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小娘つきにつきまして!(3)  作者: 甘味処
序幕(A) 誘致の噺
3/13

#1 夜這い


 夏が最後にこぼした余韻を払いのけるように秋の気配が進行を開始した。移ろう季節と張り合うように、どこか浮き足立った紅色が街中の景色を彩りつつある。


 九月上旬になれば、もとあった色を上塗りしていくように様々な色がごちゃまぜになって現れる。美しさよりも先に荒々しさを感じいる風景はまだまだ洗練されていないとも、だからこそおもむきがあるとも表現されるだろう。その儚くも短い主張こそが、秋の始まりを告げる合図だ。


 窓からカーテンの隙間を縫って流れ込んできた夜気やきが、部屋の端から端まで広まってゆき、空気に染み込むように拡散した。目を閉じていても分かる。これは秋の香りだ。


 九月十二日――。外出する際、涼しくなってきたことを実感することが多くなった。それでもいまだ、残された暑気に体を苛まれる日々が続いている。今宵なんかは特にそうだった。汗ばんだ首筋にべっとりまとわりつく不快さが、うっとうしくて仕方がない。


 僕――藤堂敦彦とうどうあつひこは夢と現実の狭間あいだにぶら下がった意識の中、いかんともしがたい寝苦しさに襲われていた。まだ季節の変化に順応しきれていないのだろうか、それとも眠る場所が悪いのか……。


 僕が就寝する場所はベッドではなくカーペットの上だ。ここが自室であるのにもかかわらず、カーペットに横たわって眠るという変わった習慣が僕にはある。


 部屋に置かれた一台のベッドは同居人が占領しているため使うわけにもいかない。同居人がどうしてもベッドでしか眠れないとダダをこねるので譲ってやった。なにせ彼女は一日でも快眠できないとなれば、翌朝とびきり不機嫌になるのだ。その点について多くの不満があるものの、悪態を口にするのはもうやめた。正確にいうならば諦めた。


 それにしても――やけに体が重たい。規則的に息を吐き出そうとしても、寝返りを打とうとしても、なかなか思うようにいかない。なぜだか金縛りにあったみたく身動きが取れなかった。


 身動き一つとれないのは、何者かに体を押さえつけられているせいだと気がついたのは、黒い影が揺らめいているのを薄目で捉えた時だった。


 肩を圧迫してくる真っ黒な影からは温度が感じられた。なんの目的があってかは知らないが、僕の眠りを妨害する存在がいることは明らかだった。


 もし平常な神経の持ち主ならば、身の危険を感じて飛び起きたりするのだろう。強盗のしわざかと、物騒な想像を膨らますのかもしれない。けれど僕の場合は違う。慌てることなく対処できる。相手が誰なのか分かりきっているからだ。


 ――くそ、またか。


 おおかた、寝相の悪い同居人がベッドからふり落ちてきたのだろう。常人からしてみれば酔狂極まりない推測であるが、こうして真夜中に起こされることは、僕にとって日常的なことだった。


「おい、いい加減にしてくれよ……。沙夜さよ。これで何度目だと思ってるんだ……」


 払いのけようと目前に広がる影に掴みかかり、勢いをつけてベッドに押し返した。すると影のぬしは「ひゃあっ!」などと素っ頓狂な悲鳴をあげた。


 ………………あれ?


 その声音を認識してから戸惑った。


 返ってきたアクションが予測していたものと異なっていたからだ。


 真っ黒な影を凝視した。夜目が働くにつれ、手のひらにじわりじわりと冷や汗がにじんでゆく。


「や! お兄ちゃん! どこ触ってんの!!」


 目前にいたのは、同居人――沙夜さよではなかった。


 僕は掴んでいた手を慌てて放し、尻を地につけたまま数センチ後ずさる。窓から差し込んだ月光に照らされた少女は、つややかな黒髪をはためかせたのちに、僕にむけ睥睨へいげいした。


 こちらに振り向けられた少女の顔立ちは、風体のあがらない僕とは似ても似つかないほど美麗に優れている。


 大きな瞳を縁取る長いまつ毛。朱の注がれた頬からは年相応のあどけなさが垣間見え、潤った唇からは大人びた魅力がうかがえる。そんな顔の右半分だけが月明かりによって淡く照らし出されていた。彼女の周りだけ空気が涼んでいると見まごうほどの瑞々しさがその姿から溢れている。


 お兄ちゃんと呼ばれたことから分かる通りに、寝込みを襲ってきたのは他でもない、僕の妹、藤堂間宵とうどうまよいだった。実の兄妹でありながら、彼女の姿に見とれてしまったことを情けなく思う。


「どこ触って……って、え?」


 彼女の体に触れていた手のひらをまじまじと見つめながら、先ほどの感触を思い出す。室内が暗がりだったことに寝起きだったことも相まって、どこを触れたかなど見当もつかなかった。


 少なくとも胸ではなかったと思うのだけど……。


 なんだったのだろう、先ほどの手触りは……?


 胸にしては固く、腕にしては柔らかく、肘にしては弾力がある。なんといっても生々しい肉感があった。


 恐怖心と好奇心にくすぐられた僕は、おそるおそる間宵に訊ねてみることにした。


「なぁ、僕は今……どこを触った?」


 なぜか間宵は頬をほんのり紅く染めて、上目遣いで睨んでいる。


「…………もう、お兄ちゃんの……ばか」


 思ってもみなかった妹の反応から、先ほどの新感覚な手触りが恐ろしく思えてきた。


 ……まあいい。お腹を触ってしまったということにしておこう。きっと不意にお腹を触られてくすぐったかったのだろう。そういうことにしておこう。知らぬが花というやつだ。


 そんなことよりも――。


「おい……どういうつもりだ? 間宵まよい、今何時だと思っている?」


 寝起きは機嫌が悪いというもっぱらの悪評が僕にはあるらしい。知らず知らずに説教口調になっていたことは自分でも分かった。


 ただ、僕が機嫌を損ねるのにも無理はないと思う。ぼやけた視界のなか壁にかけられた黒時計を確認すれば、夜中の二時三十分をさし示していた。明日も学校があるというのに迷惑千万な話だ。


 当然、僕ら兄妹はそれぞれ別の部屋で就寝している。こんな夜更けになんの目的があって兄の部屋に訪れたというのか。


「ご、ごめんね。起こしたことは悪いと思ってるよ……でも、でもね……」


「でも……なんだよ?」


 空気中の酸素だけを咀嚼するように、間宵は口をもごもごと動かした。


「…………眠れないの」


 強がりな彼女らしらかぬ、ほそぼそとした口調だった。


「…………ネムレナイノ?」


 僕がそのままリピートすると、彼女は目を尖らせる。


「そう。眠れないのよ、悪い?」


「いや、悪くはないけど。……えと、眠れないってのは、どうして?」


「嫌な夢……見ちゃって……それで……」


「はぁ? 夢?」


「そう……とっても嫌な夢……だから、その……」


 開かれた窓から侵入した風がすーっと二人の間を抜ける。しんと静まり返った部屋に兄妹二人の吐息と沙夜の寝息だけが広がっていった。


「お前、もしかして怖がってるのか? それでこんな時間に僕の部屋に?」


「こ、怖くなんてないよ! そんな勝ち誇った顔しないで!」


 ひとしきり声を張り上げると、ようやく騒いではいけない時間帯だと気にし始めたらしく、彼女は声のボリュームを落とした。涙ぐみながら唇を震わせる。


「お兄ちゃん。あのね……。うちの学校に変な憑きものがいるの……」


「変な夢に、変な憑きもの……?」


 カーペットの上に指先を這わせながら、間宵はうつむき黙り込む。


「あのさ、もっと要領よく説明してくれないか? もごもごしちゃってさ、お前らしくもない。なにが言いたいのかさっぱり伝わってこないぞ」


「それがね、わたしの学校に――…………」


 話を聞いてみると、彼女が通う桜下おうか女子高等学校の敷地内で見たことのない憑きものを目撃したとのことだった。なにやらその憑きものが不気味な見た目をしているのだと言う。


 たった一日だけならまだしも、新学期が始まってから二週間、毎日のように見かけるようになった。校庭の隅っこにたたずんだそいつは景色を切り取るように存在している。その不気味な憑きものに襲われる内容の夢を先ほどまで見ていたのだと、彼女は静かに語った。


 たしかにおっかない話だ。


 だとしてもだ、僕ら憑きものすじ――すなわち“見える側の人間”――にとってみれば、得体の知れない“もの”と遭遇することは家常茶飯なことだ。取り立てて急を要した内容ではないと思う。だから、何事もなかったかのように再び毛布にくるまった。


「……ふうん、そっか。奇遇だな、“変な憑きもの”なら僕のベッドにもいる。それでも僕はぐっすり眠れているんだ。きっとお前も平気なはずだよ。じゃあね、おやすみ」


 明日は金曜日、普段通りに学校がある。さっさと寝直さなければ翌朝悲惨なことになる。頭はすでに「明日は体育があったっけ? あるならば体操着をカバンに詰めておかなければ」などと、どうでもいい思考へ切り替わっていた。


「ちょっと待ってよ! たしかに変な憑きものをベッドの上に寝かせたまま、眠っていられるお兄ちゃんの根性は尋常じゃないとは思うけど、わたしはそんなに鈍感じゃないのよ!」


 必死に防衛しようとするも、両者間をへだてる毛布はあっさり剥ぎ取られてしまった。そのまま力強く手繰たぐりよせられて、毛布に包まろうとしていた僕は紐から解かれたベーゴマさながらカーペットに転げる。そんないつもより荒々しい妹の行動から、切迫した事態であろうことがうかがい知れた。


「いたた……。なんだよ、乱暴だな。憑きものを見ただけなら、そんな怯えることないだろ」


「違うの。ほ、ほら、変な憑きものっていうのはさ……。沙夜さよちゃんみたいなのじゃなくって、いや……えと、沙夜ちゃんもすっごく変な憑きものなんだけど、そういうんじゃなくってさ」


 ベッドで眠る沙夜に視線を投じてから、間宵は数回ぱちぱちと目をしばたたかせる。


「その憑きものはもっと不気味で……く、黒い鎌とか持ってるんだよ……」


「ああ……そう。なるほどね」


「黒い鎌」というワードが出てきたことにより、やっと話の流れがつかめた。


「ようするに……そのおっかない憑きものが“あいつ”と似ているんだな。それでなんだよ? だからお前、怖いんだろ?」


「こ、怖くなんてない! 怖くなんてないけど!」


 プライドの高い妹は、怖がっていることを認めたくないようすだ。


「だったら、どうして快眠していた僕をわざわざ起こしにきたんだよ?」


「あのね……。どうしてもって言うわけじゃないんだけどさ……。いや、ほんと、別にそこまで困っているわけじゃないんだけどさ……」


 間宵は僕から視線を外すように伏せたあと、両手を組み合わせてもじもじと身じろぎする。やがてイチゴのように紅潮した顔をこちらへ向けた。


「おトイレまで一緒についてきてくれない……かな?」


「ほれみろっ!! やっぱり怖いんじゃないかっ!」


「怖くなんてないっ! 怖くなんてないもんっ!」


 よく見れば、下唇をむっとあげる彼女の目尻は小刻みにふるえていた。どうやら本当に怯えているらしく、いつまでもからかっていると噛みつかれそうだった。


 強がりな彼女がここまであからさまに怖がるのも無理のない話だ。


「黒い鎌を持った憑きもの」と言えば、最近の出来事から連想されることが一つある。


 妹――藤堂間宵とうどうまよいは今年の春先に(死神憑きという種の)憑きものに襲われた。一時は彼女に生きることを諦めさせたほど、凄惨な出来事だった。憑きものごろしの大榎悠子おおえのゆうこの援助によりなんとか一命を取りとめたが、彼女の胸に深い傷が刻まれてしまったことはたしかだろう。


 間宵の生命を脅かした死神憑きも、くだんの憑きものと同様に「黒い鎌」を誇示していた。だから黒い鎌を持っている憑きものが校内にいることに、勝気な妹の胸に鬱屈した恐怖心が芽生えていたとしても、なんら不思議なことはない。


 そんな間宵に兄として、僕は誰よりも同情しているつもりだ。そのため――


「たく、分かったよ、仕方ないな」


 ――放っておくわけにもいかなかった。相変わらず押しに弱いなと思いつつ、ころりと顔色を明るくさせた間宵をぼんやりと見つめた。




次回 ▷ 未定

「#2 招待されて桜下祭」


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