この世界のこと
次の日から私はマクリナに様々なことを教えてもらった。朝早くから私の部屋にはマクリナとテト、それにどうやら私の護衛につけられたらしいクラウドが渋々扉の近くにドンッと座っていた。
普段は自分の部屋に籠って研究をしているマクリナも、朝から嫌な顔一つせずに私の質問に全て答えてくれた。
まずは単刀直入に『巫女』とは一体どのような役割なのか。
「そうですねぇ。一言ではなかなか説明するのが難しいのですが、巫女とはこの世界を救う存在とでも言っておきましょうか。」
「この世界を救う存在?」
「はい。この世界で一番力を持つものが龍であるということは昨日お話ししましたよね。それを呼び出すことができるのも龍の巫女だけであるというのも。」
「はい」
「龍の力は絶対です。だからこそ誰しもがその力を自分の物、もしくは自国の物にしたいと願ってしまいます。それはつまりその龍を呼び出すことのできる巫女も同じです。加えて巫女には特別な力があるのです。龍に選ばれた巫女には、異質な力が宿されていると言われております。」
「えっ?異質な力ですか?……私別にそんな」
「えぇ、サクラ様には見たところまだそのような力は感じられません。ですが、まだ目覚めていないだけのこと。その力は必要になったときに自ずと目覚めるはずです。」
「……そんなもんなんでしょうか。」
「私達も分からないことは多いのは事実です。しかし、だからこそサクラ様をお守りするのが私達の役目なのですよ。」
「………守るって、何からですか?」
「………」
マクリナは言いにくそうに眼鏡を押さえた。
「……サクラ様。この世界は今二つの大きな勢力によって二分されてしまっております。そして、その二つは今も争いを止めることなく繰り返しております。」
「……戦争、ですか?」
「そのようなものです。この争いはもう数十年も続けられてしまっています。そして、その中心となっているものもはやり龍なのです。」
この世界にとって、私が呼び出すことのできる龍という存在は果てしなく大きな意味を持つものらしい。
「じゃあ、私を守るというのはそのもう一つの勢力からということですか?」
「はい。私達ルミエールの者は正しく龍の力を使いたいと願っております。平和に過ごすためにと。しかし、敵対している者達は龍の力でおぞましい願いを叶えようとしております。」
「敵対しているところっていうのは…?」
「アシャという国です。」
「アシャ…」
「彼らは龍を憎み、そしてこの世界の創設者である人間を憎んでいるのです」
「……えっ?創設者が人間なんですか」
また訳のわからないことが増えてしまった。
「はい。この世界や我々のような獣人を造ったのは一人の人間とその龍だと言われております。なので、我々は人間を神のような存在として崇めてきました。」
それにしては、クラウドとオルタナの私への態度はどうなのかしら…。
マクリナの話の間を縫って扉の前に陣取っているクラウドを横目で見ると、大きな欠伸をしている姿が写ったので、私は小さくため息をついた。
「ですが、アシャの者達は違います。人間は神などではなく悪魔だと教え込まれ、そのような思想を抱きながら生きております。」
「…どうしてそんなに真逆の考え方なんですか」
たしかに私のいた世界でも様々な思想で満ち溢れていた。宗教や価値観の違いから生まれる争いも、今までの歴史から数えきれないほど繰り返されてきている。
だが、こんなにも真っ向から同じものを真逆に考えるものがあっただろうか。
「それは…彼らの容姿に関係しております」
「どういうことですか?」
「サクラ様は最初私達が人間ではないと話した時どのように感じられましたか?」
マクリナはまた眼鏡を直しながら私の顔を見つめた。
「えっ、信じられませんでした。見た目もですけど、私と同じようにしゃべったりお茶を飲んだりしてたから」
「そうでしょうね。私達は創設者によって『人間』寄りの獣人として作り出されました。なので見た目も獣である部分は極めて少なくなっております。」
マクリナの尻尾を思い浮かべた。
あれを見せられなければ今でも信じることはできなかったかもされない。
「ですが、アシャの者達は『獣』寄り作られてしまった獣人なのです。」
私はふとマクリナの言い方に違和感を覚えた。
それが一体なんなのか探る間もなく、マクリナは話を進めた。
「獣寄りの彼らは容姿は二足歩行の動物といったようなものです。言葉は話せますが、粗暴で荒々しい者が多いようです。彼らにとって自分達をそんな姿に造った人間は悪魔であり、全ての元凶であると考えております。龍の力を手に入れてしまえば、この世界を暴力の支配する世界へと変えてしまうかもしれません。」
「そ、そんな」
私の頭の中で恐ろしい彼らの姿が浮かんできた。
それこそ、異質で身の毛のよだつような姿だ。
そして、そんな彼らは私を…人間を恨んでいるらしい。
不安が顔中に広がった。
もしも、あの森で出会ったのがルミエールではなくアシャの者達だったら、今頃私は…。
恐怖に身震いすると、そこでふと私は『彼』のことを思い出した。
私が初めてこの世界で接した人。
襲われそうになった私を助けてくれた、黒い髪の彼を。
今思えば、私を追ってきた男達はどことなく人間とは違う顔の作りをしていたような……。
でも、彼は違った。紛れもなく人間の顔をしていた。
マクリナに聞けばわかるかな。
彼はクラウド達が迎えに来ることを知っているようだった。だとしたら、この城の人なのかもしれない。
「あの、マクリナさん」
一頻り話した後だったので、マクリナはテトが淹れてくれた紅茶に口をつけるところだった。
「はい?」
「私を迎えに来てくれたのって、イーヴァとクラウドだけだったんですか?」
「?そうですよ。少数精鋭で動くのが私達なので」
「……そうですか」
だとしたら、彼は誰だったのだろう。
彼の姿を思い浮かべながら、私も紅茶を一口含んだ。
「それがどうかしたのか」
いつの間にか真剣な顔のクラウドが近くまで来ていた。
「気になることがあるなら俺達に何でも話せ」
鋭い視線で私を見つめる彼に、私は少しムッとした。何故そんなにも私に敵意を向けてくるのだろう。
「別に」
ふんっとクラウドから顔を背けると、私はまた紅茶を啜った。
「…お前なぁ」
「まぁまぁサクラ様。クラウドもサクラ様の身を案じてのことです。何か気になることがあれば遠慮せずに話してください。」
ムッとしたクラウドを押し退けて、マクリナが丁寧に聞いてきた。
でも、何故か彼のことは聞かずに他の出来事が口から出た。
「…二人と出会う前に私男の人達に追いかけられたの。今思えばなんとなく人間っていうより、その獣人って言葉が当てはまるような人達だったから」
ガタンっと私が話終わる前にクラウドがテーブルに手をついた。
そして、目を見開いて私の顔を覗きこんだ。
「そいつらは何か言ってたか」
急に鬼気迫る表情を見せた彼に驚きながら、私は覚えているままを口にするのが精一杯だった。
「わ、私を見て『女だ』とか私を捕まえれば『あの方に評価されるとか』言っていたような気がするけど、逃げるのに必死で」
最後の方をモゴモゴとしゃべっていると、クラウドはチッと舌打ちをした。
「もうバレちまってるのか」
唇の端を軽く噛みながら、クラウドは苦い顔をした。もっと早くに伝えておくべきとこだったようだ。
「…あの」
「あっ?」
苛立つような表情の彼に、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい。もっと早く話しておけば良かった。ていうか、私が見つかっちゃったのがいけなかったのよね」
謝っているうちに、なんだか惨めな気持ちになってしまった。
あの時は必死だったから逃げてしまったけど、結果として逃げたということは、自分が女であるということを彼らに教えてしまったようなものだ。
何か上手く切り抜ける方法があったのかもしれない。
シュンと項垂れた私の頭に、ポンっと何かが乗っかった。
「いや、お前が悪いわけねぇよ。俺達がさっさとお前を見付けなかったのが全て悪い。」
それだけ言うと、クラウドは私の頭の上から手をひき今度は肩に手を置き私の目を見た。
「お前の存在がアシャの奴等に知られているかもしれないなら、俺がお前を守ればいいだけの話だ。お前は何も心配せずに、ルイス王をこの世界の王として選ぶことだけを考えてろ」
「……あ、ありがとう」
間近にあるクラウドの真剣な瞳に、私は顔が赤くなっていくのがわかった。
こんな風に扱われるのは、彼らが女の子に対しての接し方が分かっていないからなのだろうか。
ん?
ちょっと待って。
今クラウドは前半はとても頼もしいことを言ってくれたけど、後半は……
「ルイス王をこの世界の王として選ぶ?」
クラウドの言ったことをおうむ返しに呟いた。
「あぁ、それをまだ話していませんでしたね。」
クラウドが離れるとマクリナが口を開いた。
「巫女が龍を呼び出せるのは、巫女が誰かと結ばれた時なのです。」
「えっ?結ばれた時って……」
まさか……
私の顔がまた赤くなるのを感じた。
その顔を見て、マクリナは優しく頷きながら
「はい。巫女と契りを交わすことでその者は龍の力を獲ることができるのです。つまりサクラ様と愛しあっ」
「わぁぁ!!わかった分かりましたから!」
な、なんていう条件なのよ!
私は赤くなった顔を両手で覆って発狂しそうになるのを抑えた。
だからあの時オルタナはソウマを王に選ぶなとかなんとか言っていたのか。
私は訳もわからずに頷いていたけど、これでなんとなく自分が置かれている状況が理解できてきた。
要は私と愛し合った人が龍の力を手にいれることができる。そして、その龍の力こそこの世界を統べることができるほどのものだから誰しもが欲しているわけだ。
それって
「じゃあ私は……」
龍を呼び出すための道具?
「違いますよ」
言いかけた私の言葉をマクリナが制止した。
「あなたが心から愛さなければ龍はその者に力を与えません。あなたが認めた者でなければいけないのです。ですから、サクラ様ゆっくりと心のままに過ごしてください。」
私の不安を笑顔で取り除いてくれた。
もしも私が思っていた通りなら、この世界で私は誰のことも信用することができなかっただろう。
でもそれはマクリナの笑顔が否定してくれた。
「クラウドはルイス王をと申しておりますが、私はサクラ様のご意志を尊重するべきだと思ってます。」
「マクリナ!」
クラウドが驚いたようにマクリナの方を向いた。
「この世界の王はルイス王以外俺は認めないぞ」
「クラウド私だってそれは同じですよ。しかし、そうやってサクラ様を縛ることは決していいことだとは思えないのです」
「だが…」
「サクラ様の心を獲ることのできた者がこの世界の王です。もちろんそれは私でもあなたでも可能なことです」
マクリナは意味ありげにクラウドに微笑んだ。
「……お前」
怪訝そうにクラウドが睨み付けると、マクリナは可笑しそうにクスクスと笑った。
「しかし、私としてはルイス王に最大限努力をしていただいて、サクラ様の心を獲得して頂きたいと心から思っておりますが。その為に私も精一杯協力を惜しまないつもりです」
「………」
不満そうな顔のクラウドと可笑しそうに微笑むマクリナを眺めながら、私は紅茶を啜って眺めていた。
二人ともきっとルイス王が大好きなのだろう。
あの優美な王様のことが。
「どうぞ」
空になったカップを持ったままの私に、テトがティーポットを手に近付いてきた。
「ありがとう」
コポコポと注がれた紅茶からフワッと甘い香りがたった。
「どうぞ焦らずに」
紅茶を私の前に置きながら、テトが私にだけ聞こえる小さな声で囁いた。
「サクラ様はなにも気になさらずに、まずはここでの生活を楽しんでくださいませ」
テトの笑顔が私の不安を溶かしてくれた。
「うん、ありがとう」
私もテトにだけ聞こえる声で答えると、彼は笑顔を返してからマクリナのカップへ紅茶を注ぎに移った。
「あっ、そうでした。」
クラウドと言い合っていたマクリナが思い出したかのようにこちらに振り返った。
「明日ルイス王がお食事を一緒にと申しておりました。」
「私とですか?」
「はい。宜しいですか?」
私に果たして拒否する権利があるのか頭の隅で考えながら,頷いた。