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獣と獣??  作者: 暁 とと
27/56

祈祷

どうやってそこに戻ったのかも

一体どれ程の間そこに座り込んでいたのかも

私は全く覚えていなかった。







『その紅に染まった其方を他の者に見せるのは惜しくなってしまった』





頭の中で彼の言葉が何度も壊れたテープのように繰り返される。














キス、されちゃった。







まだ感触の残る唇に指を当てる。







すっかりユタがつけてくれた紅は落ちてしまった。




彼は何故突然あんなことを言ったのだろう。

なんでキスしてきたんだろう。




ぼんやりした頭の中には、その二つの疑問がグルグルと回るだけだった。











「…………いっ、………おいっ!」






肩を叩かれ、私は途端に目の前の現実に引き戻された。

ハッと息を吐くと、眉をひそめながら立っているクラウドがそこにはいた。

何度も声をかけていたのだろうか、呆れたようにため息を漏らした。

「何ぼぅーとしてんだよ。目開けたまま寝てたのか?」

「ち、違うよ!ちょっと……考え事」

「考え事?それにしちゃあ様子がおかしかったぞ」

「本当だってば!」

呼び掛けられていることに気が付かないほどさっきのことで頭がいっぱいだったとは。

こんなにも動揺しているなんて。

まるで純真無垢な少女のような自分の振る舞いが、現実の自分との違いに少し恥ずかしくなった。



「ほ、欲しかったものは手に入ったの?」

とりあえず落ち着くために会話をしようと口を開いた。

「あぁ」

クラウドは手にしていた包みを満足そうに軽く持ち上げてみせた。

「ずっと探してた物だったからな。けど、待たせちまって悪かったな」

「ううん、大丈夫だよ。良かったね」

彼の言葉に微かに罪悪感が生まれた。



「そ、それじゃあそろそろ祈祷の場所にいこうか。なんだっけ?なんとかの滝、だっけ?ここから近いのかな?」

その小さな罪悪感を無責任に振り払ってしまおうと、私は一刻も早くここから立ち去ってしまいたい気分になった。

早口に言いながら行く宛のわからない方向に体を動かす。

「あぁ、精霊の滝ならこっからすぐだ。馬も必要ねぇ」

対照的にクラウドがのんびりと言うと、さっきまでユタと会っていた辺りを指差した。

反射的にドキッと胸が締め付けられる。

「のんびり行っても間に合うだろう。こっちだ」

「うん」

彼に動揺を悟られないように、素直に頷くとそちらの方向に向かうことを拒んでいる足を無理矢理に動かした。






舞台の脇を抜け、林の中に足を踏み入れる。

ついさっきまでユタといた場所。

私の胸は激しく音をたてていた。

鼻の効くクラウドだ。もしかしたら、私の残り香がこの場所に残っているのを感じ取ってしまうかもしれない。

そしてもう一人その場にいたことさえも気がつくかもしれない。

そうなったら最後、私はもう彼に何も言えなくなってしまう。



今のところ、彼はとくに何も言ってこない。

だが、それすらも何かを探っているのではないかとさえ思えてしまう。

隠し事をするのはあまり得意ではない。

顔に出てしまっているかもしれないと、私は怯えていた。




ザッザッと二人の足音だけが辺りに響いた。

前を歩いてるクラウドの表情は分からない。

私はただひたすらに何事もなくこの場所を通り過ぎることだけを祈った。










「…………なぁ。」

突然、クラウドその場に立ち止まり声をかけてきた。

私はその声にビクッと肩をすぼめたが、丁度彼の背中にぶつかりそうな位置にいた為その瞬間を見られてしまうという事態は回避できた。

「な、に?」

一瞬キュンっと縮こまった心臓が今度はバクバクと動きを変えたが、声だけは至って平常心かのように彼の背中に答えた。

「…………」

クラウドは黙ったまま、振り返ろうともせずにいる。

それが余計に私を焦らせた。




怒っているのだろうか。

やっぱりバレてしまったのか。





下手に私から声をかけるわけにもいかない。

重苦しいほどの沈黙が流れた。










ガサッとクラウドが乱暴にポケットに手を突っ込む音に、私はさっきよりもビクッと大きく肩を揺らした。

それから彼はパッと私の方に素早く向き直った。



怒られる!



そう思い私は身を縮ませた。










しかし、振り向いた彼の表情は私が想像していたものとは180度以上も違うものだった。









彼は照れたようにうっすらと頬を赤くして、罰が悪そうに目を私から反らしていた。

私は体を縮こませたまま、そんな彼をきょとんと見つめた。

「………待たせた詫びだ」

それからクラウドはそれだけ言うと、突き出すように右手を私の前に差し出した。

「…えっ?」

よく分からない状況だったが、私はとりあえず突き出された右手の下に両手を差し出した。

それを確認すると、彼はゆっくりと右手を開いていく。

コロンと私の手のひらに重みが伝わってきた。





両手を引くと、手の中には懸命に輝いく美しい輪が乗せられていた。

「これ!?」

驚いて顔を上げると、より恥ずかしそうにしているクラウドを見た。

「酒場の帰り道にあの店があっただけだ。そしたらこいつまだ売れてなかったから、仕方なく俺が買ってやったんだよ。俺の都合でお前のこと待たせちまってたから、一応、その、詫びだ」

辿々しく言い訳するようにクラウドが言う。




私の手の中には、さっき露店で眺めていたガラス細工の腕輪が置かれていた。

繊細なデザインですぐに壊してしまいそうだからと言って買うのを躊躇っていたのを彼は気にかけていてくれたのだ。







じんわりと心が温かくなって、緊張していた心を溶かしていく。
















「…………おっ、おいっ!」

「………えっ?」



クラウドがようやく私に視線を戻したとき、彼は私を見て慌てたように声をあげた。

私は彼の声に驚いて、顔をあげる。




あれ?




クラウドの顔がぼやけて見えた。







その時、私は自分が泣いていることに気がついた。

一筋、涙が頬を伝っていく。





「お前、なんで泣くんだよ!」

訳が分からないクラウドは困った顔で私を覗き混んでくる。

そんな彼を見ていると、今度は自覚のある涙がこぼれ始めた。






私は彼との約束を破ってしまったのに。

クラウドが私のためにとこの腕輪をこっそり買ってくれているとき、私は彼との約束を破ってユタと会ってしまっていた。

彼を裏切ったのだ。

いや違う。

今日だけではない。

以前も彼に嘘をついていた。

泉に出掛けるときはいつだって。

ユタに会いたいという私の欲のために、彼との誓いを破っていた。

そんな私が、彼にこんな風に優しくされていいはずない。



後悔の念が涙となって流れていく。





「どうしたんだ?」



今度は私を気遣うように優しく声をかける。



顔をあげられない。













泣くな私!

何も言わずに泣くなんて、そんなの卑怯だ!

泣くくらいならもう二度と彼との誓いを裏切るな!

心配してもらおうなんて甘えるな!








心の中で自分を叱りつける。

後悔はいつでも心を弱くしてしまう。

強くならなければ、彼からこれを受けとる資格なんてない。





私はグッと唇に力を込めて涙を止めた。

それから握った手の中の腕輪を取り出すと右手に通していく。

そこには、以前にクラウドから貰った彼の首飾りがチラチラと私を見詰めていた。

これにもう一度誓おう。

彼にこれ以上心配をかけるようなことはしないと。



重なりあうように二つの腕輪をはめると、その腕を少しだけ上げて彼に笑顔を向けた。




「ありがとう。どうかな?変じゃない?」





まだ泣き顔のまま微笑む私に、クラウドは困惑したような視線を向けていたが、やがて頷いてくれた。





「あぁ、似合ってる」




いつになく素直に彼はそう言うと、一歩私に近付いた。

ザッとクラウドが土を踏み締める音が響く。






そして、次の瞬間









私は彼に抱き締められていた。








驚きで、無理矢理止めたはずの涙が一瞬にしてピタッと綺麗に止まってしまった。







私の体はすっぽりと彼の大きな腕の中におさまってしまった。

クラウドの両腕が私を優しく包み込む。

まるで壊れ物でも扱うように、優しく。




私は突然の出来事に、どうしていいのかわからずにいた。

頭の中がもうグチャグチャだ。

ユタにキスをされ、今度はクラウドに抱き締められている。

今夜はどうしたというのだ。





クラウドがヒュッと息を吸い込む音が間近で聞こえる。

彼の息遣いで私の髪がフワッと揺れた。







「………祈祷が」

何かを決心したかのようにクラウドが強ばった声で話始めた。

私は動くことさえできずにその言葉に耳を傾ける。

「祈祷が終わったら…………お前に、話がある」

「…………はなし?」

「あぁ、少しだけ俺に時間をくれ」

彼の両腕に少しだけ力がこもる。

それが何かを表しているように、私の顔はパッと赤く染まった。






コクンと小さく頷くと、ゆっくりとその腕から解放されていく。





クラウドは顔を一切私に向けずに、直ぐ様クルリと背中を向けるとそのまま歩き出していった。

私も慌てて彼の背について早足に歩き始めたのだが、後ろからチラリと見える彼の耳が真っ赤になっているの見てより私の頬が赤く染まっていくのがわかった。










森をようやく抜けると、そこはまるで別世界のような場所だった。

森に囲まれたその場所だけが拓けていて、周りは森、そしてすぐ目の前にはごうごうとその存在を荒々しくも清く美しく印象づける滝が流れ落ちていく。

圧倒的な迫力だった。

祈祷を行う場所は精霊の滝の中腹で、辺りはうっすら水飛沫から生まれる霧に包まれてより幻想的な雰囲気を醸し出している。




私は声を出すのも忘れ、その流れ落ちる力強い光景に目を奪われていた。

一歩、また一歩と知らず知らずにその滝に引き寄せられていく。

柵など設けられておらず、滝の流れの先を見下ろすも滝壺は濃い霧に阻まれてその姿を見ることはできなかった。

しかし、その高さぐらいは体にビシビシと感じることができた。

覗き混んだ滝底は、そこへと引き摺りこまれそうなほどの引力を持っていた。

一歩でも動いてしまえば、あっという間にまだ見ぬ泡立つ滝壺へと連れ拐われてしまいそうになる。





私はその恐ろしくも美しい滝からゆっくりと離れた。

あれ以上近付けば本当に体を飲み込まれてしまうかもしれない。





「やぁ、サクラ」

滝からの引力に体を引き剥がしたと同時に、ルイスが声をかけてきた。

「祭りは存分に楽しんだかい?」

「うん、すごく楽しめたよ……ってあれ?」

微笑みながら近づいてきた彼の顔には、祭りの時には着けていた仮面が消えていた。

「仮面もういいの?」

ふと周りを見渡すと、手伝いをしている使用人も皆素顔を晒していた。

「あぁ、ここではもう必要ないのだよ。今度は私達は精霊達に祈りを捧げるのだからね。もう精霊と区別をなくす必要はないのさ」

なるほどと思いながら私も着けていた仮面を外す。

それだけのことなのに、視界が随分開けて世界が明るく感じられた。




「これから何が始まるの?」

仮面をしまうと隣に立つルイスを見上げた。

「司祭が精霊達に祈りを捧げるんだよ。これからもこの国を見守っていてくださいってね」

「………それだけ?」

あれだけ準備が大変だと騒いでいたオルタナの姿を思い浮かべた。

言ってはあれかもしれないが、祈りを捧げるだけならば言うほど事前の準備の必要はないのではないか?

「そうだね。それだけ………ではないよ」

ルイスは不思議そうに彼を見上げている私に、意味ありげな笑顔でそう教えてくれた。





「さて、そろそろ始まるよ」

滝にせり出すように造られた矢倉の上に、白い装束を身にまとったオルタナが姿を表した。




その姿に私は息を飲んだ。






そこには普段のド派手で露出が多い華やかな彼ではなく、厳かで洗練されたまるで女神のような彼がいたのだ。

オルタナは神妙な面持ちでゆっくりと両手を滝の方へと差し出す。

その手には、青々とした葉をつけた大きなユリの花が2本滝の飛沫を浴びながらも凛とのびている。




「あれは、龍と巫女への供物だよ」

ルイスが隣で説明をしてくれる。

「龍と巫女への」

私は何故か不思議な気分になった。

この世界に来てから、私は周りから「龍の巫女」だと自覚もないまま言われ続けてきた。

龍に選ばれた娘だと。

だけど、今オルタナがユリの花を捧げているのもその『龍の巫女』だという。

私はここにいる。

だけど、皆が崇めている巫女とは別人。

それなら私は何なのだろうか。

私がここにいる意味って、いったい。






オルタナが何かを唱え始めた。

だが、私達の元には荒々しい滝の音に全てかき消されオルタナが口を動かしているということしか確認できない。




『この森に住まう精霊よ』

ふいに、ルイスが私だけに聞こえるほどの声で何かを唱え始めた。

彼を見上げると彼も私を見下ろしていた。

「オルタナが今言っている事だよ。私も王になる前にあそこに立ったことがあるからね。ここでは何を言っているのか聞き取れないだろう」

「そうだったんだ。ありがとう」

ルイスは微笑むと、オルタナの声に合わせて口を開く。




『汝、この森の番人として我等を迎えたまえ。この地に祝福と生を与えたまえ。龍の守りしこの地に、光の粒を降らせる時、汝、数多の命とし我等の元に集いたまえ。巫女の命とし、この水の一掬いを大地を満たし、広大な空とならんことを我此処に願う。』






オルタナはまだ何かを唱えていたが、ルイスはそこで口に閉じてしまった。

彼はそっと私にまた視線を向けると、どこか悲しそうに見つめてきた。

「………サクラ、君は自分の世界に戻りたいと思っているかい?」

「……えっ?」

彼からの唐突な質問に、私は面食らった。

自分の世界に?




「………それは」

もちろん、戻りたい!



そう咄嗟に言いかけたが、私はその言葉を寸でのところで飲み込んでしまった。




私は、本当に戻りたいのだろうか?




一瞬、頭が真っ白に染まった。


白い靄で満たされてしまったかのように。





『自分のいた世界には、もう、私を待っていてくれる人はいないじゃないか。』






その靄の中で誰かがそう呟いた。






『誰ももう、いないんだよ』






今度は目の前が真っ暗になった。

その言葉の意味を、少しずつ思い出してきてしまったからだ。








私が答えられずにいると、ルイスはその悲しそうな瞳に暖かな笑みを浮かべた。

「すまない、サクラ。答えなくていいのだ。ただ、こうして君と精霊の祈祷を行っていると、この地に住む精霊が君のことを元いた場所に連れ戻してしまうのではないかと少し不安になってしまってね」

ルイスの瞳が暖かく揺れ、私の中の靄を晴らしていく。

彼は今そんな不安を抱えながら私の側にいたのだなんて。

「君が願えば、もしかしたらこの場に龍が現れて君を戻してしまうかもしれない。そうなれば、私はもう二度と君に会うことも触れることもできなくなってしまう。………国の守りの為に行っているこの祈祷の最中に、私はそんな粗末な考えをしてしまっていたのだよ」

「………ルイス」

彼がソッと手を伸ばし、私の髪を撫でる。

それは優しくて、だけど触れるか触れないかというほどにひどく怯えているようにも感じられた。





一撫でだけすると、彼は安心させるかのように微笑んで見せた。

「おかしなことに言ってすまなかったね。サクラここからが君に見せたかったものなんだよ」

まだ私は彼の笑顔に力がないことに気が付いていた。だが、それでもその事を隠すように振る舞う彼に、私は何も言わなかった。

ルイスはいつものように優しく微笑みながら、滝の方を指差した。

その指先を私も見つめる。




矢倉の上のオルタナはいよいよ佳境というところなのか、大きな声で何かを叫び、そして手にしていた二本のユリの花を天高く舞い上げた。

美しいユリの花は吸い込まれるように、滝から放たれる濃い霧の中に姿を消していった。








と、その次の瞬間













「…………わぁ~!!」

私は目の前の光景に感動を止めることができなくなった。



ユリの花を投げ入れた瞬間、流れ落ちる滝の飛沫達が一粒一粒色を放ち始めたのだ。

虹のように色鮮やかで、蛍のように淡い光を放ちながらそれらは悠々と大地に降り注いでいく。


なんて、幻想的なのだろう。



満月の月明かりが、辺りを昼間のように明るく照らす。

それにも色褪せることなく、飛沫がまるで踊っているかのように跳ね回る。



この世のものとは思えないほど、その光景は美しかった。

自分の瞳が喜びに満ち溢れている気さえしてくる。




「今年は、やはりサクラがいるおかげで精霊達も喜んでいるようだね」

心を奪われていると、ルイスが嬉しそうに言う。

「私がいるから?」

「あぁ、今年は例年にないほど飛沫が色鮮やかに染まっているよ。この光はね、精霊のからこの地に住む者への祝福の証なんだよ。精霊からの贈り物ってことさ。今回はそこに龍の巫女であるサクラがいる。精霊も喜んでいるのだよ」

「そうなの?」

弾けた飛沫が私の前に落ちていく。

ルイスは手をソッと差し出して、その飛沫を手のひらにのせる。手のひらに舞い降りた金色の飛沫は、次の瞬間にはただの水滴に姿を変えてしまう。

「サクラがここにいることで沢山の事が変化しているんだよ。君が全てに影響を与えている。今夜のこれも、それに」

ルイスがその先に口にしようとした時









パーーンッ!!






夜空からの眩しいほどの光が辺りを明るく照らした。

その光に遅れて、体に響く大きな音が鳴り響いた。





「花火だ!!」

夜空に次々と花開く色鮮やかな花火に、私は目を輝かせた。

この世界にも花火があるのだ!

私達のいる反対岸から夜空に向かって次々と打ち上げられていく。

大きな満月にも届くのではないかとさえ思えてしまう。

時折、滝の流れの中に浮かぶ花火が流れ落ちる隙間に写り混み、一段と美しい。

祈祷の準備とはこれも含まれていたのか。

「すごいね!」

興奮しながらルイスに声をかけると、彼は少しだけ苦笑いをした後で私と同じ様に花火を見上げながら

「綺麗に夜空にあがっているね」

と目を細めた。





その光は精霊の放った優しい光と共鳴し、大地を明るく照らしていく。

夜空を照らす大輪の花をその場にいる全ての者が穏やかな気持ちで見上げていた。

サクラもルイスもその後ろに控えているクラウドとソウマも。

矢倉の上からオルタナとイーヴァも。

少し離れた城からはマクリナとテトも。

皆それぞれの思いを胸に、夜空を見上げていた。




















花火が夜空を照らす頃。

森の闇にひっそりと身を潜めていた者達がざわめき始めていた。

満月に照らされた口元からは、鋭くも毒々しい牙が獲物を捕食しようと蠢いている。

皆一様に鼻をひくつかせ、微かに薫ってくる獲物の匂いで高まる興奮を必死に抑えようと耐える。

彼からの一言を聞き逃さぬよう、全神経を聴覚にのみ注ぎ込まなくてはならない。





闇の中に一筋紅い光が禍々しく燃えている。

顔を覆っていた仮面をゆっくりと外すと、彼はその紅の光を解放してやった。

全ての者を魅了してしまうその紅の光。



彼は夜空を照らす花に背を向け、その口元に薄く笑みを浮かばせていく。

夜風がまるで闇に染まったような彼の黒髪をそっと撫でると、彼の体に残る彼女の香りがフワリと舞い上がる。

彼を虜にしてやまない、彼女の甘美な香りが。





彼は満月を見上げ、ゆっくりと瞳を閉じた。

美しく輝く月の残像が、彼の瞼に焼き付いて内に秘めている獣の血を滾らせていく。








静かに彼は口を開く。





「………今宵の月を紅く染めよ」








ゆっくりと瞳を開き



そしてまた彼は、妖しく冷徹に笑った。







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