首飾り
扉が開く音にいち早く反応したのは、当然クラウドだった。
私に向けられていた視線はサッと扉の方に移っていった。
数秒遅れて私が扉の方に顔を向けたときには、訪問者の姿がそこにはもうあった。
「ルイス!」
久しぶりに見るルイスの姿だ。
私が目を覚ましてから、彼とは一度も会っていなかったのだ。
共に来ていたソウマは扉に手をかけたままルイスを通すと、ルイスは私達の方を向き微笑んだ。
「こんばんは、サクラ。部屋に行ったのだけれど留守だったからここまで来てしまったよ」
にこやかなルイスの視線がスッと繋がれたままの私達の手に落ちる。
「あっ!」
「わっ!」
クラウドと私は同時に小さく声をあげ、バッと互いの手を離した。
それからクラウドは深々と頭を下げた。
「陛下失礼いたしました。」
「うん、いいんだクラウド。怪我の具合はもう大丈夫なようだね」
「はっ、ご迷惑をお掛け致しました。」
「そうか良かった。それじゃあ明日からまたサクラの警護にあたっておくれ。オルタナは司祭の仕事があるからどうやら手一杯のようだったからね。」
「はっ!」
クラウドは頭を上げてから背筋をピンと伸ばすと、既に騎士の顔つきになっていた。
そんな彼を隣で眺めていると、ルイスが私の方に近付いてきた。
「サクラ、会いに行けなくてすまなかったね。」
腰を落として心配そうにルイスは私の顔を覗きこんだ。それから、右手で私の髪を根元からクシャッとかきあげた。
「ううん、会議とかで遠くの町に行ってるってオルタナに聞いてたから。」
本当は『ルイスが』ではなく、『ソウマが』という主語でオルタナが話していたのだが。
ルイスはフワッといつもの穏やかな笑みを浮かべると、私の髪を指に絡めるように撫でた。
それからスッと立ち上がり、隣で私達を見ていたクラウドの方に向き直った。
「少しサクラを借りてもいいかい?」
「……自分に断りを入れる必要などございません。」
クラウドは表情を固くして、私達に頭を下げた。
「それでは陛下これで失礼させて頂きます。」
「あぁ、ゆっくりと休み明日からサクラの為に働いておくれ。」
「………はっ。」
頭をあげるとクラウドは私の方にほんの一瞬だけ笑顔を見せた後、ソウマが開けたままの扉の中へと姿を消した。
「ソウマ。君も戻っていいよ」
ルイスがソウマに向かって声をかける。
「………」
「平気だ。私もすぐに戻るから。少しだけサクラと二人にしておくれ。」
ソウマは黙ってルイスを見つめていたが、やがて頭を下げるとまたキィーという音をたてながら扉を閉めていった。
さっきまでクラウドと二人でいた場所に、今度はルイスと二人っきりになってしまった。
クラウドが何を言いかけたのか気になったが、あの状況ではそれを問うことなど出来るわけもなかった。
私は先程の乱れた鼓動を落ち着かせようと、フゥーと小さく息を吐いた。
それから、ルイスの方を見上げる。
「いつ戻ったの?」
「つい先程だよ。サクラのことが気になって会議など全く頭に入ってこなくてね。一緒に行った者達に呆れられてしまったよ」
ルイスは困ったような顔で笑った。
「ルイスが?なんだか意外」
つられて私も笑ってしまう。
立派な王様のイメージの彼が、そんな風に誰かに呆れられるなんて想像できない。
「自分でも驚いたよ。長旅の疲れなど感じる間もなく君の部屋へと急ぐ自分にもね」
「えっ?」
ルイスはまたサラサラと私の髪の感触を楽しむかのように、指を髪の中に射し込んだ。
その行動に私は彼の視線を避けて、顔を庭へと向ける。頬が赤くなってしまう。
「よ、よくここが分かったね」
声がどもってしまった。
「ん?あぁ、ソウマが君の匂いを辿ってくれてね」
「匂い?」
またその話だ。
クラウドにもユタにも言われた私の匂い。
「ソウマは犬の獣人だからね。鼻がよく効くんだよ。その意味ではクラウドも人一倍鼻がよく効く筈なのだが………今日は私達がここにくることが分からなかったみたいだね」
そうだ。
前に庭で絵を描いていた時は、ルイス達が遠くから来るのをクラウドは姿が見てないうちから感じ取っていた。
それなのに今日は扉が開くまでその事に気が付いていなかった。
ルイスはフッと微笑むと、私の頭に口を寄せた。
それから花の香りでも嗅ぐようにスッと息を吸い込むと、そのままの距離で囁いた。
「クラウドも君のこの甘い香りに夢中になってしまっていたのかもしれないね」
耳元で囁かれたルイスの声に、私はゾクゾクッと肩を震わせた。
「そ、そんなことないって」
動揺しながら、私はスルッとルイスから体を離した。
耳が溶けてしまう。
真っ赤な顔の私を見て、彼はクスクスと笑った。
「サクラも元気になったようだね。本当に良かった。どこももう異常はないのかい?」
私は耳を押さえながら、コクンコクンと首を縦に振った。
「そうか、良かった。本当は君が目を覚ますまで側にいたかったのだが、私には他の誰かに任せられない仕事が多くあってね。我が儘を貫き通すことが出来なかったよ。っと、こんなことは言い訳にしかならないね」
ルイスは悲しそうに微笑む。
月明かりに浮かぶ彼のその笑顔はどこか陰っているように見えた。
「……ルイス」
「ん?なんだい?」
私はどうにか頬の火照りを沈めると、彼の顔をまじまじと見つめた。
やっぱり。
「ルイス顔色良くないよ」
「えっ?」
彼は私の視線に驚いたように目をパチパチさせた。
「月明かりのせいだよ。私なら平気さ」
「ううん、そのせいじゃない。ちゃんと食べてた?私の心配より自分の体の事考えてあげて。ルイスはこの国の王様なんだから。人に任せられないお仕事してるんでしょ?」
私はルイスに向かって人差し指を指しながら言った。まるで子供を叱る母親だ。
彼はまた目をパチクリさせた後、プッと笑いをこぼした。
「……実はあまり食欲がなくてね。でも、サクラの元気な姿が見れたからもう平気だよ。」
それから、またクスクスと笑い出してしまった。
「私、変なこと言った?」
あまりにも可笑しそうに笑うので、私は自分の言葉に不安になってしまった。
どこか変なところがあっただろうか。
「いや、違うんだ。」
ルイスは笑いを堪えながら私の方に向き直った。
「サクラにはなんでも見抜かれてしまうと思ってね。それに、私にハッキリと意見してくれる。それがなんだかとても心地よくてね」
私はその言葉にハッとした。
またやってしまった。
気さくすぎて忘れてしまいがちだが、ルイスはルミエールの王だ。
自分で「王様なんだから」などと言っておきながら、私はついつい説教口調になってしまっていた。
そりゃあルイスも笑ってしまうはずだ。
彼を堂々と叱るなど。
「あっ、あの私また」
失敗に気がついておどおどしていると、ルイスは首を横に振った。
「いいんだよサクラ。前にも言っただろう。私の事を王としてではなく、打ち解けて話してくれと。だから、そのままでいておくれ」
ルイスは悲しそうに微笑んだ。
王族として常に周りから敬われている存在の彼。
彼の表情が、たくさんの人が周りにいても彼と対して対等に話してくる人はいないことを私に訴えてくる。
私は一呼吸置いてから、彼に頷いた。
「そうだったね、ごめんなさい。それじゃあこれからも……その、えっと…お互いにちゃんと言いたいことは言おうね。ルイスも無理しないでちゃんと言ってね」
「あぁ、ありがとう」
彼の笑顔に明るさが戻ってきて私はホッとした。
時折彼は悲しそうな笑みを私に向けてくる。その顔が私の胸を締め付けてくるのだ。
「そうだ、すっかり忘れていた」
ルイスがポンと手をならすと自分の懐に手を入れた。
それから内ポケットから何かを取り出すと、手の中にそれを収めた。
「これをサクラに渡そうと思っていたんだった。」
「なに?」
私は彼の手の中を覗きこんだ。
ルイスはソッと手を開くと、その中には瑠璃色の石が輝く首飾りがのっていた。
「うわぁ綺麗!」
月明かりに反射して、キラキラとその断面を輝かせていた。
「秘色の石と言ってね、元は陶器などに使われている色で自然界ではあまり出来ない色らしいんだよ。本当に稀に見付かるこの石は、その色から空から落ちてきてしまった空石とも言われていて持つ者の元に空から幸せを落としてくれると言われているんだ。」
「そんな貴重なものを?」
私は視線をあげてルイスを見た。彼は優しく微笑んだ。
「前に約束しただろう。私もサクラに何か贈りたいと。遅くなってしまったけど、受け取っておくれ」
「嬉しい!あっ、でも私まだルイスに絵見せてないよ」
散々描いていたのに、まだ一枚もこれだという絵が仕上がらない。
「いいんだよ。出来上がったら見せておくれ」
「うん、それじゃあもう一度約束」
私は小指をルイスの前にぴょこんと出した。
「ん?」
ルイスはその指を不思議そうに見つめた。
「あっ、私の世界では約束するとき小指を結ぶんだよ。こうやって」
私はルイスの手をとると自分の小指と絡めた。
「ゆ~び切りげんまんっ♪」
それを小刻みに揺らして、指切りをした。
「指切った♪」
スパッと指を離すと、ルイスはきょとんと自分の小指を眺めた。
私は自分の小指を立たせたまま、満足げにルイスを見た。
「これで完了だね」
プッとまたルイスは面白そうに笑った。
どうやら彼は初めて体験することや、突拍子もないことが起こると笑ってしまうようだ。
私もそろそろ慣れてきた。
一頻り笑うと、ルイスはスクッと立ち上がり私の後ろに回り込んだ。
「髪をあげておくれ。着けてあげるよ」
「あっ、うん。ありがとう」
私は両手で髪をかきあげると、後ろから首飾りがかけられた。
首元でキラキラと品よく輝く空石。
私は着けてもらっている間それを見下ろした。不思議な色の石だ。
石がコツンと私の首にかかると、突然ルイスの両手がスッと目の前に現れた。そしてそのまま私を後ろからギュッと抱き締める。
「ル、ルイス!?」
私は手をあげたまま固まってしまった。
うなじにルイスが顔を埋める。
温かい彼の息がうなじをくすぐる。
「…………」
彼は黙ったまま腕に力を込めた。
彼が熱い息を吐いたので、私は背中からゾクッと震えそれに悶えた。
「本当に……私はどうしてしまったのだろうな」
ポツリとルイスが漏らした声は、私の耳には吐息のように聞こえてきた。
「………えっ」
私は絞り出すように声を出した。
体に力が入らない。
スゥっとルイスが腕の力を緩めて私から離れた。
私はドギマギと騒ぐ心臓と同調するかのように熱くなった顔を押さえた。
ルイスは私の前に立ちと、何事もなかったかのようににっこりと微笑んだ。
「うん、とてもよく似合ってるよ」
まだ頬の赤い私の首に下がっている空石を軽く持ち上げながら、彼は満足そうに笑った。
「あ、ありがとう」
そんな彼をまだまともに見れずにいた私もその石を見下ろした。
それから、チラッと視線をあげるとルイスとパチリっと目があった。
彼はいつものように微笑むと、石から手を離した。
「さぁもう遅い。部屋まで送ろう」
「うん、そうだね」
ソッとルイスに腰を押されて私達は中へと戻った。
その間も私の心臓は静まることなく鳴り続けていた。
この時私はまだ知らなかった。
月夜に隠された、彼等の小さな秘密を。