月夜の告白
「すごぉい!!本当に作っちゃったんだぁ!」
私はオルタナが持ってきたものを広げると、歓喜の声をあげた。
「あったりまえでしょ!あたしを誰だと思ってるのよ」
そんな私の賛美の言葉を誇らしげに体いっぱい浴びて、オルタナは鼻高々に出来上がったばかりのそれを見つめた。
私の看病疲れからか、オルタナはあれから泥のように眠ったかと思うと、私の部屋に毎日顔をだすものの私の無事を確認すると他の兵士に見張りをさせ自分はどこかへそそくさと消えてしまっていた。
そんな彼を不信に思いながらも、私の事を心底心配してくれた彼に少しぐらいは好きなことをさせてあげなくてはと私は部屋で大人しくしていた。
そして、ようやく彼が齷齪と部屋を行き来していた訳が明かされた。
「苦労したわぁ。あの絵とあのデロンデロンから形を作るの。でも出来栄えは今まで作った何よりもお気に入りよ」
「はははっ。」
デロンデロンと言われたあの格好を思い出し、私は声だけ笑ってみせた。
私が手にしているのは、オルタナが作り上げたこちらの世界の浴衣だ。
藤色の生地はコットンのように滑らかで肌触りがとても良かった。若干本物の浴衣よりは柔らかすぎる気もしたが、ここでそれを言ってしまったらぶち壊しだ。
裾の部分には私が描いた大輪の牡丹の華とその周りを飛び交う蝶が、繊細な刺繍で施されその存在感はとても幻想的な雰囲気をまとっていた。
「この華を作るのにすごく苦労したのよ。こっちの世界にはない種類の華だから」
オルタナは私が持ち上げた浴衣の裾を手にとって刺繍を愛しそうに撫でた。
「そうだったんだ。デザインは変えても良かったのに」
「そうはいかないわよ!あんたが思い浮かべたものを作りたかったんだから」
鼻息荒くオルタナが迫ってくる。
「あ、あぁそうだったの」
その勢いに私はちょっとたじろいだ。
「………あれ?」
身を少し引いて見てみると、その浴衣は少しばかりオルタナには小さいように見えた。
おはしょりをしなかったとしても、彼の長い足はその丈とは寸法が合わない。
「ねぇオルタナ、これちょっと短くない?これじゃあオルタナ着たらツンツルてんだよ」
「ツンツル……え?」
オルタナが変な顔をして首を傾げた。
「あっううん、えっと短すぎておかしくないかってこと」
話してる言葉は同じでも少し私の世界とこちらとではズレがあるようだ。
オルタナは納得したように頷いた。
「あぁ、いいのよそれはその長さで」
「えっ、でも変になっちゃうよ?」
「ならないわよ!失礼ねぇ。これはあんたの分なの」
浴衣を指差しながらオルタナは頬を膨らませて言った。
「えっ!これ私のなの?」
私は驚いて腕の中の浴衣をギュッと握った。
オルタナはその浴衣を助け出すかのように私から奪うと、そっと私に羽織らせた。
「ほぉらぴったり。あんたの白い肌にこれくらいの紫がちょうどぼんやりするからいいと思ったのよねぇ」
彼の言う通り、浴衣は私の背丈にぴったりだった。
身に付けてみると生地の藤色がより一層深みが出てきたように見える。
私は両手を広げて全身を鏡で見た。
人生で初めて自分のために作られた浴衣。
「綺麗。ありがとうオルタナ!」
「いいのよ。あたしのを作るついでだから。ちなみにあたしのはこれよ」
それを早く見せたくて我慢できなかったのか、オルタナは自分の浴衣を宙に舞うように広げた。
「……うわぁ」
「素敵でしょ?」
宙を舞ったそれは深い緑色の生地に、脇から裾にかけて一筋に大量の花が散りばめられたデザインだった。裾はもはや花畑状態だ。
私は自分の着ている物とあきらかに力の入れようの違うそれを見て、空しいような笑いが出た。
「すっごく派手だね」
言葉が不自然に棒読みになった。
しかし、声をかけられた方は全く気にする様子もなく自分の作った作品に惚れ惚れと見入っているいるようだ。
「派手で素敵でしょ?あたしの美しさを引き立てるならこれくらいじゃなきゃね。サクラはそれに比べれば、あんた自身が地味だから羨ましいわぁ」
「はははっ」
乾いた笑いがまた私から発せられた。
でもまぁ、私は自分用に作ってもらった浴衣の方が私らしいと思った。きっとオルタナの浴衣を着てみたら顔だけ浮いてしまうだろう。
羽織った浴衣をもう一度鏡で見る。
私が描いたものが形になる喜びと不思議な感覚がなんとも心地よかった。
汚してはいけないと思い、私は丁寧に浴衣を畳みテーブルに置いた。
テトがオルタナに押し付けられた用事から帰ったら保管してもらおう。
お祭りでこれを着るのが楽しみだ。
「あっ」
ふと、私はテトから言われたあることを思い出した。
ちょうどオルタナと二人だし話しておこうと彼を見ると、今だに自分の最高傑作をうっとりと眺めている。
「ねぇ、オルタナ」
「なによぉ」
彼はこちらを向かずに浴衣にご執心のようだ。
私は呆れながらも話を続けた。
「あのね、テトから聞いてからだいぶ経っちゃったんだけど、オルタナにちゃんとお礼言っておこうと思って」
「………お礼?」
ようやく彼は私の方に顔を向けた。
「うん。私がずっと眠ってままだった時、オルタナ寝ずに一緒にいてくれたじゃない?その時のこと」
「あぁ、それならもういいわよ。あたしもあの後からかっちゃったし、それでおあいこでしょ」
「それはそうなんだけど、それとは別のこともあるんだ」
「別の?」
オルタナは身に覚えがないらしく首を傾げた。
そんな彼を見上げて、私しか知らないあの日の事を彼に告げる。
「私ねあの時夢を見てたの。よく覚えてないんだけど、すごくモヤモヤした場所でフワフワ浮かんでるような夢だったの。いつまでもそこにいたかったんだけど、そんな私のね名前を誰かがずっと呼んでたんだ」
そこまで言うと、彼は何かをハッと思い出したかのように表情を変えた。
私は微笑みながらお礼を伝える。
「あれ、オルタナだったんだね。ちゃんと聞こえてたよ、オルタナの声。私多分オルタナに呼びかけられて起きられたんだと思うの。だから、ありがとうね。私のこと呼んでくれて」
感謝の気持ちを込めて、私は顔いっぱいに笑った。
彼が必死で呼び掛けてくれていたことをテトから聞いたとき、忘れてしまっていたあの夢の中の出来事がフワッと甦ってきたのだ。
きっとオルタナが私に声をかけてくれていなかったら、私はもっと長い間あの場所にいたのかもしれない。いや、もしかしたらもう二度と目を覚まさなかったという可能性もあっただろう。
「それから、キスして起こそうとしてくれたっていうのも聞いたよ。目が覚めたらオルタナが目の前にいてビックリしちゃった。だけど、あれはちゃんと好きな人にしないとダメだよ。無理して私なんかにしちゃなんかもったいないじゃない?オルタナが心から好きになった人にしてあげて。その気持ちだけ受け取っておくね」
彼はしばらく私のことを黙ってみていた。
それから何がおかしかったのか、クスクスと笑い始めた。
「えっ?なに?」
今度は私がキョトンとする番だ。
彼は口元に拳を当ててククッと声をつまらせて笑っている。
「もう、なに?」
そんな彼に私は頬を膨らませた。
お礼を伝えたつもりが、笑われてしまうなんて。
「あんたは、本当に。あたしの好きな人って、誰だかわかって言ってるの?」
オルタナは笑いを堪えるように話した。
私は当たり前のようにソウマの顔を思い浮かべた。オルタナの想い人なんて誰でも知っているではないか。
「…誰って、ソウマでしょ?」
分かりきった答えを返す。
それがなに?と私が訝しげに首をかしげるとオルタナはもう一度笑った。
「そうね。でも、あたしとソウマ様じゃキスなんてできないじゃない。」
「………あっ」
オルタナの言葉に私はすっかり忘れていた彼の性別を思い出した。
「…そっか」
私は何て言っていいのか分からなくなった。
この世界での恋愛事情は分からない。でもオルタナの話しっぷりからすると、こちらの世界でも男同士の恋愛が成就するのは珍しいものなようだ。
女がいないこの世界での恋愛の考え方は、私のいた所とは違うのだろうか。
私は笑っているオルタナを見た。
見た目も心も乙女な彼。
「オルタナはなんでソウマが好きなの?」
ふいに私は素朴な疑問を投げ掛けた。
オルタナとソウマでは正反対な気がずっとしていた。そんな二人にどんな接点があるのか。
「なんでって、そんなのソウマ様が、素敵だからに決まってるじゃない」
なんてことないようにオルタナは言った。
「素敵…まぁ、かっこいいと思うけど。なに考えてるか分かんないじゃん。しゃべらないし」
そこまで言ってハッと私は口を閉じた。
こんなこと言ったらオルタナは怒るかもしれない、そう思ったのだ。
しかし、オルタナは私の言葉には反応せずに「まぁそうねぇ」と何気なしに返してきた。
「ソウマ様はね、見た目も素敵だけど心がすごく綺麗なのよ。」
「心?」
オルタナは自分の胸に手を当てて、何かを思い出すかのように目を閉じた。
「そっ、ソウマ様はね初めてあたしというものを否定しないでくれた方なの。このままのあたしでいいって言ってくれた初めての人」
「ソウマが」
想像がつかなかった。ソウマとはろくに言葉を交わしたことがないからか、ルイスに忠誠を誓っているという以外は全くの未知数だ。
ルイス以外にはあまり興味を示さない、そんな印象さえ私は持っていた。
そんな彼が、オルタナを認めてくれた初めての人。
「今でこそあたしはこういう格好でいても誰も何も言わないけどね。昔はまぁちょっと違ったのよ。」
目を開けるとどこか悲しそうに彼は笑った。
彼にもきっと辛い過去があるのだろう、そんなことを容易に分かせるような顔だった。
彼の表情に私の胸の奥がピリッと痛んだ。
グッと勢いよく彼の手を握ると、オルタナは驚いたように揺れた。
「な、なによ!?」
「オルタナは、オルタナだよ」
「………はぁ?」
手を握りながら私は彼を見上げた。彼は眉を寄せて私の言葉の意味と表情を伺った。
「オルタナは美人だし、スタイルもいいし服だってすごく素敵だよ!そんな綺麗なデザイン他の誰かじゃできっこないもん。こんな私でさえ綺麗に変身させてくれるオルタナの手は本当にすごいよ!情熱的で口悪いけど仲間思いで。昔のことは私にはわかんないけど、今は私もオルタナのこと大好きだからね!だから」
そんな悲しそうに笑わないで。
そう言おうとして私は言葉に詰まってしまった。
何故か喉の奥にしょっぱいものを感じる。
オルタナは始めこそ驚いていたが、私の必死さに唖然としてそれから、優しく笑った。
「あんたは、一体何が言いたいのよ」
ポンっと私の頭に手を置くと、顔を覗きこんできた。
「お礼を言われたかと思ったら今度は慰めて、最終的に告白?支離滅裂って言葉知ってる?」
「………私も話してて意味わかんなくなっちゃった。」
「なによ、それ」
クスッと笑うとオルタナは私の頬をムギュとひっぱった。
「ヌッ!」
「…………」
彼はいつになく優しい顔で私を見つめた。
女の私ですら、ドキリとしてしまうほどの大人の女の色気がある目だ。
「…オフタラ?」
引っ張られた頬で言葉がしっかりと出ない。
彼はまたクスッと笑うと
「…………変な顔」
と言って、手を離してくれた。
私は引っ張られて赤くなった頬を撫でた。
オルタナは何がしたかったのだろう。
頬はピリピリと痛んだが、いつものオルタナの表情に戻った気がして私も頬を押さえながら微かに笑った。
「あああぁ!!」
穏やかな気持ちになったのもつかの間。
突然オルタナが迫力満点の声をあげた。
私は頬を押さえていた手で耳を塞ぎ、片目を瞑りながら彼を見た。
「どうしたの?」
オルタナは自分の浴衣を広げてわなわなと肩を震わせていた。
ただ事ではないのがまざまざと分かる。
「…………なによ、これぇ」
地を這うような低い声が部屋に響く。
私はそんな彼の肩越しから、恐る恐る手にしている浴衣を覗きこんだ。
…………。
特に何があるわけでもないように見える。
私の目には先程の印象と変わらずに、派手で美しい浴衣がはたはたと揺れている。
「………どうしたの?」
もう一度彼に声をかけてみる。
オルタナが暗い表情で振り替えったので、私はビクッと悪寒のようなものを走らせた。
「……どうしたって、これよこれ!」
彼はビッと裾の花畑の一角を突き刺すように指差して、その部分をグリグリと回した。
「えっ?なに?」
目を凝らすも私には何を指しているのか分からない。
「もう!これだってば!なによ、この花弁!全然ダメ!!この一枚のせいで印象最悪よ!」
彼が指差した花弁をジーっと見る。
よぉく目を凝らすと、微かに一枚の花弁の刺繍が他のものよりもぷっくりと大きくなっていた。
「よぉく見ないと分かんないよ」
私が素直にそう言っても、彼はもはや聞く耳を持ってはいなかった。
「ダメよだめよ!直さなきゃ、今すぐに!!」
ブツブツと呟くとその浴衣をテキパキと折り畳み、小脇に抱えた。
それから思い出したかのように、小さな紙袋をポコンと机の上に置いた。
「サクラ悪いんだけど、これクラウドのとこに届けておいて」
「えっ?今から?」
夕食を終えていたので、オルタナが帰ったらお風呂に行こうと思っていた。
外はもうすっかり夜の帳が下りている。
「あたし急いでるの。あたしの部屋とあのアホの部屋はここから逆方向なの。つまり、テトがいない今あんたに頼むしかないの。分かった?」
メチャクチャな言い分だったが、オルタナはそれを言うことすら煩わしい程に早く手にしているものを直したくて仕方がないようだった。
「………わかったよぉ」
私は渋々その紙袋を手に取ると、オルタナと一緒に部屋を出た。
「それじゃ頼んだわよ!」
言うが早いか、オルタナは自分の部屋に消えていってしまった。
残された私は、一人小さくため息を吐くとクラウドの部屋に向かって歩き出した。
部屋の外はもうすっかり夜に包まれていた。
この前一人で歩いたときよりはだいぶ早い時間だが、蝋燭の灯りしかないこの世界の夜は常に暗く静かだ。
時折すれ違う使用人にクラウドへの届け物を託そうかとも思ったが、もし何かの手違いで届かなかったときを考えると声をかけずに歩いた。雷が二つも落ちてくるのは絶対に避けたい。
依然オルタナに付き添われて歩いたときは果てしなく長い道のりに感じたのに、実際は私とクラウドの部屋は他の誰の部屋よりも近くに位置していた。
扉の前に立つと、自分が変に緊張しているのに気づく。
ここに来るのはあの日以来だ。
クラウドはもう体の傷も癒えたとテトから聞いていた。
しかし、動かずにいた為に私程ではないが筋力が衰えたようで毎日体を鍛え直していると。
汗ばむ手を握り、コンコンと彼の部屋の扉を叩く。
応答なし。
「…………あれ?」
しばらく待ったが部屋の中に動きはない。
いないのかな……?
私は汗ばんでいた手のひらを何度か開いて乾かした。
緊張した自分がなんだかバカらしくなる。
フツっと沸き上がったその気持ちを込めて、今度はさっきよりも大きく扉を叩く。
やはり応答なし。
「…………どうしよう」
私はしばらくその場に立ち尽くしてしまった。
今夜中に必要なものなのかな。
私は腕の中の紙袋を見下ろす。
まさかここにこれをポツンと置き去りにするわけにもいかないし。
一回部屋に戻ってまたくるのは、面倒だし。
かといって夕方からオルタナにこきつかわれていたテトに頼むのも忍びない。
「ん~…」
扉の前で考え込んでいると
「……何やってんだ、お前」
「うわっ!!」
突然後ろから声をかけられて、私は飛び上がりそうになった。
その声に振り替えると、首にタオルをかけうっすら髪が濡れたクラウドが立っていた。
私は胸を押さえながら彼を睨んだ。
「ちょっと、ビックリさせないでよ」
「はぁ?勝手にビビったのはそっちだろうが」
「なっ、ひどい!」
彼はめんどくさそうに目を細めて軽くあしらう。
「で、何してんだよ人の部屋の前で」
私がまた何か言い出す前に、彼は扉に手をかけながら私を見た。
「あっ、そうだった」
私はオルタナから預かっていた紙袋を乱暴にクラウドに差し出す。
「これオルタナから頼まれたの」
「あぁあいつからか。頼んでたの忘れてた」
じゃあ急ぐことなかった。と心の中で文句を言いながら、彼にそれを手渡す。
クラウドは受けとるとその場で中身をガサゴソと確認して、チラッと私を見た。
「…なに?」
「お前時間あるか?」
唐突な質問だ。
「えっ、うん。別にあるよ」
お風呂に入ろうと思ってたが、特に急いで入る必要もない。ここでは旅館のようにいつ行っても温かな湯が用意されている。
「よしっ、じゃあちょっと付き合え」
彼はそう言うと部屋とは反対に歩き出して行った。
「えっちょっと!」
彼はそれ以上黙ったままズンズンと先を歩いていってしまう。
私は少しむくれたが、振り向く様子のない彼の背中を向かって小走りで駆け出した。
キィーと小さな音をたててバルコニーに続く扉を開く。
生ぬるい風が部屋の中にフワッと舞い降りていく。
私はクラウドの後に続いてバルコニーに出た。
そこは蝋燭の灯りがつけられておらず、その代わりに煌々と大地に降り注ぐ月明かりによって照らさせていた。
「綺麗なとこだね」
私は手すりから身を乗り出して周りの景色を眺めた。
月明かりのおかげで、夜にも関わらず城の庭が一望できた。
その青白い光のせいで、昼間とは違う幻想的な景色が広がっている。
「今年は月の光方がいつもとは違っててな。まだ半分しかないっていうのに夜でも雲がなけりゃこんだけ明るいんだ」
クラウドも手すりにもたれ掛かりながら空を見上げる。
空には上弦の月がその輝きを空一面に惜しみ無く広げている。
「こんなに月が輝いて、あっという間に形を変えるのは何かの前触れかもしれないって言ってる奴もいる。この分だと祭りの日には満月が重なるだろうな」
「そんなに早く変わるの?」
祭りの日は3日後だ。この上弦の月から満月になるまでがそんなに短いなんて。
「だから皆騒いでんだろ。まっ、俺としては騒ぐほどのことじゃねぇと思ってるけどな」
他人事のように言い放つと、彼は私が渡した紙袋の中にゴソゴソと手に突っ込んだ。
私はもう一度空を見上げる。
こんなに綺麗な月なのに、その移り変わりである一部の人にしてみれば気味が悪いものととらえれてしまうなんて。
キュッとクラウドが瓶の蓋を外す音がバルコニーに響いた。
月から彼に視線を移すと、クラウドは小さな酒瓶を口にあてていた。
「あっ、オルタナからのってお酒だったの?」
コポンっと中身が彼の口の中に落とされてから、クラウドは頷いた。
「怪我人がお酒なんて飲んでいいの?」
眉を寄せて私は彼に近づいた。
ブランデーのような甘い香りが瓶から漏れ出している。
「いいんだよ。それに怪我なんかとっくに治ってる」
そう言うとまた一口コポンと口に放り込んだ。
「本当にいいのぉ?」
私は訝しげに眉を寄せ、彼の顔を覗きこんだ。
見た目こそ包帯は取れて今では元の彼に見えるが、あれだけの怪我をしておきながら一週間やそこらで完治するとは到底思えなかった。
クラウドは口に瓶をくわえたまま、私の視線からチラッと目を反らした。
「ほら!やっぱり、ダメなんでしょ?ルイスに言いつけてやるんだから」
「ばっばか、お前!そんなことしたら俺がマクリナにネチネチ説教されちまうだろうが!」
慌ててクラウドが口から瓶を外す。
なるほど、ここでの説教役はマクリナなのか。
彼なら平気で二時間ぐらい延々と嫌味を織り混ぜながらお説教ができるだろう。
その場面が想像できて、私はにやけてしまった。
「じゃあ直接マクリナに言った方が早いね」
「………お前なぁ」
クラウドは肩をガクンと落としてそう洩らした。
私はなんだか彼の弱味を握ったような気分になり、勝ち誇ったように彼と同じように手すりにもたれ掛かった。
次の瞬間
「隙あり!」
肩を落としていたクラウドが、ガポッと私の口に瓶を押し付けると中から甘ったるい酒が口の中に流れ込んできた。
私はあまりの衝撃になす術もなく、なんの抵抗も流れを止めることも出来ずに、そのままゴクンとそれを丸っと飲み込んだ。
「……ゲホッゲホッ」
一緒に喉の奥に落ちていった空気のせいで、一瞬遅れて甘ったるい咳が上ってきた。
「…なにすんのよ」
口元に付いた滴を指で拭いながら、クラウドに顔を向けると彼はニタリと笑っていた。
「お前も共犯だな」
悪い顔だ。
無理矢理飲ませておいて共犯者呼ばわりされてしまうとは。
私は体を起こすと無言で右手を彼に差し出した。
「なんだよ?」
その手を見つめながら彼が呟く。
「………私も飲むの。共犯なんでしょ?」
私はプウッと頬を膨らませながら吐き捨てた。
あんな風に丸飲みでは酒の味など分からない。
そんな私の様子にクラウドはキョトンとしていたが、やがて声をあげて笑った。
「お前、変な奴だな。」
「なによそれ。あんなんじゃお酒の味が分かんないじゃない。」
「へぇー意外だな。お前酒飲めるんだな」
「こっちに来る前はバー……お酒を扱ってるところでも働いたことあるのよ」
学費を稼ぐために昼夜を問わず働いていた時期があった。その時にある程度の酒の知識と味は身に付けたつもりだ。
「ふぅーん」
興味なさげに私の話を聞いて彼はまた瓶に口をつけた。
「飲んでもいいけどな、マクリナには黙っとけよ」
そう念を押して手にしていた瓶を私に手渡した。
「はいはい」
相当マクリナのお説教がいやなんだなぁと思いながら、私はその甘ったるい酒を今度は味を楽しむために口に流し込む。
と、唇に瓶を当てる直前で私の手はピタッと止まった。このタイミングである事が頭に浮かび上がってしまった。
これって、間接…………。
いやいや、そこはそういう考え方をするのはもう古いだろう。
それにクラウドにしてみればそんなもの何でもない、意識する方が馬鹿馬鹿しいものだと思っていることだろう。
ようは私だけの問題だ。
これを意識するかしないかなんて。
だいたい、この程度を意識するような年でもないし。
私はほんの数秒間にあれやこれやと言い訳を自分に言ってから、手首に力を加えてコクンと酒を口に含んだ。
酒独特の甘い香りが鼻に抜ける。
度数が強いらしく舌が少しビリビリしたが、不思議と体を和らげていく味だった。
と、思ったのも束の間。一気に体がボッと中から熱くなった。度数がどうこうという問題ではない。
私は一瞬にして顔が真っ赤になってしまったのではないかと思うほど熱を持った頬を片手で覆った。
「続けざまに飲むからだ。」
呆れた顔でクラウドが私の手から瓶を抜き取る。
今までに飲んだことのあるどれとも違う衝撃だ。
酔うほどではなかったが、これ以上は危険だ。
「よく平気で飲めるね」
パタパタと顔を扇ぎながら瓶に口をつけるクラウドを見上げた。
少しだけ視界がぼやけている。
「こいつは俺の家で父親が飲んでたのと同じなんだ。ガキの頃からちょこちょこ隠れて飲んでたからな。こいつはいつもオルタナが調合してたから、あいつにしか作れない酒なんだよ。」
「……えっ?オルタナがなんで?」
なぜクラウドの家のお酒をオルタナが作っているのだろう?
「あぁ、お前には話してなかったか。俺とあいつは兄弟なんだ」
「えっ?えぇ!!」
自分の声がキーンと頭に響いた。
クラウドも私側の耳を手で塞いで顔を歪めた。
「うるせぇよ。」
「兄弟って、この世界でありえるの!?」
自然に生まれるわけではないこの世界の人達には、そういう関係はないのだと勝手に思っていた。
「当たり前だろうが。その家に最初にいた奴が兄貴で後から来たのが弟。それだけのことだろ」
「………どっちがお兄ちゃんなの?」
私の目からはどちらも同じくらいの年に見える。
クラウドはしばらく口を閉ざしていたが
「…………………あっちだ」
と、ボソッと呟いた。
「へぇ~クラウドって弟なんだ」
「なんだよ、悪いのかよ」
思ったことを口にしただけだったのだが、彼にとっては弟ということは気に入らないことのようで、ムスッとしなが酒を煽った。
「別に悪いなんて言ってないでしょ。すぐ怒るんだから」
「お前が癪に触るようなこと言うからだろ」
「言ってないでしょ!そっちが勝手に突っかかってくるんじゃない」
「そういうとこだろ。ったく、お前といると調子狂うんだよ」
「じゃあいなきゃいいでしょ。一人で飲めばよかったじゃない」
フンッと顔をクラウドとは反対方向に背ける。
何故いつもこうなってしまうのか。
つい頭で考えるよりも先に口が憎まれ口を放ってしまう。
私が放った言葉を最後にその場はシンっと静まり返ってしまった。
気まずい空気が辺りを包む。
そろそろ、戻ろうかな。
その空気に耐えられなくなり、私は黙って手すりから身を離した。
「待てよ」
歩き出そうとした私の手首をクラウドがギュッと掴まえた。
「……なに?」
不意打ちに掴まれた部分から熱が上がる。
私は振り向かずに答えた。
「……悪い。こんな風にするつもりじゃなかったんだ。お前にちゃんと、礼を言いたかっただけなんだ」
クラウドの声がいつもより低く聞こえる。
「こんな話しお前にしたってなんの意味もないかもしれないけど、俺は」
そこでクラウドは言葉を静かに切った。
「俺は、いつ死んでもいいと思ってたんだ」
「……えっ」
唐突な彼の言葉に私は体を硬直させた。
死んでもいい?
私の変化など気付いていないのか、はたまた気付いていながらも口火を切ったそれを彼は止めようとはしなかった。
「部下にも俺がダメになったら放っておけと伝えてあった。見捨てる勇気を持てなんて偉そうなことも言ってた。戦場とはそういうものだってな。」
「…でも、結局はそうやって自分を奮い立たせねぇと………怖くて戦えなくなりそうだっただけなんだけどな。」
私は彼のその言葉に顔をあげた。
振り返って彼の表情を確かめたかった。
けれどもそれを拒むかのように彼は掴んだ私の手首に力を込める
。
彼の手は少しだけ震えていた。
「それなのに、あの日、本気で死ぬって分かった瞬間………怖くて怖くて仕方なかった。体はいてぇし寒いし、段々と視界が狭くなっていって、自分がどうなっちまったのかすら分からなかった。ただ、…あぁもう俺はダメなんだってことはどっかで考えてたな。頭の中の自分は驚くほど冷静で、その恐怖を受け入れようとしてた。」
私の脳裏にあの日の彼の姿が甦る。
思い出したくない彼の姿が。
「耳も聞こえなくなってたのによ、なんでかお前の声が聞こえた気がして。どうやってって入らなかった瞼に力を込めたら、お前の姿だけ見えたんだ。夢かと思った。あぁ、最期に見る夢がお前の夢なんだなぁって。そしたら、なんの感触もなかった俺の手が急に温かな何かに濡れてきた。」
彼はそこまで言うと私の体を反転させた。
私はうっすらと泣いていた。
そんな私を見て、クラウドは小さく笑った。
想像通りの顔をしていたと言うような顔を。
「あの時もお前は泣いてたな。……お前が俺を必要としてくれた。お前のこの小さな手で救ってくれた。それだけで俺に生きる意味を与えてくれたんだ。」
キュッと彼の手が私の手を包んでくれる。
暖かくて、大きくて、傷付いた彼の手。
「正直お前に何をしてやれるかはわかんねぇ。けど、お前が俺を必要とする限り俺は………」
月明かりに照らされる彼が、私をまっすぐに見つめている。
「サクラ、お前の側にいる。」
不器用に私の名を呼ぶ彼を見て、私の頬を涙がつたっていく。
あの日私の名前を初めて呼んでくれた彼。
あれは最期の力を振り絞るような弱々しいものだった。
しかし、今目の前にいる彼は違う。
私の側にいてくれると言った。
強くて温かい彼だ。
私は自分で涙を拭うと、一度だけ頷いた。
「……生きててくれて良かった」
心からの言葉だった。
憎まれ口を叩いたり、お説教をされたり、すれ違うことの方が多いけどそれすらも二人の距離なのだと思える。
ぶつかり合うのに、彼がいなくなってしまったら私の心の穴はもう埋まることがないような気がする。
すぐ側にある彼の顔を見上げると、月明かりを背に彼はうっすらと微笑んでいた。
優しい顔だ。
その表情に私の胸はトクンッと高鳴った。
なんて愛しいそうな目を向けてくるのだろうか。
私は彼のその視線から思わず目を反らしてしまった。見つめられたその瞳は体の奥から私を熱くしてしまう。
しかし、クラウドがそれを逃してはくれなかった。
スッと私の頬に手を添えると、私の顔を自分の方にゆっくりと向ける。
私は赤らんだ顔で目を見開いていたに違いない。
「お前は不思議な奴だな。側にいればつい言いたい放題言っちまうのに、離れているとお前のことばかり考えてる。本当に調子狂っちまうぜ。……こんな風に誰かが俺の中に住みついちまったことなんか今まで一度もなかったはずなのに。」
クラウドの頬が微かに赤いような気がした。
絡み合う視線が熱い。
「お前は、温かいな」
私の鼓動は止めどなく動きを増していく。
「サクラ……俺は」
クラウドが何かを言いかけたとき
キィー
バルコニーの扉が音をたてて開いた。