幼さの残る横顔
翌朝、私は早くに自分の部屋を出た。
テトから聞いた目的の彼の部屋の前に立つと、軽く深呼吸をしてから戸を叩いた。
コンコンッと乾いた木の音が響いてから、中で誰かが動く音が返ってくる。
キィーと返事よりも先に戸が開かれて、私は少し慌てた。
「…………サクラ」
「ごめんね、朝早くに」
開いた戸から顔を覗かせたのは朝早い時間にもかかわらず身支度をしっかりと整えたソウマだった。
ソウマは私の姿を見ると少し驚いたように目を開いたが、すぐに何かを察してくれたのか戸を大きく開いてくれた。
「中へどうぞ」
「ありがとう」
私はとりあえずホッとして彼の部屋へと足を踏み入れた。
ソウマの部屋はクラウドの部屋と同じようにあまり物がない、やけにさっぱりとした部屋だった。
ただ一つ違うのはソウマの部屋には大きな本棚が置いてあり、そこには分厚い本達がひしめき合うようにしまわれていた。
私には読むことができないが、その年期の入り方からしてま相当に古い本ばかりが並んでいるのがわかる。
「どうぞお座りください」
行き場をなくしてさ迷っていた私をソウマは普段自分が使っているのであろう椅子を差し出してくれた。
「あっいいよ、それはソウマが使って。私は……じゃあここに」
それ以外にかけるものがないこの部屋で私がその椅子に座ってしまったら、ソウマはおそらくずっと立っているか床に膝をついてしまうような気がして、私は近くにあったベットに腰を下ろした。
ソウマはそれに対しては何も言わず、黙って従ってくれた。
「ごめんね、こんな朝早くに」
ソウマは椅子を私の前に置くとそれに腰を下ろした。
それを確認してから私は再度彼に謝った。
「ソウマの予定がわからなかったから朝早くなら確実に部屋にいるかなって思って」
「気になさらないでください。支度も終えたところでしたし、今日は早い時間は特に予定はなかったので」
彼のその言葉に私は項垂れた。
早い時間に予定がなかったというのに、私はその貴重なプライベートな時間を奪ってしまったことになる。
こんなことなら昨日の時点でちゃんとソウマに確認を取るべきだった。
項垂れた私の頭にポンッと彼の大きな手が乗っかってきた。
「どうかされたのですか?」
頭をあげた私に、ソウマはそう言って優しく微笑んでくれた。
「あのね、ソウマにちょっと相談があって」
私の言葉にソウマは姿勢を正して座り直した。
おそらくこれが彼の聞く姿勢なのだろう。
「なんでしょうか?」
「うん。来週ルイスのお誕生日なんだよね?」
「………はい」
ソウマがほんの少しだけ表情を動かしたのが分かる。
「でも今年はお誕生日のパーティーしないつもりなんでしょ?」
「………誰からそれを?」
「それは言えない」
ソウマは探るように私を見たが、私はグッとその視線に耐えた。
ソウマがオルタナを怒ることはないと思うし、ましてやそれを誰かに告げ口するとも思えない。けど、ソウマ個人としてオルタナの評価が下がってしまうかもしれないことを私は一番に気にした。
「……そのおつもりのようです。」
いくら待っても私が口を割らないと観念したのか
ソウマは話を先に進めてくれた。
「来場者には一月ほど前に招待状を配っておりますが、陛下は今も開くべきかどうか悩まれているようです。」
「私のせいで、でしょ?」
「それは、少し違います。」
「えっ?じゃあなんで?」
私は核心をついたと思った言葉を否定されて、目を瞬かせた。
ソウマは真っ直ぐに私を見たまま、口をつぐんだ。
以前ならその無表情な彼の瞳が何を思っているのか分からなかった。
だけど、今ならわかる。
ソウマのその表情は何かを思い詰めているときの顔だ。
「それは、申し上げることはできません」
迷ったような表情を見せたが、彼はそうキッパリと言い放った。
私はその表情に肩を落とした。
こうなったら彼は多分そのことは絶対に何を聞いても答えてくれないだろう。
仕方なく私は話題を変えた。
「まぁそれならそうで仕方ないんだけどさ。けどせっかくのお誕生日なんだわけだし、ちゃんとお祝いはしてあげたいの」
勿論一番はパーティーを予定通りに開催してそこで皆に祝ってもらうことだ。
そこに私がいなければなんの問題もないなら私が参加しなければいいだけの話だ。
だが、ソウマの表情からすると問題はそれだけではないようだった。
「もしパーティーがダメだとしたら、私達で何かしてあげられないかな?」
「………私達、と言いますと?」
「そうだねぇ、人数は多い方がいいと思うけどなんせ言い出しっぺの私がこの世界でははみ出し者なわけで、人脈なんてないから本当に内輪だけの集まりになっちゃうけど………。オルタナとかマクリナとか、クラウドとか。その辺りで何かルイスのためにしてあげられないかなって」
広い城の中で生活をしていると言うのに、未だに私が関わっている人数の少なさに私はガッカリしてしまう。
結局、私はルイスのために何かをしてあげたいと思ったところで一人ではなにもすることができない。
「何かって言ってもすごくアバウトなんだけど……ルイスが喜んでくれそうなことしてあげたいんだよね。」
派手なことや手のこんだことは無理かもしれない。けど、私だって彼のために何かしてあげたい。
いつも彼から貰ってばかりの厚意を私もこんな機会にこそ返したいと強く願っていた。
「サクラは何をして貰ったときに嬉しいと思いますか?」
「えっ?」
頭を悩ませていると、ソウマが助け船を出してくれた。
「サクラがされて嬉しいことを陛下にもしてさしあげればいいんですよ」
「私がされて、嬉しいこと………」
私は記憶の中の自分の誕生日を思い返した。
まだ家族がいた頃、春生まれの私の誕生日には家族でお花見に行くことが多かった。
お母さんと私でお弁当を作って、スバルとお父さんがレオを連れて野原を駆け回っていたのが思い出される。
なんでもないそんな事が、私にとってはとても幸せであの頃はそれが当たり前のように感じていた。
家族を失って、引き取られた家では私の誕生日に出掛けることはなかった。
ケーキとプレゼントはあったけど、私は庭に咲き誇る桜の花を見ながらどこか晴れない気持ちのまま年を重ねていった。
「…………そうだ!」
突然あることを閃いた私はパチッと手を鳴らして立ち上がった。
「何か思い付きましたか?」
私の奇行に動じることなく、ソウマが見上げた。
私はそんなソウマに大きく頷くと、ソッと体を折って彼の耳元に口を寄せた。
「あのね……」
それから誰もいない部屋で私はソウマにコソコソとある計画を伝えた。
ルイスの朝は毎日早い。
使用人が起こしに来るよりも早く起き、支度を整える前に決まって一時間近く読書の時間を設けている。
王としての一日が始まってしまえば彼にこうして自分の時間を楽しむ機会などなくなってしまうため、こうして誰にも会う前に自分の好きなことに時間を費やしている。
(今日はとても天気がいいな)
もう何度となく読んだお気に入りの本を本棚から取り出して部屋のカーテンを開ける。
まだほんのり朝靄がかかる外は差し込むように輝く太陽の光でキラキラと輝いて見えた。
窓を少し開けると清々しい朝の匂いが部屋に滑り込んでくる。
ルイスはその空気を胸いっぱいに吸い込んでグーッと背伸びをすると今日一日のスケジュールを頭の中で確認した。
午前は食事を済ませてからマクリナからの報告と、戦地に向かっている騎士からの現状報告を聞き今後の動きを検討する会議。その後各地から上げられた報告書に目を通し、それを承諾すべきかどうかを考えなくてはならない。
昼までにそれが全て片付けばいいが、つい先日までサクラのことで頭がいっぱいだった彼には溜まりに溜まった仕事が待ち構えている。
王でありながらその全てを一人で背負いこんでいることの大変さに、気付いていながらも弱音など吐いている暇などなかった。
取り合えず午前は頭を悩ませながら頑張るしか他なかった。
窓をパタリと閉め、ルイスは本を手に取るとソファへと移動した。
表紙に手をかけながら、ふと昨夜のソウマとの会話を思い出していた。
「明日の午後、陛下のお時間を私に頂けないでしょうか?」
食事を終え、部屋でくつろいていた時突然ソウマがそんなことを言ってきた。
「………どうかしたのかい?」
あまりに唐突な彼の言葉に、ルイスは思わず何事かと目を瞬かせた。
ソウマから何かをお願いさせるなんてこと想像もしたことがなかったからだ。
「……午後のご予定が空いておりますので、そのお時間を私にお付き合い願えませんでしょうか?」
ルイスの質問を誤魔化すようにソウマがもう一度訊いてきた。
彼らしくない態度だ。
ルイスはジッとソウマを見つめた。
何かを探ろうとしているわけでなかった。
ただ本当に彼の発言が珍しすぎてマジマジと見つめたくなってしまったのだ。
「………………陛下」
その視線に耐えられなかったのか、あるいは彼の質問をはぐらかしたことへの後ろめたさからかソウマは少し動揺したようにルイスを見つめ返してきた。
「ん?…あぁ明日の午後だったね。………そうだね」
そこまで言ってルイスは考え込むように顎に手を置き、宙を見つめた。
ソウマがこうして頼んでくる理由など、ルイスには一つしか考え付かなかった。
彼らしくない態度と発言は、おそらく彼女と何か約束をしているがために制限がかかっているからであろう。
「………うん、いいよ。私の時間をお前に預けよう」
ルイスの言葉にどこかホッとしたように息を吐きながら、ソウマは綺麗に腰を折り頭を下げた。
「ありがとうございます」
そんな彼の律儀な態度にルイスは微笑みを浮かべたが、次の瞬間微かに口元を緩ませた。
「それで、私と何をしようとしているのかな?」
そんな彼の意地悪な質問に、ソウマが下げたままの頭がギクッと大きく揺れたのでルイスは思わず吹き出してしまいそうになるのを必死で堪えた。
「…………それは………………」
ゆっくりと頭をあげながらも、視線を全くこちらに向けようとせずあきらかに焦りの色を滲ませているソウマの姿にルイスは更に笑い出しそうになった。
こんな彼を今まで見たことがない。
きっとこれも彼女が緩ませてくれた、ソウマの綻びの一つなのだろう。
ルイスはフッとそんなことを思いながらソウマに向かって首を振った。
「意地の悪い質問をしたね。忘れておくれ。楽しみは明日までとっておくよ」
ルイスの言葉にようやくいつもの表情に戻ったソウマは、また深く頭を下げた。
(あのソウマがあんなにも慌てふためくなんてね)
昨晩のソウマの姿を思い出し、ルイスは堪えきれずにクスクスと笑った。
サクラと過ごしてから彼は明らかに変わった。
その証拠にルイスに自らサクラとの関係を話してくれた。
それまでそんな素振りすら見せなかった彼からの告白に正直最初は戸惑ったが、彼がどれほどサクラを大切に思っているのかその時痛いほどに伝わってきた。
過去も現在も彼は命を懸けてサクラを守ろうとしている。
誰に言われるでもなく、自分の意志でそれを行動に示している。
今のソウマが、本来のソウマの姿なのかもしれない。
ずっと側で見てきていたつもりの彼なのに、あんな風に穏やかに微笑む顔や秘密をバラさぬように必死になる姿をルイスは知らなかった。
長い時間を懸けて築き上げてきた関係をあっさりサクラに持っていかれてしまったような喪失感、それなのに何故かそれを喜んでしまっている矛盾した気持ちがルイスの中には芽生えていた。
変わったのはソウマだけではない。
ルイスはズキンッと痛む胸に手を置いた。
この胸の痛みがそれを物語っている。
ハァーと自然に大きなため息がもれた。
ルイスは後悔していた。
自分がしてしまった、あまりにも幼稚な行動に。
おそらくクラウドはその意味を理解してしまっただろう。
勘のいい彼のことだ、それくらいはすぐに伝わってしまったと思っていいはずだ。
あの夜に彼に向けてしまった視線の意味を。
何故自分があんな風に彼を見てしまったのか、そしてそこから何を生み出し、何を奪おうとしたのか、今の自分にはそれすらも分からなかった。
ただあの時は、心の底からクラウドを羨んで、心の底からその存在を恨んだ。
サクラに必要とされ、選ばれた彼のことを。
(クラウドに謝るべきだろうか。………いや、下手に謝るのは逆効果になってしまうかもしれないな。)
開きかけた本の表紙に視線を落とした。
この本の主人公ならばどうするだろうか。
小さい頃から何度も何度も読み返している、どこにでもあるような冒険の話。
主人公の少年が海を渡り、言葉も文化も異なる土地でその土地の人々を救っていくという話。
勇気と度胸があり、腕っぷしも強くどんな場面でも堂々と振る舞う彼ならば、こんなときどうするだろうか。
この本を彼にくれた前王であり父親である彼ならば、どうするだろうか。
父親と本の主人公が重なる。
幼い頃からずっと憧れ、そしていつの日か自分もそうなると追い求めている姿。
ルイスはフッと悲しそうに笑った。
(………きっと、父上ならばこんなことで頭を悩ますことはないだろうな)
きっと彼なら次の日には何事もなかったように普通に振舞い、そしてそのことから生じるであろう互いの亀裂をあっさりと帳消しにしてしまうだろう。
いや、それよりもあんま粗末で幼稚な態度などとらないかもしれない。
ルイスはまた大きくため息をついてから、窓の外の景色に視線を移した。
朝靄は晴れ、朝露に濡れる緑がキラキラと宝石のように輝きを放っていた。
その輝きを自分一人で美しいと愛でるのではなく、誰かと……サクラと共有したいと自然と思ってしまう。
そう思えば思うほど、胸の奥がまたキューッと苦しくなる。
(………私もだいぶ変わってしまったな)
自嘲気味に笑うとようやく本を開いた。
もうだいぶ経ってしまった時間を気にすることなく、本に目を落とす。
午後の時間を心待にしながら、ルイスは今日も冒険の世界へと自分を溶け込ませた。




