援軍
ソウマの背中が私をそれ以上一歩も前には進むなと警告している。
ズキズキと締め上げられていく心臓が気持ち悪いほど体の中を掻き回していく。
目で見るまでもなく、外で起きている事態が恐ろしいものだということが感じ取れてしまえるほど嫌な空気だけがその場を支配していった。
ソウマが現れたことにより、外の動きがピタッと止まったようだ。
何の物音さえもこちらには届かない。
「…………娘を離せ。」
沈黙を破ったのは、ソウマの低い声だった。
抑揚のない地を這うよな彼の声に、私までもゾッとしてしまう。
彼の放ったその言葉に私と共にいたカインズが弾かれたように外へと向かう。
「ッ…!」
「リリアッ!!」
ソウマを押し退けるようにカインズはがむしゃらに扉を開け放ち、転がるように外へ飛び出した。
その開け放たれた扉の向こうの光景に私は、震える両手で口を塞ぎ声にならない悲鳴をあげた。
ソウマの背中越しに見えたのは、紛れもないアシャの兵士達の姿だった。
5人の獣人がギラギラとした目付きでこちらを見ている。
そしてその中央にいる兵士の腕の中には、首に腕を曲がれ顔中を涙で濡らしているリリアの姿があった。
捕まる際に抵抗したのであろう、頬が赤く腫れ上がっているのが家の中にいても分かるほどだった。
「……リリア」
私は無意識に一歩踏み出すと、ソウマが背中を向けたまま手で制止した。
「来ては、なりません。」
「でも…」
「リリアを離してくだされ!わしの娘をどうか!」
ソウマの制止に異議を訴えかけようと拳を握った時、ソウマの足元に転がったままカインズが悲鳴にも近いような声で叫んだ。
「離してください。お願いじゃ、その子を……その子は治癒の力しかないただの子供にすぎない。だから、どうかその子を離してください」
次の瞬間にもリリアの身に危険が及んでしまうかもしれない。
カインズは体裁など微塵も気にする素振りを見せずに、頭を下げながら叫ぶ。
「じゃあ、こっちの子はいらないんだね。」
震えながら必死に切願するカインズの声に答えるよう、屋根の上から鼻にかかるような含みのある声が飛んだ。
咄嗟に二人がそちらを見上げたと同時に、ドサッと二人の目の前に何かが投げ落とされた。
「ッ……あっ、あぁ!!」
目の前のそれが何かを認識して、カインズが凍り付いた。それから掠れる声をあげる。
そして倒れ混むように目の前にあるそれを両手で抱き締めた。
「………じぃ、さん」
抱き締められたそれが、絞り出すように声を発する。
「セリン。セリン……」
ぼろ雑巾のようになった服をまとい、だらんと垂れ下がった腕には無数の痣が浮かんでいる。カインズは土埃まみれのセリンを小さな体で包み込んだ。
セリンの腫れ上がって開かない瞳にカインズの涙が落ちる。
横目でそれを見下ろしたソウマの腕に力が籠る。
静かなる怒りで震えてしまいそうなほどに。
「久しぶりだねぇ、カインズ。子供がいたなんて知らなかったよぉ」
屋根の上からの声が、ヒョイっとその身を宙に踊らせるように舞うとリリアを捕らえている兵士の側に降り立った。
その声にビクッとカインズが顔を上げる。
「……ソフィア、様」
カインズはまるで悪魔でも見たように顔が青ざめていった。
セリンを抱く腕までもガクガクと震えていく。
「まさかこぉんなところでお前を会うなんて驚きだね。やっぱり僕ってば運がいいのかなぁ。ちょっとそこらを散歩しようと出てきただけなのに」
ソフィアと呼ばれた彼がコロコロと本当に楽しそうに笑いながら自分の尻尾を振り回す。
その姿は周りにいる他の兵士とは異なり、人に近い形を保っていた。
体は小柄で華奢。茶色い巻き毛に可愛らしさのある顔つき。そして、その頬からは猫のようにピンッと髭が伸びていた。
「………何者だ」
飄々とその場に現れたソフィアにソウマがより威圧的な声を発する。
だが、投げつけられた本人は全くそれを気にする素振りも見せずに、動きを止めるとこちらを嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「はじめまして、ルミエールの騎士団長様。僕はソフィア。アシャ王直轄の騎士にしてこの国で唯一王からのご寵愛を受けていることを許された選ばれし者にございます。」
彼は溢れんばかりの自信を体で表現しながら、ソウマに向かってゆっくりとお辞儀をした。
そんな彼をソウマは無言で睨み付ける。
ソフィアは顔を上げるとソウマのそんな表情にフッと笑いをこぼすと、カインズを指差した。
「あなたの足元に転がっているのは、うちの有能な科学者なんだよ。なのに、5年くらい前に姿を眩ませちゃってねぇ。ようやく見つけたと思ったら、まさか子供がいたなんてね。しかも、一人は女児だし。いけないよねぇそういうのはちゃんと王宮に伝えてもらわないと。」
ソフィアはニヤニヤとカインズを見下ろしながら、ゆっくりとリリアに近付いていく。
視線を受けながら、カインズの震える手がリリアに向けて伸びていく。
「今はさぁうちも怪我人続出なわけなんだよねぇ。どっかとの戦争が長引いちゃってさぁ。だからさぁ、治癒の能力のある女児も貴重な存在なわけ。何故だか分かる?力の使いすぎで……みぃんなすぐに死んじゃってくからさぁ」
そう言うと彼は可笑しそうに笑い転げた。
その見た目と奇行とのギャップがあまりにも不気味だ。
一頻り笑うとソフィアは涙でぐしゃぐしゃのリリアの顎を持ち上げた。
「ヒッ……」
リリアは強ばった顔をひくつかせるだけで、恐怖で声もあげられなくなっている。
「だから、この子にも働いてもらわないとね。それがアシャに生まれた者の務めなんだから。」
リリアの頬にまとわりつく涙をソフィアはそのざらついた舌先でゆっくりと舐め上げた。
途端にリリアの顔がますます青ざめていく。
カチャッとソウマが剣を構え直すのを横目で見て、ソフィアがまた不敵に笑う。
「ソフィア様、やめてくだされ!どうか、どうか……」
「嫌だね。お前も一緒に来るんだよカインズ。その汚い子供はいらないけど」
リリアから手を離すとカインズが抱き抱えているセリンをまるでゴミでも見るかのように眉を寄せて言い放つ。
「頭の悪い奴は大嫌いだよ。自分の弱さを知らない馬鹿は。」
それからまた口元をニヤつかせながら顔を上げると、ソウマの背に隠されている家の中に視線を真っ直ぐに向ける。
彼の嘲笑うかのように細目られた視線がサクラの瞳を捕らえた。
ゾクッとその視線が彼女の背中をすくませる。
それに気が付いたソウマがザッと視線の間に体を滑り込ませた。
「今回の僕の最大の功績は、龍の巫女を王に献上できるってことかな。」
舌舐め釣りをしながらソフィアの目がギラギラと輝く。
「させるか。」
ソウマの体から言い様のないほどの殺気が立ち込めていく。
「戦うの?いいよ、僕はそれでも。だけどさぁ、手負いのあんたと僕の兵じゃ勝負は目に見えてるよねぇ」
「………」
彼の挑発にもソウマは動じる素振りを見せない。
ただ一点、狙いを定めるようにソフィアを真っ直ぐと見つめている。
「それにさぁ」
そんなソウマの態度が彼の気に触ったのか、ソフィアは微かに苛立ちを口元に表すと、力一杯リリアの髪を引っ張った。
「ヒイッ……!!」
「リリアァ!」
「僕の方にはこの子がいるって分かってる?あんた一人が飛びかかってくるのは別にかまわないけど、その間にこの子の可愛い体がどうなっちゃってもいいのかなぁ?」
ギリッとソウマが唇を噛む。ソフィアはその表情を満足そうに見つめてから、家の中の私に声をかけてきた。
「ねぇ、巫女さまぁ。もうあんたがいるってのはバレてんだし、こっちにきてみてよ。僕まだあんたのことちゃんと見たことないんだからさぁ。」
私は息を飲み込んだ。
握りしめていた両手が震えているのが分かる。
そして、ゆっくりと一歩前に踏み出す。
「サクラ、来ては行けません。」
ソウマが厳しい口調で一喝するも、私の足は止まろうとはしなかった。
一歩、一歩部屋の中を進み、カインズの隣に立つとその腕の中にいたセリンの姿を間近で見つめた。
「………セリン」
涙が出てきそうになった。
セリンは気を失っているのかクタッと首をカインズに預け、小さく痛々しい息をしている。
私の姿を見つめながら、ソフィアは「へぇ~」と面白そうに声を漏らした。
「想像してたのより頼りない感じだなぁ。あんた本当に龍の巫女?」
私はグッと涙を堪えて立ち上がり、ソフィアに視線を移した。
その目には怒りと悲しみとそして、彼を哀れむ色が入り交じっていた。
「そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。でも、周りは私を龍の巫女だって信じてくれてるわ」
「ふぅ~ん。まっ、僕らとは違う生粋の人間だっていうのだけは感じられるけど、その他はなんも感じないなぁ。」
「あなたにどう思われようと私はかまわない。けど、あなたが今やってることだけは許せないし、心からあなたを軽蔑するわ」
ピシャリと言い放たれソフィアは一瞬面食らったが、すぐにぷっと吹き出すと盛大に笑った。
「あんたが僕を軽蔑?ちょっと待ってよ、そんなにあんたは偉いって訳?なんにもできないただの人間ごときが僕を軽蔑?笑わせないでよねぇ」
狂ったように笑うソフィアを私は凝視した。
哀れなものを見るように。
何故かさっきまで感じていた恐怖は消え去っていた。
代わりに心の中にすぅっと冷たい何かが流れ込んでくる。彼を見ていると心が凍りついてしまいそうになる。
ソウマはチラリとサクラの方に視線を向けた。
彼女がこんなにも感情を圧し殺すように話す姿を今まで一度も見たことがなかったからだ。
小さい頃もそしてこの世界で再会を果たしてからも、彼女がこんなにも淡々としていたことはなかった。
ソフィアはまた飽きるほど笑ってから、何かを思い付いたようにニヤついた視線をサクラに向けた。
「それじゃあさぁ、巫女さま。あんたがこの事態をどうにか修めてみたら?」
「………」
ソフィアの言わんとしていることを探った。
だが、サクラよりも速くその言葉の意図を理解したソウマがガシッとサクラの手首を掴んだ。
「………ソウマ?」
それを眺めながらソフィアは首を斜めに傾け、こちらを見下すように笑った。
「僕は元々戦いって嫌いでさぁ、無駄な体力は使いたくない性分なわけ。いくら相手が一人だとしても、できれば戦いたくないんだよねぇ。だからさぁ、巫女さまぁ。あんたが大人しく僕に着いてきてくれるなら、僕らはもう誰にも手出しはしないよ。」
「えっ…」
彼からの申し出に私は固まった。
畳み掛けるようにソフィアが続ける。
「僕に食って掛かったんだ、それくらいの覚悟はあるってことだよねぇ?あっ、カインズもこの子も勿論いらないよ。荷物は軽い方がいいし。巫女さま一人で十分。我が王もあんた一人を連れて帰るだけで満足してくださるだろうし。それとも…」
ソフィアの瞳が薄気味悪く光る。
「ここで全員殺してあんたを連れ去る方が、あんたも大人しくなるかな?」
その途端、彼がその小さな体に隠していた殺気が辺り一面を覆い尽くした。
ビリビリと肌で感じるほどの気迫が漂う。
背中に寒気が走ったが、それでも視線は彼から反らすことはしなかった。
その姿にますますソウマの握り締める力が強くなる。
「挑発にのってはいけません」
「………」
「サクラッ」
「………けど」
握られた方の拳に力が入る。
この場での最善の判断は一体どれだ。
ソフィアの申し出に従うことか。
それとも拒否して戦うことか。
私が大人しく着いていけば、本当に彼は他の者には手出しをしないのだろうか。
今度は私を盾にしてソウマを無抵抗にしようとはしないだろうか。
もし戦うとしたら、勝機はあるのか。
まだ傷の癒えないソウマ一人とアシャの兵士5人。
加えてリリアを盾にする力量の計れないソフィア。
そんな戦い、ソウマには守るものが多すぎる。
じゃあ、どうすれば……。
ギリッと無意識に食い縛っていた奥歯がなる。
いくら考えても答えなど出てきやしない。
当たり前だ。
こんな場面に遭遇することになるなんて、普通に生きている人間にはまず起きれ得ないことだ。
マクリナならこの状況をもどうにか切り抜けてしまえるかもしれない。だが、そんな経験や先読みの技術をサクラは持ち得るはずもなかった。
痺れを切らしたのか、ソフィアは自分の髪を指先に巻き付けながら口を開く。
「ねぇどうするのぉ?僕さぁそんなに気の長い方じゃないんだよねぇ」
それからスゥと人差し指をリリアの顎に這わせると、チャッと何かが裂けるような音が飛んだ。
「ッタ……」
涙声のリリアの小さな悲鳴が耳に届く。
彼女の顎先からツゥーと首筋に血が滴り落ちていく。
「決心が出来ないようならまずはこの子から殺っちゃうよ?そしたら巫女さまの考えも早くまとまってくれるかもしれないし」
そう言うとソフィアはまた指を立て、今度はリリアの首筋に沿える。
「リリアッ!!」
カインズの悲鳴が飛ぶとソフィアは可笑しそうに笑い声をあげた。
「いくら有能な科学者でもこの場ではただ泣き叫ぶことしかできないじじいだねぇ。大丈夫だよカインズ、次はあんたの番だから。子供のことよりも自分の心配をしときなよ」
リリアの首筋に彼の鋭い爪が食い込む。
痛みと恐怖にリリアの顔が歪む。
「やめてっ!!」
サクラが咄嗟に叫ぶと、ソフィアの指がピクンッと動きを止めた。
それから余裕たっぷりの笑顔を浮かばせてサクラの方に視線を移した。
サクラはソウマの手を振り払い大きく一歩踏み出している。
「サクラッ!」
ソウマは慌ててサクラに手を伸ばすもサッとそれをかわしてまた踏み出す。
サクラは肩で荒く息をしてソフィアを睨み付けた。
「分かったから、もうやめて」
「分かったって何が?」
尚も含み笑いをするソフィアをキッと睨む。
「私があなたに着いていくなら、ここにいる人達を傷つけないと約束して」
「サクラ、いけません!」
「サクラ様……。」
ソウマはかまえを解きサクラの腕を無理矢理に掴みかかる。
「……ごめんなさい、ソウマ。でも」
「私なら戦えます」
サクラの言葉を遮りながらソウマが彼女だけに届く声で固く言った。
「あなたを守り、そしてこの家族も守ってみせます。私の命に代えても必ず」
その言葉にサクラはゆっくりと首を振る。
そして悲しそうな笑顔を浮かべてソウマに振り返る。
「もうそんなこと言わないで。私はソウマにも生きてほしいの。自分の命を誰かの為だけに使うなんて、なんだか悲しいよ。」
それからそっと自分の腕を掴んでいるソウマの手に触れながら、彼の耳元で小さく囁いた。
「けど、怪我が治ったらきっと助けに来てくれるって、信じてる」
そして彼の手をゆっくりと外すとまた一歩前に踏み出した。
ゴクッと唾を呑み込むと、固い声で
「リリアを離してあげて」
とソフィアに向けて発した。
面白そうに眺めていた彼はリリアを捕まえていた兵に顎をしゃくって見せると、首に回されていた腕がスルッと解かれていく。
その瞬間、リリアはその場に糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「リリアッ!」
サクラは駆け出し彼女に手を差し出した。
リリアはまだ焦点の定まらぬ瞳でサクラを写し、小刻みに震えている。
サクラはそんなリリアを力一杯抱き締めた。
そして、すぐさま体を離すと彼女を力付くで立たせ、その背中をグッとソウマ達の方に押した。
「早く、皆のところに」
フラフラと頼りない足取りで走るリリアは崩れるようにカインズに抱きついた。
「リリア……」
「…おじいさん、おじいさんっ」
解放された安心感からリリアは溜め込んでいた涙を一気に吐き出し、カインズにすがりついた。
その様子にホッとするサクラの元に、スッとソフィアの手がのびる。
ガシッとサクラの手首を掴むと、無理矢理に自分の方に引き寄せた。
「ッ!」
手首の骨が軋むほどの強さだ。
ソフィアはすぐ間近でサクラをまじまじと見つめ、ニヤリと笑った。
「これで交渉成立だね。」
「あなた達が手を出さなければね」
「出さないよぉ。僕これでも約束は守る方なんだ……だけど」
サクラから視線をソウマにゆっくりと移す。
彼は自分で自分を抑え込んでいるように、眉を寄せ全身から滲み出る闘志に耐えていた。少しでも相手に隙が出来ればそれを逃さないといった風だ。
「あの人はすぐにでも追いかけて来ちゃいそうだから、少しだけやっちゃわないとねぇ」
そのソフィアの言葉に、周りにいた兵たちはたちまちソウマ達を取り囲んだ。
「なっ!約束がっ」
「安心してよぉ殺しはしないよ。ただちょっとだけ寝ててもらうだけだから」
サクラの腕を締め上げながら、ソフィアはニヤニヤと彼女を見下ろす。
恨めしそうに睨みあげられて尚その表情は変えず、部下に向かって顎をしゃくる。
「やれっ」
その言葉を皮切りに、アシャの兵士がソウマに飛びかかる。
ソウマはカインズ達を家の中に押し込むと、向かってくる兵士達に剣を構えた。
「やめてぇ!!」
サクラの叫びが辺りを包んだ時。
ヒュッンッ!
耳元で空気が切り裂けるような音がした。
それと同時に、頬にヒリヒリと強い痛みが走る。
「ぐっ!!」
驚きで体が固まり、その感覚が何を意味しているのかを理解するよりも先に、サクラの耳には自分が発した物ではない呻き声が届いた。
その声をあげたのは、サクラのすぐ真横に立っていたソフィアだった。
彼の声に顔をあげると、彼は痛みに耐えるように顔を歪ませていた。
その肩には真っ白な羽根のついた矢が突き刺さっている。
「……くそっ!」
サクラはそこから流れ落ちる血を呆然と眺めていたが、次の瞬間乱暴に地面に叩きつけられた。
サクラの手を振り払うとソフィアは痛みに踞る。
ソウマはその隙を見逃さなかった。
ソフィアの呻き声を耳にしたアシャの兵士が、視線をそちらに移した瞬間、手近にいた兵士一人を切り捨てた。
続けざまにもう一人。
ふいを突かれた兵士はなすすべもなく地面に転がる。
それからサクラの方に視線を向ける。
何が起こったのか理解できなかった、
だが、それを考えるよりも先に体が動く。
ここから離れなくては!
頬にこびりついた土もそのままに、サクラは素早くソフィアの元から走り出そうとする。
しかし、その手首にまたしてもあの骨をも砕いてしまいそうな力が加わる。
「……逃がさないよ。」
ソフィアは矢が刺さった方の肩でサクラの腕に掴みかかった。
その目はもう先ほどのふざけた彼とは別人のようだ。
荒々しく憎悪をまとった目でサクラを写している。
彼は空いている方の手で無理矢理突き刺さった矢を引っこ抜く。飛び出すように血が流れてで行く。
矢の先がギザギザと逆らうようなトゲ状に広がっていた為、ソフィアの肩は刺さっていた辺りから数センチ程全て皮と肉が削げ落ちた。
背筋が凍りそうになる。
その時、 アシャの兵士の一人がピクッと耳を動かした。
そして、反応を示した方角に視線を送った途端、彼は目を見開いてソフィアに向かって口を開いた。
「ソフィア様!ルミエール軍ですっ!」
「なにっ!」
その言葉に顔をあげたソフィアにつられ、サクラもそちらに振り向く。
「第一陣っ!突撃!」
空高く響き渡るその声と共に、怒濤のような馬の駆ける音が近付いてくる。
土埃を上げながら走るその数はざっと30近い。
「……くそっ!援軍なんて用意してたんだね」
ソフィアは鼻に皺を寄せ怒りを顔中に広げてから、サクラの腕を強引に引き上げた。
「けど、あんたには一緒に来てもらうよ。」
「いやっ!」
身をよじって抵抗するも、ソフィアはズルズルとサクラを引き摺り自分の馬へと歩みを進める。
「サクラッ!」
一瞬ルミエールの軍隊に怯んだアシャの兵士達も、ソフィアを庇うようにソウマに立ちふさがる。
3対1の攻防にソウマの傷付いた体がついてこない。
「ソウマッ!」
このままでは援軍がこちらにつく前にソウマがやられてしまう。
悲鳴に近い声で叫ぶ。
「…うるさいなっ!傷に響くだろっ!」
ソフィアは立ち止まると苛立ったようにサクラに片手をあげた。
殴られるっ!
そう覚悟して咄嗟に両目をきつく閉じ俯いた。
「……ぐっ!」
だが、サクラの耳に届いたのは自分の頬を打ち鳴らさせる音ではなく、ソフィアの濁った息遣いだった。
閉ざしていた目を開く。
視線の先にある地面には、ポタポタと音を立てて垂れていく深紅の血が写っていた。
その出所に視線をあげると、サクラを殴り付けようとしたソフィアの手のひらを先ほどと同じ羽根をつけた矢が真っ直ぐに貫いていた。
ソフィアは苦しそうにその場に膝を落とす。
「次は目玉を突き刺すぜ」
背後から聞こえてきたその声に、サクラは肩を震わせるように驚いた。
そして、そちらにゆっくりと振り向いていく。
「…………嘘っ……」
振り向いた先にあったのは、馬上からピッとソフィアに矢を向けているクラウドの姿だった。
サクラは目を丸くしてクラウドを見た。
何度も瞬きをしながら。
クラウドはサクラに視線を向けることなく、ソフィアにだけ意識を集中させているようだった。
「そいつを離せ。」
ギリギリと手元の弓が撓っていく。
次の瞬間にも次の矢が送り出される様子だ。
苦痛に顔を歪めるソフィアがゆっくりとクラウドと視線を絡める。
互いの狂気がぶつかり合っていく。
フッとソフィアは自嘲気味に笑いを漏らすと、射ぬかれた手をヒラヒラと振った。
「分かった分かった。僕の負けだねぇ。なんであんたがこんなに近くまで来ていたことに気付かなかったのかなぁ」
それからゆっくりと立ち上がる。
その一瞬一瞬をクラウドは弓で追う。
ソフィアはサクラを掴んでいた腕を持ち上げて、自分の体にサクラの体を押し付けた。
クラウドの眉間のシワが更に深くなる。
その表情にソフィアは元のニヤけた表情を浮かべ、探るようにクラウドを眺めた。
「……なるほどねぇ。あんたの気配がなかったのは、そういうことか」
「………なんのことだ」
意味深に笑みを浮かべるソフィアを眉をひくつかせながら睨み付ける。
「分からないならそれでいいよ。けど、僕にはその理由がちゃぁんと分かったからそれで今回はよしとしよう。巫女さまを殺すわけにもいかないし。」
ヘラヘラと笑うソフィアはスッとサクラの首筋に指を滑らせる。
「僕としては、巫女さまの生死なんてどぉでもいいんだけどね。殺さずに連れてこいって王も王子も言うもんだからまったく面倒くさいよねぇ」
クラウドに緊張が走る。
「お前をこのまま逃がすとでも思ってんのか?」
低く曇る彼の声にソフィアはハハッと笑った。
「まっさかぁ。僕もこの状況を理解してないほど馬鹿じゃないよ。今回は僕のおしゃべりと優しさが仇となっちゃったからねぇ。次は本気で皆殺しにして巫女さまを連れ出すよ」
そう言い放つとバッとサクラに向かって、先程自分の肩を貫いた矢を振り上げた。
「ッ!サクラッ!」
一瞬クラウドの矢の先が揺らいだのを見逃さず、ソフィアはサクラの体を力一杯前に突き飛ばすと、シュンッと風のような速さで茂みの中に飛び込んでいった。
「チッ!」
クラウドは舌打ちをしてその茂みに向かって矢を射るも、そこにはもはやなんの手応えもなかった。
「……ったた。」
なんの受け身も取れずに前のめりに地面に叩きつけられたサクラは、呻くように打ち付けた顎を押さえながら起き上がった。
顎も頬もヒリヒリと熱い。
だが、そんな痛みよりも………
「……クラウド」
目の前にいる彼の姿をマジマジと見つめた。
クラウドはソフィアが逃げ去った茂みを一瞥すると、そっとサクラの方に近付く。
その強ばったままの顔にサクラは少し戸惑った。
「…立てるか?」
目の前に差し出される手を見つめ、もう一度顔をあげる。
クラウドは怒ったような顔のままサクラを見つめていた。
「……ありがとう。」
彼のその表情に視線を下げ、そっと差し出された手をとる。
クラウドに引き上げられると、そのままの勢いでグッと彼の腕の中に抱き止められた。
「!!クラッ」
「黙ってろ!」
怒鳴るように言う彼に、サクラは何も抵抗ができなくなった。
そのまま体を縮ませ、彼に抱き締められる。
クラウドが痛いほど体を抱き締める。
押し付けられる冷えきった甲冑越しに、クラウドの鼓動が小さく聞こえてくる。
「……こんな所にいやがって」
頭の上からクラウドの溢れるような呟きが響く。
怒りとも安堵ともとれるその声にサクラは困惑した。
「……ごめん、なさい」
ギュッと更に力が強まる。
息が止まってしまうかと思った。
「……クラウド、痛い」
さすがにその体を少し押し返すも、逃れられそうにはなかった。
どうにか顔をあげることだけはでき、真上にあるクラウドの表情をチラリと覗く。その顔は、やはり怒っていた。
「……うるせぇよ」
ポツリとそう言ったかと思うと、クラウドは抱き締める腕の力を弱め優しく包み込んだ。
そして、サクラの耳に届くかどうか分からないほど小さな囁きをポツリと溢した。
「……もう、離れんじゃねぇよ」




