誌記事で取り上げられないのが不思議なくらいのクオリティだ。


 そこまで盛り上がる一つの要因として、そもそも桜下女子高等学校は部外者が絶対に入り込めない施設であることが挙げられる。これを期に立ちいることができるのだ。


 桜下祭は二日間にかけて開催され、一日目は生徒たちだけで行われる。一般公開されるのが二日目だ。たった一日であれ(だからこそとも言える)一年に一度きりのチャンスを我がものにせんと考える人は多い。


 しかしながら、誰も彼もが参加できるのかと問われれば、実はそうではない。


 部外者が入場するためには、桜下女子に在籍する生徒たち、それぞれ二枚ずつ配られるチケットが必要だった。つまり一見様お断り――招待が必要となる。生徒たちから信頼を得た人間しか入ることが許されないわけだ。


 厳重な警備のもと執り行われるため、チケットを持たざるものが学園内に侵入することはまず不可能だ。不埒な人間はそのしきたりを前に涙を呑むはめになるらしい。祭りの日が近づくと、学校付近で夜な夜なすすり泣く声が聞こえるそうな……。


 とにかく、それほどまでにビッグイベントらしかった。


「ただ話の流れが読めない。ええと、すなわち、なにが言いたい?」


「わたしのチケット余ってるんだけど、よかったらあげるよ。友達も誘えるように二枚ともあげる」


「いらない」


「桜下祭のチケットを二枚も手に入れるのはすっごいことなんだよ。なかなか手に入らないのよ。月末の土曜日なんだけど、もちろん空いてるよね?」


「いや、いらないって」


「うわぁ、運がよかったね、お兄ちゃん。無感動なお兄ちゃんには価値がいまいち分からないかも知れないけど、他の人が見たら目の色を変えて喜ぶのよ? だからほら、あげる」


 悪徳業者のようにそれだけをまくし立てると、パジャマの胸ポケットにしまってあったチケットを押しつけてきた。用意周到なところから察して、ココアを飲もうというのはあくまでも口実で、初めからそれが目的だったらしい。


 むりやり手渡された二枚の紙切れをまじまじと見つめる。中心に「桜下祭」ときらびやかなロゴが描かれており、生物の授業で目にするような二重螺旋の枠線が巡らされている。コピーで乱造したようなチンケなものではない。それら技巧の凝らされたチケットにはコピー防止のための透かしまで入っている。抜け目がない。


 やけに積極的な間宵の挙動、真剣な顔つき、ご機嫌を取るような接し方、それらから連想して「取引」という二文字が脳裏に浮かんだ。


「なにが……目的だ? 裏があるんだろう?」


「いやいや、なんにもないよ。ただ日頃からお世話になっているお兄ちゃんに恩でも返そうかな~って、思っただけだよ。あははは」


「そうか、そういうことね、あははははは」


 兄妹が織りなす空笑いがリビングに反響した。白々しいったらない。きっと間宵も同じ感想を抱いていることだろう。


「よし、今の発言で僕の中にあった疑惑が確信に変わった。取引なんだろう、目的を言えってば」


 妹の言うとおりチケットを欲しがる人間は多い。ただし、全人類誰しもが同じように喜ぶわけではない。僕だってその例外の一人だ。


 実を言えば去年、幼馴染みである小早川奈緒こばやかわなおから「遊びにこない?」と誘われたことがある。その際、頑なに拒絶した。小さなお祭りであればまだしも、大規模なものはどうしても苦手だ。僕にとってすればねぶた祭りも都心の交差点とさしたる違いはない。


「それに取引自体が成立していないよ。僕は祭りという行事がなによりも嫌いなんだ。そんなこと知ってるだろ?」


「文化祭」「始業式」「実力試験」それが僕の嫌う三大行事である。幼い時分より苦楽を共にしてきた妹が知らないはずがない。


「うん、知ってる……」


「よし、じゃ、改めてきこうか。なにが目的だ?」


「……うん。あのね、さっきの憑きものの話に戻るんだけどさ。その憑きものをさ、追っ払ってとまでは言わないよ。ただ危険性があるかないか……それだけでもお兄ちゃんに確認してもらいたいなーなんて、思ってるわけなんだけど……」


「ああ、なるほど。それで桜下祭の話につながるわけか……。お前の言いたいことはだいたい分かった。つまり文化祭というイベントを利用して桜下女子に入り込み、その憑きものの存在を確認してこいと言うわけだな?」


「そう! その通りだよ! 嫌だなぁ、分かってるじゃない!」


「いや、僕は最も不吉な考えを口にしただけだよ」


 鎌を持った憑きものがなにものなのかは気になったものの、ちっぽけな好奇心など気にならないほどに……行きたくなかった。


 他校の文化祭に参加するなど、敵地へのこのこ出向くほど滑稽な話だ。しかも行き先が女子校となれば、なおさらだ。


 別段、女子が苦手なわけではない。ただあの甲高い声が充満した場所へわざわざ足を運ぶ気にはならない。そもそも騒がしいところが苦手だ。安請け合いすれば、あとで泣きを見ることなど簡単に想像がついた。


「その憑きもののことなら、放っておいても大丈夫だよ。ここ二週間は平気だったんだろ?」


「む、そうかもしんないけど……」


「それに死神憑きは日本に生息していないそうじゃないか。きっと平気だよ、危害はないって」


「でも祭りに参加するだけだよ? 難しいことじゃないでしょ?」


「僕は人ごみが嫌いだ、騒がしい場所も嫌いだ、それらの要素があわさった祭りという行事がなによりも嫌いだ、ようするに行きたくない! 断固拒絶!」


「なー! 実の妹が夜眠れないほど怖がってるのよ! わたしは怖いの! 恐ろしいの! ねえ、お兄ちゃん、なんとかしてよ!!」


「もう意地を張る気はないみたいだな……」


 涙をたたえながら、すがりつくように懇願こんがんしてきた。


「お兄ちゃんが引き受けてくれるまで、わたし毎夜、叩き起こすから!」


 見え見えな脅迫にひるむことはない。気の弱い僕にしては珍しく反論した。


「そのたび、さっきみたくあらぬ箇所に触れられることになるんだぞ? それでもいいのかよ?」


「ひっ! ん……な、ななな、よくそんなこと……」


 効果はてきめんらしく、間宵は目を白黒させていた。


 ――まったく、お腹を触られただけなのに大げさなやつだ。


「こんの……近親相姦の人非人にんぴにんッッ!!!!」


 ――……本当に僕はどこを触ってしまったのだろう?


 予想をはるかに上回った間宵の激昂からして、お腹ではないような……。


「もう、あったまきた! いいもん! 他の人に頼むから!」


「他の人に頼むって、憑きものすじの知り合いでもいるのか?」


「いや、いないけど……いないけどさぁ」


 海外留学から今年帰ってきたばかりだというのに、間宵の交友関係は広い。人付き合いが上手なため、数多くの友達に囲まれている。けれど、こと憑きものに関して言えば、相談に乗ってもらえる相手はいない。だから、妹の悩みを聞いてやれるのは僕しかいない。止むを得ない、か。


「……で、その憑きものの特徴は? 黒い鎌以外のな」


 少しでも話題に乗っかると、間宵は顔を輝かせる。一見して可愛らしい仕草に見えるが、知略に長けた人間が放つ作為的な笑顔であることを忘れてはならない。愚鈍ぐどんな兄とは違って、妹は頭が切れる。


「ふふ、やっと調べてくれる気になった?」


「いいや、話を聞くだけだ……。行くかどうかはそれから決める」


「じゃあ、さっきの『大好きなお兄ちゃん』ってやつ取り消しで」


「あれも演技だったのか?」


 少しだけ残念そうにしている僕をよそに、間宵は記憶の復旧作業に移行していた。壁に吊るされたカレンダー付近を見上げながら、こめかみあたりを指先でこづいている。


「うーん……、特徴はね、近くから見たことないから詳しいことまでは分かんないんだけど、放たれる雰囲気がおっかなくて、その……幽霊みたいなの……」


「幽霊なんて非科学的なものがいるはずもないだろ」


「まぁ、そうなんだけどさー」


 そう、憑きものとは幽霊ではない。一緒くたにされがちだが、霊体でもなければ狐狸妖怪こりようかいのたぐいでもない。一種の生命体だ。見える人には見え、見えない人には見えない。そんな不思議な生物であるに過ぎない。憑きものたちはしっかりと生を持っている。


「全体的に白くてね、持っている鎌だけが黒い……かな。本当に多くは知らないの。わたしの視線に気がつくと、すぐにどこかへ消えちゃうから……。そうだね、とにかく漂っている雰囲気が不気味だったわ……」


「えーっと、全体的に白くて……黒い鎌を持っている……憑きもの……?」


 桜下女子に生息する白い憑きもの……それと黒い鎌?


 間宵の話を聞いているうちに、僕はある着想にいきついた。


「ちょっと待って、間宵……。お前今、白いって言ったか? それに黒い鎌って……」


「どうしたのお兄ちゃん。もしかして心当たりでもあるの?」


 間宵の問いかけを無視して考え込んだ。集中して考えを巡らせるほど、推量ずいりょうは確信へと近づいてゆく。


 今からちょうど、二年前――。

 僕はきっと――“その憑きものを見たことがある”。


 まさか、“あれ”と同一の憑きものなのか?


 だとすれば、憑きものの知識を知り得た今――

 ――もう一度、見てみたい気もする。


「月末というと……再来週だな」


「え? もしかして来てくれるの?」


「うん、気が変わった。その憑きものにちょっとだけ興味あるし、行ってやる」


 間宵はさぞかしご満悦なのか、幸せそうにうなずいた。


 その動作を合図としたようにリビングの扉がきいと開かれた。僕らはほぼ同時に視線を送る。京子さんが騒がしい僕らを叱りにきたのだとばかり思った。それは違った。


 そこには大きな瞳をごしごしとこすりながら、ゆらりゆらめく影があった。腰に届くほど大きなツインテールに髪留めとして使われた王冠の飾り。上下つなぎとなったゴスロリドレスの胸元には、真っ赤な蝶ネクタイがついている。


「ご主人たまー……。なにしていらっしゃるんですかぁ?」


 そんな小娘憑こむすめつきの姿があった。


 名は――沙夜さよと言う。




「二年前」は、小娘シリーズ第1弾の「#12 春風少女」を読み直していただけると分かります。もちろん、新規読者さんのため、のちのち解説を入れるつもりです。この段落ではあえてぼかしてあります。明かされるまで日が開くと思われますので、ここ、あとがきで補足させて頂きました。



 次回 ▷ 近日中

#3 小娘憑き・沙夜


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