目覚めたチカラと隠されたチカラ
お昼を過ぎた辺りに、マクリナがイーヴァを連れて部屋を訪ねてきた。
私がベットから起き上がろうとすると、マクリナはそれを片手で制止した。
「そのままで、どうぞ楽にしていてください」
「ありがとうございます」
私はお言葉に甘えて、ベットの上に腰を下ろした。
テトが二人用に椅子をベットの脇につける。
「ご飯はちゃんと食べたのかだぞ?」
「実はあんまり。なんか食べようとしても胃が受け付けなくて」
「そうでしょうね。急にはおそらく胃もビックリしてしまいますね」
「ミルクを温めてもらったからそれだけは飲めたよ。ありがとうイーヴァ心配してくれて」
心配そうに私の膝の上に飛んできたイーヴァも、空になっているカップを見て少しだけ安心したように笑った。
「それで、お聞きになりたい事というのは?」
早速マクリナが本題に入った。
私が彼を部屋に呼んだ時点で、彼も何を聞かれるのか分かっているはずだ。あえて私にそう聞いてくるのは、本当にマクリナらしい。常に相手がどう動くのかを観察したいのだ。
「全部です。あの日あったことも、クラウドの起こったことも、それからアシャの人達が使う毒の事も。全て知りたいの」
私はあの日たしかにこの世界の見えていなかった部分を見てしまった。そして、今日もまた一つ。
尚更分からないことが多くなったし、それに自分も関わってしまっていることを改めて自覚した。
もう他人事ではない。
マクリナは真剣な顔の私をジッと見てきた。
眼鏡の奥の瞳が何を考えているのか分からない。
この人の奥底には一体何があるのだろうか。
やがて、彼の表情がふっと和らいだ。
「サクラ様はこの何日かでメキメキと成長されていますね。分かりました。少し長くなるかもしれませんが、お話ししましょう」
私は彼の浮かべた微笑みの意味が掴めなかったが、やっと少しだけ彼に認められた気がした。
「順を追って説明していきます。まずは、あの日何があったかということから。あの前の日にソウマとクラウドが向かったのは、ここより北の地にあるトラットという村です。そこはルミエールの武器となる鉱石を採掘している村でした。小さな村で村民全員が採掘の仕事をして暮らしているようなのどかな村でした。しかし、先日そのトラットからアシャの者が近頃村の周りをうろついているとの連絡が入り、そこで第一、第二騎士団がトラット防衛の為向かったのです。しかし、村に着いた彼等を待ち受けていたのは助けを求める村民ではなく、アシャの軍隊だったようです。」
話の邪魔にならないよう静かにテトが私たちにお茶を淹れてくれた。
私はその湯気を見ながら、マクリナの話している内容を頭の中で思い浮かべてみた。
それは、あまりにも残酷な描写だった。
「予想をしていなかったわけではありませんでした。しかし、トラットから連絡を受けてからあまりにもあっという間に制圧されてしまっていて、そのケースは最悪の場合という最も低い予想だったのです。……結果、我軍は奴等の餌食となり逃げることで精一杯だったようです。先陣を切って逃げ道を確保したのがソウマ。そして、後方で敵と戦い兵士が逃げ切るまで奴等を食い止めていたのがクラウドだと聞いています。そして、粗方の兵士の無事を確認したソウマが後方に戻ると、クラウドが無惨な姿で地面に転がっていたとのことでした。彼は最後まで必死だったようで、彼の周りには数えきれないほどのアシャの兵士達の骸も同じように転がっていたと」
マクリナはそこまで話してから、紅茶に口をつけた。
私もカップを持ち上げてはみたものの、到底何かを口にすることなどできるわけもなくカチャリとカップを皿に戻した。
なんて、なんて過酷な世界でクラウドは生きているのだと、マクリナの話を聞くうちにその存在が異様に遠いものに思えてしまった。
いつ命を落とすかも分からない。それなのに、その現実に背を向けることなく戦っている。
あんなにも傷だらけで。
先程部屋で会った包帯だらけのクラウドの姿が思い浮かんできた。
「城に戻ったソウマはクラウドを担いであの部屋に訪れました。その頃にはもうクラウドは息をしているのか、死んでいるのかも分からない程だったそうです。」
「………でも、あの時ソウマもすごく血塗れで」
入ってきたソウマは全身血で覆われていた。いくら頑丈そうな彼でも、あれほどの出血をしていて平気なはずはない。
私の疑問にマクリナは頭を振った。
「ソウマの傷は全てさほど深いものではありませんでした。」
「でも」
「あれは、全てクラウドのものです。」
ぞくっと背中に寒気が走った。
クラウドを背負っていたあの大柄なソウマをも覆い尽くしてしまうほどの血液。
どれほどまでに深く切り裂けば、あんなにも大量の血液が体外に流れ出ていくのだろう。
自分から全て聞きたいと言いながら、私の顔は徐々に血の気がなくなっていった。
しかし、マクリナは私が止めるまで話を進めてくれるだろう。
「私は一目見てクラウドはもうダメだと思いました。何故捨て置いて来なかったのかとソウマを批難しようとさえ思いました。」
「なっ!」
なんていうことを!
私はマクリナのその一言が許せなかった。
彼を睨み付けるように顔を上げると、彼は私のその表情を予想していたかのように真っ直ぐ受け止めた。
「そう思うのには理由があるのです。サクラ様、覚えていらっしゃいますか?あの日私がサクラ様を負傷兵から遠ざけようとした事を。」
「……はい。」
何か理由があるにしても、私は彼を許すことはできないだろうと思った。
あんなになるまで戦った仲間を捨ててきた方がいいなどと言える彼が。
「…たしか、オルタナにアシャの放つ気がどうとか言われたような」
「そうです。もうサクラ様も何度か耳にされていると思いますが、負傷した者達にはアシャの放つ気でできた『獣の血』が入り込んでしまっていたのです。」
「それって一体。」
「獣の血というのは、我々獣人の血液のことです。つまりは、私にもクラウドにも流れている血のことです。」
マクリナは自分の胸に手を当てながら話した。
「私達の血液の中には、私達の元となる獣の血が少しずつ混じっております。しかしその量は微量で殆ど体には害を与えないものです。ですが、アシャの者達のものは異なります。彼等は姿形も獣に近く、そしてその流れている血も濃い獣のものなのです。」
「それが、毒だと?」
「そうです。彼等は戦いの前、自分の刃に自らの血液を塗り付けるそうです。より濃い獣の血を戦った相手の体内に植え付けるために。私達人間寄りの獣人は、その濃い獣の血に耐えられるような体の造りをしておりません。つまりは、体の中から獣に侵されてしまうのです。」
「植え付けられた人は、どうなるの?」
「その血液の影響でゆっくりではありますがどんどん体が獣に近付いていきます。内、多くの者がその過程で変化に体が耐えられなくなり命を落とします。先程も言いましたが、私達の体は濃い獣の血には耐えることができません。血管が腐るもしくは、爆発し死に至らしめます。」
「………そんな」
「もし体がその変化に耐えられたとしても、今度は精神が侵されていきます。体は獣となり、精神も崩壊。獣本来の欲を持ち、秩序を乱し、そして、やがて駆除される側になります。何より厄介なことは、その負傷した者の血が獣の血に染まりきってしまってからです。クラウドがそのいい例ですね。彼の傷は何故塞がらなかったと思いますか?」
「……傷が深かったからじゃないの?」
「彼の傷は胸に負ったもの以外は全てそこまで大したものではありません。しかし、数が問題でした。無数に受けた傷口から入り込んだ獣の血は、凄まじい早さで彼の体を汚染していきました。その結果彼の血管は傷つき、そして再生するはずの細胞は腐敗し傷口が塞がらなくなってしまったのです。彼はあの場に来た時点でもう獣として覚醒し始めていたということです。」
獣に覚醒
その言葉が私にはピンと来なかった。
あの日のクラウドはたしかにボロボロで変わり果てた姿だった。
しかし、その姿は紛れもなくクラウドそのものだった。どこも獣の姿などしていなかったはずだ。
それに、もしそれが本当なら今のクラウドはもう獣ということなのだろうか。
私の涙を拭き、優しい言葉をかけ、いつもと変わらずに憎まれ口をたたいていた彼が。
私の考えていることが読めるのか、マクリナは答えるように続けて話した。
「しかし、彼は今も変わらずに生きております。しかも驚くことに、体内で彼を苦しめていたはずのアシャの獣の血が消えてしまっておりました。」
「消えた!?そんなことって」
「えぇ、今まで一度たりともこのようなことはありませんでした。アシャの獣の血に侵されてしまった者は、その患部を切り落とすことでその血を全身に巡らせるのを防ぐしか方法はなかったはずなのです。それなのに、彼は全身の隅々まで行き渡ってしまったはずのそれが忽然と消えてしまった。………そして、驚くことにその現象は彼だけではなく、あの日その場にいた負傷した全ての兵士の身に起こったのです。」
「それじゃあ、皆助かったっていうこと?」
「はい、その日に獣の血に染められた者は助かりまた。あれだけの数の兵が助かったのは、本当に奇跡としか言いようがありません。」
「そっか」
私は胸をそっと撫で下ろした。
あの日に見た傷付いた兵士達が助かったのが何よりも嬉しかった。
ようやく私は手にしていた紅茶を一口口に含んだ。
いつもよりミルクを濃い目に淹れてくれている。
テトの心遣いに自然と笑みがこぼれる。
ふと、マクリナが黙り混んでこちらを見ていることに気が付いた。
「……なに?」
まだ話は終わっていないはずなのに、彼の口は何故か開こうとしない。
彼は何かを考えているようだった。頭の中で話すことをまとめているのか、それとも自分の考えが本当に正しいものなのか自問自答をしているのか。ただ、黙って私を見ていた。
「おかわりはいかがですか?」
重たい空気を立ち切ったのは、意外にもテトだった。
私のカップを手で指し優しく微笑んで話し掛けてくれた。
「あっ、うん。ありがとう」
彼はカップを受け取ると優雅な手付きで紅茶を注いでいく。
それから、マクリナとイーヴァの分も継ぎそっと部屋の隅に戻っていった。
熱い紅茶を一口飲み込みマクリナがまた話始めた。
その声はどこか慎重だった。
「サクラ様のお体は今なんの変化もありませんか?」
「うん。さっき先生にも診てもらったけど」
パッと頭の中に先程の狸の顔が浮かんだ。
きっと、あれが獣の血によるものなのだろう。
私は背中に走ったゾワッとしたものを隠しながら続ける。
「何ともないって言われたよ」
「そうですか……」
彼の声はどこか曇っている。
私はそんな彼が不思議になった。
「…マクリナ、なんでそこまでその事を聞いてくるの?本当に私体はもうどこもなんともないよ」
「………サクラ様は純粋な人間にございます。それ故に獣の血に対しての免疫は皆無。触れただけでその身は汚されてしまうはずなのです。」
マクリナの声が固い。
「……私の体が?」
自分の両手を見た。
いつもと変わらない手。
「はい。以前に人間に近い獣人が生まれたことがありました。その子供は傷付いた兵士に触れた瞬間、その手がパラパラとまるで砂の塊が割れたかのように崩れてなくなってしまったのです。」
「まさか!」
私は両手で口を覆った。
人の体がそんな風に壊れてしまうなんて考えられない。
マクリナは首を振って自分の言葉を肯定させた。
「ですからサクラ様のお体になんの異変もないことが不思議なのです。あれほどにクラウドの血を浴びていたはずのサクラ様が。」
「………で、でもクラウドは最初から獣の血っていうのに侵されてなかったってことじゃないの?だから、今もこうして生きていられるとか」
私は何故か早口になっていた。捲し立てるようにマクリナに言う。
「残念ながらそれはありえません。我々の鼻はその臭いを嗅ぎ分けられます。ましてやクラウドぐらいの濃さとなれば分からないわけがありません。」
「だけど、私は平気だったわけだし。それにクラウドだって」
彼だって今もどこも変わってなんていない。
「………あの日、サクラ様がお使いになられた『力』が関係しているものと思われます。」
「…………私の力?」
その言葉に私はキョトンとしてしまった。
私が何かをした覚えなど全くない。
クラウドにも似たようなことを言われた。
私が彼を助けたと。
それに対しても何も覚えていない。
あの時は、ただただ絶望的な真っ暗な気持ちの中に沈み混んでいくような、そんな印象しか残っていなかった。
私はマクリナの言葉を待った。
私には身に覚えのない話だった。
「ここからは私があの日見たものから推測した話も織り混ぜます。」
マクリナはそっと眼鏡を直した。
「あの日、サクラ様はクラウドの死を見届けられました。もしかしたら微かに生きていたのかもしれませんが、それでも蝕まれた体が朽ち果てるのは時間の問題でした。目の前で体験した誰かの死によって、サクラ様の力は目覚めたものと思われます。その時の心の傷と力を使った衝撃で記憶が混乱しているのでしょう。」
「私の力って、一体なんなんですか」
マクリナが言葉を切る。
私は自分の唾を飲み込む音が聞こえる。
「…………アシャの獣の血を消し去る力です」
彼の言葉に私は目を見開いた。
マクリナの言ったことを文字にして、それを頭の中で読み上げる。
アシャノケモノノチヲケシサルチカラデス
「………そんなことが」
やっと出た私の言葉は、彼から言われたことにたいして否定的なものだった。
「だって、私何もしてないんだよ。記憶は曖昧だけど……でもそんなこと……できはず」
次第に声が小さくなる。
自分の言葉に責任が持てない。
混乱する私を見て、マクリナは少しだけ穏やかな表情を見せた。
「サクラ様。あなたは異能の力を与えられた龍の巫女様です。混乱するのも分かりますが、これはとても素晴らしい力なのですよ。あの日、あなたは多くの者をお救いになられました。クラウドもその他の兵士達も。アシャとの戦いでは傷による死ではなく、その血による死の方が私達を苦しめていたのです。しかし、サクラ様のお力があればそれももはや恐れるものではありません。」
そして、ソッと私の手をとった。
「あなた様がいてくだされば、この国はアシャに勝つことができます。サクラ様は来るべくしてこの国に来られたのです。どうか我らにそのお力をお貸しください。」
初めて握られた彼の手は、その言葉同様とても力強かった。
私は今だ混乱していたが、彼の言葉の節々にある敬意が少しずつ体を解していく。
私が兵士を助けてあげられた。
あの場にいた兵士達を、獣の血の恐怖から救って上げることができた。
何をしたのかは分からない。
でも、誰かの役に立てた。
それだけで私の中で何かが満たされていった。
私は握られた手を見詰めながら呟いた。
「……本当に、私が役に立てたの?」
マクリナは優しく頷いた。
「実感ないのに?」
「無理もありません。あの日は誰もが不思議な体験したのですから。しかし、それも全てサクラ様のお力です。これから少しずつ実感していけばいいのですよ。」
彼はいつになく優しかった。
私を安心させるよう、私に自信を持たせるよう言葉を選んでくれている。
私はまだ半信半疑な部分を残しながらも、マクリナの言葉を受け入れた。
「私で力になれるのなら」
呟いた私の言葉にマクリナは満足そうに頷いた。
「ありがとうございます。長々と話してしまいましたね。お疲れのところ申し訳ございません。」
「ううん。こちらこそ忙しいところ来てもらっちゃってごめんなさい」
「サクラ様にこちらの世界の事をお伝えするのも私の勤めでございますので。では私はこれで失礼します。兵士達から話を聞かなくてはならないので」
そう言うとマクリナは立ち上がり、頭を下げた。
「イーヴァはまだここにいるぞ」
それまで大人しくしていたイーヴァは私のベットの上に舞い降りた。
「じゃあおしゃべりに付き合ってね」
堅苦しかったマクリナとの話を終えて、私は肩の力をふっと抜いた。
「イーヴァあまりサクラ様に無理をさせてはいけませんよ。」
「心配ないんだぞ、父様」
イーヴァはマクリナに向かって大きく頷いてみせた。
そんなイーヴァにマクリナは苦笑しながら部屋を出ようとした。
その時、私はふいに一つの疑問が頭に浮かんだ。
「ねぇ、マクリナ」
「なんでしょうか」
開きかけた扉を片手に彼はにこやかに振り返った。
「ごめんね。最後に一個だけ聞きたかったんだけど、私の力がアシャの獣の血を消すものだとしたらあの時クラウドは…その、生きてたってことだよね?」
私は少し言葉につまりながら彼にそう訊いた。
クラウドはあの時事切れてはいなかった。その事実を確認したかった、ただそれだけだった。
マクリナは一瞬
本当に一瞬、サクラが気付かない程に顔を曇らせると、またにこやかに彼女の方を向いた。
「そうなりますね」
「……そっか、良かった。ありがとう」
「いえ、では失礼します。」
パタリと扉が閉まり、テトがマクリナのカップをカチャカチャと下げ始める。
イーヴァはずっと我慢していたのか、テーブルの上に用意されていたクッキーに手を伸ばす。
そんな光景に微笑みながら、サクラは妙な違和感を最後に感じてしまった。
マクリナのあの簡潔な答えだ。
説明好きの彼がたった一言だけ、何も付け足さずに答えた事がどこか引っ掛かってしまった。
しかし、サクラは考えすぎだろうと頭を振った。
彼も急いでいただけだ。そういう風に答えるときだってあるし、変に付け足す必要もなかっただけのことだろうと。
それからその日はイーヴァと楽しい時間を過ごした。
そんな違和感など、その日のうちにどこかへ消えてしまっていた。