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獣と獣??  作者: 暁 とと
34/56

湯煙

しばらくして、コンコンッと遠慮気味に戸を叩く音がして私はゆっくりと顔をあげた。

どれくらいそうしていたのだろうか。

私は安堵から少しまどろんでさえいたような気がした。

赤くなった目を擦るとすぐ真上にあるソウマと目があった。

彼は小さな笑みを向けながら

「……お目覚めですか?」

と囁いた。


「あっ……」

彼の声に私は今の自分の状況を瞬時に思い出し、一気に目が覚めた。

ガバッと彼の腕が飛び起きると、頬がカァと熱くなっていく。

前世はどうあれ、今のソウマは正真正銘の人間、いや半分は違うけど……それでも見た目は完全なる人間の男だ。

そんな彼に自分から抱きついておいて、その上そのまま眠ってしまうなんて。

考えているうちにますます熱くなる頬を隠すように、両手で頬を押さえつけた。

「誰か来たようですね」

そんな私に気づいていないのか、ソウマは元の淡々とした彼の口調で叩かれた戸の方を向いていた。

すると、外から小さな声が聞こえてきた。

「………あの、お姉ちゃん、いる?」

不安げでか細い女の子の声。

「リリア?」

「あっ、お姉ちゃん!良かった、お部屋にいないから、ここかなって」

私の声にフワッと安心したかのように声が柔らかくなる。

「あのね、明日おじいさんが二人に話があるからって。だからね、今日は早く休んだ方がいいかもって。あとね、怪我に効果があるお水汲んできて、セリンがさっきお湯を焚いてくれたからゆっくり浸かるといいよって。その、兵隊さんの傷もリリアの力だけじゃ治らないからって。それから…えっと、明日の朝の仕事はセリンとリリアがするからお姉ちゃんはおじいさんとお話ししててね」

覚えてきたことを取りこぼさないように早口でリリアが伝えてくる。

私は立ち上がると驚かせないようにゆっくりと扉を開いた。

それでも気の弱いリリアはピクッと長い耳を揺らしながら、恐る恐る開いた扉を見上げた。

「ありがとうリリア。わざわざ伝えに来てくれて」

「…ううん、いいの。リリアができることはまだ少ないから。」

出てきたのが私だと分かりほっと笑顔を向けてくれた。

「そんなことないよ。リリアは私とソウマの治療をしてくれたじゃない。今でも色んなことができるけど、これかもっともっと色んなことができるようになっていくよ。リリアはがんばり屋さんだから」

かがんで、彼女の柔らかな髪を撫でてあげる。

くすぐったそうに目を細めてから、その大きな瞳で私を見つめた。

「うん。頑張る。でも、体の傷は治せても、心の傷はリリアには治せないの。だから、あんまり泣かないでね」

私の赤くなった目元をスッと撫でて心配そうに見つめてから、再び笑顔を向けるとクルっとスカートの裾を翻した。

「セリンがね、お湯が冷めちゃう前に入ってねって。また温めるの大変だからって」

いたずらっ子なように微笑むとリリアは自分の部屋に駆け出していった。

私は彼女に手を振って見送ると、リリアに触れられた自分の目元に指を置いた。

カサカサと乾いた皮膚がどれほどひどい顔をしているのかを鏡なしでも私に伝えてきてくれる。


あんな小さな子供にまで心配をかけてしまうなんて。

私は自分の未熟さを噛み締めながら、ソウマの部屋へと戻った。


ソウマは先程と同じ位置に立ったまま私の事を待っていた。

「セリンがお湯を張ってくれたみたいだね。ソウマもう動いても大丈夫?」

「はい、私なら平気です」

「そっか。じゃあ私パパっと入っちゃうから、後はソウマがゆっくり浸かって。あがったらお風呂の場所まで案内するから部屋で待ってて」

それだけ言うとソウマの返事も聞かず足早に部屋を出た。

今さらになって恥ずかしさが込み上げてくる。

あんなに感情的に大泣きして、懐かしさに抱き付いて、そして挙げ句寝落ち。

元は家族だったにしても、一旦冷静になってしまえばそこはまた別次元の話だ。

今の私と彼の関係はそんな失態を見せられるほど近しい仲ではなかったはず。突然の告白を受けてだとしても、一度芽生えた羞恥心は同じ空間にいたらそわそわするほど居心地の悪いものに変わってしまう。

まずは一人になって心の整理をしなくては。

私はおかしな火照りを冷ますように、着替えを用意してから風呂場までの道を早足で歩いていった。






カインズの家のお風呂は家の裏手の離れに作られていた。

元々はそこからお湯が沸いていたらしいが、ここ数年それがすっかり干からびてしまったため水を汲んでは火を興して焚いているらしい。

その仕事はセリンの役割で普段は無駄に大きな浴槽の半分もお湯を張らないでいるようだった。

でも今夜は大きな浴槽に目一杯温められたお湯が張られ、辺り一面をその湯気が覆い尽くしている。

昼過ぎからずっと荷馬車をひいていたのはこれのためだったのか。

私はセリンに後で沢山お礼をしようと思いながら服に手をかけた。

私は脱いだ衣服を畳んで浴室に入ると、まず体を洗った。

服を着ていれば分からないが、体のあちらこちらにまだ小さな傷や打ち身が残っていてタオルで擦るとヒリヒリと痛んだ。

リリアからの治療の殆どをソウマに費やして貰えるよう、私の治療は初日にしてもらっただけであった。それでもソウマが庇ってくれたおかげで耐えられるくらいの怪我で済んだのだ、彼の体を気遣ってもバチは当たらないはずだ。

次に頭を洗おうと腕を上げたとき、肩にずっしりと重い痛みを感じ眉間に皺がよる。

右肩の打撲が一番重いだろうとカインズに言われたのを忘れていた。

お湯に浸かって温めてからにしようと髪を適当にくくりあげてから、少し熱いくらいに沸かされている湯にゆっくりと体を沈めていく。



自然とふぅーと息が漏れていく。

体の強張りと共に張り詰めていた糸が緩んでいくようだ。

今日は様々なことが起こった。

ソウマが目を覚ましてくれて、ここに匿われてから初めて心からほっとできた。

毎日眠っているソウマの顔を見つめ、一人で泣いていた。私なんかを庇ったせいで彼がこんなになってしまった罪悪感と、たった一人で知らない土地に放り出された不安、そしてなによりソウマがこのまま目を覚まさないのではないかという恐怖。

ソウマと言葉を交わせた時のあの心からの安堵はきっと一生忘れることはないだろう。

もう目の前で誰かの命が消えるのを見るのは嫌だ。


それから、ソウマが話してくれた彼の前世のこと。まさか彼がレオの生まれ代わりだったなんて。しかも、レオの記憶を残したまま。

辛かっただろうに。

楽しい記憶の方が多いはずなのに、何故か辛い記憶の方がこびりついて離れようとしないものだ。

しかもそれが、家族を失う記憶だったなんて。


私は顔の半分までお湯に沈んだ。

水面に映る自分の顔がまた泣き出しそうになっている。


それなのに、彼がレオだと分かって喜んでしまっている私がいる。

元の世界の私の事を知ってくれている人物がここにもいてくれると思うと心強くなれる気がして。

彼は苦しんでいたのに、また私は自分勝手に喜んで。

けど、彼はこれからは頼ってほしいと言ってくれた。それに甘えてしまうのは、やはりむしがよすぎる話なのだろうか。

そもそも今のソウマとこんなに接したこと事態初めてなのに、これからどんな関係になっていくんだろう。

理解者として私に接してくれるのか、はたまた元の距離を置いた彼に戻ってしまうのか。



「………あ~ぁ、今考えても仕方がないよね!」

息が続かなくなり、お湯から顔をあげながら誰に当てたのでもない独り言をブツブツと呟き、拳を握った。

まずはここを出てお城に戻ることを考えなきゃ!そうとなれば、ソウマの体を早く治してあげなきゃ!

って、結局私じゃなくてリリアにしてもらうんだけど。

私は握りしめていた拳をゆっくり開くと、自分の頼りない手のひらを見詰めた。

………クラウドの時のように、私にも何か出来ればいいのに。

あの日以来、私が何か不思議な力を使えることはなかった。

リリアのような力があればお城でももっともっと役に立てるのに。あの時みたいに皆を救ってあげられれば、私がここにいる意味も持てるはずなのに。

頼りない自分の手のひらを悔しさで力一杯握り締める。長くなった爪が食い込んで跡を残して、すぐに消えてしまう。


「……ダメダメ、悲観的になっちゃ」

すぐに落ちそうになる自分を戒めながら、そろそろ温まった肩の具合を見てから頭を洗おうと立ち上がる。


キィーという扉が開く音がして、私はビクンっと体を強張らせた。

今の音は……?

湯煙が一気に音のした方向に流れ出していく。

パタンと今度は静かに扉が閉まる音がして、私は恐る恐る視線をそちらに向けた。

湯煙の中に人影が映る。

大きな影だ。

前に一緒に入ったリリアでもセリンでもない。


「…………だ、誰?」

私の吃り声が浴室に響く。

「…………私です」

「……ソウマ!?」

湯煙の中から返ってきた声は、低く抑揚の少ない彼の声だった。

私は声の主にほっとしながら、次の瞬間飛び込むように浴槽に逆戻りした。

「な、なんでソウマがここにいるの?私あがったら迎えに行くって行ったよね?」

慌てふためいた私の声が責めるようにソウマに飛ぶ。

「はい。ですが、セリンと呼ばれていた少年とあの少女が部屋に来て巫女殿が肩に怪我をしているから一人では大変だろうから手伝ってあげてほしいと言われまして」

入り口付近で立ち止まったままソウマは相変わらず淡々とした告げる。

私はあの兄妹達の心遣いに顔をしかめてしまった。

良かれと思って彼に助けを求めてくれたのだろう。それはありがたいのだけど、この状況はどうにも……。

「……だ、大丈夫だよ。体洗えたし、それにソウマの方が傷あれでしょ?私は大丈夫だからその」

「いえ」

どうにか切り抜けようとする私の声をキッパリとソウマが遮った。

「ここにいる間だけでも巫女殿の力になれることをさせては頂けないでしょうか。あの兄妹がわざわざ私の元に恐々頼みに来たのです。それほどひどい怪我ということなのでしょう。」

「そんなこと…」

「…では状態を見て判断させて下さい。」

「…いや、でも……」

「昨晩は腕が上がらずに、頭をあの娘に洗ってもらったそうですね。今晩はどうされたのですか?」

「…えっと、これから…」

「……」

「………」

怒るに怒れず、断るに断れない状況が出来上がってしまっている。

彼がこうも頑固で真面目すぎる性格だとは知らなかった。

いや、もし前世の影響があるのだとしたらレオもとことん頑固な性格をしていたから納得はいくけど。


怪我人のソウマをずっと立たせっぱなしにしておくわけにもいかず、私は半ばやけくそになりながら湯船から静かに上がった。

体をタオル(と、呼ぶにはあまりにも薄い布)でどうにか隠して湯船の隣にちょこんと置いてあるイスに腰を下ろした。

「……それじゃあ、お願いします」

恥ずかしさからゴニョゴニョと小声で湯煙の向こうのソウマに声をかける。

その声に答えるように、ゆっくりとソウマが湯煙の中から姿を現した。

「!!」

パッと私はその姿から目線を反らした。

だが、時既に遅し。私の目にはソウマの裸が生々しいほどに焼き付いて離れようとしなかった。

冷ましたはずの顔の火照りが甦ってくる。

腰にタオルを巻き付けていてくれたのは、なんとも幸いなことだっが、その研ぎ澄まされた肉体美は私には刺激が強すぎた。

「失礼します」

ソウマは私の丸まった背中に声をかけたが、私はあまりの恥ずかしさに返事すらできなかった。

すぐ後ろに肌のぬくもりを感じる。


「…不馴れなものでもし何かあればすぐに言ってください」

「…はい。」

ようやく出た声は消えそうなほど小さかった。

「では、失礼します」

彼は優しい手つきで私の髪を洗い始めた。

私は固く目を瞑り、ドキンドキンと煩い心臓の音に耐えていた。

男の人にこんな風に髪を洗ってもらうことなんて今まで経験したことがない。

美容室とかならまだしも、お互いに裸だなんて。

しかも、相手はソウマだ。

誰ならばいいとかいう話ではなく、彼とのこんな場面想像すらしたこともなかった。

時折、彼の指がこめかみ辺りを優しく撫で上げていくのでくすぐったさから肩がピクッと震えてしまう。

「強すぎましたか?」

ソウマはその度に動きを止め私の様子を伺った。

「ううん、平気です」

恥ずかしさを圧し殺しながらどうにか返すと、またソウマの指が優しく動いていく。


この時が早く過ぎて欲しいと願いながら目を瞑っていると、フッとソウマが笑ったような気がした。

「……ソウマ?」

振り向かずに、ほんの少しだけ目を開いて彼の気配を探った。

「申し訳ございません」

やはりどこか優しい口調で返してくる彼に私は首をかしげた。

「…今、笑った?」

何か私がおかしなことをしてしまったのかと気になり、不思議そうに問う。

「……いえ、なんだか不思議な感覚だと思いまして」

「……なにが?」

「こうして、巫女殿の髪を洗っていることがでございます。」

「…そ、そうだね」

改めてソウマの口からそう言われると更に私の体が縮こまっていく。そんな意識してしまうようなことを言わないでほしい。

「以前は、逆でしたから」

「えっ?」

思いもよらない彼の返しに私はキョトンとした。

「前世の私は常に洗って貰う側だったので、こうして立場が逆になるとなんだかおかしくなってしまいまして。」


…なるほど。

私は変に緊張していた自分に呆れてしまった。

彼は最初から特別私を意識なんてしていなかったのだ。

彼の中で私はあの頃のままの存在。

飼い主であり家族であり、おそらくは彼の中では私はまだ子供だ。

その証拠に彼が私に向ける視線はいつも保護者のようなソッと見守っているような眼差しだ。

「……レオ、お風呂嫌いだったね」

「…苦手だっただけです。」

ポツリと私が言うと、少しだけ慌てたようにソウマが返してきた。

「本当に?」

その反応が可笑しくて私はクスッと吹き出してしまった。

「本当です」

「すごく暴れてたじゃない。泳ぐのは好きだったのに、お風呂に入れようとすると物凄い勢いで暴れて」

「誤解です。暴れてなど…」

拗ねた口調の彼に私はまた吹き出してしまった。

不思議と肩の力が抜けていく。



そうこうしているうちにソウマは丁寧に私の髪を絞ってから、そっと私に背中を向けた。

彼の気遣いに私はササっと髪をまとめあげてから、ふと思い付いたように背中合わせの彼に声をかけた。

「…ねぇ、ソウマ」

「はい」

「今度は、私が洗ってあげてもいい?」

自分からそう言っておきながら、言ったそばから恥ずかしくなっていった。

「さっ、さっきの話でさ、なんか懐かしくなっちゃって。その、レオ暴れまわってたからさ。それに、ソウマの怪我だと大変かなぁって。背中だけでも私も手伝えるかなって」

その恥ずかしさをまぎらわすよに早口で捲し立てる。

洗い流したはずの汗がまたうっすらと額に広がっていく。



「…では、お願いしても宜しいですか?」

「へっ?」

わたわたと次の言い訳を考えていた私に、平然とソウマが答えたので府抜けた声が出てしまった。

「本来ならば巫女殿にそのようなことしていただくなど、あってはならないことですが。この場だけ、今夜だけはあなたのレオとして接していただけるなら、私のその小さな願いを叶えていただけますか?」

「……も、もちろんだよ!」

私は力強く頷きながらソウマの方に振り返った。

すぐ後ろに彼の背中が広がっている。

大きくて逞しく傷だらけの背中が。

その傷に私の胸は締め付けられた。

「……どうかなさいましたか?」

心配そうにソウマが頭をあげたので、慌ててその背中を押した。

「なんでもない。だから、絶対こっち振り返らないでね。いくらレオでも見られたら恥ずかしいんだから」

「あっ、失礼いたしました」

パッとソウマは弾かれたように頭を真っ直ぐ前に向けると、そのまま石のように動かなくなったので、私はタオルに泡をたてて、優しく彼の背中を擦り始めた。


大きな背中。

記憶の中にある父の背中よりも、城で見たクラウドの背中よりもソウマの背中は大きかった。

私の知らない男の人の背中。

「傷痛む?」

「いえ、もう平気です。」

出来るだけ傷口に触れないよう注意しながら、泡だけで背中を覆っていく。

赤黒く腫れ上がった打ち身は見ている方まで顔をしかめてしまいたくなる。

それもソウマが私を守ってくれた証なのだ。

私は感謝と謝罪と、それと心から彼の傷がこれ以上増えないことを願いながら初めて触れる彼の背中を洗っていった。


背中を流してあげてから、私は冷えてしまった体を湯船に沈めた。

もうもうと立ち込める湯煙のおかげで少し距離をとればソウマの姿は見えなくなった。


カタンカタンと彼が動く音だけが耳に届き、私は湯船から移動することができずにいた。

さっきあれほど大胆に彼の背中を洗ったというのに、それでもまだ何を照れているのか自分でも分からなかった。

「…入っても宜しいですか?」

湯煙の向こうから、こちらの様子を伺っていたソウマが声をかけてきた。

「えっ、うん。どうぞ」

咄嗟にそう答えてしまってから、私はバッと体を反転させスススッと壁の方に移動した。

いや、何を受け入れてしまっているのだ。

今私が出ていくチャンスだったのではないか。

何を一緒に入ろうとしてるんだ。


「では、失礼します。」

ザッとお湯を切る音と共に、湯量が増し溢れたお湯が音をたてて流れ落ちていく。


ドギマギと煩いくらいに心臓がなっている。

いい加減、この状態に慣れてくれ。と、心の中で自分の心臓に命令を出すが、そんなもの無理な話だ。

ソウマが少し動く度にお湯がグランと揺れ、その度にピクピクと私の肩が反応を示す。

その振動でまたお湯が少し揺れる。



「……巫女殿」

「は、はいっ」

すぐ後ろ辺りから声がして、ビシャンッとお湯が激しく揺れるほど動揺しながら返事をしてしまった。

「驚かせてしまいましたか?」

「えっ、ううん大丈夫。」

本当はその距離感に驚いていたが、これ以上みっともない姿を晒したくなくどうにか平常心を装って答える。

「少しだけ、そちらに行っても構いませんか?」

「えっ!」

ソウマの言葉に吸い込んでしまった湯煙にむせそうになる。


そちらとはコチラ?

頭の中でその日本語をいちいち変換させる。


ソウマは聞いてきたにも関わらず、私の返事を待たずにゆっくりとこちらに歩いてきた。

波打つお湯が私の心拍数を否応なしに上げていく。


なになに?

なんでそんな近距離に来ちゃうの!?

レオ、いや、ソウマ!

いくらなんでも恥ずかしいって。


すぐ後ろに気配を感じながら、私は壁に向かって困り果てていた。


「…………」

「…………」


沈黙。



ソウマからの視線だけが感じられ、言い様のないほどに居心地が悪い。

近くに来たなら、何か話してほしい。

私から何か言った方が楽なのかもしれないが、生憎今はそれどころではなかった。


「……その傷跡は」

ポツリとソウマが何かを呟いた。

「…えっ?」

彼の呟きに少しだけ振り向こうとすると、ソウマの手が私のうなじに静かに触れた。

「キャッ!」

その感触にビクンッと体が震える。

「っ、申し訳ございません」

パッとソウマは弾かれたように手を引っ込めた。

「ごめん、ちょっとビックリしただけ…」

思わず出てしまった声に自分でも驚きなから、私は触れられた辺りをソッと撫でた。

もう何度も何度も触ったその場所から、癒えることのない皮膚のざらつきが伝わってくる。

「……あの時のものですか」

「…うん」

手をどけながら頷く。

私のうなじにある火傷の跡。

年を重ねるごとに他の部分は小さくなっていったにも関わらず、この場所だけは当時のままその傷跡を生々しく残している。

「普段は髪で見えないんだけどね。やっぱりこうして上げちゃうと見えるよね。」

私は明るく話した。

ここでまた暗くなってしまっては、ソウマは必要以上に気にしてしまうのが分かっていたから。

「オルタナも多分気がついてると思うんだけど、あえてなんにも言わないでいてくれてるみたい。髪やってくれるとき、いつもこれ隠れるように首のところだけは下ろしててくれるから。オルタナって変なとこ気が利くからビックリしちゃうよね」

バシャバシャと首筋にお湯をかける。

「あと、ルイスにも見られちゃったかな。ネックレス貰うとき……」

そこまで言ってあの夜のことを思い出し、パタパタとそれを払いのけた。うなじに彼の熱い吐息が甦ってきてしまう気がしたから。これ以上体温をあげては危険だ。

「と、とにかく、皆気がついてもあえて言わないでいてくれるのはなんか優しいよね。ていうか、私も見えないところだからたまに忘れちゃうくらいだし」

「………では、何故髪を伸ばしていらっしゃるのですか?」

それまで黙っていたソウマがどこか悲しそうに言った。

「子供の頃はずっと短くしていらしたのに」

「……やだなぁ、ソウマ。私だって女の子だよ?長い髪に憧れることだってあるじゃない?それとも似合わない?」

さすがはレオ。痛いところをついてくる。

けれども私はそれすら悟られないよう、つとめて明るく答える。

「私もね、もう立派に大人なんだよ。この火傷だって本当に気にしてないから。そりゃあ女の子だから少し傷付いてたら貰い手いないかもって悩んだこともあったけど、これくらいの火傷気にするような男はこっちから願い下げだ!って思えるくらいにもなれたし。だから、本当に大丈夫だよ」

背中を向けたまま、私はソウマに笑いかけた。



「………お強く、なられましたね」

「…なったよ。だけど、泣き虫は相変わらずかな」

「そのようですね」

ピチャっと音をたてて、後ろからソウマが私の頭を撫でた。

「…大きくなられましたね。本当に。」

「それは、ソウマでしょ」

「見た目だけではございません。巫女殿は、」

「ねぇ」

「はい?」

「その、巫女殿っていう呼び方変えられないかな?」

「と、言いますと」

「……他人行儀な気がして」

「………」

「レオとは家族だったわけだから、ソウマももう少しだけ近付いて貰えたら嬉しいなって。」

「…………」

「…無理、ならいいんだよ?」

「…………」

「…………ソウマ?」

「…仰せのままに、サクラ様」

「………やっぱり様付け?」

「主人ですので」

「でもさっきは呼び捨てだったよ?」

「…………」

「自分の中では呼び捨てなの?」

「…………」

「ソウマぁ?」

「………分かりました。他の者がいないときならば」

「うん、それで満足。」

「………」

「早く戻らないとね。皆心配してるよね」

「そうですね。」

「………」

「陛下がどのように思われているか」

「ソウマは本当にルイスが好きなんだね」

「主人ですので」

「ルイスもきっとソウマのこと心配してるよ」

「私のことなど、それよりも巫女……サクラのことを気にかけているはずです」

「私?」

「はい……。」

「……ともあれ、早く帰らないと!」

「そうですね、一刻も早く無事を知らせなければなりません」

「うん。まず今は暖まろう」

「そうですね。」




私の中の緊張はいつの間にか解けていた。

終始背中を向けたままの会話だったけど、ソウマとのこの距離に戸惑いもなくなった。

きっとそれは彼の中から感じられるレオの面影と、いつも以上に口数を多くしてくれているソウマのおかげだろう。

ほんの一時、私は家族と過ごす幸せをまた味わうことができた。

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