ソウマの過去
心臓の音が加速を増していく。
胸がキンッと締め上げられていくようだ。
突然私を襲ったソウマの言葉。
この世界の誰一人として、いや元いた世界ですらもうその存在を知っている人物は私の周りにはいなくなってしまった存在。
その人物の名前を今ソウマは確かに口にした。
何故、彼が?
全くもって意味がわからない。
お手上げだ。
この世界で体験したどんな不思議な事よりも、今この瞬間が一番訳がわからない。
何年ぶりかに聞くその名前。
見開いた瞳でソウマを見る。
彼も真っ直ぐに私を見ていた。
手が、震える。
「……ソウマ、今……」
「………驚かれ、ましたか?」
ほんの少し、ソウマの表情が和らいで見えた。
初めて見せる表情。
一瞬だけ彼が微笑んでくれたのかと思った。
彼の言葉にゆっくりと頷く。それ以上は何を言っていいのか口が迷っていた。
「……申し訳ございません。ですが、巫女殿の質問にお答えする前に、この質問だけはお答え願えますか」
強い眼差しで彼が私を見つめる。
懇願するように、けれどどこか私の答えに怯えているように揺れている。
何故、彼がそんなことを訊いてくるのか理解できなかった。
それを訊いたところで、彼に何の得になるのかも分からない。
分からないけれど、答えないことには彼もきっと何も話してはくれないのだろう。
ごくッと唾を飲み込む。
自分を落ち着かせるように息を吸う。
ソウマの質問の答えは、私の心を抉り取るような痛みを伴う。
「…………スバルは」
口の橋が引き攣ったように震える。
「………スバルは……弟は…………死にました。」
その瞬間、ソウマの瞳が大きく揺れた。
だが、顔を俯けていた私は、その彼の変化に気が付くことができなかった。
一度開いた口は続けざまに言葉を紡ぐ。
「…私が幼い頃に家が火事で燃えてしまって、その時に両親が亡くなって。スバルと私は助かったんだけど、あの子は全身ひどい火傷を負ってしまって……それで…」
あの日の記憶が目の前に広がっていく。
震えだしそうになる肩を抱き抱えるように両手で押さえた。
「………奇跡的に意識が戻ったんだけど、その半年後に入院中の病院で……」
胸が痛い。
「……自ら……命を………」
ガタンッと椅子が勢いよく床に倒れる大きな音が部屋に響いた。
驚いて咄嗟に顔を上げた私をソウマはいきなりその大きな両腕で強く抱き締めた。
息が止まってしまうかと思うほど、強く。
あまりのことに事態が飲み込めずにいたが、反射的にソウマの体をグッと押し戻そうとした。
だが、その体はピクリともしない。
「………ソウ…」
「お許しください」
私の声を遮るように、彼の苦しそうに絞り出す声が押し当てられた肩越しから聞こえてくる。
そんな弱々しい声に、私は体の動きを止めた。
「…私が、私がもっと早くスバルを助け出していれば…そんなことには……」
「……えっ」
彼の言葉に耳を疑った。
助け出していれば、と彼は言っただろうか?
それはどういう意味だ?
彼が私に許しを請う訳も、今彼がとっている行動も何を意味しているのか見当もつかず、ただただ私を混乱させる。
抱き締める彼の肩が微かに震えているような気がして、私は身動きが取れずにいた。
大きな背中が頼りないほどに丸められている。
彼は一体、何を知っていて、何を背負って生きているのだろう。
痛いほどに抱き締める彼の背中に、私はソッと手を添えた。
出来るだけ自分を落ち着かせてから、スッと私は口を開く。
「ソウマ、あなた一体何者なの?………なんで、スバルを知ってるの?」
私は彼の質問に答えた。
辛く苦しい質問に。
今度は彼が私の疑問に答える番だ。
ソウマはゆっくりと私をその腕から解放していく。
体が離れてようやく見えた彼の表情は、初めて見るものだった。
普段の無表情な彼ではなく、ずっと押さえ込んでいた感情を全て吐き出したようなそんな悲しみに満ちた顔をしていた。
彼のその表情に、胸がギュッと締め付けられた。
何故、そんなにも悲しそうな顔で私を見つめるのか。
彼の悲しみがまるで私を哀れでいるようにも見える。
ポツン、ポツンと窓の外では雨が振りだしてきた。
その小さな雨音だけが、進まない部屋の中で時の流れを示していく。
「……これからお話しすることは」
やがて、ソウマがゆっくりと口を開いた。
「本来ならば、お伝えするまでもない…巫女様にとってはもしかしたら、不快な話になってしまうやもしれません。……その時は、どうぞ感情のままを私にお伝えください。」
真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳は、意を決したように暗く光っていた。
その瞳の中の私も真っ直ぐに見つめ返し、一度だけコクンと頷いた。
そして、ソウマはゆっくりと語り始めた。
それは、まるで私への懺悔のように。
前世の記憶、というものを巫女様は信じられますか?
初めて訪れたはずの場所が何故か懐かしく感じたり、自分の経験したことがないはずのことを何故か記憶の片隅で覚えていたり。
人生でほんの一瞬でもそんなことを感じられたことはありますか?
私は産まれた時から、既に記憶がありました。
赤子の頃は曖昧なぼやけた記憶。どちらが現実なのかすら分からないほど、今の自分と前世の自分の記憶が入り交じった世界で育ちました。
初めて目にするものであっても、ある程度は何に使う道具か理解でき、自分がまだ話すことができなくとも相手の言っていることは何故かすぐに理解できました。
幼い頃から身体能力も高く、まるで訓練されたかのような身の振る舞い方が出来ました。
周りはそれを高く評価してくれましたが、私は何故こんな当たり前のことをしているだけで喜ばれるの理解できずにいました。
年を重ねていくうち、自分の中にある記憶が二通りに別れていることに気が付きました。
自分が経験してきたことと、そうでないこと。
そして、私の記憶は『そうでないこと』の方が多く覚えているということ。
私は怖くなりました。
その内容がとても恐ろしい物に思えてならなかったからです。
一番鮮明に残っていた記憶は、自分の死の間際の記憶でした。
何度も何度も床に投げ付けられ、口の中が血の味でいっぱいになっても、体が動く限り立ち上がる。
恐怖でいっぱいのはずなのに、立ち向かっていくんです。
体は何か刃物のような物が突き刺さり、辺りには鉄のような臭いと何かが燃える臭いがしていました。
前世の私は人間ではありませんでした。
主に忠実という意味では今の私と同じですが、前世の私には今のように力はなく、非力でなんの知恵もなくただ主人にじゃれつくだけの飼い犬でした。
そして、その主すら守ることが出来なかった。
私の最期を迎える晩。
私が飼われていた家族の元に大きな男が二人訪ねてきました。
私は嫌な予感がしていました。
野生の勘だったのでしょう。
男の一人が玄関先で主を刺し殺しました。
もう一人の男が土足で家に上がり込むと、部屋にいた主の妻を刺しました。
何度も何度も執拗に。
私は唸り声を上げながらその男に飛びかかります。
けれど、たかだか犬のちっぽけな力ではすぐに振り払われ私は床に投げ出されてしまいました。
目が霞み、息がヒィヒィと漏れていました。
霞む視界に小さな二つの影が映り、私は飛び起きます。
物音を聞き付けて二階で眠っていた姉弟が降りてきてしまったからです。
廊下に倒れている私を見つけると、姉の方が目を見開いて駆け降りてきました。
『来てはいけない!』
心の中で何度も叫びました。
泣き出しそうになりながら私に駆け寄り名前を呼ぶと、次の瞬間彼女の顔から全ての表情が消えてしまいました。
絶対に見せたくはなかったもの。
子供の瞳に、心に、映してはいけない光景が彼女の目に張り付いて決して離れようとしなかったのです。
一人の男が家中に何かを撒き始めました。
もう一人は私に駆け寄ってきた彼女に気付きこちらにゆっくりと向かってきます。
恐怖で腰が抜けてしまったのか、それとももはや現実を受け止められなくなったのかピクリとも動けなくなった彼女に男が手を伸ばします。
私はありったけの力を振り絞り、その手を噛み砕きました。
男の悲鳴を私は蹴り上げられ宙をさ迷いながら耳にしました。
床に転がり、しかしすぐにその男に食らい付きます。何度蹴られようが殴られようが、痛みなど全く感じる暇はありませんでした。
自分の中にある野生の力だけをその時は全て剥き出しにしていました。
仲間の異常に気付いたもう一人の男が、私を力一杯蹴り上げるとグッタリとしているその男を見つめ、ダバダバと撒いていた液体をかけはじめました。
そして、ポケットからマッチを取り出すとなんの躊躇もなくポトリとその男の体に落とし、自分は高笑いをしながら玄関から走り去っていったのです。
炎はすぐに家中を覆いはじめました。
ヒィヒィと息をしながら、先程と全く変わらずに動こうともせず炎に包まれていこうとする姉と泣きながら階段に踞る弟の姿が見えました。
軋む体がもどかしいと心の底から思いました。
自分はなんて非力なのだと心の底から自分を恨みました。
震える足に力を込め、折れた歯をくいしばり、私はすぐそばで精神を何処かへ置き去りにしてしまったような姉を咥えて窓を突き破りました。
外には火事に気付いた人達が大勢おりました。
その人だかりの中に姉を下ろすと、私は炎に包まれていく家の中へ再び飛び込みます。
肺に穴が開いてしまったのか、はたまた気道に煙が入ったのか息ができなくなりました。
フラフラよろつきながら、廊下を進むと階段の一番下に倒れている弟の姿が見えました。
パジャマに移った炎がジリジリとその小さな体を包もうとしています。
そこからはもう曖昧な記憶しかなく、恐らくはその時の私自身も何も考えられないほど必死にその子供を助け出そうとしていたのでしょう。
抱いていた恐怖も体の痛みに対してではなく、自分の目の前でその子供たちを失ってしまうのではないかという恐怖だったようです。
自分の命など関係なく、ただその子達だけを守りたかった。
一番最期の記憶は、煤にまみれた姉が泣きながら私の名前を大声で呼ぶものでした。
良かった。ちゃんと心が戻ってきたのだと安堵する気持ちと、その声に答えて上げられない悔しさと、そして何より泣かないでと願った。
彼女の大切なものを何一つ守れなかった自分のために泣かないで欲しかった。
きっと彼女はこれからもっともっとたくさん泣くだろう。
その原因を止めることの出来なかった非力な自分のために、どうか泣かないで欲しかった。
薄れいく意識の中、私は幼い二人の幸せだけを願いながら消えていきました。
そして、この世界で再び生を受けた私は前の過ちを繰り返さぬよう全てを思い出したその日から必死に鍛練を積みました。
大切なものを守りきることのできる力を手に入れるために。
やがてその実力を認めていただき、ルミエールの第一部隊隊長に命名され、そしてルイス様の護衛をも任せてもらえるまでになりました。
けれども、私は恐れていました。
もし再び自分が一番大切に思っている者を守りきることが出来なかったらと思うと、親しくすることが怖くなりました。
ルイス様はとても素晴らしいお方です。
どこか一線を置いて接するそんな私に対しても何も不満を言わず、何も詮索せず、分け隔てなく接してくださいます。
この方を今度こそは絶対に守り抜こう。
この方を悲しませるようなことを全て取り除いてみせよう。
そう心に決めておりました。
そんな最中、私の前にもう二度と会うことできないと思っていた人物が姿を現したのです。
何故かすごく懐かしいような優しい匂いが城を包み始め、私は言い様のない気持ちが胸に溢れてきました。
それがなんなのか自分でも訳のわからぬまま、叩かれた扉を開くと、私の心臓は鈍器で打ち付けられたような激しい衝撃を受けました。
扉の向こう、ラーテル様のお導きの巫女の姿が幼かったあの少女の面影を携えてそこには立っていたからです。
困惑した面持ちで私を見上げる彼女に私は何も声を駆けられぬまま、その場の流れに身を任せました。
その後も何度も声を駆ける機会は巡ってきました。
しかし時間が経つにつれ、この場において何を彼女に伝えるべきか、そしてそれは 彼女にとって今の自分の主にとって必要なことなのかどうかを考えるようになりました。
一度は守りきれなかった彼女に今更何を伝えようというのか。これは自分が彼女に罪を許して欲しいためのただの自己満足にすぎないのではないか。
今の主に対しての裏切りに繋がるのではないか。
結果、私は何も告げずただ見守るだけの存在でいることを決意しました。
近くなりすぎず、適度な距離からただ見守るだけ。
助言をしたり手を貸すこともせず、一番は今の主に重きを置きひっそりと見守るだけの存在。
それが一番の贖罪であるかのように思うようにしておりました。
ですが、あの日。
滝壺に突き落とされるその瞬間。
私の体は本当に自然に、何も頭に浮かぶことがなく、それが当たり前かのように飛び出しておりました。
今の主、ルイス様のお姿すら瞳には映らずに。
ただ必死に手を伸ばし、もう二度とその体を命を心を決して傷つけたくはないとこの世界に生まれて初めて強く願いました。
ですが、また私などのせいで泣かせてしまったようですね。
申し訳ございません。
これが巫女殿からの質問の問いにございます。




