頑固者
独房生活も4日目に入った。
冷たい壁に背中をつけ、クラウドはいつものように鉄格子のはまった小さな窓を見上げている。
マクリナの言葉通り、本当に囚人と同じように扱われる日々。一日の大半をこうしてぼんやりと過ごし、外に出ることを許させるのは朝と夕方の訓練の時間のみ。食事も栄養などこれっぽっちも採れなさそうなカチカチに固いパンと塩っ気のないスープだけだった。
それでもクラウドは文句一つ言わず、淡々とその時間を消費していった。
独房に入った次の日の訓練で、部下達が一斉に集まり何故クラウドがこんな扱いを受けなくてはならないのかとマクリナに抗議に行かせて欲しいと言ってきた。だが、それもクラウドは首を横に振って断った。自分も納得してやっていることだから、そんなに騒ぐなと部下達をなだめると黙々と訓練を進め、そして一人冷たい独房へと帰っていった。
その時の部下達のやるせないような目がいつまでも脳裏にこびりついて離れようとしない。
(あいつらにしてみりゃあ、何やってんだって思われてんだろうな。)
ふと、クラウドが自称気味に笑った。
隊を率いる騎士団長が独房暮らしだなんて、笑い話にもなりゃしない。
だが、あの時サクラ達を探しに行くためにはどんな罰でも受ける覚悟は出来ていた。
どんなにマクリナが口うるさく止めたとしても、強行突破をしてでも探しに行っていただろう。そんなことをすれば、おそらくクラウドがこの城に戻った時には彼の居場所はなくなっていただろう。
マクリナの差し金ではなく、今は静かに様子を伺っている奴等の手によって。
それを回避するためにマクリナは敢えてあの時このような罰をクラウドに提示してきたのだろう。
全く食えない奴だ。
始めは辛いかと思われたこの暮らしも、4日もすれば慣れてしまうものだ。
それに、つい先日までの生活の方がクラウドにとっては辛すぎるものだっただけに、ここでの暮らしは全く苦にならなかった。
サクラが消えたあの生活。
眠りにつこうとしても目の前で彼女が拐われる瞬間や彼女の体が滝に消えていく姿がちらついて、彼が安眠できる日など一度もなかった。
体をいくら動かしても気が紛れることはなく、探しにも行けず、ただ連絡を待つだけの日々。
もどかしく、苛立ち、時の過ぎるのがあんなにも長く感じたことはなかった。
だが今は違う。
会うことは出来ないがサクラは同じ城内で暮らしている。
あの日彼女を見つけ、その体に触れ、彼女の存在を感じることができた。それだけで充分だった。
コツンと頭を静かに壁にもたれ掛からせながら、クラウドは深く息を吐き出した。
一人になって色々と考える時間がこんなにもあるというのに、彼の中にある問題はその答えを弾き出すのを拒むかのように、グルグルと堂々巡りするばかりだった。
答えなどとっくに出ているはずなのに、その気持ちをどうにか気付かないフリをしていた。
言葉にしてしまえば、それは歯止めが利かなくなり自分ではコントロールできなくなってしまう。そんな不安もあった。
それに相手はこの世界の王を決めるために現れた巫女。
その彼女の相手として自分がふさわしいとは到底思えない。
自分の気持ちと世界との葛藤。
クラウドは自分の左耳にはめていた赤いピアスをプチっと外すと、手の中の小さなそれを見つめた。
(あの日の誓いすら守れていない俺が、あいつに何を伝えようってんだ。)
『お前が俺を必要としているなら、俺はどんな時でもお前を守る。命に変えてでもだ』
グッと力一杯ピアスを握り締める。
手のひらからポツリと真紅の筋が線を描いていく。
(……結局、あいつを守ってやったのはソウマだったじゃねぇか。)
悔やんでも悔やみ切れない後悔が、サクラと真っ直ぐ向き合うことのできない理由だった。
自分が不甲斐ないばかりに彼女を傷付けた。そんな自分に彼女の側にいる資格があるというのか。
結局いつもその自問自答で答えが出せずにいた。
カツゥンカツゥンと誰かが独房に繋がる螺旋階段を降りてくる音が聞こえてくる。
手の中で彼の血に濡れたピアスを元の位置に戻し、クラウドはゆっくりと目を閉じた。
この場所に来る人物は一人しかいないと知っていたからだ。
「ここの生活には慣れましたか?」
予想通りの人物の声がむき出しの石造りの部屋に反響する。
「……お陰様で贅沢に暮らしてるよ」
素っ気ないクラウドの返事にマクリナは笑った。
「それは良かったです。この機会にゆっくりと羽を伸ばしてもらえれば後の戦いでも活躍して頂けそうですね。」
「わざわざ嫌味を言うために来たのか?大概お前も暇なんだな。」
フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向くと、ガチャガチャと金属が擦れる音が響いた。
それからキィーと錆びた鉄の動く音が続く。
「………なんのつもりだ?」
その音にクラウドが振り返ると、マクリナは牢屋の扉をガラリと開け放ち立っていた。
「期限には達してねぇだろ。」
「そうですね。」
「それなら俺はここでのんびりしててもいいって訳だろ?」
クラウドはそこから動こうとはせず、足を投げ出して座り直した。
だが、マクリナはそれでも扉を閉めようとはしなかった。
「事情が変わったんですよ」
どこか浮かない表情でマクリナがポツリと言う。
「事情?」
その声に怪訝そうにマクリナに視線を移すと、クラウドの頭に嫌な予感が浮かび上がる。
「まさかアシャが攻めてきたのか!?」
途端に身を乗り出す。
しかしマクリナは首を振った。
「いえ、今日もルミエールは至って平和です。」
その言葉にクラウドは一気に体にかかった緊張を解いた。
急激にかかった力に肩がつりそうになる。
「じゃあなんだよ?」
だが、すぐに今度は別のことが頭をよぎる。
彼の眠りを妨げていたあの光景が。
まさかっ!
「またあいつに何か!?」
しかし、それにもマクリナは首を振った。
「いえ、サクラ様は今日もオルタナからこちらの言葉について学ばれているようでしたよ」
またしても強ばった肩の力を一気に抜く。
一人で慌ててどっと疲れてしまった。
クラウドはまた壁に背をつけて半ば投げやり気味に再度マクリナに言葉をかける。
「じゃあなんだってんだ?」
マクリナはどれほどまでに息を溜め込んでいたのか、盛大に響き渡るように重いため息をついてみせた。
「なんだじゃないですよ。まったく、この忙しい時に。」
心底迷惑そうに頭を振るマクリナは、もう一度込み上げてくるため息を思う存分吐き出した。
遡ること4日前。
サクラ達が無事に城に戻りクラウドが独房生活を始めた日の夜のことだ。
マクリナはルイスへの報告を終えたソウマからカインズから聞いたアシャの話を説明されていた。
ソウマの予想通りマクリナは新しい言葉がソウマの口から出ると話を止め、それについて逐一詳しく聞いてきた。
ソウマもある程度はそれに答えようと努力した。この後にマクリナから質問攻めを受けるであろうカインズの負担を少しでも減らすためだ。
一通り話終えると、今度は長い間マクリナは黙って自分の中で聞いた話を整理していった。
それから明日の朝にでもカインズの元へ行き、直接彼と話がしたいとソウマに申し出た。
もちろんソウマはそれを予想していたので、ルイスにもそのように先に伝えておいた。
マクリナはソウマに礼を言うと
「ソウマも疲れたでしょう。今夜は久しぶりに自室でゆっくり休んでくださいね」
ととっととその背中を押し部屋から退散させた。今聞いたことを一秒でも速く何かに書き留めておきたかった。
だが、そんな彼の願望はソウマを送り出すために開いた自室の扉の向こうに立っていた小さな姿によって打ち砕かれることになる。
「わっ!」
ガチャリと部屋の扉を開けると同時に、部屋の外から驚いたような声が聞こえてきた。
取っ手に手をおいたままマクリナは廊下に顔を出すと、そこには丁度今マクリナの部屋の戸を叩こうと立っていたテトの姿があった。
「あっ、マクリナ様…」
あまりのタイミングに動揺したのか、テトがいつも異常に小さく見える。
「テトどうかしましたか?私に何か?」
さっさと取りかかってしまいたい事のあるマクリナは、ほんの少し語尾がキツくなってしまう。
マクリナに続いてソウマも顔を出すと、テトは困った顔をしながら二人を見上げた。
「それが、その……」
テトはなんと言葉にするのが一番伝わるのか悩んでいるのか、キョロキョロと視線を迷わせながら口をもごつかせた。
「どうしたんですか?」
マクリナがもう一度聞くと、テトはほとほと困り果てたように口を開く。
「サクラ様がお食事を食べてくださらないんです」
「どういうおつもりですか?」
テトから話を聞いたマクリナとソウマは、そのままサクラの部屋へと向かった。
部屋ではサクラがスケッチブックに向かって筆を走らせているところだった。
「どういうつもりって、言葉のままだけど?」
多少なりとも怒っている素振りを見せているマクリナに対して、サクラは飄々と返す。
そんな彼女にマクリナは小さくため息をついた。
「サクラ様が罰を受ける必要などないのですよ。何故そのような浅はかな考えを」
「だって、元はと言えば私がいなくなったのが原因なわけじゃない?だったら私も何かしらのペナルティは負わないと」
「それは護衛を徹底できなかった者の責任です」
「けど、クラウドは助けてくれたわ。それなのに、彼だけが責任を負うなんておかしすぎると思うの」
「ですからそれについては再三ご説明した通り」
「うん、分かってる。周りへの示しがつかないからでしょ?だったら私の今してることも同じだと思って。私自身のケジメとして」
「本気で一週間もお食事をとられないおつもりですか?」
「そのつもりだよ。さすがに飲み物は飲むけど。クラウドが質素な生活をしてるのに、助けてもらった側の私は贅沢に美味しい料理を食べるなんてそんなのできないもの」
「質素ではありますが、クラウドにもきちんと食事はとらせております。」
「じゃあ私にも同じ物を出して」
はぁーとマクリナはサクラに聞こえるように息を吐くと首を振った。
「そのようなことできるはずがありませんよ。サクラ様は大切な巫女様ですよ?囚人食など。」
「なら何もいりません。」
ピシャリとそこで切り捨てると、サクラはまた黙々とスケッチブックに体を向けてしまった。
マクリナには彼女の行動の意味が理解できなかった。
サクラはクラウドが独房に入っている限り、自分は食事を断つと言ってきたのだ。それがクラウドと同等の自分に対しての罰であるとして。
そうテトに言い出した彼女はいくらテトが説得しても首を横に振るだけで、食事に一切手をつけようとしないのだという。
もう自分ではどうしようもないとテトが頼ったのがマクリナだった。彼ならば言葉巧みにサクラを説得してくれると信じていた。
「サクラ様、クラウドは自分の意思で独房に入っているのですよ。」
マクリナはなるべく柔らかな言い方で話した。あまり彼女を刺激するのは逆効果だと分かっていた。
「騎士が一度自分で決めたことはそれを全うするまで曲げないものです。ましてやクラウドのような意地っ張りでは、私が途中でもういいと言ったところで独房から出てこようとはしないでしょう。始めてしまったからには、期限まで彼はやり続けるという選択肢しか持っていないんですよ。ですから、サクラ様がクラウドが出るまで食事をとらないと私達を脅したところで、私達には彼を出してあげることは出来ないんですよ」
マクリナが言葉を切っても、サクラはツンッとしたままこちらを向こうとはしない。
その背中にだめ押しの一言をぶつけてみる。
「それにですよ、クラウドが今サクラ様のなさっている行いを知ればどう思うでしょう?自分のせいであなた様が辛い思いをしていると更に自分を責めるのではないでしょうか?または、あなた様を怒るかもしれませんね。そんな無意味なことはするなと。」
クラウドなら絶対に後者だとマクリナは思ったが、あえてサクラの良心に訴える作戦に出た。
「彼はおそらくこれまでサクラ様に味わわせてしまった苦しみや辛さを独房の中で後悔しながら生活をしております。ですからどうか、これ以上彼に荷を背負わせないであげてください。」
懇願するようにマクリナが締めくくる。
サクラの行動の理由はクラウドを少しでも速く独房から出してやろうということだろう。
そのために駄々をこねているのだ。
マクリナは口元を誰にも見られることなく弛めた。
サクラの行動があまりにも子供じみているように思えたからだ。
(これが陛下やテトに対するものであれば有効であったでしょうね。ですが、今ここにいるのは私とソウマとテト。テトだけは焦っているようですが、私達はそうはいきませんよ。ここでクラウドを許してしまえば、私の信用までも失うことになりますからね。一度言い出したことを曲げるなど、そんなぬるい者と思われるのは心外です。
サクラ様も今はただ意地を張っておられるだけでしょう。落ち着けば自分のしていることを客観視するだけの余裕が生まれるはず。ここはこれ以上は口うるさくは言わず、時間をおいて話を……)
「マクリナ、勘違いしないで」
サクラの声にマクリナはサッと顔色を戻す。
彼女は今まで見たこともないほど凛とした表情でこちらを向いていた。
「私はクラウドの為にしてるんじゃないの。自分のためなの。いつも守られるだけで何もできない私の為に誰かが犠牲になってる。それじゃあ私は自分が自分で許せないの。それにね、クラウドがそれでもっと自分を責めようが私にははっきり言って関係ないの。これは私自身の問題なわけだから。後でクラウドからきつく叱られたとしても、私は自分の意地を貫くつもりだよ」
「で、ですが」
サクラの予期せぬ攻撃にマクリナは咄嗟に言葉が続かなくなった。
それを見てサクラは一瞬不敵に笑ったように見えた。
「マクリナ、あなたはやっぱり勘違いしてるよ。女って生き物はなかなか頑固に出来てるのよ」
マクリナはそんなサクラの態度に怯んでしまった。
心のどこかで彼女を弱い生き物だと決めつけていたのが読まれているような気になってしまった。
そんなはずはないと心の中で自分を叱咤すると、次こそはサクラを丸め込んでやろうと口を開こうとした。
だが、それは意外な人物によって阻まれてしまった。
「ならばその罰、私も受けましょう」
それまで黙っていたソウマがキッパリと言った。
「…………はい?」
間抜けな声をあげたのは、マクリナだった。
彼はソウマが今口にした言葉が正しく聞こえなかったのか、目をぱちくりさせながら見つめてきた。
「巫女殿が罰を受けというのであれば、私も受けましょう。私とて陛下のお側を離れた罪がありますゆえ。」
(な、なにを言ってるんですか!ソウマまで!?)
マクリナは声にならない声をあげる。
ソウマが真面目だということは前々から理解していた。だからこそ、今回のサクラの申し出を聞いて彼は絶対にマクリナ側につき、サクラの無謀な申し出をやめさせてくれると思っていた。いや、止めるまでしなくとも、ここはもはや何も言わずにその場にいてくれるだけで良かったのかもしれない。それなのに、ソウマまでもサクラと同じく罰を受けると言ってきたのだ。
その時マクリナはこの部屋に入ったときから少しずつ感じていた違和感がなんだったのかハッキリと分かった。
ソウマの存在だ。
以前のソウマならばマクリナと共にこの部屋に来ていただろうか?テトが頼ってきたのはマクリナだけだ。そこにたまたま居合わせただけのソウマは、本来この場に来る必要などなかったはず。
彼の仕事はルイス陛下の護衛だ。
マクリナとの話を終えた時点で陛下の元に帰るべきだったはずだ。
それなのに彼はそれが当たり前かのようにサクラを心配してこの部屋までのこのこ着いてきた。
その変化こそがマクリナの感じた違和感の正体だった。
おまけにサクラに賛同されてしまっては、もはやマクリナに打つ手はなくなってしまう。
「そんな、別にソウマまで」
唖然としているマクリナをよそに、サクラは焦ったようにソウマに言った。
「いえ、私とて巫女殿と同じく自分への戒めにするつもりでございます。どうかお気になさらず。」
そう首を振るソウマをどこか遠くに見つめながら、マクリナは体の力が抜けていくような気がしていた。
彼にはやることが山のようにある。
アシャについての有力な情報も得ることができたし、それについて今までの情報を見直さなくてはならなくなった。明日どのようなことを質問しようか考える時間も欲しい。今後の戦闘にどのような影響があるか、龍の森の守りをどうするか、カインズのこともリリアのことも気になって気になって仕方がない。寝る時間など惜しくもない。
だが、今ここで自分は一体何をしているのだろう。
そんな風に思うと段々とこの時間が馬鹿馬鹿しく無駄なものに思えて腹が立ってきた。
マクリナはクルッと身を翻すとスタスタと扉に向かって歩き出した。
扉の前に立つテトは不安そうにマクリナを見上げた。
その小さなすがるような目にマクリナは首を振ると一言
「好きなようにさせてやりなさい」
と、テトにとって絶望的な言葉を残して去っていった。
部屋を出た途端にマクリナの頭の中は切り替わった。
もう一秒たりともサクラの我が儘に付き合っている暇などなかった。
足早に部屋へ戻ると黙々とペンを走らせ、何冊も何冊も本を引っ張り出しては書き足していった。
時に一時間近く一行書くのに時間を費やしてみたり、適切な表現が見つからないと紙をもじゃくってみたり。
そうこうしているうちに夜が明け、朝日が登ってくるのを感じると出掛ける準備をさっさと整えソウマが用意してくれた兵士達の元へと急いだ。
カインズの家から城に戻ったのは夜をとっくに通り越したような時間だった。
まだ朝霧が立ち込める中出発したにも関わらず、結局カインズのいる場所に着いたのは昼頃だった。
カインズから聞いた話も、リリアに初めて会ったときの興奮も一ミリも余すことなく文字にしたい欲求でまたマクリナは一睡もせずに机に向かった。
そして翌朝、また昨日と同じ時刻に城を出ていった。
そんな生活を続けて4日目の昼過ぎ。
マクリナの体はさすがに疲れてきていた。
頭の中はガンガンに冴えているのに、体が言うことを聞こうとしない。
顔色の悪さからリリアが心配そうにマクリナを遠くから見ていた。
そんな彼女を気遣ってかカインズがマクリナに少し休んだ方が互いのためかもしれないと提案した。
普段ならそんな申し出断って続行したところだが、マクリナの体は自分でもハッキリと分かるほど悲鳴をあげていた。おそらくはあまりにも連日興奮しすぎて神経さえも疲れきってしまったのだろう。
他人からの申し出に珍しく従うと、マクリナは馬車に揺られて城へと戻っていった。
馬車の中で懲りずにノートにペンを走らせている自分にハッとして、初めて自分自身に呆れてしまった。
早めの夕食を済ませ、月が出る頃には自室に戻れた。
今夜は疲れを取るのが仕事だと事務的に考えながら着替えていると、部屋の扉がコンコンッと控えめにうち鳴らされた。
マクリナは返事を返したがそれに応答がない。
彼は怪訝そうに眉を寄せると、肩から上着を羽織り扉をゆっくりと開けた。
「やぁ、マクリナ。」
そこに立っていたのはルイスだった。しかもあろうことかたった一人でだ。
「ルイス様!」
マクリナは慌てて頭を下げる。
廊下でルイスを待たせてしまうなどあってはならないことだ。
「お呼びいただければ私から参りましたのに」
頭を下げたままマクリナが言うと、ルイスは困ったように首を振った。
「いいんだよマクリナ。顔をあげてくれないか?少し相談があってね」
マクリナが顔をあげるとルイスの困ったような顔が待ち構えていた。
ルイスが自らマクリナの部屋に訪れたことなど過去に一度もない。しかも一人でだなんて。それほど重大かつ、早急に対処しなくてはならないものなのかとマクリナは身構えた。
「では中へ。少々散らかっておりますがお許しください」
そう言うとルイスを招き入れた。
「それで、お話というのは」
ソファの上を片付けてルイスを座らせるとさっそくマクリナが彼に聞いた。
ルイスは深刻そうな顔でマクリナを見つめ返す。
無意識にマクリナの肩に力が入る。
「………実は」
ルイスが重たそうに口を開く。
「サクラを晩餐に誘ったのだが、断られてしまってね……」
(……………………ん?)
ルイスの言葉にマクリナが動きを止めた。
思考が停止したと言ってもいいのかもしれない。
そんな彼に気付かないのか、ルイスはとても悲しそうに話を続けた。
「彼女がここに戻ってきた日からずっと誘っているのだけれど、その全てを断られてしまっているのだよ。なんでもクラウドが罰を受けるなら自分もと言い出したらしいね。」
マクリナは頭が痛くなってきた。
カインズに会いに行くことで頭がいっぱいで、そんな事態になっていたのをすっかり忘れていた。
どうやらサクラは本当にその罰とやらを実行しているらしい。しかもルイスの様子からすると、誰がなんと言おうとその意地を貫いているようだ。
「サクラは真面目なんだね。そんな彼女をいじらしく思えるのだが、日に日に元気がなくなっていく彼女を見ているとどうしても心配になってね。」
そりゃあ4日も食事をとらなければ元気もなくなってしまう。むしろそろそろ根をあげる頃合いかもしれない。
「それに」
マクリナが悠長にそんなことを考えていると、横からまた深刻そうなルイスの声が聞こえてくる。
「サクラと同じくソウマまでもが食事をとらなくなってしまって。」
マクリナは心の中でため息をついた。
いやむしろ実際にも小さくついてしまっていたかもしれない。
やはりソウマもきちんと実行していたのか。
「ソウマはあのように体が大きいし普段から鍛えているからあまり心配はしていなかったのだけど、やはりどこか陰ってきているようにも見えてね。サクラのように大きな変化はないけれど、彼も彼で無理をしているのではないかと思えてならないのだよ。」
心の底から心配しているようにルイスの長いまつげがその美しい瞳を隠している。
「サクラ様はともかく、ソウマには命令として食事をとらせてみてはいかがですか? 」
マクリナが思い付くまま言うとルイスは静かに首を振った。
「心が痛んだがそれはもうやってみたのだ。しかし結果は…。」
ルイスの顔色からそれがどのような結果だったかのは分かった。
分かったからこそソウマの変化にマクリナはとても驚いていた。
優先されるべき対象がサクラへと切り替わったようにしか見えないからだ。
そんな彼に気付いたのかルイスは少しだけ表情を和らげて付け加えた。
「だが、何故ソウマがそこまでサクラの味方をしてあげているのかについては彼から説明を受けている。彼は一人でずっと悩んでいたのだろうね。側にいたにも関わらず気づいてやることができなかったよ。だからそれについては私も了承しているのだ。サクラにとってソウマは心を許せる相手の一人だということが分かったからね。彼らの関係は言うならば兄妹のようなものなのだよ。ソウマの忠誠心がぶれてしまった訳ではないよ。」
ルイスの説明では納得できるような情報は得られなかったが、マクリナは頷くしかなかった。
ソウマの事情はルイスが把握している。それならばそれについてはマクリナが首を突っ込む問題ではないと言われているような気がしたからだ。
彼が今考えるべき問題は他にある。
「マクリナ。サクラの決意を無下にすることなく彼女の行為を止めさせるにはどうすればいいだろうか」
ルイスが話を元に戻した。
その顔は真剣で、穏やかな表情の中に有無を言わせぬ圧力があった。
マクリナは目まぐるしく頭を回転させ考えた。
考えて考えて、やがてまた小さなため息を心の中でついた。
テトに頼まれた時とはもはや次元が違う話になっている。
頼み込んでくる相手がルイスではマクリナが頑なに拒否していた答えもやらなくてはならない。
サクラはこうなることを予想していたのだろうか。
だとすれば彼女は有望な策士になれるだろう。
何度考えようにも答えは同じものを弾き出す。
もはやそれ以外の方法など思い付かない。
疲れているからなのか、はたまたこんな馬鹿馬鹿しい騒動にどこかで呆れているせいか、全くいい方法が思い付いてくれない。
「分かりました。明日の晩餐にはサクラ様が出席されるように私がなんとかいたしましょう」
「本当か!?」
マクリナの言葉にルイスが子供のように表情を明るくした。
反対にマクリナの曇った顔がゆっくりと頷く。
「だが、どうやってサクラを説得するのだ?彼女の決意はどうあっても曲がらないようであったが」
あくまでもサクラの意思を尊重してあげたいのがヒシヒシと伝わってくる。
「説得する相手はサクラ様ではございません」
そう言うとマクリナは机の脇に掛けていた鍵の束を手に立ち上がった。
「陛下はどうぞお部屋にお戻りください。あとは私にお任せを」
ルイスにそう告げるとマクリナの頭の中にはこれから対峙しようとしている彼のことに切り替わっていった。
今回の強情なサクラに比べれば、彼に有効な手札はいくつも思い付いてくれる。おそらくは彼はすんなりこちらの要望を聞き入れてくれるだろう。
疲れた体を引きずるようにマクリナは地下へと続く螺旋階段を降りていった。




