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小娘つきにつきまして!(3)  作者: 甘味処
2幕(A) 前日の噺
12/13

#6 二年前の記憶と口づけの道


 二年も昔の記憶だ。いくら消そうとしても消えてくれず、仕方なく奥底に閉まったままにしてあった記憶――甘い記憶は時が経つにつれて華やかなものに変わるのが常ではあるが、苦い記憶はますます苦味を帯びてゆくことだってある。僕のなかでずっと黒歴史として扱ってきた記憶は二年という年月をまたいだすえ、取り返しのつかないほど苦味を増していた。


 季節はちょうど今くらいの時期だったのではないだろうか。中学三年生だった僕らは受験シーズンのさなかにあった。友人たちは進路について頭を痛めていた人が大多数だった。そんななか、将来のことなどまるで考えていなかった僕は、家から(この時、すでに斉藤家に世話になっていた)一番近い高校を選択した。


 志望校を最終決定する面談が行われる一週間前、ささいな気持ちで桜下おうか女子高等学校の前を通りがかった。桜下女子は奈緒が志望する高校だと聞いていた。


 ほんとうに目的はなかった。興味本位のもと、「ここがあいつの通う高校なのか」と外から見つめただけなのだ。


 外観から眺めた桜下女子の校舎は、僕の通うことになる高校とは比べ物にならないほどに広く、無垢むくに澄んでいた。桜下女子はエリート校であるのみならず、陸上競技の名門校でもあるため、広大な校庭には陸上競技に適した環境が整えられている。門外から覗けたそれら光景に目を奪われつつも、さらにじっと見つめた。


 そこに、一匹の憑きものがいた。


 ぽつりとたたずんだ影――その姿を見つめて激しい恐怖を覚えた。網膜につよく張りつくほど真っ白な格好、小柄な体躯たいくに不釣り合いな身の丈ほどある真っ黒な鎌、そして、ぼんやりと見えたおぞましい睥睨へいげい表情かお――そこから、(今となっては滑稽な話だが)当時はその憑きものを怨霊だと思った。


 瞬間、不安に駆られた。あんなおぞましい悪霊がいる場所に奈緒が進学してもいいのだろうかと。だから僕は二年前、あの日、奈緒を校舎裏に呼び出した。


 彼女の髪がたは当時、ベリショートだった。いわゆる男の子のように黒く輝かしく、りんとした短髪の女の子だった。もっとも、女の子らしさを求めるのならば、現在いまの方が魅力的だといえるのかもしれない。けれど、わけあって、僕は当時の髪型をとても気に入っていた。


 呼び出されたことに戸惑いの表情を浮かべる奈緒の顔を見つめ、僕は思い切って告白した。


 ――僕には“幽霊”が見える、と。


 当時――僕のひとみにだけ「人ならざるもの」が映ることを誰にも明かしたことはなかった。それにはもともと、内向的な性格だったからという理由もある。


 妹の間宵にも、斉藤家の人たちにも、クラスメイトたちにも――ずっと隠しつづけてきた秘め事だった。それを幼なじみ――小早川奈緒こばやかわなおにだけ唯一告白したのだ。


 あの時、「憑きもの」ではなく「幽霊が……」と言ったのは、他の呼び名を知らなかったからだ。沙夜さよと出会って、憑きものという生物の仔細しさい詳しく知るまでは、幽霊と憑きものを同一視していた。


 なんにせよ、奈緒に事情を打ち明け、一心不乱に説得を試みた。「ほかの学校に進学すべきではないか」と言って聞かせた。奈緒は僕の言葉を真摯しんしに受け止め、思いまどわされたものの、結局はそのまま桜下女子へ進学する道を選んだ。


 その時に桜下女子高等学校のグラウンドにいた、おぞましい姿をした憑きものこそが「白色はくしょくの憑きもの」――つまりは間宵が目にした憑きものではないかと勘ぐっている。桜下祭おうかさい自体に興味はなくとも、行ってみようという気になったわけは、そういう事情のもとにある。


 ともかくあれは、このまま忘却の彼方へと飲み込むには少々、苦すぎる記憶だ。それでも、いつまでもそのままにしておくのも据わりが悪いので、いっそもう一度その憑きものと相対し、心に安心を得てから消化してしまおうと桜下祭に向かう覚悟を決めた。



 ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ 



 ――桜下祭をいよいよ二日後に控えた木曜日。九月二十六日の空は灰色に灰色を重ね塗ったかのごとく、どんよりと曇っていた。


 僕――藤堂敦彦とうどうあつひこは学校帰りに沙夜さよと散歩していた。時々目的もなくぶらぶらと歩くことがある。学校が終わるやいなや、「すこし歩きませんか」と沙夜からねだられるのだ。きっと、授業中ほったらかしにされたことの気晴らしがしたいのだろう。とはいえ、こうしている時間は気楽なものだし、さして嫌いな時間ではない。


 そういえば、つい最近この街に公園が設立された。学校から歩いて二分ほどの距離にある。住宅地に無理やり作られたかのような狭い公園だが、遊び場の少ない地域民にとっては結構人気があるらしい。


 この歳になるまで、遊び場がこの地域にはなかった。隣町まで足を運べばポツポツと公園を見かけたのだが、とても子どもたちだけで歩いていけるような距離ではない。そのため、小学校時代、僕と間宵と奈緒の三人は最寄り駅の駐輪場で遊んでいたものだ。


「くしゅっ!」


 公園のベンチに腰をかけながら僕は五度目のくしゃみをした。なぜだか鼻がえらくむずむずする。先ほどからくしゃみばかりしているせいで、呼吸するたびに鼻がひりひり痛んだ。風邪を引いているわけでも花粉症なわけでもないのに、連発でくしゃみが出てくる。


 誰かが僕の噂をしているのだろうか?


 いや、さすがにそんなはずがないか。僕はオカルトを信じないたちの人間だ。


「ご主人様、へんなくしゃみですね」


 となりのベンチに腰をおろした沙夜がこちらを向いて、面白おかしそうに微笑んだ。彼女が首をひねるたびにルクリアの香りが立つ。


「ああ、これか……。ずっと周りの人たちがするくしゃみを不思議に思っていた。大きな音でする人がいるだろ? どうしてあんな大きな音が鳴るんだろうって、あれがたまらなく不思議だったんだ。それがある日、僕はとんでもない思い違いをしていたことに気がついた」


「とんでもない思い違いですか?」


「くしゃみは口を開けてするものだってこと。なぜか昔から閉じたまましていたせいか、それが、ずっとくせになってるみたいなんだよ。くしゅ!」


「ふふ、ご主人様ってやっぱりアホですよね」


「ふん、なんとでも言えよ」


「そんなことよりも、ねえ、ご主人様」


 沙夜さよが僕の肩を揺すりながら、大きな瞳をこちらに覗き込ませてくる。そしてにやりと笑った。


「キスしませんか?」


「やだよ」


 そっぽを向いてから、もう一度沙夜の顔を見やれば、彼女は何事もなかったかのように西の空へ視線を向けていた。西の空に浮かぶのは凝り固まった暗雲ばかりだ。上昇気流に乗っかってこちらまで流れてこようとしている。


「いよいよ雨、降りだしそうですねえ、ご主人様」


「ああ、そうだな」


 なんのつもりか、やたらともじもじした沙夜は頬を紅く染め、なにかを期待するかのように、ちらちらと目配せした。


「……キスしません?」


「しないよ」


 このように、出会った当初から今となっても一切変わらず、沙夜はやたらと口づけを迫ってくる。半年近く経っているのにそういった変質な気性はなに一つ変わっていなかった。


 この世界に振り落とされたばかりのころ、沙夜は僕とは別のあるじのもとで生活していた。生活していたというのはただ一緒に暮らすという意味ではなく、憑きものとして人間に従事していたということだ。


 そして、主の命によりたくさんのライバル企業を倒産するまで追い込んだ。一般人に見えない憑きものの性質を利用して謀略を巡らせたのだ。結果的にとはいえ、沙夜はたくさんの人間を殺してしまった。


 一般的な倫理観から論ずれば、それが卑劣なおこないだということは瞭然としている。ただし、それはあくまで一般的な見方であり憑きものの常識からすると、不思議なことでもとがめられることでもない。それが本来の憑きものの使い方なのだ。


 なんにせよ、沙夜はやりすぎた。


 そういった事情がもつれこじれて、沙夜はやりすぎた憑きものを討伐する組織――憑きものごろし、大榎悠子おおえのゆうこに命を狙われた。大榎が使役する犬神憑きの苛烈を極めた攻撃により、沙夜は体に大きな傷を負った。絶体絶命だった。沙夜も僕も――一度は命を諦めた。


 そのさい、使用したタオがあった。それこそが口づけのタオだ。口づけをすることによって、憑きものが負った傷を回復させてやることができる。起死回生、沙夜は迫りくる大榎悠子の魔手から間逃れた。


 出会ったばかりのころ、誤って口づけをしてしまったとき、彼女はあろうことか、「気持ちがいい」と感激した。つまり憑きものが人間とする口づけは、人間が味わうものよりも強い快感が伴うらしいのだ。だから今となっても、こうして迫ってくることがある。


 また、タオというのは憑きものに与えられた能力のことを言う。主が憑きものに妖力を注いでやることで使用できる、技のようなものだ。効果はまちまちで憑きものによって千差万別と変わってくる。ちなみに沙夜が使うのは守護系統のタオ――分かりやすくいえば、主の僕を他の攻撃タオから守ってくれるタオだ。


「そろそろ帰ろっか」


 ベンチから立ち上がって沙夜に呼びかける。沙夜はゆっくりとした動作で腰をあげた。気持ち良さそうに伸びをしたあと、彼女はとつぜん前方を指さした。


「あれ、奈緒さんじゃないですか?」


「あ、本当だ」


 公園の外、横断歩道をまたいだ先にある道路、かなり遠方に小早川奈緒こばやかわなおの姿があった。


 なにやら向こうも散歩をしているようだった。一人ではない。かたわらに一匹の犬を引き連れている。遠目だったがあの犬がマロンであることは想像がついた。


 彼女はマロンという犬を大変可愛がっている。品種はノーフォークテリアであり、とたとたと短い手足を懸命に動かし、奈緒の後ろをついてゆく。彼女らが散歩している光景はよく見かける。はたからみていても幸せを感じられるほどに幸福な笑顔。そのもいわれぬ光景に目を奪われていた。本当にマロンのことが可愛いのだろうということは、客観的にもよく伝わってきた。


 さぞかし楽しそうにじゃれつくマロンの邪魔をするのも悪いし、彼女らは帰宅途中にあるように見えた。実際にその通りだったらしく、彼女はこちらに背中を向けて歩き出した。その光景を遠巻きに観察しながら、声をかけようかと悩んだが、やめておくことにする。


「追いかけますか?」


「いや、マロンに悪い」





次回 学級崩壊・大惨事

三日後くらいかなあ。

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