想い人
チャプンと高い天井から湯槽に滴が落ちる。
一人では広すぎる湯槽に手足を縮こませて入っているのは、なんだかその贅沢に背を向ける行為のような気がしたが、今日はのびのびと入る気分ではなかった。
引き上げられた時のオルタナからのどつかれ方は半端じゃなかったなぁ。
抱えられた体勢からのそのそとクラウドの腕を離れた私に、オルタナはまた崖底へと葬るかのごとくものすごい勢いで襲いかかってきた。
『あんたはぁ~~~何回言えばぁ~~』
『おいっ!お前またこいつを叩き落とすつもりかよ!』
慌ててクラウドが止めてくれたから助かったが、あれをまともに食らっていたら今度はオルタナと崖底へ旅立つところだった。
ルイスにはとても申し訳ないことをした。
そんな私達を遠巻きに見ていたルイスは、ひどく安心したように微笑んでくれた。
直接お詫びを言いに行けば
『無事で良かった』
と、私の土埃で汚れた頬を撫でてくれた。
イーヴァが言っていた慌てふためいた彼ではなく、普段と変わらない彼のままで。
ピチャンッ
指先を濡らしていた滴が元の水面に吸い込まれるように消えていく。
「………はぁ~~~」
何度目かわからないため息。
今日一日、色々なことがありすぎた。
当初の目的だったルイスの誕生お祝いは、結果的にとても喜んでもらえたし、ひょんなことから中止にされるはずだった本当の誕生パーティーも開かれることになった。
そこは喜ばしいことなのだが。
なんだか浮かない私の心。
理由なんて分かってる。
鼻の下までお湯に顔を沈め、口から息を吐き出す。
無数の細かな泡がブクブクと立ち込めてくる。
私は一体何を言おうとしてたのよっ!
思い出すだけで顔が赤くなる。
クラウドに向けて放ってしまいそうになった言葉。
あんな風に問えば、その奥に潜んでいる真意までも筒抜けになってしまうことなんて当たり前にわかる。
『クラウドは、この世界の王になってくれる?』
それって、告白じゃないっ!!
ブブブブッと勢いよく泡を吐き出す。
そうでもしないと恥ずかしさで発狂してしまいそうだ。
ぷはっと酸素を欲して息を吸い込むと、沸騰しそうだった頭が少し冷めたような気がした。
簡単なことじゃないんだから。
しっかり考えないと、ダメだよね。
ただ単純な恋愛ならば、想いを口にするくらい許されるはずだ。
気になっている程度でも、その気持ちを口にしてしまえる人もいる。
でも、今私が置かれている状況はそんな甘ったるいものではない。
私の想いを受け入れるということは、この世界を担う力を受け入れるということだ。
その相手を一時的な、それも不安定な気持ちで決めてしまえるわけがない。
………ましてや、クラウドがそれを受け入れてくれるなんて考えられない……。
嫌われている、とはさすがに私だって思ってはいない。
ただ、彼から感じる好意はどんな意味を持っているのかまでは正直分からないでいた。
守るべき対象としてなのか、それともそれ以上なのか。
体のいい理由を並べているが、要は私は怖いのだ。
もしも、彼に拒絶されてしまったらと考えると。
龍の力だとか、この世界の王になるとかのオプションの前に、私個人を拒絶されるのではないかという恐怖。
それが多分一番なのだろう。
人を好きになるのって、案外難しいんだなぁ。
天井に描かれた大輪の花を見上げながら、私はそんな乙女チックなことを今更ながら考えている自分がおかしくなってクスリと笑ってしまう。
それに……。
ふと、あの時体を支配した感覚を思い出す。
脳裏にハッキリと浮かび上がった彼の顔。
「………ユタ、だよね?」
湯気の中で呟いた言葉は、静かに響く。
なんであの場面で彼の顔が思い浮かんだのか。
そもそも、あれは本当にユタだったのだろうか。
ユタに見えた。
だけど………どこか違ってたような。
私の知っている彼と瓜二つの顔。表面に見えているものは同じなのに、中身がまるで別人のような錯覚を受ける。
それなのに、胸にひっかかるような違和感はなんなんだろう。
出会った頃に比べれば、笑顔を見せてくれるようになったけど、あの時の笑顔は一度も見たことがない。
あんな、優しくて胸が熱くなるような笑顔は。
脳裏に残るその笑顔に、私の胸がまたギューっと熱くなっていく。
なんなんだろう。この気持ち。
懐かしいような、切ないようなこの感覚。
私の中の『何か』が激しく反応している。
そのせいで、私の言葉はあの時先へは進まなかった。
まるで、それを拒むかのように。
「……………誰かに相談できればいいのになぁ」
独りでに言葉として口を飛び出してしまった。
誰かに相談、という単語でまず頭に浮かんだのがオルタナ。
その次にマクリナ。
その両方を私は片手でパタパタと打ち消した。
ダメだ。そのどちらに相談したところで解決するような気が全然しない。
話はおそらく聞いてくれるだろうが、なんだかおかしな方向に転がるような気しか起きてこない。
ソウマ………は、きっと優しいから私の好きにすればいいって言ってくれると思う。けど、そこにユタの存在をほんの少しでも話してしまえば、そこはまた違った意味でもめそうだ。
「…………ん~~~~~~」
一度話して楽になりたいと思ってしまったら、もう誰かにこの気持ちを聞いてほしくてたまらなくなってしまった。
でも、適任者がいない。
軍事的なことに縛られていなくて、私の話を聞いてくれて、それで軽くでもアドバイスというか、何かひっかかりを取ってくれるような人………………。
「……………テト!!」
バッと思い浮かんだその可愛らしい彼の顔に、私は思わず立ち上がってしまう。
テトなら軍事的な縛りもないし、私が秘密にして欲しいとお願いすればきっと他の人には絶対に黙っていてくれる。
それに、彼は時に私に自分の考えをしっかり言ってくれる。
控えめに見えて、実は芯がしっかりした子だ。何かしらの言葉をかけてくれるに違いない!
もうそれ以外の選択肢なんてないというように、いきり立った私は十分すぎるくらい温まった体を湯船から上げると、相談相手が決まっただけなのに、なんだかもう全て解決してしまったようにスッキリした気分で急いで脱衣場へ向かった。
「ただいまぁ」
まだ髪が湿っているの状態のまま、私は急いで自室の扉を開けた。
中は既に蝋燭に火が灯され、ほんわりとした明かりで満たされていた。
それはいつも通りなのだが。
いつもと違うことがたった一つ。
「あれ?」
テトの出迎えが今夜はない。
いつもなら私が扉に手をかけると同時くらいに扉近くまで駆け寄り、開いた扉を内側から抑えてくれる。
そして『お帰りなさいませ』と微笑んでから、私の髪が濡れていれば乾かしてくれ、そうでなければ他愛もないお喋りに付き合ってくれる。
そのいつもの習慣が今夜はなかった。
不思議に思って、扉を閉めてからキョロキョロと部屋の中を見待たすと、ソファの上にある小さな影を見つけた。
「…………テト?」
声をかけても反応しない。
一瞬、私の脳裏にあまりにも恐ろしい想像が過る。
慌てて彼に近付くと、穏やかにその肩が上下に動いているのを確認した。
良かった………倒れてるのかと思った。
ホッと胸を撫で下ろす。
テトがこうやって居眠りをしてしまうなんて、初めて見ただけに、驚いてしまった。
今日は珍しく一日中外にいたから、彼も疲れてしまったのだろう。
別段はしゃいだりはしていなかったけれど、それでも普段ずっと室内にいる彼にとって太陽の下に晒されているのは、それだけで体力を使ったのかもしれない。
それに、今夜は私がちょっと長風呂過ぎちゃったしなぁ。
私の帰りを待っているうちに睡魔に襲われてしまったのだろう。
可愛らしいその寝顔に私の口元もつい緩んでしまう。
こうして見ると、ずいぶんと幼く見える。
大人に混じって働いているせいか、テトは見た目の何倍もしっかりしている。
だから、こういう素の彼が見られたのは私にとってとても貴重な瞬間だ。
「……………んっ」
近距離でテトの寝顔を見ていると、彼の眉間にグッと皺が寄った。
ヤバイっ!起こしちゃったかな?
一瞬身構えたが、それ以上テトは動かなかった。
良かったぁ。
無意識に肺に溜め込んだ息を静かに吐き出す。
今夜はこのまま寝かせてあげよう。
私の相談なんていつでも出来るし。
このままずっと眺めていれそうな寝顔だが、仮にも男の子の寝顔だ。
あまり異性にニヤニヤしながら見られていて気持ちのいいものではないだろう。
私は起こしてしまわないように静かに立ち上がると、自分のベットからタオルケットを一枚引き剥がしてきた。
風邪でもひいてしまっては大変だ。
ゆっくりと重みをかけないように、慎重にテトの上にそれをかけてあげる。
ソッと肩の辺りまでかけてやると、私はもう一度彼の可愛らしい寝顔を確認してから自分もベットに入ってしまおうと静かに立ち上がった。
「……………行かないで」
「えっ…」
その途端、私のスカートの裾を小さな手がギュッと掴んだ。
驚いて振り返ると、まだ目を閉じたままのテトがしっかりと裾を握っていた。
「………テト?」
起きているようには見えない。
呼び掛けてみても反応はない。
私はもう一度しゃがみこむと、彼の顔を覗きこんだ。
「…ッッ!」
思わず漏らしそうになった声を両手で塞ぎ抑え込む。
目の当たりにした彼の表情に、私は体が固まってしまった。
そして次の瞬間には、彼の見てはいけない部分をこっそりと見てしまったような後ろめたさが体を支配した。
テトは、泣いていた。
これまで何度か見たことのある泣き顔のどれとも違う。
何かに耐えるように、クッと圧し殺すように、一筋の涙を頬に浮かべて、泣いていた。
顔中を涙で濡らすでもなく、声をあげて泣くでもなく、ただ今心に巣くう悲しみに必死に耐えているように。
こんな小さな子供のそんな堪え忍ぶような泣き方に、私は動けなくなった。
心がギュッと押し潰されてしまいそうな、強い衝撃が私をその場に留める。
その一筋の涙が放つ意味が、あまりにも重たい。
そんな彼の姿に動けずにいると、力の入っていたテトの手がふわっと開いていく。
スカートの裾がゆっくりと元の位置に戻り、そしてテトの唇が息を吸い込む音がした。
「……………ラウル………」
………ラウル?
ハッキリとそう口にしたテトの言葉を、確認するように私も心の中で繰り返す。
聞いたことのない名前だ。
けれど、その人がテトにとってどんな存在なのかは、なんとなく伝わってくる。
涙声で絞り出すように、それなのに、その呼び方はどこまでも優しく、とても愛おしそうに口にした名前。
きっと、さっきの『行かないで』もその『ラウル』って人に向けたものなんだよね?
私は何故か胸にグッと熱いものが込み上げてきてしまった。
目頭が熱くなり、目の前のテトが微かに歪む。
この子も、必死で何かに耐えながら生きているように思えてならない。
私が知っているテトは、彼の中の極一部にすぎない。
ついこの前聞くまで、彼の生い立ちも知らずその想像もしていなかった内容にひどく驚いたばかりだ。
今、目の前で涙を流したテトも、私の知らなかった彼の一部だ。
どんな夢を見ているのか、私には分からない。
けど……
すがり付くように、その人が遠くへ行ってしまわないように手を伸ばしたのだろう。
苦しそうだったあの表情は、そのせいだったのかな?
そっとテトの前髪を撫でて上げると、既に涙の筋がうっすらと乾き始めているテトは、スヤスヤと安心したような顔で眠っていた。
夢の中でラウルという人物を繋ぎ止めることができたのだろうか。
テトの口元に小さな微笑みが浮かんだのを確認すると、私はそっと身を離した。
カチャカチャと食器の擦れる小さな音が静かな部屋にはよく響く。
「…………………んんっ」
テトが瞼をピクピク動かすと、遠くの方から人の気配が感じられた。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、ぼんやりとした視界の中に見覚えのある部屋の光景が写り込んでくる。
「………起こしちゃった?」
その声に、寝ぼけていた頭がシュンっと冴えガバッと勢いよくソファから飛び上がる。
その拍子にかけてあったタオルケットが床に投げ出されてしまった。
「サ、サクラ様!ぼ、僕は!な、なんてことを」
すぐに状況を把握したテトは、目覚めた瞬間大パニックに陥った。
真面目すぎる彼だ、主人の帰りを待ちきれずあろうことか主人のソファで寝こけていたなんてとんでもない失態だと思ってしまったに違いない。
そうなってしまうだろうなぁとは思っていたのだが、生憎テトを隣の部屋まで運んであげる腕力は私は持ち合わせていなかった。
どうやって彼を宥めたものかと考えいた矢先、彼が目を覚ましてしまったものだから、どうしてやることもできずにいた。
「テト落ち着いて。大丈夫、私全然気にしてないから」
とりあえず声をかけて笑って見せた。
青い顔をしてテトはそれでもまだ困ったように眉を下げている。
「いえ、そんな……。僕は仕える身でありながら、このような醜態をさらしてしまうなんて………申し訳ありません」
「本当気にしないで。テトも疲れてたんだよ。それより私こそ起こしちゃってごめんなさい。静かにしてようと思ったんだけど」
そう言いながら、私は苦笑を浮かべながら自分が今手にしている物を見下ろした。
「なんだか、上手くできなくて」
そこにはあまり美味しそうとは言えない色をした液体の入ったカップと、茶葉がこれでもかと入っているティーポットが鎮座していた。
「いつも見てるから私にも出来るかなぁと思ったんだけど」
自分の出来の悪さに悲しくなりそうだった。
「すみません!僕がお淹れします!」
バッと慌てながらテトは駆け寄ると、私からティーポットを受け取った。
それから中に押し込まれた茶葉を掻き出すと、新しく正しい分量をスプーンですくう。
その動作がとても優雅で、私はいつ見ても感心してしまう。
邪魔にならないように、私がソファに腰を下ろすといつもの甘い紅茶の香りが部屋に広がっていった。
「起こしてくだされば良かったのに」
まだバツの悪そうな顔をしたままテトがカップに紅茶を注いだ。
「ぐっすり寝てたみたいだから。なんだか起こすのがかわいそうになっちゃって。それに、寝顔が可愛くてつい見とれちゃってた。」
クスッと笑いながらそう付け加えると、テトの頬が恥ずかしそうにポッと赤くなった。
「そ、そんな…」
ついからかってしまいたくなって口にした言葉にこれだけいい反応を示されて、私はまたクスッと笑ってしまう。
「冗談だよ。でも、本当今日は疲れちゃったんじゃない?テトが居眠りしちゃうなんて珍しいもん」
「そう、ですね。情けないです」
シュンと眉を下げながら、テトは温かな紅茶の入ったカップを私に手渡してくれる。
優しい香りに癒される。
「そんなことないって。テトだって疲れる時もあればどうしようもなく眠たい時もあるんだよ。私は逆にそういう素の部分が見れたような気がして嬉しかったよ」
フゥーと紅茶に息を吹き掛けながらそう言うと、テトはとても不思議そうな顔で首をかしげた。
「素の部分を見れて、嬉しいとは?」
「ん?」
カップから顔をあげた私をテトはキョトンと見詰めた。
その顔はさっきまでの落ち込んだ様子ではなく、本当に私の言ったことの意味が分からないといった様子だった。
その変化に、私は軽く驚いた。
まるで瞬時にスイッチが切り替わったような変化に感じられた。
「サクラ様はそんなものを見て、嬉しいと思われるのですか?」
首を傾げるテトは、いつもと同じように私を見つめているのに、その瞳がやけに冷えているように私には写る。
「…うん。深い意味はないけど、そういう隙っていうかそういうの見せてもらえるのってなんだか距離が近くなれたような気がして嬉しかったよ」
その瞳に見つめられ、私の言葉は慌てたように口から流れ出た。
「テトとは一緒にいる時間が長いけど、そういう本来のテトの姿ってなかなか見る機会ないじゃない?だから、今日みたいに無防備な姿って私に心許してくれてるのかなぁって思えるんだよ。」
何故か言い訳をするように早口でそう言うと、私は言葉を濁すようにカップに口をつけた。
そんな私をテトは尚もジッと見詰めていた。
だがやがて
「そうですか。」
と納得したのか、ポツリ呟いたテトの顔にはいつもと同じ優しい微笑みが浮かんでいた。
「サクラ様にそう言っていただけると、僕の醜態も少しは救われます。」
照れたようにそう笑うテトに、私はホッと息をついた。
どうやら変に勘ぐりすぎてしまっただけのようだ。
きっとさっき見てしまったテトの涙のせいだろう。テトが一瞬私の知らない人に見えてしまったのは。
私はもう一度、今度は味わうように紅茶を口にした。
「ところで、今夜はずいぶんと長いご入浴でしたね。何かありましたか?」
ティーセットを片付けながら、ふと思い出したようにテトが訊ねてきた。
私はカップを置きながら、そういえばそうだったとお風呂であんなにモヤモヤと悩んでいたことが再度沸き上がってきてしまった。
「特に、何かあったってわけじゃないんだけどね」
だが、この状況でテトに悩みをぶつけてしまっていいものかと、何かが言葉の邪魔をする。
歯切れの悪い私に、テトはニコッと微笑んだ。
「どうかされましたか?」
その笑顔が頑なになりかけていた私の心を、いとも簡単に解いてくれる。
「……急にこんなこと聞くの、なんかおかしいと思うけど」
「はい」
ゆっくりと口を開いた私は、どこか緊張気味に言葉を選びながら話始めた。
「テトは……人を好きになるって、どうゆうことだと思う?」
「人を好きなる、でございますか?」
「う、うん」
突拍子もない私の質問に、テトは一瞬驚いた顔を見せるとすぐに考え込むように視線を下げた。
驚くのも無理はない。
大体、本来テトくらいの年齢の子にする相談ではない。
なのに、何故か私の頭に浮かんだ適切な相談相手は彼だった。
テトなら何か私のこと胸のとっかかりを外してくれるような、そんな気がしていた。
祈る思いで彼を見つめていると、テトもゆっくりと私の方に視線を向けた。
「自分以上に、相手を思いやるということだと思います」
「相手を思いやる?」
「はい」
テトは満面の笑みで力強く頷いた。
その笑みに、私も頷きかえす。
なるほど、なかなか適切な答えな気がする。
「誰よりも何よりも、その相手のことを考え行動する。その原点たるものがその相手への好意だと僕は思います。」
「それは、その人のためなら何でも出来ちゃうってことかな?」
「はい、そうなりますね。その相手の為ならどんなことでも出来るという覚悟。」
私はまた頷いた。
そうか、人を好きになるってことは、自分以上に相手を大切に思うことだよね。
無償の愛とはよく言ったものだ。
親子の愛にそれは近いのかもしれない。
自分よりも相手を優先的に考えてしまう。
愛があるからこそ、相手を思っているからこそ、自己を犠牲にしてでも苦にならない。
テトの思う『好き』という感覚はそういうものなのか。
けれど納得しかけた私の頭は、テトの口から出た次の言葉によって一瞬凍り付いた。
「例え自分の信念や命と引き換えにしても、相手を守りたい、必要とされたいと思う気持ちこそが、人を好きになることなんだと僕は思います」
信念や……命?
テトの言葉の意味を私は瞬時に理解することができなかった。
多分、勝手に想像してしまっていた返ってくるだろう答えとあまりにも違っていたからだろう。
テトの口から期待していたのは、もっと甘く夢を語るような言葉だった。
しかし、実際に彼から来たのは、現実味を帯びたしかも、どうにも偏った答えだ。
困惑する私を置き去りにして、テトはティーポットを片付けながら続けた。
「この世界において、恋愛感情というものはあまり意味を持ちません。ですから、物語に出てくるような淡く切ない想いというのは僕らにとってそれこそおとぎ話のようなものなんです。なので、サクラ様のいうところの『人を好きになる』というものも正直僕にはちょっとピンとこないんです。」
「………そっか、ごめ」
「ですが」
カチャと食器の擦れる音が部屋に響いて、私の言葉を遮る。
蝋燭の灯りの元、テトは優しくこちらに微笑んでいた。
その影のせいなのか、テトの顔がいつもより歳を増して見える。
私は手にしていたカップに無意識にキュッと力を加えた。
「僕にも大切に思う相手はおります。」
「………テトにも?」
「はい。サクラ様が仰るような甘い想いとは少し違っておりますが」
微笑みながら、テトはゆっくりと自分の胸に手を置いた。
「僕の全てをかけてでも共にいたいと思える相手がおります。僕の命も、未来も、全てを差し出してでも一緒にいたいと思える相手が」
グッと握られたテトの小さな手が、今日はやたらと大きく見える。
どうしてだろう?
今夜の彼は『彼らしく』ない。
話を聞きながら、私はぼんやりと頭の奥でそう感じていた。
「………けど、」
何故か、意識を遠くへ置き忘れてきたような感覚が体を包み込みながら、私は小さく口を開いていた。
テトがこちらを見ている。
「……なんだか、それって……悲しいよ」
フワリとした感覚が体に広がり始める。
体の内側から沸き上がるように、温かな刺激が指の間を這う。
「……相手を想うあまり、自分を蔑ろにしちゃ…ダメだよ。命、なんて、かけないで………共にいたいなら………自分の、命も」
瞼が急激に重たくなる。
見詰めていたはずのテトの姿が、今はもう霞みの中だ。
「……あれ?………なんで、こんな……ねむた………」
そう自覚をした途端、私の意識は夢の中に引き摺りこまれていった。
ヒュンッという鋭い音が部屋の中を駆けていった。
今しがた、サクラの手から滑り落ちていったはずのカップは、床に吸い込まれることなく、今はテトの手の中に収まっている。
ゆっくりとテトはサクラに近寄ると、その肩を先程自分にかけてもらっていたタオルケットで包んだ。
そして、ソッと悲しそうな顔で微笑んだ。
「貴方も、同じことを言うんですね」
テーブルの上に残された紅茶は、いつもより少しだけ濃い色をしていた。




