プロローグ(B)
私は――運命という言葉が好きだ。
第一に字面が好きだ。第二に連なった四音の響きが好きだ。第三に言葉からにじみ出る明るさが好きだ。第四にとにかく素敵だ。
日常会話でも多用している。なにかにつけ、これは『運命』だろうと断言しては越に浸っていた。創造上の物語にあるような『運命』という言葉の甘美さに惹かれ、魅了された。
とはいえ――「世の中は運命的なことばかりで溢れているのだ」と考えていられたのは純粋だった少年期に収まる。
大人になるにつれて、残念ながらこの世の中に存在する運命、宿命、天命とうとうの秀美な言葉は神様を信じ奉った時代の残滓として、現代にまで転がっているだけなのだと、断じていくようになった。
前口上としてネガティブなことを述べているつもりはない。
ただ、『運命』などというものが本当にあるにしても、「平等ではない」とだけは主張したい。
少なくとも私に与えられた『運命』は決して優遇されたものではなかった。誕生した時すでに父親はいなかった。母の口からは「死んだ」とも「蒸発した」とも聞かされた。今となっては真相を知る手段はない。なんせ私が齢にして十五だったころ、母は世を去ったからだ。死因は過労だった。
その後の生活は将来を考える余裕もないほどに凄惨な暮らしぶりだった。親戚間をたらい回しにされて、毎日、身を粉にして働いた。時には暴力も振るわれた。ハタチを迎えると同時に家を出た。そうして私は『平等な運命』を否定していくようになった。
この私、唐草秋人――ここでようやく名乗るところに、私の筆の拙さを感じ取ってもらいたい――はそれなりに波乱万丈な人生を送ってきたつもりである。
これから先、私の半生をありのまま物語にするのは造作のないことだ。ただ、不器用な女性が編むマフラーのように長たらしく酷くネジれてしまっているため、物語としてはどうしても面白味に欠ける。
従って、つまらない部分を大幅に省き、夏菜さんと出会うところからこの物語を開始しようと思う。夏菜という女性は、少年期に諦めた『平等な運命』をもう一度だけ信じてみようと私に思わせてくれた大切な人のことだ。
なお、おもに私の視点から話を綴っていくことになる。ただ、一つの視点だけでは細部まで演出しきれないといった難点がある。その打開策として私の視点だけではなく、夏菜さんの視点も交えながら物語を展開させることにした。そのことをあらかじめ断っておく。
すでに長たらしい口上を述べてしまったが、詳しい話はひとまず抜きにしようではないか。
そう――とにかくデスティニー。
あれは――私の運命の人だった。