謝罪と感謝
風に盗まれてしまった帽子を追いかけて茂みをかき分けて進む。
そう遠くまでは飛んでいないはずなんだけど……。
私はあたりをキョロキョロ見回しながら足を進めた。
「おいっ、ちょっと待てって!」
ガサガサと少し後ろの方からクラウドが追い掛けてきた。
「闇雲に歩き回んな。森はあっという間に表情を変えんだぞ」
大きく目の前の茂みを揺らしながら私の方に近付く。
「分かってる。でも帽子が」
そう言いながら振り返ろうとした私の視界の端に、チラッと見覚えのある影が写った。
「あった!!」
数メートル先の木の枝にそれは引っ掛かっていた。
幸、私でも手が届きそうな高さにある。
「良かったぁ。クラウドちょっと待ってて」
「あっ!おいっ」
帽子が見つかったことの安堵からか私はクラウドの返事も聞かずに目の前の獲物に駆け寄っていった。
良かった。オルタナから借りたものなのに、なくしたなんてことにならなくて。
ホッと胸を撫で下ろしながら、だいぶ手前から手の伸ばし軽い足取りで近付いていく。
目の前にあるその枝に手が届く
その瞬間。
「危ねぇ!!」
えっ?
後ろから聞こえたクラウドの叫び声と共に、私の体を不思議な浮遊感が包み込んだ。
前にも感じた、もう二度と感じたくないと願った『あの浮遊感』が。
確認するまでもない。
帽子が引っ掛かっていたその枝の足元に、地面などなかったのだ。
そこにあったのは何もない、崖。
体感的に数十秒の静止。
実際にはクラウドの声が聞こえた瞬間。
私の体は支えをなくし、内蔵をその場に置き去りにしてしまったようなどうにも気持ちの悪い感覚へとすりかわっていた。
吸い込まれるように落ちていく感覚。
「………きゃぁ」
「ちっ、バカ野郎!」
感覚よりも先に悲鳴があがった。
と、同時にクラウドの声も耳に届く。
手足をばたつかせながら落ちていく私の遠退いていく視線の中に、クラウドが自ら谷に飛び込んでくる姿が写った。
私よりも体重があるせいかクラウドの落下速度の方が遥かに速く、瞬きをする暇もないほど素早く彼は私の手を掴んだ。
浮遊感以外の強い感覚に、私は驚く暇もなかった。
そのまま肩が外れそうな程強く引き寄せられ、クラウドの胸に頭を押し付けられるような形で固定される。
「舌噛むなよ」
えっ……
そう一言彼が私に告げると、もう片方の手で私のお尻の下に回すとグッと力一杯抱き締めてきた。
と、次の瞬間
ドーンッと体に信じられない衝撃が襲い掛かってきた。
始めに足の方、次の瞬間体全てに普段の何倍もの重力がのし掛かってくる。
声をあげる余裕もなかった。
急にさっきまでゴオゴオと唸るような風の音が消え、辺りはシンと静まり返った。
ただただ、心臓だけが耳元で鳴っているのではないかと思うほど信じられないくらいバクバクとうるさい。
強張った肌が周りの気配をビシビシと感じ取る。
落ちた。
落ちたのだ。
あの浮遊感。
固く瞑った目を恐る恐る開ける。
すぐこそに地面が見えた。
だがそれはさっきまで走っていた草の生えた地面とは違う。ゴツゴツと尖った小石が散らばった赤い地面。
「……………っ」
状況を確認するという行程に入るより先に、頭の上で小さく声が漏れてきた。
反射的に顔をあげると、そこには眉をビクピク動かしながら私を見下ろして今まさに口を開こうとしているクラウドがいた。
「っの、バカ野郎!!」
「っっ!!」
至近距離でそう叫ばれて、私は開いたばかりの瞳をさっきよりも固く瞑った。
「何考えんだ、このバカッ!!不注意にも程があんだろうが!」
ヒュッと肩をすくめる。
「どんな間抜けだ、こんなところに落ちやがって!俺がいなかったら死んでたかもしれねぇんだぞ!分かってんのか?いや、むしろ俺が死ぬかと思っただろうが!あんな高さ!」
声を荒げるクラウドに私は何も言い返せなかった。
あまりにも彼の言い分が胸に突き刺さってきたからだ。
不注意なんてもので片付けられるほど軽いものではないのが分かる。
彼が庇ってくれなければ、私は死んでいた。
「おいっ、お前聞いての…か」
何も答えない私に苛立ったクラウドが問いかけようとして、彼は言葉を飲み込んだ。
私の体がカタカタと彼に伝わるほどに震えていたからだ。
クラウドに叱られたからではない。
むしろその逆だ。
クラウドに罵られることで、今生きているという実感が沸いてきた。
そして一瞬でも死にそうになった事実が、遅れてやって来てしまったのだ。
小刻みに震える私を見下ろして、クラウドは飲み込んだ言葉を小さなため息にして吐き出した。
「……いてぇっての。」
さっきとは違い、ポツリと溢すようなクラウドの言葉に私は静かに目を開けた。
「………えっ?」
情けないほど小さな声で聞き返すと、私の頭を押さえつけていた手を離すとスッとクラウドは自分の胸元を指差した。
「あっ!!」
その指先を視線で追うと、私は途端に事態を把握した。
恐怖からかそれとも落ちていく衝動に耐えるためか、私は無意識にクラウドのシャツの胸元を握り締めていたのだ。
しかも、しっかりと爪をたてて。
皮膚ごと。
「ごめんなさっ、きゃあっ!」
慌てて手を離し、その勢いで体も引こうとするも私の足はジタハダと空を切り、上半身だけが後ろに仰け反るような形になる。
「おいっ!」
慌ててクラウドが背中に手を回しグッと抱き止められる。
忘れていた。
私はまだクラウドに抱き締められていたままだったのだ。
抱き締められていたというのが正しいのかはわからない。
だって、私の体は腹話術の人形がそうしているように、クラウドの腕にお尻を乗せているような格好だったからだ。
体の向きだけは腹話術の人形とは逆になってはいたが。
「………ったく。」
舌打ちにも似たような苛立つ声に、私は一気に冷静さを取り戻した。
「………ごめんなさい」
小声でそう呟くと、クラウドは再度ため息のような音を漏らすとそっと私を地面に下ろしてくれた。
地面に足をつける時、一瞬ガクンッと力のかけ方を忘れてしまったかのように足が震えたが、それを乗り越え自分の足で地面を踏みしめた。
それからもう一度、今度はしっかりと頭を下げた。
「ごめんなさい。私本当にバカだ」
自分の仕出かしたことに泣きたい気分だ。
迷惑をかけないようにと自ら探しに出たのに、それよりも更に迷惑な行動をとってしまうなんて。
逆に才能なのではないかとすら思ってしまう。
項垂れる私にクラウドも呆れてしまったのか、それ以上咎めるような言葉を口にはしなかった。
フゥーと息を吐くとポコッと私の頭をこずいた。
「怪我はねぇか?」
「……ん。どこもなんとも」
「そうか。なら、いい」
「クラウドこそ怪我」
「しっ!」
私の問いかけを遮るように、クラウドは手のひらを目の前に付き出した。それから何かを探るように、今私達が落ちてきた崖を見上げる。
意図が分からなかったが、私も同じようにそこを見上げた。
見上げて気が付いたが、そこは恐ろしく切り立った崖だった。
さっきいた辺りが全く分からないほどの高さがあり、所々岩肌が鋭く尖っている。
それはまるで獲物を捕らえようとする悪魔の爪のように鋭く、もしあれに突き刺さっていたらと想像すると背中がゾクゾクを震えた。
「悪い。ここだ」
自分で自分の肩を抱いて恐怖に耐えていると、ふいにクラウドが誰に当てるでもない声を発した。
「………あぁ、その下だ。…………いや、俺からは見えねぇな」
その奇妙な行動に、私はギョッとしてクラウドを見つめてしてしまった。
……頭でも打ってしまったのだろうか。
誰かと会話をしているような一人言を突如しだした。
「………コイツに怪我はないみたいだ。……………あぁ、俺も怪我なんて大したものはしてねぇよ…………あぁ大丈夫だ」
私から注がれる不審の視線など気にも止めず、クラウドの一人言は続いた。
「…そうか。悪いな、俺の不注意だ。………あぁそうしてくれると助かる」
唖然とする私。
見てはいけないものを見てしまっているような、そんな奇妙な感覚に陥りそうになる。
「……………そうだな。問題はここからどうやって上がるかだ。コイツを抱えてはさすがに無理だ。…………そうか。じゃあ一端城に戻って」
「ねぇ!」
「ん?」
我慢できずに私はクラウドの一人言を遮った。
大声で話を中断されたことに多少驚いたのか、クラウドは目を丸くしてこちらを向いた。
「なんだよ?」
「なんだよって…さっきっから誰と話してるの?…………怖いんだけど」
こんなにもハッキリとしかも会話をしているような一人言を目の前で始められて、私は多少ビクビクしながら彼を見つめた。
「は?怖いってお前…」
私の言葉に当初訳がわからないといったように眉を寄せたクラウドだったが、次の瞬間その意味に気が付いたのか「あっ」と小さく声を漏らしてから、崖の上を指差した。
「上にソウマと陛下がいるんだ」
「えっ!?」
指差された方を私も見上げる。
が、そこには人影はおろか崖の始まりすら見えなかった。
「………えっ、じゃあ今クラウドが話してたのって」
まさかと思いながら、私は静かにクラウドの顔を見つめた。
「あぁ、ソウマとだ」
「嘘ッ!?」
「っ!大声出すな!今聴覚が敏感になってんだよ!」
「あっ、ごめん。」
クラウドが咄嗟に自分の耳を押さえたので、思わず大声で叫んでしまった口を両手で抑える。それから気を付けて声を出す。
「だって、そんな信じられないよ。こんな姿も見えない状態で」
しかも叫ぶでもなく、まるで相手が目の前にいるかのような声のボリュームで会話をするなんて。
「まぁ、普通の奴なら無理だろうな。俺やソウマみたいな犬だの狼だのそういった耳をした奴でなきゃ。」
「………なるほど」
「さっき微かに人が歩いてくる音が聞こえてな。そしたら陛下とソウマが俺らを探してる声が聞こえたからそうだろうって」
「……すごい」
にわかには信じられないことだった。
だが、この場面でクラウドがそんな冗談を言うようにも見えないし。というか、彼が冗談なんて言うこと事態頭がおかしくなったとしか考えられない。
「じゃあルイスもそこにいるの?」
「あぁ、だが陛下には俺やお前の声は聞こえてない。さっきっからしきりにソウマにお前の無事を確認してるのがその証拠だ」
苦笑するようなクラウドの口元に、私は戸惑いながらも顔を上へ向けた。
「ってことは、ソウマには私の声は聞こえてるの?」
「あぁ。この会話もソウマには届いてる」
「そっか」
クラウドの言葉に困惑しながらも、私は視界にとられることのできない相手に向けて口を開いた。
「ソウマ、聞こえる?ごめんなさい。私もクラウドも大丈夫だよ。私の不注意でこんなことになって本当ごめんなさい。ルイスにも大丈夫だって伝えて欲しいの。クラウドが庇ってくれたから、どこも怪我してないよって」
普段よりも少し大きな声を出して話した。
岩肌に私の声が微かに反響する。
返事のない空を見上げる。
「…………分かったってよ」
ソウマの変わりに隣にいるクラウドが返事をくれる。
その答えに私も頷いた。
「話を戻すぞ。悪いが城に戻って何か引き上げるものを持ってきてくれ。…………あぁそうだな。丈夫なのであればかまわない。…………ん、まぁそれなら心配ねぇよ。……………あぁ、分かってる。頼んだ」
私が遮ってしまったソウマとクラウドの会話が再開された。
私は今度は邪魔にならないように黙って見守ることにした。
「ん?………いや、それは………ダメだろ」
突然クラウドが困ったように眉を寄せた。
ソウマの声が聞こえない私には、事態がどう変化したのか分からずその表情にドキッとした。
何かまた良くないことが起こったのだろうか。
ハラハラしながら見守っていると、ソウマから何か言われたのかクラウドがめんどくさそうに首を振った。
「ダメだ。お一人になんてさせるな。お前が着いていられないならせめてオルタナを着けろ。………………………そうだな。」
すると、チラッとクラウドが私の方に視線を向けた。
心配そうにしている私を見てからまた口を開く。
「コイツがダメだと言ってると伝えればいい。心配してるとか自分のせいでとか、そんな感じで言えば納得なさるだろう」
「?」
「……………………………そうか。じゃあ頼んだ。悪いな」
そう締め括るとクラウドは一息ついた。
「………どう、なったの?」
クラウドの様子を伺いながら、私は彼の顔を覗きこんだ。
「ん?ソウマが城に戻って縄か何か持ってくるってよ。それで引き上げてもらえるだろう」
「この、高さを?」
見上げながら私はまた眉を寄せた。こんな高さ人力で引き上げるなんて、考えられない。
「俺がお前を抱えながら登ってくんだよ。それの手助けとしてソウマが引き上げる。それほど難しいことじゃねぇよ」
言いながらクラウドはゴツゴツした岩肌に背中をもたれ掛からせた。
「ソウマが戻るまではここで大人しくしてるしかねぇけどな。」
「………ねぇ、最後なんか様子おかしかったけど、あれはどうしたの?」
会話が聞こえていないだけに、クラウドの口振りや言葉が妙に引っ掛かっていた。
私の名前を出したり、めんどくさそうな顔をしたり。
「あぁ、あれか」
もたれたままクラウドはもう一度苦い顔をした。
「陛下がここに残ると言い出したみたいでな。助けるための道具はソウマが取りに行って、自分はこの場に残るってよ。」
「えっルイスが?」
「あぁ。まぁなんかごねてるなぁとは思ってたんだが、俺の想像以上に駄々をこねてたみてぇだな。ソウマがどう言ってもダメみてぇだったし」
「………なんでだろう」
この状況でそんな風にごねれば事態が前に進まないことくらいルイスなら分かるはずだ。
私の言葉に、クラウドはわざとらしくため息をついた。
「決まってんだろ」
「えっ?」
「お前がここにいるからだろうが」
「…………私が?」
「そうだろ。ったく、そんなこともわかんねぇのかよ」
驚く私をよそにクラウドは面白くないように鼻を鳴らすと、顔を背けてしまった。
私がいるから………。
その言葉に照れや恥ずかしさよりも、言い様のない罪悪感が胸を覆った。
せっかくのルイスのお誕生会だったのに、私がこんなことしたばっかりにルイスに余計な心配をかけてしまった。
どうしようもないな、私。
思わずシュンと肩を沈める。
そんな私をクラウドは横目でチラッと見てから、大袈裟なほど大きな音をたててその場に腰を下ろした。
その音に顔をあげると、クラウドは自分の座っている横を指差しながらこちらを見ていた。
「抱えられるだけでも体力は使うんだ。お前も少しは休んでろ」
「う、うん。」
彼の威圧的な声に圧倒されながら、半ば命令されたように私は彼の隣に移動した。
スカートの裾を巻き込んで体育座りに腰を下ろす。
「まぁ、あれだ。」
私が座るのを待っていたように、横にいるクラウドが口を開いた。
「今そんな態度とる必要なんてねぇんだよ。陛下に心配かけたのを悪いと思ってんなら、陛下の前でしっかりと謝ればいいだろう。お前が真摯に謝れば陛下はなんてことないように許してくださるはずだ。と、いうかお前の無事な姿を見れば、謝罪の言葉なんて無用だと思ってるだろう」
「………だけど」
「だけどじゃねぇよ!」
「っ!」
苛立ったようにクラウドは私の方に振り返ってきた。
「今この状況でお前がウジウジしてたって、なんの解決にもならねぇだろう。起こっちまった事はもう仕方ないって思え。ここには俺とお前しかいねぇんだから、お前が辛気くせぇと俺まで滅入るだろうが」
少し距離があるにしても、クラウドの迫力に私は圧倒されてしまった。
彼は言いたいことを言い終えると、さっきと同じようにムスッとした表情で前を向いてしまった。
多分、クラウドなりに慰めてくれているのだろう。
この状況でいつまでもグジグジ言っている私が気に入らないというわけではないと思いたい。
それにハッキリと言われたからか、私はほんの少し胸がスッキリしたような気がした。
「クラウド」
「なんだよ」
「………その、ありがとう」
彼の横顔に、私は出来るだけ素直な口調で言った。
「助けてくれて、ありがとう」
謝るよりもこうして感謝の言葉を口にする方が、案外難しいような気がした。
私の言葉にクラウドはこちらを振り向くわけでもなく、微かに顔を反対側に逸らせながら頷いた。




