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獣と獣??  作者: 暁 とと
43/56

近くて遠い存在と遠くても近い存在

胸のモヤモヤが消えないまま私はどうにか城の門まで帰ってこれた。

いつもならイーヴァに教えてもらった近道を通るとこだが、今日は遠回りしてでも正規の道を選んでいた。

多分この胸のモヤモヤをもう少し一人で味わう時間が欲しかったのだろう。


ユタのあの表情を見たときから胸を支配するこの気持ち。

胸がキュッと摘ままれたような、締め上げられるような……けど、何故かその痛みは昔も感じたことのあるようなそんな懐かしい余韻が残る痛み。


まさか、ソウマみたいに元の世界にいたときに会ったことがあるとか。

いや、何か違う。

ソウマに感じたような微かな違和感なんかじゃない。

もっと、もっと体の奥を掻き乱すような感覚。


靄がかかるその感情の正体が分からないでいた。



それに……


私は歩みを止めて自分の手を見つめた。

それからゆっくりと手のひらを動かす。



自分の意思で当たり前に動く自分の体。

けれど確かにあの時、私は自由を奪われた。

ユタのあの瞳に見つめられた瞬間、まるで肢体を針で固定されたようにピンと張り詰めたなにかが体の中にはあった。

思考が停止して動けなくなった訳じゃない。

文字通り体が動かなくなってしまったのだ。


妖しく光るあの紅い瞳。

あれこそがユタの本当の姿なのだろうか。





「……あれ?」

門に近付いていくと門番の他にも人影があることに気が付いた。

門にもたれ掛かるように足を組んで立っている彼は声をあげた私の方に不機嫌そうに振り向いた。

「遅ぇよ」

くっきりと眉の間に皺を寄せながら私を睨む。

顔中で不機嫌を表している。

「なんでクラウドがこんなとこいるの?」

もう見慣れたその表情を私は臆することなく見つめ返す。

「お前なぁ…今夜は陛下との晩餐だって忘れてんじゃねぇだろうな?」

「………あっ」

すっかり忘れてしまっていたのを明らさまに表す私にクラウドは見せ付けるようにため息を吐き出した。

「やっぱりな。なかなか戻らねぇと思ったら予想通り忘れてやがったな」

「だって、言われたの昨日だし…買い物とかで楽しくなっちゃって…」

ゴニョゴニョと言い訳をする私を呆れ顔で見下ろして、もう一度ため息をつくと私が肩から下げていたバックをサッと奪った。

「さっさと準備するぞ」

その荷物をヒョイっと肩にかけて背を向けて歩き出してしまう。

「あっ、うん。ありがとう」

慌ててその背について小走りについて門をくぐる。


カツカツと何を話すわけでもなく廊下を二人で歩く。

正直言うと私は毎度毎度クラウドについていくのに必死だった。

クラウドはとにかく歩くのが速い。

はじめの頃よりはだいぶ速度を落としてくれているが、それでも私の足は常に小走りに近かった。

しかも今日に限ってはいつも以上に早足のようなきがする。

「ねぇ、ちょっとクラウド…」

「あ?」

軽く息を切らしながら彼の背に声をかけると、首だけ捻って返事が返ってきた。

「歩くの、速いよ。」

「あ、あぁそうだったな。悪い」

思い出したかのようにクラウドはそこから速度を落としてくれた。

私はようやく彼に追い付くと隣について歩くことができた。

ふと彼を見上げると真っ直ぐ前を向いて歩く頬に細かな傷がいくつもあることに気が付いた。

「痛そう」

「あ?」

思わず心の声が漏れてしまうと、クラウドが見下ろしてきた。

私の視線に気付くと自分の頬を指で掻くように擦った。

「これか?別に痛かねぇよ」

「本当に?」

「本当だ。あの野郎力だけは半端ねぇからな。しかも相手が俺だと手加減ってのを知らねぇからさらに厄介だぜ」

ケッと吐き捨てるように言うクラウドの言葉に、その傷が今朝オルタナによって付けられたものだと教えてくれる。


『覚えていられるなら、してもいいってことか?』


今朝の彼の言葉と熱を帯びた瞳が途端に頭に浮かび上がってくる。

ボッと音がしたのではないかと思うほどの勢いで顔が熱くなった。


さっきまで忘れていた今朝のことを思い出し、私はほんの少しだけクラウドから距離をとって歩いた。

「ところで」

その距離など、いや、今朝のことなど全く意識していないのかクラウドはいつも通りに話しかけてくる。

「なに?」

こちらもなるべくならそうしていたいが、一度意識してしまったものはそうそう容易くは忘れることなどできない。

私は出来るだけ前だけを向いて答える。

「お前さっきまでどこ行ってたんだ?」

「どこって……」

答えようと口を開いたのはいいが、私は答えに困ってしまった。

いくら行動範囲が広げられたといっても、それを伝えられた初日からノコノコと森に出掛け、あろうことか人と会っていたなんてクラウドに知れたら………。

「ちょっと、散歩?」

「……なんだぁその言い方は?」

曖昧な私の返事にクラウドは眉を寄せて見下ろす。

「絵を、描こうと思ってね森に行ったんだけど…なかなか筆が進まなくて散歩に切り替えて帰ってきちゃったの。一人で出歩くなんてなかなかないから、ちょっと遅くなっちゃった。」

人はどうして嘘をつくときにこんなにも饒舌になるのだろうか。聞かれてもいないことをペラペラと付け加えてしまう。

「たまにはいいよね、一人で散歩。あっ、結界士さん?にも会ったよ。あぁやって守ってくれてるんだね。私のいたところではそういうのなかったから、なんか新鮮だったなぁ。マクリナもできるんでしょ?凄いよねぇ。てかクラウドももしかして出来たりするの?」

独りでに動く口に慌てながら、私はチャラけたように笑ってクラウドに視線を写す。

予想通りの表情の彼が私を見ていた。



「………はぁ~」

重たいため息が聞こえたような気がする。

クラウドは首をガクッと下げると歩みを止め、スッと私の前に立ちはだかった。

「な、なに?」

困惑する私の肩にクラウドは手を置いて、再度ため息をつくと顔をあげた。

「お前なぁ、自分の立場を考えて行動しろって何回言えばわかってくれんだよ?」

呆れるような彼の声に私は少しムッとした。

「分かってるって」

「わかってねぇよ。ったく…俺がどんだけお前のこと心配してるか…」

そこまで言って、クラウドは『しまった!』という顔で口をつぐんだ。

けれど、私の耳にはもうすっかりその言葉は届いた後だった。

「………心配?」

意外な言葉に首をかしげるとクラウドはバッと私の肩から手を離し背を向けてしまった。

「クラウドォ?」

微かに彼のその恥じらいをからかってやりたい衝動が胸に芽生えた私は、ニヤニヤしながら彼の前に回り込んでみた。

「ッ!こっち見んなよ!」

予想外の私の行動にクラウドはその照れて赤くなった顔を隠すのに数秒遅れてしまった。

「なるほどぉ、心配してくれたんだぁ。だから門で待っててくれたのかなぁ?」

ニヤニヤしながら彼を上目遣いで見上げると、赤い顔のまま不機嫌そうにクラウドは鼻をならした。

「言ってろ」

吐き捨てるように言うと、緩めてくれたスピードを戻してツカツカ歩いていってしまう。

「ちょっ、クラウド!」

追い掛けるように走ってどうにか彼の隣に並ぶ。

「ねぇ、正直に言ってよ」

「なにが?」

「心配、してくれてたの?」

いつもの仕返しと言わんばかりに私はしつこく食らいついた。

怒られるかもしれなかったが、今朝の仕返しとクラウドの反応の可愛らしさでそれどころではなかった。

ニヤつく私の顔を一瞥してから、クラウドは急に立ち止まった。


ヤバイっ怒られる。


ヒヤッとした汗が急に背中に流れた。

「しちゃ悪ぃのかよ」

「…えっ?」

ふて腐れたような赤い顔でクラウドが私の方に振り向く。

「心配しちゃ悪ぃのかって訊いてんだよ。あぁ心配してたよ。一人でフラフラしやがって、またなんかあったらどうするつもりだったんだ。また俺にあんな思いさせるつもりかよ?お前はどんだけ俺を老けさせてぇんだ?あぁ?」

「えっ、ちょっと…」

突然爆発したクラウドに私は思わずたじろいた。

尚もクラウドは止まらない。

私の顔に刺さるのではないかと思うほど指を突き付けて、間近で凄む。

「いいか?マクリナはいいって言ってるかもしれねぇが、俺は今でもお前を一人でフラつかせることには反対してんだ。ただでさえ危なっかしいお前を一人になんか出来るかっつうんだよ。なんのために俺がいると思ってんだ?お前を守るためだろう?なら、俺の側を離れんじゃねぇよ。俺の手の届くところにいろ。二度と俺にあんな辛い思いさせんじゃねぇよ。」

一気にそう言うとクラウドは息継ぎも忘れていたかのようにゼェゼェと肩で息をしてまた歩き出した。

彼の突然の猛攻に私は唖然と立ち尽くして、徐々に小さくなる背中を見つめてしまっていた。


………本当、兄弟なんだなぁ。


その背中を見つめながら、私はオルタナとクラウドのキレっぷりがあまりにも似ているなぁなんて呑気なことを考えていた。



さっさと先を歩いていくクラウドの背中を追いかけながら、どうにか自分の部屋についた。

「……はぁ、置いて、いか、ないでよ。」

息も絶え絶えクラウドに抗議するも、まだ虫の居所が悪いのかまるっきり無視を決め込み彼は部屋の戸を叩いた。

「はいっ」

すぐにいつものように中からテトの返事が返ってきて、ゆっくりと扉が開かれていく。

「お帰りなさいませ、サクラ様」

中から出てきたテトは私の顔を見るなりにこやかに出迎えてくれる。

「た、だいま」

息を落ち着かせながら私も笑顔を向ける。

「随分とお疲れのようですね。どうぞ中に」

「うん、ありがとう」

テトが大きく戸を開いてくれたので、私はクタクタになった足を引きずりながら部屋へとなだれ込んだ。

「支度ができた頃に迎えに来る」

「えっ?あっうん。わかった」

クラウドは部屋には入らずにそれだけ告げると、クルっと反転して今来たばかりの廊下を引き返していった。


「……ご機嫌斜めのようですね」

戸を閉めながらテトが苦笑を見せる。

私はソファに体を投げ出して全身の力を抜いた。

「ねぇ。まったくどこでキレるかわかんないから大変だよ」

自分はいつも私をからかうくせに、私が少しでもからかうとすぐに怒る。

クラウドは見た目こそしっかりした大人だが、中身はまるっきし子供のままな気がする。

「テトの方が断然大人だよねぇ」

「えっ?なんですか?」

クラウドから受け取った画材の入った袋を壁にかけながら、テトが聞き返してきた。

その首をかしげる姿の可愛らしさに心がホコっと癒された。

「ううん、一人言」

テトを見ていると自然と笑顔になってしまう。


それからテトはテキパキとお茶の用意をしてくれて、いつものように美味しいお茶を目の前に出してくれた。

「ありがとう」

「いいえ。こちらを飲み終えましたら晩餐の支度をいたしましょう。本日はオルタナ様がこられないそうなので、僭越ながら僕が身支度をさせていただきます。」

「そうなんだ。うん、お願いします。…って、テト髪出来るようになったの?」

はじめの頃器用なテトでさえ私の髪を結うことができずに悩んでいた。だからオルタナがしてくれるようになってから、彼は一度も私の髪をどうにかしようとしたことはない。

テトは変わらずに微笑んで頷いた。

「いつもおそばでオルタナ様がやっていらっしゃるのを見ていましたから。オルタナ様のように上手くはまだできませんが、これから頑張っていきますのでお任せください」

自信たっぷりに微笑む彼に私も笑顔を向ける。

本当にテトはいつも前向きで頑張り屋さんだ。

「ありがとう。じゃあお任せしちゃうね」


美味しいお茶とテトの笑顔で疲れがとれた私はさっそく着替えを済ませて、鏡の前に座った。

「本日のお召し物は穏やかな翡翠色なので、軽く巻きながら横に流すようにしていきますね」

後ろに立つテトが鏡越しに私に話し掛ける。

「うん、テトにお任せします」

「かしこまりました。では、何かありましたらすぐにお申し付けください。失礼します」

まずは丁寧に私の髪を鋤いていく。

普段してくれているオルタナの手よりも数段小さなテトの手が、長い髪をとかす。

鏡越しにそれを見ながら、一人言のように口を開く。

「ずいぶん伸びちゃったなぁ。そろそろ髪の毛切りたいかも」

「そうですか?サクラ様の髪は美しいですから、切ってしまうのは勿体ないような気も致しますが」

手を休めることなくテトは口だけ開く。

「綺麗かな?私この髪の色結構気に入らないんだよね。」

一筋髪をとってしかめっ面で眺めた。

生まれつき色素の薄い体質の私は髪も目も肌の色も普通の人とは違っていた。生粋の日本人のはずなのに、茶色い髪に茶色い瞳、色白というよりも血色の悪い青白い顔は小さい子供から見れば異国人だ。

当然小さい頃はそれでずいぶんとからかわれた。

「こんなに長く伸ばしたの初めてなんだよね」

「そうでしたか。お似合いですよ」

クルクルと髪を巻きながらテトは鏡越しに微笑む。

本当に優しすぎるくらい気が使える子だ。

「テトの髪も素敵だと思うよ」

「えっ?」

突然話題が自分に変わったのでテトは小さく驚いた。

「フワフワしてて見ててすごく癒される感じ。テトの優しいイメージにぴったりの髪形だよね」

テトは私の言葉にほんのり頬を赤くすると恥ずかしそうにはにかんでいた。

「ありがとうございます。」

はにかんだその顔は年相応の可愛らしい姿を見せてくれる。

私はそんな幼さのあるテトの表情が大好きだった。


綺麗なカールが私の髪についていくのを見ながら私は今夜のルイスとの食事のことを考えていた。

昼前オルタナと話していたルイスのお誕生日のことだ。

どう話せばルイスはパーティーを中止にしようなどと思わないでくれるだろうか。

下手に話してしまえばオルタナにも迷惑がかかる。


「どうかされましたか?」

眉を寄せて考えているとテトが心配そうに見つめているのに気が付いた。

「ん?ん~ちょっと考え事してたの」

「僕でよろしければ相談にのりますよ」

フワフワと髪に空気をまとわせながらテトが微笑む。

私はちょっと考えてから、今頭を悩ませていることとは別の話題を口にした。

「もうすぐルイスのお誕生日でしょ?だからプレゼントはどうしようかなぁって」

「あぁそうですね、来週はルイス様のお誕生日でしたね。」

「私王様に贈り物なんてしたことないからさぁ。何でも持ってる人に何かあげるのって考えただけでも難しいじゃない?」

唇を尖らせながら考え込む私を見てテトはクスッと笑った。

「そうですね。でも陛下はきっとサクラ様からの贈り物ならそれがどのような物でもきっと喜んで受け取ってくださいますよ」

「………そうかな?」

「はい。陛下はそういうお人ですから」

私はルイスの姿を思い浮かべた。

いつも私に微笑んでくれるあの温かい笑顔。

全てを受け止めてくれるような器の大きさと時折見せる意外な一面。

そのどれもが彼の良さで、そのどれもが全ての人を彼に惹き付ける要因だ。

「そうだね。ルイスはなんでも喜んでくれるよね」

テトの言う通りだ。

ルイスは例え自分の趣味じゃない物でも既に持っている物を貰ったとしても、相手のことを考えて笑顔で受け取ってくれるはずだ。

だからといって下手なものをあげるわけにはいかないから、よくルイスのことを考えながら選ぼうと心に決めた。



「テトに相談してよかったぁ。なんかスッキリしたよ」

「お役に立てて光栄です。あっ、サクラ様動かないでくださいね。今髪をお留めしますので」

スッとテトは屈むと私の髪をまとめるために視界から消えた。

「はぁい」


真っ直ぐに鏡の中に自分を眺めながら、私は何気なしにある疑問を口にした。

「そういえばテトのお誕生日はいつ?」


本当にただの興味から口にした私の質問にほんの一瞬テトの手が止まった。

それはあまりにも一瞬で次の瞬間には私の髪を丁寧にまとめはじめた。

「僕には誕生日がないです。」

「…えっ?」

サラリとテトが言った言葉の意味が分からずに思わず彼の方に振り返りそうになる。

「あっ、サクラ様まだ動かないで下さい」

「あぁ!ごめん!」

慌ててテトがソッと頭に手を添えてくれて、私はまた鏡と向かい合う。


「今のって、どういうこと?」

訊いてはいけない質問だったのかもしれないが、私の口は勝手にそう訊いていた。

だが、私の心配など何も気にすることのないように、テトはいつもと変わらぬ声で答えてくれた。

「正確にはいつ生まれたか分からないのです。僕は生まれてすぐに捨てられた孤児なんです。だから生まれた日、と言いますかどこかの家に授けられた日がわからないんです」

「………孤児」

あまりにも言い馴れないその言葉に、私の声の方が彼よりもずっと固くなっていた。

「はい。本来なら龍の森から授かった子供はその託された家の者が責任を持って育てるのが決まりですが、それでも中にはその責務を果たせない者もおります。貧しさからか、老いからか、それともただ単純に子供を育てるということを重荷としてしかとらえられないのか。僕の行き着いた家もそのどれかだったのでしょうね」

まるで他人事のようにテトは淡々と説明してくれる。

そう、本当にそれがなんでもないことかのように。


「……ごめんなさい。変なこと訊いちゃって。」

テトの過去がそんなことがあったとは知らずに、鏡の中の私は困惑を浮かべた顔で俯いた。

だが、そんな私の声にテトは明るく返してくれる。

「どうかお気になさらずに。この世界ではまれにあることなので」

「……そうなの?」

「えぇ。ある日突然自分の家に子供が来てしまうなんて、心の準備出来ないのは当然のことですし。捨ててしまうのも分からなくはないんですよ。」

テトはあっけらかんと笑った。

けど、私にはそれすらもどこか自分を否定しているような言葉に思えて何と声をかけていいのか分からずにいた。

確かにそんな風に思う人もいるだろうが、それでも目の前にある命をそうも簡単に捨てるという選択肢を選ぶことなど出来るのだろうか。

それがこの世界の生の始まりならば、それを受け入れるだけの準備は最初からとっておくべきではないのか?

自分もそうしてある日突然に訪れた命だったはずなのに。



「本当の誕生日は分かりませんが」

困惑を隠せない私にテトが優しく口を開く。

「誕生日を祝ってくれた人はいました。」

「えっ?」

彼の声がとても穏やかなそしてどこか楽しかった思い出を話しているように軽くなった気がして、私は顔をあげた。

テトはまだ屈んで私の髪を結ってくれていて表情までは見えないが、それでも嬉しそうに微笑む様子が声から伝わってきた。

「とある施設にいた時に同じように孤児としてそこにいた子が僕に誕生日をくれました。」

「お誕生日を、くれた?」

「はい。その子も同じく誕生日がなかったので、その日を二人の誕生日にしようって言ってくれて。プレゼントも何もない言葉だけの誕生日でしたが、僕にとっては本当に生まれて初めて僕という存在を認められたような気持ちでいっぱいになったのを覚えています。」

胸を込み上げる思いを吐き出すよう、テトは温かな言葉を漏らす。

「素敵な思い出だね」

私もその声に自然と笑顔になってしまうほど。

「はい。その日から僕はある意味改めて生を受けたような気持ちになりました。本当、嬉しかった」

噛み締めるように穏やかな口調のテトに私の心も晴れていった。

彼の過去が辛いものだけではなく、そんな幸せな時間も確かにあったのが分かったから。


「いいお友達がいるんだね」

「友達?」

「ん?お友達なんでしょ、その子と」

「そう、ですね。良い友達です」

「その子は今どうしてるの?」

「僕と同じように使用人として働いております」

「えっ?じゃおこのお城に?」

「いいえ、ここではなく他のお屋敷です。なのであまり頻繁には会えないのですが」

「そっかぁ」

この広いルミエール国には王族の他に貴族が各地にポツリポツリと住んでいるらしい。

小さな街を仕切っていたり、城に出入りしている者もいると聞いていた。

私は城の中でも特定の人達としか接していないから分からないが、そういった貴族の元でテトのような小さな子でも使用人として働いているのだろう。

この城ではテトよりも小さい子とは会ったことがないから分からなかったが、今の話からすれば身寄りのない子供はそうやって自分で自分の生活を守っていかなくてはならないようだ。

髪をまとめ終えたテトが立ち上がり、最後に髪飾りを着けてくれる。

「テトくらいの歳ならお友達と遊びたくなったりしないの?」

「友達と、ですか?」

小花のコサージュを飾りながら鏡越しにテトが少し困ったように首を傾げた。

「恥ずかしながら、僕にはその子しか友達と呼べるものがいないので」

「そっか。それじゃあとっても大切な人なんだね、その人は」

また地雷を踏んでしまったような気がしたが、咄嗟に付け足した私の言葉にテトは大きく頷いた。

「はい。とても大切に思っております」

その笑顔に救われた思いで胸を撫で下ろすと、素敵に飾り付けられた自分の髪に驚いた。

「わぁ!すごいねテト!いつの間にこんなに上手になったの!」

「ありがとうございます。でもやはりまだまだ手際が悪いですね。もっともっと頑張ります」

いくら私が誉めても決して傲ることのない彼に私は苦笑を漏らした。

「ほっんと、テトって頑張り屋さんだなぁ。たまに休みでもとってお友達に会いに行ってもいいんだよ?」

その私からの申し出もテトは笑顔で首を横に振った。

「今は僕よりも彼の方が忙しいようで、なかなか会えないんです」

「えっ!テトよりも忙しいって相当だよ!」

休むことを知らないのかと思うほど働くテトよりもだなんて、私は驚愕してしまった。

そんな私の反応にテトは可笑しそうに笑うと今度は顔一杯に笑顔を作った。


「でも平気です。もうすぐまた会えるので」


それは私が今まで見てきた彼の笑顔の中で、一番嬉しそうな笑顔だった。







「支度はできたか?」

丁度化粧を終えた頃、クラウドが部屋の戸を叩いた。

「うん、今出来たとこ」

鏡でもう一度おかしなところがないか確認してから立ち上がってドレスの裾を直す。

何度着てもまだ馴れないその重たい裾を引きながら私はクラウドの方へと歩みを進めた。

テトが扉を抑えて見送ってくれる。

「いってらっしゃいませ」

「いってき、あっ!」

廊下に足を踏み出そうとした瞬間、私は大きな声をあげた。

「なんだ?」

「どうかされましたか!」

私の声に二人が同時に声をかけてくる。

「あっ、ごめん。忘れ物」

二人の反応に慌てながら私は裾を持ち上げて部屋の中へと引き返していき、机の脇に置いてあるスケッチブックの山の中から目当てのものを引き抜いた。

それを脇に抱えると足早に廊下へと戻る。

「ごめんごめん。これで大丈夫」

「ったく、驚かせんなよな。じゃあ行くぞ」

呆れ顔でクラウドはそう言うとさっさと歩き出してしまう。

「あっちょっと!」

「改めて、いってらっしゃいませ」

「うん、いってきます」

優しいテトの笑顔に見送られて、私は小走りにクラウドの背中についていった。



前と同じ大きなテーブルと豪華なシャンデリアのある部屋へと連れていかれると、そこには既にルイスの姿があった。

「あれ?」

私はとっさに時間を間違えてしまったかと思って焦りの色を滲ませた。

だが、ルイスはそんな私の様子に笑顔で首を振った。

「ごめんよ、サクラとの食事が楽しみで早々部屋を出てしまったんだ。驚かせてしまってすまないね」

そう言いながら部屋の隅に置かれていたソファから立ち上がり、ルイスはゆっくりと私の方へ近付いてきた。

「ビックリしたぁ。でもお待たせしちゃってごめんなさい」

「いいんだよ。サクラを待つ時間も私にとってはとても有益な時間だったから」

「えっ?」

ルイスは私の横に立つと本当に自然な手つきで私の腰に手を添えると、席までエスコートしてくれた。

「もう少しでサクラがこの部屋に入ってくると思うと、胸が独りでに踊り出してしまってね。不思議と顔が弛んでしまってね、本当に不思議な体験を経験できたよ」

スッと椅子を引いてくれながら、ルイスは子供のように無邪気に言ってくる。

「あ、ありがとう」

引かれた椅子に腰を下ろしながら、言われた私の方が恥ずかしくなってしまった。


ルイスが席につくと例によって順序よく料理が運ばれてきた。

私は昨夜の失態から今夜はワインではなくキリッと冷やされたフルーツジュースで乾杯して運ばれてくる料理をお行儀よく口にした。

振り返らなくても分かるほどに、後ろに控えているクラウドの視線が痛いような気がしたから。



「昨夜からはしっかり食事をとったようだね」

スープをすくったスプーンを口にしたのを見計らって、ルイスが話し掛けてきた。

私はナフキンで口元を抑えてから頷いた。

「うん。ごめんなさい、何度も食事に誘ってもらってたのに」

私の言葉に視界には映らない場所でクラウドがピクッと反応した。

「いいんだよ。こうしてまたサクラと食事を楽しめているんだ。待った甲斐があったというものさ」

「また誘ってくれて嬉しかったよ。本当はね、もう呆れられちゃったんじゃないかと思ってたの」

冷静になってから見返せば自分の行動がどれほど幼稚で周りに迷惑をかけていたかが分かる。

「私がサクラに呆れるなんてそんなことあるわけないだろ?君はいつも私に刺激をくれる。」

「それっていい意味?」

イタズラっぽく笑いながら話すルイスを私は拗ねたように睨んだ。

「もちろんだよ。けど、体だけは大切にしておくれよ。君にもしものことがあったら私はどうにかなってしまう自信がある」

「変な自信ね」

首をすくめるルイスの姿に私はつい笑ってしまった。

そんな私の姿にルイスは目を細めてグラスを傾けた。



「事実だよ」

「えっ?」

柔らかででも力強い口調でルイスが言ったので、私は笑うのをやめて彼の方に顔を向けた。

ルイスは真っ直ぐに私を見つめて微笑んでいる。

「サクラがあの晩姿を消してから、私は自分でも驚くほど取り乱してしまってね。あんなにも何かを失うのを怖いと思ったことはなかったよ。不安で不安で嫌な想像ばかりが頭をよぎっては祈ることしかできない自分を歯痒く思っていた。………それでわかったんだ。私はサクラのことが自分で思っていたよりもとても大切なんだとね。」

品のある口元がキュッと上げられて美しい微笑みを向けられる。

その表情とストレートすぎる彼の言葉に、私はどんな表情をすればいいのか困ってしまった。

「…あ、りがとう」

ぎこちなく答えるのが精一杯で、なんだか情けなくなった。


私は落ち着かない様子のまま近くにあったグラスに手を伸ばすと、その中身を飲み込んだ。

冷たいジュースが喉を通り抜け、胸をスゥーとさせてくれる。


小さく息を吐くと私はようやく落ち着くことができた。

「そうだ、今日はねルイスに見せたいものがあったの」

私は話題を変えようと大袈裟にそう言うとクラウドの方に振り返った。

「ん?なんだろう?」

いそいそとクラウドからそれを受け取ると、私はルイスの側まで歩みを進めた。

「なんだと思う?」

私はそれを背に隠したままいたずらっ子のように笑ってルイスの横に立つ。

彼は「ん~。」と顎に指を当てて考え込んでから、なにか閃いたようにパッと顔を明るくさせて私を見上げた。

「当ててしまうよ?」

「どうぞ?」

自信満々のその笑顔に私もニコニコと答える。

ルイスはそんな私の余裕の態度を見ても、自分の答えに自信があるように口を開いた。


「前に話していたサクラが描いたこの世界の絵だね?」

ずばり言い当ててやったと言わんばかりのドヤ顔でルイスは私を指差してきた。

私はその指先をジッと見つめた。


「…………」

「当ててしまっても良かったのかな?」

黙ったままの私にルイスは勝ち誇ったような、そんな可愛らしい表情を示す。


だが、私はその彼の答えにニヤリと口元を歪ませた。

「……だと、思ったでしょ?」

突き付けてきた指を彼の自信と共にポキッと折ってやる。

「あれ?違うのかい?」

当てが外れて心底意外そうな顔をして指を折られるルイスはパチパチと瞬きをした。

「半分正解で、半分ハズレ」

私は彼の指から手を離すと、背中に隠していたスケッチブックを取り出すとペラペラと目当てのページをめくった。


目的のページに到達すると今度はそれを胸に押し当てて隠す。

「なんだろう?検討がつかないな。」

ルイスはまた首を捻って考え始めた。

そうやってルイスを悩ませていることに私は心の中で優越感をほんのり抱いてしまった。

このまま答えを言わずに帰ってしまったら、ルイスはずっとこの悩み顔のままでいてくれるだろうか、なんていう意地悪心が疼いてしまう。



「………ダメだなぁ、降参だよ」

お手上げだと言わんばかりに首を振る。

私はその姿に満足したように微笑むと、スケッチブックをゆっくりと動かす。

「正解はぁ~」

もったいつけながら開いたページをルイスの前に差し出していく。

「これでしたっ」


ジャーンッ!と効果音でもつけたかのように堂々とそれを見せる。


「………これは」


そこに描かれていたものを見て、ルイスは驚いたのか普段から大きな瞳を更に大きく見開いてマジマジと見つめていた。

期待以上の彼の表情に私は肩に入ってしまっていた力を少し抜いた。

「これ、なんだか分かる?」

スケッチブックの横から顔を覗かせてルイスを見た。

彼はその絵から視線を私に写すとコクンと頷いた。


「これは………私だね?」


あまりに驚いてしまったのか、ルイスの声が少し上ずっていた。


「当たり♪」


私はまるでイタズラを成功させた子供のような笑顔を彼に向けた。


私が描いたもの。

それはこの世界の美しい景色でも私の世界の彼らの知らない風景でもない。

私が彼に見せたかったのは、ルイス自身の姿だった。


「本当はね、人物画って苦手だったの。私がどんな風に相手を見てるのか知られちゃうのがちょっぴり怖くて」


絵は自分の心を写してしまう。

いくら取り繕って描こうとしても、相手の事が好きか嫌いかでは絵の表情がガラリと変わっていく。


「けど、ルイスには見て欲しかったんだ。私にはルイスはこんな風に見えてるよって」


ルイスの見つめる先には、私が描いた彼がいた。


太陽の光を集めたように輝く豊かな金色の髪。

美しく優雅な顔立ち。

優しく微笑みかける唇。

そして凛とした中にひっそりと憂いを隠そうと光る瞳。


絵の中の彼は神々しく気高い、だけど何故かどこか背伸びをする子供のように何かに耐えているような表情をしていた。


「これが、私」


ルイスはスケッチブックを手にとって眺めた。


私は内心とてもドキドキしていた。

もっと美しく描こうとすれば出来た。もっと気高く描こうとすれば出来た。

もっとルイスが喜ぶように素敵な彼を描くことも出来た。

けど、あえてそうはしなかった。

私の中にある彼をそのままに描いた。

そうじゃなきゃ意味がないと思ったからだ。


何か言葉を着けたそうかと何度も思ったが、それもやめた。

食い入るように絵を見ているルイスを私も黙って見つめた。




やがて




「ありがとう」

「えっ?」

ポツッとルイスが言葉を発した。

彼は私に視線を移すと、にっこりと微笑んだ。

その瞳が微かに潤んでいる。

「サクラは本当に心が綺麗なんだね」

「……?」

「こんな風に外側だけではなく私の内側まで覗けてしまう。きっと、それはサクラの心が綺麗だから見抜けてしまう、そう思ったんだ」

ルイスはスケッチブックをもう一度眺めた。

「いくら外側だけを繕ったところで見る者が見ればその綻びは明確だ。」

「違う!そんなんじゃ」

彼の言葉に私は慌てた。

そんなつもりでこの絵を見せたわけではない。

だが、慌てる私にルイスは首を振ってから視線を向けた。

「違うんだよ、サクラ。私は嬉しいんだ」

「えっ?……嬉しい?」

「あぁ。私のそんな綻びに気付いてくれる存在がいることで、私はそのありのままの見せることができる相手を得ることができる。王として強くあろうと気丈に振る舞うだけではなく、心を裸にできる時を得ることができる。」

ルイスはソッと私の手をとった。

彼の長い指が私の指を持ち上げる。


「私の綻びに気づいてくれたのが、サクラで良かったと心から思っているんだよ」

ルイスの潤んだ瞳が細められ、彼の指が私の指を軽く握った。

指先から彼の体温が伝わってきて、それが私の体温を上昇させる。

「そう思ってもらえたなら、良かった」

誤魔化すように私も微笑むとルイスは指を離し、スケッチブックの絵を見つめた。

「サクラ、この絵を貰ってもいいかな?」

「うん?いいけど…」

絵をあげるのはいっこうに構わない。

ただ彼を描いたのはスケッチブックの中の一ページだ。その絵をあげるとすると破いた紙に描いたなんだか味気ないものになってしまう気がした。

王様へのプレゼントにしてはどうにも不格好だ。

「ちゃんとしたのに書き直そうか?」

「いや、これがいいんだ。この私がね」

彼の絵を見つめる瞳があまりにも優しかったので、私はなんだか嬉しくなった。

「そっか。それじゃあそのスケッチブックごとあげる」

「えっ?」

ルイスは驚いたように顔をあげた。

「だって破いちゃったらなんかカッコ悪いじゃない?だからそれごとあげるよ」

「しかし、他にもたくさん」

「うん、他のページにも色々描いてあるし、まだ空いてるページもあるけど良かったら他の絵も見てみて。他にもたくさんスケッチブックならあるから。まぁ全部ルイスから貰った物だけどね」

「………そうか。では、ありがたく頂くよ。」

ルイスはソッとそれを胸に抱くと嬉しそうに微笑んでくれた。

その顔に私は本当に絵かき冥利につきると心から思えた。




晩餐はその後も楽しく進んだ。

そろそろ食事も終わるという頃、ルイスがチラッとソウマの方を気にしてから私に向かって口を開いた。

「サクラ、実はね今日は一つ君に聞きたいことがあって食事に誘ったんだ」

私は給仕からジュースのつがれたグラスを受け取りながらルイスに視線を向けた。

「なに?」

首をかしげる私をルイスは黙って見つめた。


その視線がほんの一瞬、私から外されその先に突き刺さる。

瞬きほどのそれに私は気付くことが出来なかった。


だが、その視線を向けられた本人。

クラウドだけは、確かにその突き刺すような視線を正面から受け止めた。

ぼんやりとサクラの後ろに控えていた彼はその途端、ピリッとした空気を体に感じた。



ルイスは何もなかったように微笑むと、話を進めた。

「サクラ達がここに戻った後で、私はソウマから君達の関係のことを聞かされてね。とても驚いたよ」

「えっ、そうだったんだ」

私は咄嗟にルイスの後ろにいたソウマに視線をあげた。

彼はいつものようにルイスの影のようにひっそりとそこに立ち、以前と変わらずに職務を全うしていた。

ただ前と違うのは、私からの視線を受けた彼が口元だけ微かに微笑んでくれるようになっていた。

「君の許可なく過去の話を聞いてしまって、本当に申し訳なく思っている。………内容から君の辛い経験までも私は知ってしまったから」

ルイスが眉を寄せ悲しそうに言った。

きっと私の触れてはいけない部分を土足で踏み込んでしまったような気分だったのだろう。

「そんな、気にしないで。ソウマがルイスに話すべきだって思って話したことなんだもん。私なら平気だから」

私はルイスに笑って見せた。

「もう過去の話だし、それにまたこうしてソウマにも会えたわけだし。今はそっちの嬉しさの方が勝ってるくらいだよ」

私の笑顔にソウマもどこかホッとしたように微笑んでくれた。

二人とも正直な人達だ。

特にルイスは私に黙っていることが出来なかったのだろう。

勝手に過去を詮索してしまって後ろめたさを感じていたに違いない。

ルイスも私の表情にどこかホッとしたように息をついた。


「そう言って貰えて良かったよ。サクラのことなら何でも知りたいと思ってはいるけれど、それで君から嫌われてしまったら基も子もないからね。」

ルイスの言葉に私はクスリと笑ってしまった。

「大丈夫よ。私そんなに繊細に出来てないから。それで聞きたいことって?」

私は最初に彼が言ったことを聞き返した。


「あぁ、そうだったね。聞きたいことというか、私から一つ提案があってね」

「どんな?」

「うん、サクラとソウマの関係を聞いたときから思っていたんだが」

「うん。」

「サクラの護衛をソウマに任せようかと思ってね」

「………………えっ?」



ルイスの言葉に私はキョトンとした。

言葉の意味が理解できなかったわけではない。

ただあまりにも唐突なその言葉に面食らってしまったのだ。

言葉を失った私にルイスは続けた。

「サクラにとっても元々側にいたソウマの方が過ごしやすいかと思ってね。彼は腕もたつし、何より君を理解している。私の側に置いておくよりも君の側にいるほうが互いのためになるのではないかと考えていたんだ」

私は黙ってソウマを見上げた。

ソウマも私のことを見ていた。


ルイスの提案は私のことを考えてのものだとすぐに理解できた。

ソウマにとっては前世のことであっても、その記憶がある彼は幼い頃の私をいつも側で見ていてくれた。

この世界に来てからも遠くからではあったが常に気にかけて、そしてあの夜、誰に命じられるでもなく私を命がけで守ってくれた。

そして全てを私に打ち明け、私たちは互いのことを分かりあった。

ならば、そんな家族のような存在のソウマを私の側にと思ってくれるのも頷ける。

だけど……。





「もちろんクラウドが不足だと思っているわけではないよ」

ルイスの言葉に私はハッと後ろを振り返った。



クラウドとパチッと視線がぶつかった。

そこにいた彼は今聞いたルイスの言葉に、微かに動揺の色を見せていたがそれでも私と視線が絡むと、グッと奥歯を噛むようにして視線を逸らしてしまった。

まるで、私の視線を避けるかのように。



途端に私の胸がギュッと痛んだ。



「サクラの護衛にクラウドを任命したのは私だ。彼が適任だと思ったからね。けど、今は事情が変わった。」

私に視線を向けることなく真っ直ぐにただ前を向く彼から私も視線を外した。

体の向きを元に戻すと、ルイスに向かって口を開いた。

「ルイスの護衛は誰がするの?」

「それは今度からクラウドの仕事になるよ」

私の質問に彼は意図も簡単に答える。

まるでそれがもう決定していることのように。


「…………。」

私は黙り混んでしまった。

ソウマが嫌だというわけでは勿論ない。

むしろ彼といると不思議と自然体でいられるのはカインズの家にいた時に分かっている。

なのに、何故か私はソウマを選ぶことを拒否している。




ソウマとはカインズの家で過ごすまでほんの数回しか顔を合わせることはなかった。

そのどれもがルイスの護衛として付き添う時のみで、彼に単独で会うことなど決してない。

もし、その役割を今度はクラウドがすることになるとしたら………。




ルイスは私の答えを待つようにワイングラスに手を伸ばした。

「答えは急がなくてもいいんだよ?ソウマもクラウドも護衛だけが仕事ではないからね。ただ常に気に止める相手を変えるだけだからそう難しくとらえる必要はないよ」

そう諭すとルイスはワインを口にした。

私はその中身に目を止めてから、スッとソウマに視線を移す。



………えっ?



目があった瞬間、ソウマは城に戻ってから一度も見せなかった表情を私に向けてくれた。

それはこの世界で出会ったソウマという騎士のものではなく、私の愛犬レオの優しい瞳。

ソウマは私の中を見通しているかのように、優しく頷くとその視線をまたルイスに戻し表情をソウマのものへと変化させた。


彼の方が私の心を分かっているような気がした。

私の中の戸惑いがなんなのか。


「サクラ?大丈夫かい?」

気が付くと黙ったままの私をルイスは心配そうに見つめていた。

「じっくり考えて」

「せっかくだけど!」

ルイスの言葉を最後まで聞かずに、私の口は自然と動いていた。

その強ばったような声にルイスをはじめクラウドやソウマも私のことを見つめた。


私は小さく息を吐くと胸に支えるような言葉を吐き出した。

「護衛は、今後もクラウドにしてもらいたい」

そう言葉を発した瞬間、私の中で何か熱いものがカァと込み上げてきた。

頬が熱くなり、何故だか分からないが鼓動がおかしなほど速くなっていった。

その得体の知れない熱を隠すように、私は思わず顔を伏せた。

「ソウマが嫌だとかそういうのじゃないの。ただ今までもそうやって過ごしてきてたから、このままでいいかなって。その、私ももう慣れてきたところだったから」

言いながら私の心臓は更に速さを増していった。

訳が分からない。

たったそれだけを口にするだけなのに、なぜこんなにもドキドキしなくてはならないのか。



うつ向く私をルイスは黙って見つめていた。


「サクラがそれでいいなら私はかまわないんだよ」


やがてそう優しく声をかけてくれた。

「本当?」

彼の声に顔をあげると、ルイスは微笑みながら頷いた。

「もちろんだよ。また私の杞憂だったようだね。まったくサクラのことになると私はついついお節介を焼いてしまいたくなるらしいね」

そう言ってルイスが笑ってくれたので、私はホッとした。

彼からの厚意を断るのは本当に気が引けていた。

「ううん、たくさん考えてくれてありがとう。ルイスは本当に気がきくね」

「いや、空回ってばかりだがね。さぁでは食事を続けようか。今夜はとびきり美味しいデザートを用意させたんだ」

「本当に!?嬉しい!」

手を叩いて喜ぶ私にルイスも嬉しそうに目を細めて笑った。


そんな和やかに再び動き出した時の中、クラウドだけが困惑したような表情を浮かべていた。


今日初めて目にした二つのルイスの表情が、彼の脳裏に貼り付いて離れようとしない。



一つはソウマとクラウドの護衛を交換させようと話を切り出す前の、まるで敵意を向けるような鋭い顔。

そしてもう一つは………。


サクラがそれを断った時に見せた、切なく泣き出してしまいそうな微笑み。

何故ルイスはそんな顔でクラウドに微笑みかけたのか。

そのどちらともがクラウドだけに向けられたもの。



クラウドは真っ直ぐにルイスに視線を向けた。

だがルイスはサクラだけを見つめ、サクラだけに微笑みを浮かべ語りかけるだけで、もうクラウドに視線を向けることはなかった。

彼が見せたあの表情。

それはおそらく、クラウドが考えている通りの言葉を表しているのだろう。






「今夜もとっても楽しかった。」

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。

私達は食事を終え、お茶まで楽しんでから部屋を出た。

「それは良かった。私もサクラとの食事は毎日でも共にしたいくらいだよ」

ルイスの言葉に私はクスクス笑った。

「忙しいルイス様とは毎日は無理かと思いますわ」

「そうだね、それじゃあまた私のために時間を作ってくれるかい?」

ふざけて返した私の言葉にルイスは笑いながら首を傾げた。

「私はいつでも大歓迎だよ。またルイスが時間ある時に誘ってください」

「そうか。うん、分かった」


彼はそう言うと私の髪に手を伸ばし、スゥーと指を滑らせた。

「では、今夜は名残惜しいがお別れだね」

そしてそのまま髪を一房手に取り、その毛先に軽く口付けをした。

「ッッ!!」

その美しすぎる行為に、私は見る間に頬が赤くなっていってしまう。

感覚などまるでない場所に落とされた口付けにもかかわらず、私はその部分が熱を持ってしまったのではないかとさえ錯覚した。

ルイスは何てことないように顔をあげると、真っ赤な顔の私に目を細めると

「おやすみ」

と言って私の頭を撫でた。


「………お、おやすみなさい」

ようやくそれだけ返すとルイスは私の頭から手を離し、ソウマを引き連れて去っていった。



「俺達も行くぞ」

彼らの背が見えなくなった頃、クラウドの声で私は現実に引き戻された。

「うん」

不意打ちのルイスからの攻撃に驚いた胸をしずめながら、私もクラウドの背中に続いて歩き出した。


カツカツと夜の廊下に二人の足音がやけに響いて聞こえた。

夕方私が文句を言ったからか、クラウドは私のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれている。

中庭から春のような草花の香が夜風にのって城の中に流れ込んでくる。

その風を辿るように外に目をやると、空には大きな三日月が浮かんでいた。


綺麗。

こっちに来てから何度も目にしているこの大きな月。

美しすぎて時に恐怖の感情を抱いてしまいそうになるほど、大きな月。

そういえば、あの晩も大きな月が出ていた……。


「なぁ」

月を見上げながら歩いていた私に、ふいにクラウドが声をかけてきた。

「ん?なに?」

視線を彼に向けるも、クラウドは振り向きもせずに私に背を向けたまま足を進めていた。

彼もまた外の月を眺めているようだった。

彼の銀色の髪が月明かりで輝いている。


「なんで、ソウマじゃなく俺を選んだ」

唐突な質問が私に向けられた。

「えっ?」

その質問に私が目を開いた時、クラウドが歩みを止め私の方に振り返った。


「なんでだ?」


振り返った彼の瞳に、私の鼓動はドクンッと高鳴った。

痛いほどに真剣で澄んだ瞳が私を見つめている。


咄嗟に言葉が出てこなくなった。


「なんでって………ルイスにも言ったじゃない」

私は目を逸らしながら消えそうな声で答える。


「それだけか?」

畳み掛けるようにクラウドが続ける。

彼の口調に鼓動が速くなっていった。

まるで彼のその瞳が私の心の中を覗いているような気がしてならない。


「………それだけ、って?」

視線を合わせられないままに口を開く。

自分でも自覚のない気持ちを彼にはまだ伝えられるわけがなかった。

目を合わせればそれすらも彼に見えてしまいそうで、怖かった。

早まる鼓動の音が彼にまで届いてしまっているのではないかと不安になる。



「………何もないなら、それでいい」

黙って私を見つめていたクラウドは、ポツリとそれだけ言うとサッと身を翻して再び歩き始めた。

私のペースに合わせてくれているゆっくりとした足取りで。


そんな彼の背中を見つめたまま、私はどうにもおさまってくれない胸の高鳴りに戸惑っていた。



何故そんなことを思ったのかは分からない。

分からないがたしかにあの時感じた。



ルイスの申し出を聞いた時に、私の中の声が消えそうなほど小さな声で訴えた。









『クラウドと、離れたくない』






私はもう一度キュッと締め付けられる胸をおさえてから、彼の背中を向けて足を進めた。

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