試作品
窓辺にチョコンと腰を下ろすと、イーヴァは羽を折り畳んだ。
外は抜けるような青空だ。
グーっと両手両足をこれでもかと伸ばすと、投げ出した小さな足がパタパタと何かのリズムを刻むように動く。
その動きに合わせて頭の触角もまるで鼻唄に合わせるようにピョコンピョコンと動いた。
「イーヴァは行かなくて良かったのですか?」
「ん?」
振り返るとその様子を見ていたマクリナが、本から顔をあげて持っていたペンを休めながら声をかけてきた。
今日はルイス陛下の為の誕生会と称した野外でのお茶会だ。
昨晩それを聞かされた時のイーヴァのわくわくした顔を思いだし、彼はもう一度同じ質問を口にした。
「このような機会はめったにないんですから、行っても良かったのですよ」
当然イーヴァも参加を申し出ると思っていた。
マクリナとは違い、華やかなもの楽しいものが大好きな子だ、仲の良い者同士がこぞって参加する行事に参加しないわけがないと。
イーヴァはにっこり微笑むとブンブンと首を横に振った。
「いいんだぞ。別に陛下には当日お祝いの言葉をお贈りすればいいだけなんだぞ。イーヴァ、今日は父様と一緒にいたかったんだぞ。最近ずっと父様忙しそうだったから、こうして一緒にいられるのが嬉しいんだぞ♪」
イーヴァの言葉にマクリナは驚いたように目をパチクリさせてから、口元に少し照れたような笑みを浮かべた。
イーヴァの言う通り、最近二人で過ごす時間がめっきりなくなってしまっていた。
目の前にカインズという新たな知識の塊をぶら下げられ、マクリナは倒れそうになる体を騙しながら仕事をこなしていた。
おかげでイーヴァが寂しい思いをしているなんてこと、今この瞬間まで気付いてあげることができなかった。
もう少し改良しなくてはならない、と心の中で反省をする。
「ですが、今年はパーティーはなさらないおつもりなのですよ」
言いながらマクリナの手元にある資料をパラパラと捲りながら目を通す。そのパーティー当日の警備兵の配置を確認するものだ。
何かしらの事情で陛下の気持ちが変わるかもしれないと期待をしていた。いや、昨日サクラから今日の事を聞かされた時点でマクリナは確信していたのかもしれない。
きっと陛下は誕生パーティーを執り行うだろうと。
何が切っ掛けになるかは正直わからない。だが、サクラの一言が、その表情一つが陛下の抱えている問題を乗り越える為の勇気に繋がってくれると信じていた。
「分かってるんだぞ。でも、別にパーティーがなくてもおめでとうを言うことは禁じられていないはずだぞ。祝っていけない訳じゃないんだぞ」
イーヴァは指を一本ピョコンと立ててどや顔で言ってきたので、その可愛らしい仕草に思わずマクリナは目を細めた。
「そうですね。イーヴァの言う通りです。」
誉められてへへっと得意気にイーヴァは笑った。
けれど、一瞬の間を置いてその表情は暗くなってしまう。
「………やっぱり、陛下はあいつらのこと気にしてるのかだぞ?」
声のトーンもガクッと落ち、視線をまた窓の外へと移した。
「そう、だと思います」
そんなイーヴァにマクリナはため息混じりのような言い方で答える。
「陛下が全てを背負うことなどないと再三言ってはいるのですが、どうにも負い目を感じていらっしゃるようで。適当にあしらうということが真面目な陛下にはできないご様子ですね。」
パラッと紙を捲りながらマクリナはまたため息をついた。
「………そんなの当たり前なんだぞ」
呟くようにイーヴァは口を開く。
「………」
その固い声に顔をあげると、マクリナはどこか切なそうにその小さな後ろ姿を見つめる。
「…あんな風に会うたび会うたび、グチグチグチグチ同じことを言われ続けていたら、忘れていい過去も忘れる暇さえ与えられないんだぞ。………だいたいあれは陛下が悪いわけではないんだぞ。あれは、仕方がなかったことなんだぞ……。それを、その場にいなかった者が後から寄ってたかって攻め立てて、責任を全て陛下に擦り付けて、本当に気持ち悪い連中なんだぞ!」
口にしてしまった言葉に押し殺していたはずの感情が弾ける。イーヴァの小さな手が怒りからか小さく震えていた。
「何がそんなに気に入らないのか、イーヴァには全く理解できないんだぞ。いや、したくもないんだぞ!過ぎたことばかり永遠に口にして前を見ようともしない連中のことなんか、理解したいとも思わないんだぞ。だけど、見ていて腹が立つんだぞ。陛下にあんな顔をさせる奴らにも…それを見ていることしか許されない自分にも……腹が、立つんだぞ」
握った拳が言葉と共に今度は力なく垂れ下がってしまう。
「イーヴァ、言い過ぎですよ」
マクリナは咎めるようにではなく、言い聞かせるように優しく声をかけた。
「確かにあれは陛下お一人がどうということではありませんでした。イーヴァが言いたいこともよくわかります。ですが、相手は私達よりも高貴な方々だ。そのようなこと口に出しては」
「父様は嫌ではないのか!!」
マクリナの言葉を遮り、勢いよく振り返りながらイーヴァは大声を張り上げた。
その声にマクリナは眼鏡の奥の瞳を大きく見開く。
普段自分の負の感情を殺すために使っている語尾が戻ってしまっていることさえ気付かないほど、イーヴァは悔しそうに唇を噛んだ。
「あいつら陛下だけじゃなく、父様のことさえ攻め立てる!父様があいつらになんて言われているのか、イーヴァが知らないとでも思っているのか?」
「…………」
マクリナは黙った。
そして、できるだけ優しい微笑みをイーヴァに向ける。その微笑みの影に悲しそうな彼の顔が隠れていく。
彼のその表情がイーヴァの心を更に締め上げた。
「イーヴァは悔しい。父様はやろうと思えば出来るのに、それをあえてやらないでいてくれているのに。なにも知らないくせに、あいつら………」
悔しくて悔しくて、イーヴァは瞳の中のそれをそれ以上込み上げてこないよう必死にこらえた。
ここで泣いてしまうのは、敗けを認めるような気がしてならない。
コトンッと手にしていたペンを机に置くと、マクリナは静かに立ち上がった。
それから窓辺で震える小さな体に手を伸ばす。
「いいんですよ、イーヴァ。私は何を言われても気にしませんから。」
人差し指でイーヴァの瞳に溜まった涙を拭う。
人形のように小さなイーヴァの顔は、マクリナの指に擦れ紅く後を残す。
「…けど、父様がそうあいつらに言われ続けているのは、イーヴァのせい、なんだぞ」
しゃっくりがあがる。
だが、唇を震わせながらイーヴァは泣くのを必死で堪えていた。
「イーヴァが、イーヴァの変わりを造らないでってお願いしたから、父様は…」
プルプル震える唇が、次の言葉を続けてはくれない。
幼い頃の自分をイーヴァは呪っていた。
純粋で真っ直ぐで、それでいて臆病だった自分。
どうやって自分が産まれたのか、そんなものは当時のイーヴァには分からなかった。
だが、マクリナが自分を産み出してくれたことだけは理解していた。
イーヴァにとってマクリナの存在が全てだった。
今とは違い、イーヴァはまだ一人で外へ出ることができなかった頃、マクリナと過ごす部屋だけがイーヴァの世界だった。
言葉を覚え、知識を身に付け、そのたびにマクリナはとても誉めてくれた。
それがイーヴァにとっての幸せだった。
自分が『量産型の生体兵器』だと知るまでは。
マクリナの持つ豊富な知識を取得したイーヴァは、ある日気が付いてしまった。
自分が何のために生まれたのかを。
自分のこの小さな体は気付かれることなく敵の懐に潜り込むためのものだと。
この羽は矢のように空を飛ぶためのものだと。
この容姿は相手を油断させるためのものだと。
この研ぎ澄まされた視力は高速に飛行しながらも地上の敵を捕捉するためのものだと。
この小さな手は、人を殺すためのものだと。
愕然とした。
そして、次に浮かび上がった疑問がイーヴァを更に苦しめた。
マクリナから感じていたはずの、彼の愛情は一体何だったのだろうかと。
毎日過ごしてきた生活の中で、父である彼はどういう気持ちで自分を見ていたのだろうかと。
我が子のようにただ純粋な愛情を向けてもらえているとばかり思っていた。
だが、それは勘違いだったのか。
マクリナは、試作品である自分をただの『研究材料』としか見ていなかったのではないか。
いや、それならばそれでもかまわなかった。
研究材料としてであっても自分の事だけを見てくれていれば、それだけでかまわなかった。
その時のイーヴァが恐れていたもの。
それは、自分も『その他』と一緒にされてしまうのではないかということ。
イーヴァという成功を皮切りに、自分と同じような生物が次々にマクリナの手によって生み出されてしまったら、自分はどうなってしまうのか。
その後に造られた物達と区別されることなく、一括りの『生体兵器』としてしか彼の目に写らなくなってしまうのではないか。
今の幸せな時間は取り上げられてしまうのではないか。
怖かった。
あまりにも純粋で、幼かった。
マクリナから、父からの愛を自分をだけ向けて欲しいと願ってしまった。
いつからか心に芽生えた己の欲だけが言葉として成り立ってしまった。
だから、つい口にしてしまった願い。
『イーヴァのような物を、もう造らないで』
マクリナは生体兵器の研究を止めた。
マクリナはいとも簡単にその願いを聞き入れた。
それまでの成果を記した物は部屋から全てなくなった。
ただそれだけの変化に思えた。
前と変わらないマクリナから注がれる優しい言葉と態度。
なんの変化も感じずにイーヴァはまた同じ毎日を過ごしていた。
あの年のルイスの誕生会までは……。
自分のせいで、身勝手な願いのせいで一番大切に思っているマクリナの立場を悪くしてしまった。
マクリナが『彼ら』からどう評価され、どんな言葉を浴びせられ、どのような態度をとられているのか目の前で見せられてしまった。
イーヴァは自分の願いを取り下げるようにマクリナに迫った。
自分のことなどどうでもいいから、生体兵器でもなんでも造ってくれと。
だが、マクリナは首を縦には動かしてくれなかった。
その後、イーヴァは話し方をかえた。
語尾に『ぞ』とつけるようになった。
おかしいからやめなさいとマクリナにいくら言われても止めなかった。
語尾を意識することで、次の続く言葉を慎重に選ぶ時間を作るためだ。
もう自分の無責任に純粋な言葉で、誰かを傷つけたくはなかった。
指先で涙を拭ってから、マクリナはもう一度指先をイーヴァに向けた。
そっと頭の上にそれを乗せると細く美しい髪を滑るように撫でる。
「何度も言わせないでください。イーヴァのせいなどではないんですから」
「けどっ」
「いいえ、違いますよ」
マクリナはゆっくりと首を横に振った。
それから穏やかな声をイーヴァに向ける。
「私自身が決断したことなんです。もう貴方のような存在を生み出さないと」
「……でも、それは」
「イーヴァ、私はお前が思っているよりも不器用な親なんですよ」
「えっ?」
「私は単に自信がなかっただけなんです。次に生み出した貴方のような存在を、同じように愛してあげられるのかが。」
「………父様」
「複数の子供を持つ親を私は尊敬しています。分け隔てなく兄弟を愛してあげられるなんて本当に素晴らしいと思ってしまう。私には、そんな器用なこと出来そうにもありませんでした。」
マクリナはクシャと苦笑を浮かべた。
「いくら量産型の生体兵器だと名前をつけたところで、私の手を介して生まれ私の目に映って育つ存在を愛さないわけないんですよ。けれど、きっとどこかで私は比べてしまう。」
サラッとイーヴァの綺麗な髪を指先ですくった。
「私の最も愛する子供である貴方と」
サラサラと髪の毛が元の場所に戻りながら、マクリナはイーヴァを真っ直ぐに見詰めた。
とても優しい父親の瞳で。
「自信がなかっただけですよ。愛してあげる自信も、生み出してあげる自信も。ですから、あの方々が私に投げ付ける言葉もあながち間違いではないのですよ。能無しと言われようとも不出来な息子と言われようとも、私は一向にかまいません。」
おどけたように眉を軽くあげると軽口でマクリナはそう言った。
「父様…」
毒気を抜かれてしまったイーヴァは静かに彼を見上げた。
涙はもう止まったようだった。
もう一度マクリナは安心させるように微笑んでから、イーヴァの頭を撫でた。
「だから、貴方は嫌というほど私の愛を受け取ってくださいね。他の誰に何を言われても気にする隙もないほどに。そして誇らせてください。私の可愛い子供は何処へ行っても優秀なのだということを」
クシャっと頭を撫でてから、マクリナはゆっくりと手を離した。
クッと奥歯を噛み締めてから、イーヴァは力強く顔をあげた。
「任せてくれだぞ父様!!イーヴァ、もうくよくよウジウジするのは止めたぞ!」
八重歯がキラッと輝くほどの笑顔でイーヴァは拳を握って見せた。
「そうだぞ!父様が生み出したイーヴァがいかに有能で優秀で有望で優美な存在なのかを見せつけてやればいいだけの話なんだぞ!!数なんていらないことを証明してやるぞ!イーヴァ一人でも十分すぎるくらいだってことを思い知らせてやるんだぞ!」
感情の起伏が激しいイーヴァに、マクリナは苦笑を漏らした。
ゴオゴオと燃えるような決意を胸に宿した我が子に半分呆れ半分頼もしさを覚えながら、マクリナは元の席に腰を落ち着かせる。
「そうしてください。ですが、くれぐれも顔を合わせた時にはその燃える思いを心の中にしまっておいてくださいね」
闘志剥き出しの視線を向けたまま優雅に挨拶してしまいそうなイーヴァに釘を指す。
グッと拳を握ってイーヴァは頷いた。
「分かってるんだぞ!この熱い思いは形にしてこそ成果があるんだぞ!そんな姑息な手段には使わないんだぞ!」
「そうですか。なら、良かったです」
「そうだなぁ、まずは今度会ったときにイーヴァがいかに戦地において活躍しているかを聞かせて……」
「…………はぁー。」
何やらブツブツと不気味な計画を練り出した我が子に、マクリナは今度は完璧に呆れたため息を吐き出した。
「っと、ん?」
マクリナがそれに注意を進言しようと口を開きかけた時、ふいにイーヴァが何かを感じたように窓の外に顔を向けた。
「どうかしましたか?」
「…………ソウマの馬の足音が聞こえる。」
「?そんなはずは」
昨日の話を聞いたかぎり、こんなに早くに城に戻ってくる計画ではなかったはずだ。
マクリナは首をかしげながらイーヴァのいる窓の辺りまで近付く。
窓を開け外を見てみるも、それらしき人影はない。
「………ソウマ一人ですか?」
ジッと耳に意識を集中させているイーヴァを見下ろす。
「…………いや、陛下もご一緒だぞ。………けど他にはいないんだぞ。……しかも、相当急いでるんだぞ。」
「…………何かあったのでしょうか。」
不安そうに外を見つめるマクリナの視線の先に、小さな影が映った。
城の門がゆっくりと開くと、その隙間を通り抜けるように動く小さな影。
「あれかな?」
マクリナの指差す方を見て、イーヴァは何度も頷いた。
「ソウマと陛下なんだぞ!なんだ?陛下がやけに慌ててるんだぞ」
マクリナの目にはゴマ粒ほどにしか映らない二人の姿は、イーヴァにはまるで目の前にいるかのように映っている。
優れた聴覚と視覚を持つ我が子に、頼もしさを感じ誇らしくさえ思いながら、マクリナはその小さな肩に手をおいた。
「状況を聞いてきてください。貴方の羽はこのような時こそ役立たせなくては」
マクリナの言葉にイーヴァはキラキラした笑顔を返した。
「了解したぞ!父様、待っててくれだぞ!」
言うが速いか、イーヴァは矢の如くヒュンと風を切って飛び立った。
そんなイーヴァを見送りながら、素早くマクリナはイーヴァからの報告内容の予測を始めた。
どんな事態が起こっているのか、今ある情報から推測する。
まぁ、考えるまでもなくサクラが何か仕出かしてしまったに違いないが。
マクリナは問題ばかり起こす巫女に呆れたため息をつきながら、反対にその巫女の持つ影響力の大きさに感心した。
チラッとマクリナは机の上に置いてある分厚いそれを目をやった。
サクラが現れてから、一度たりとも予言を浮かび上がらせることのなくなった『ラーテルの書』。
この世界で起こる事柄を予言してきたそれは、今ではただの分厚く古いだけの物に成り下がっていた。
これから起こることは、ラーテルにさえ予言できぬことなのだろうか。
それとも、ここに記すことができなくなったということなのだろうか。
鋭い視線を向けながら、マクリナはその本をソッと撫でた。




