長い一日
「ハァ………ハァ…ハァ。」
突然に開いた扉に驚く間もなく、開いた扉からクラウドが飛び込んできた。
「匿ってくれ……」
息も絶え絶え、大きく跳ね上がった扉を力ずくで押し戻して私達に言った。
唖然としている私をよそに、テトが優しく頷いて彼を招き入れてくれた。
こんなに慌てるなんてなんなんだろう。
「……あの、どうしたの?」
「………あぁ、ちょっとな。」
まだ肩で息をしているクラウドは、扉にもたれ掛かるようにして腰を下ろした。
「巫女様、もう少し下がっておられた方がいいかもしれないです。」
テトがそう言いながら自分も窓の方に離れていった。
「えっ?こう?」
私が3歩程後ろに下がったと同時に
ブゥァタァァン!!!
「キャッ!!」
「!!!」
扉が真ん中から真っ二つに吹き飛んでしまったのかと思うほどの衝撃と爆発音をたてながら、両側にぶち開いた。
その衝撃でへたりこんでいたクラウドは、調度私のいた位置まで前のめりに転がっていた。
テトが注意してくれなかったらと思うと、恐ろしくなってしまう。
その転がったクラウドから視線を上げると、グラグラと開いた扉の間に誰かが立っていた。
「……もう、逃がさないわよ。」
カツカツカツとその人はヒールを響かせ、低く唸るような声をあげながら、部屋の中心で転がっているクラウドの方に歩いていく。
「や、やめろオルタナ!!お前のそのバカ力で殴られたら、俺の体が」
「うっさいわよ!!あんたみたいなコソ泥には鉄槌をくわえてあげないといけないのよ!」
更に逃げようとするクラウドの胸元に掴みかかると、顔を間近に迫らせて凄んだ。
クラウドの顔が恐怖で歪んでいるように見えた。
あの、クラウドがだ。
私はあまりの事に目を丸くしてその光景を見ていることしかできなかった。
だって、あのクラウドがこんなに怯えている相手は、クラウドよりも少しばかり背の高い綺麗な女性だったからだ。
瑠璃色の腰まである髪を一つに結い、体のラインがくっきりと出るエキゾチックな服を身につけた長身の美女がそこにいた。
「………女の人。」
不意に発した私の声に、クラウドに向けられていた彼女の視線が私に向いた。
その美しい顔立ちに私はまた息を飲んだ。
長い睫毛に宝石のような髪と同じ色の瞳。その下にある泣きぼくろが彼女の色気を全面に押し出しているようだった。
「お二人ともお止めください。ここは巫女様のお部屋にございますよ」
テトがスッと二人の間に入り込み、掴みかかっていた手をソッと離した。
クラウドは素早くその場から離れると、喉元を抑えながらゲホゲホと咳き込んだ。
「この怪力が…。」
「……なんですって?」
クラウドの呟きにまた飛びかかっていきそうになる彼女をテトがなんとか押さえた。
「オルタナ様、どうかおさえてください。巫女様が驚いてしまうではないですか。それにオルタナ様だけまだ巫女様にご紹介が済んでないようですし。」
小さなテトなど吹っ飛ばしそうな勢いだったが、懸命に引き留めるテトの言葉をどうにか聞いてくれたようだった。
「わかったわよ。クラウドは後でしっかり躾をしてやるけど。」
事が収まり安心していた様子のクラウドを睨み付けながら彼女は吐き捨てた。
「巫女様大変失礼いたしました。」
「……ううん。ちょっとビックリしただけ」
「これからはこのようなことのないように、扉には鍵をお付けしますね」
「えっ?うん、ありがとう」
問題はそこではない気するんだけど。
私は曖昧に微笑みながらテトに答えた。
「それで、あの……」
胸の前で腕組をして、フンッと鼻を荒くならしながらクラウドを見詰めている彼女を見た。
いや、正確には『彼』なのだろうか。
恐ろしく美しい容姿なのだが、この世界には女はいないと言われてしまったし、さっきのあの力…。
私はもう一度グラグラと未だに揺れている扉を見てから、ブルッと身震いをした。
「あっ、ご紹介が遅れてしまって申し訳ございません。」
テトが私の視線に気付き、スッと側に来てくれた。
「巫女様にご紹介しなくてはならないと思っていたので、調度よかったです。こちら第三騎士団団長のオルタナ様にございます。先程の会合に間に合わなかったようですね。」
第三騎士団団長。
その称号は彼には全くもって似合わないものだった。騎士とか団長とかいう言葉はクラウドやソウマのようないかにもという感じの容姿に使うべきもののように思えてならなかった。
あまりにもジロジロとオルタナを見ていたことに気付いて、ハッと私は頭を下げた。
「はじめまして。私サクラといいます。」
その後が続かない。
あとは何を紹介するべきか。
皆は巫女と呼んでくるけど、果して自分で「私は巫女です。」なんて紹介することがあっていいことなのか。
いや、自分自身でもまだ巫女なのかどうかもわかっていないんだから、そこは何も言わない方がいいよね。
モヤモヤと頭を上げられずにいると、オルタナがスッと近づいてきた。
「…あなたがラーテル様のお告げの巫女?」
顔を上げると私を見下ろすオルタナの冷ややかな目とぶつかった。
「……みたいです。」
「ふぅん。」
今度はオルタナが不躾のまでに私を上から下までまるで品定めをするかのように視線を動かした。
その視線に私はなんとなく居心地の悪さを覚えて、無意識に顔を伏せていってしまった。
一頻り視線を這わした後で、オルタナは鼻からスッと抜けるように軽く息を吐くと余裕たっぷりな笑みを浮かべた。
「本物の女なんてこの程度なのね。あたしの方が断然美しいじゃない」
「……えっ?」
嘲笑うかのような言葉に顔を上げると、オルタナは私の鼻っ柱に指を突き付けるかのようにピンと立ててきた。
「いいこと。あんたが予言の巫女だろうとこの世界でたった一人の女だろうと、この世界で一番美しいのはこのオルタナ様だってこと忘れるんじゃないわよ。あんたが今着てるその服もこの部屋も全てあたしが作らせたものをあんたに貸してあげてるだけなんだからね。感謝してあたしに接しなさいよ。」
「は、はい。」
あまりの剣幕に、私は頷くことしか出来なかった。
「………それと」
オルタナは突き刺さるほど鋭くしていた指を引っ込めながら、一番の忠告をするように私を睨み付けてきた。
「絶対にソウマ様に色気を使わないこと。彼を王に選んだら承知しないんだから。」
その異常な殺気に高速で頷きながら、私の頭にあの黒く大きなソウマの姿がぼんやりと浮かんだ。
色気を使うも何も、まだ一言だって話したことなんてないのだ。
私の頷きにまた鼻をフンッと鳴らすとオルタナは少し離れてくれた。
「まぁいいわ。こんなお子ちゃまにはソウマ様はきっと興味なんて示さないだろうから安心だし。」
お子ちゃま……。
私は自分の体を見下ろしてからオルタナに視線を向けて、人知れずため息をついた。
「あんたが約束を守るって言うなら、仲良くしてあげてもよくってよ?ただし、絶対に約束は守りなさいよ!」
「わ、分かりましたから!第一私まだその人と話したこともないんですから」
「あら、そうなの?」
「あのソウマが知らねぇ奴とすんなり打ち解けると思うか?」
私たちのやり取りを黙って見ていたクラウドが、いつの間にかソファーに腰を下ろしていた。
「そうよね。ソウマ様は限られた人としか話さないし。」
納得したかのようにオルタナは安堵の表情を浮かべていた。
それを見て私もホッと胸を撫で下ろすことができた。
「だいたい、そんなに心配ならお前も会合に参加しろよな。」
「はぁ?あんたがさっさと始めちゃったんじゃないの!あたしはあのときお風呂にいたのよ?裸で出ろっていうの?」
「そうすればよかったんじゃねぇか。おめぇの裸なんて大概見慣れてるもんと一緒だろうが。」
「…………殺す!」
一段落していた二人の問題がまた蒸し返されたかのように、オルタナがクラウドに掴みかかりそうになった。だが、いち早くクラウドはソファーから立ち上がり一目散に部屋を飛び出していった。
「待てコラァ!!」
その後を鬼の形相のオルタナが追いかけて、風のように去って行ってしまった。
私は相も変わらずに、その状況に一人ポツンと置いていかれてしまったかのように立ち尽くすことしか出来なかった。
その日はその後、イーヴァが夕食を一緒にと部屋に来てくれて他愛もない話をしながら食事をとった。
子供のような容姿と話し方なのに、常に私を気遣ってくれるイーヴァといるとなんとなく安らげた。
食事を終えるとイーヴァはマクリナの部屋へと帰っていった。
食事の間もテトは私達の世話をするだけで、食卓を共にはしなかった。
多分イーヴァや私とは何か身分的なものが違う括りなのだろう。
体を洗って寝巻きに着替えて部屋に戻ると、いくつもの灯りが灯った燭台が部屋を幻想的に包んでいた。
「お早いお戻りでしたね。」
ベットの脇の蝋燭に火を灯しながらテトが出迎えてくれた。
「うん。大きなお風呂でビックリしちゃった。それにこの寝巻きもとっても可愛くて」
寝巻きを渡させれたときは、着たこともないフリフリに着るのを躊躇ったが着てしまえばそのフリルも上品に落ち着いた弛みを描くものとなった。
「そちらもオルタナ様の物のようですよ。クラウド様が怒られていたのは昼間巫女様が着ていた服を勝手に持ってきてしまったからのようでした。」
フワッと広げたフリルの裾を見ながら、テトが苦笑を向けてきた。
「だから、あんなに怒っていたのね。」
「オルタナ様は装飾品をとても大切にされている方なので、無断で持ち出されたのが許せなかったのでしょうね。あっ、そちらはオルタナ様から巫女様への贈り物ですのでご安心下さいね」
「そっか。良かった。また扉がぶち破られるのかと思っちゃった」
私の言葉にテトがクスッと笑ったので、私もつられて笑ってしまった。
小動物を思わせる彼の仕草は、大人びた態度とのアンバランスさとの間でとても可愛らしかった。
「もうお休みになられますか?」
「ん~体は疲れてるけど、なんとなく眠れそうにないかも。」
ベットに腰掛けながら私は天井を見上げた。
全くの見知らぬ天井。
今日初めて会う私のお世話係の少年。
全てが初めての世界。
「少し、お話をしましょうか」
天井を見上げたまま一人ぼっちの世界に溶けてしまいそうになった私を、テトが引き戻してくれた。
「うん。付き合ってもらえると嬉しいな」
うっすらと貯まっていた涙を隠すように拭うと、テトがベットの側に椅子を運んできた。
「巫女様はどうぞ横になってください。体はきっと疲れてますから。」
「うん。ありがとう」
私は素直にベットに横たえた。
いつもよりも少し固めの感触が体を包んだ。
蝋燭の光がゆらゆらと遠くに見える。
「何か不自由されたことはありませんでしたか?このようなこと巫女様にお伝えすると心配させてしまうかもしれませんが、実は誰かに専属でお仕えするのは初めてなので」
「そうなの?全然何もなかったよ。むしろすごく手慣れてた感じがしたよ」
「ありがとうございます。でも僕なんて本当にまだまだなんです。」
「そんなことないと思うよ。私のいた世界だとテトくらいの年の子はこんなに丁寧に話したり、接したりできないもん。」
「そうなんですか?」
「そうだよ。まだまだ親に甘えてばっかりだし、我が儘盛りだよ」
「……そうなんですか。」
一瞬、何故かテトの顔が少し寂しそうに揺れたように見えた。
「僕も巫女様の世界ならそうなっていたかもしれませんね。」
だが、すぐに元の軟らかい微笑みを浮かべていた。
気のせいだったのだろうか。
慣れない蝋燭の光でテトの影が表情を作り替えてしまう。
枕に顔を半分埋めながら、それでも必死に表情を伺っているとテトの心配そうな顔がこちらを見ていた。
「如何されましたか?」
「あっ、ううん。」
慌てて首を降りながら、私は一つ気になっていたことを思い出した。
「そうだ、テト。一つだけお願い聞いてくれる?」
「はい。なんなりと」
「私のこと巫女様じゃなくて名前で読んで欲しいの」
「お名前で、ですか?」
「うん。これから側にいてもらうんだから巫女様じゃなんか他人行儀でさ」
「そう、ですか」
テトは少し考え込んでしまった。
今日一日でわかったことだが、彼は恐ろしく真面目で頑固なところがある。
きっとそのように教育されてきたのだろう。
主の望みを最大限尊重し、しかし譲れない信念は強く持つようにと。
その葛藤の中に今追い込んでしまったようだった。
「………分かりました。」
少しの沈黙の後、テトは微笑みながら頷いてくれた。
「では、サクラ様と呼ばせていただきますね」
「ありがとう」
たった一言名前で呼んでもらっただけなのに、私はとても、心が満たされた。
テトとの距離がなんとなく縮まったような気がしたからだろう。
その満足感と共に、急に私の意識は睡魔によって霞められていった。
ゆらゆらと揺れる蝋燭をずっと見ていたからなのか、はたまたテトの優しい声が緊張の糸をブツっと切ってくれたのか。
私の瞳は一瞬にしてまどろみの中に落ちていった。
「お休みなさいませ。サクラ様」