対面
足が思うように動かなかった。
どうやら痺れていたのは頭だけではなかったらしい。3日動かさなかった体は、まるで別人のように重かった。
私はノロノロとオルタナに手をとられながら廊下を歩いた。
途中何度もオルタナに「今じゃない方がいいんじゃない?」と諭されたが、私は頑なに首を振り続けた。
どうせこんなモヤモヤした気持ちのままでは休まるものも休まらない。
それは、クラウドの部屋にいるとマクリナは言っていた。
彼はテトに頼んだ医師が部屋に来たときの為に、私の部屋に残っている。
出来るだけ早く戻るようにとオルタナに念を押していた。
私の胸は締め付けられるように苦しかった。
今こうして向かっている先には、私が望まないものがあるというのに。それでも、自らの足で向かわなくてはならない。
唇を噛んで沈みそうになる気持ちを奮い立たせる。
クラウドの部屋にようやく着いた。
果てしなく長い長い廊下だった。
「………大丈夫?」
オルタナが再度私のことを気にしてくれる。
拳を握りしめ、頷く。
「…大丈夫」
「………そう」
彼は静かに呟くと、扉をノックした。
すぐに、中から見慣れない使用人が顔を出す。
彼は私達を見ると深くお辞儀をし、ゆっくりと扉を開いてくれた。
心臓が激しく鳴り響く。
「あっ、サクラもお見舞いに来たんだぞ」
……………えっ……?
開かれた扉の中で、一番初めに私の目がとらえたのは、パタパタと部屋の中を飛んでいたイーヴァの姿だった。
イーヴァは両手いっぱいに花を抱え、私達の方を振り返っていた。
私は想像していた光景とあまりにも違う、その穏やかなイーヴァの姿にポカンっとその場に立ち尽くしてしまった。
「ん?サクラ?どうしたんだぞ?」
イーヴァが目の前まで来て、私の両目を交互に見た。
ハッと我に返ると、イーヴァの姿を左右の目で追った。
「……突っ立ってねぇで、早く入れよ」
奥から声がした。
ドキンっと心臓が羽上がる。
私は目の前のイーヴァから、視線を上げ声の主の方を見る。
「………クラウド?」
ベットの上でふんぞり返るように横になっている彼の姿に、私は夢でも見ているのかと思ってしまった。
「………なんだよ?」
少し拗ねたように彼は私の声に答えた。
夢じゃ、ない。
オルタナの手をそっと離れて、私はまだ覚束ない足取りで彼の元へと歩み寄る。
フラフラともどかしい。
クラウドはそんな私をそのままの体制で見ている。
確かに、彼だ。
あと一歩、あと一歩でたどり着くという時になって、私の足はガクンっと崩れ落ちた。
「危ねっ!」
咄嗟にクラウドが私の手を自分の方に引き寄せた。
私はそのままベットの端に倒れこむ。
「……お前なぁ、そんなヨボヨボならまだ来るなよ」
呆れたような溜め息が髪にかかる。
しかし、私はそんなことなど全く耳に入らず引き寄せられた手を握りしめた。
「…………あったかい。」
彼の手は温かかった。
傷だらけのその掌は、絶望的な冷たさではなく、心地よく湿った温かい手だった。
「………当たり前だろ」
彼がそっと私の手を握り返した。
「生きてんだからよ」
彼の声が張りつめていた私の心をほどいてくれた。
私の頬にツーと涙が溢れる。
それはとても温かく、優しい涙だった。
「………泣くなよ。泣かせたかったわけじゃねぇんだから」
クラウドが私の涙を指で掬う。
何度も、何度も。
「…皆から聞いた。お前が俺を助けてくれたって。」
「………私が?」
出した声が鼻声で聞き取りづらい。
クラウドの言っている意味が分からない。
理解できないのは頭がまだ混乱しているせいなのだろうか。
「…………私、何かしたの?」
すると、クラウドの顔が訝しげに表情を変えていく。
「……お前、何も知らずにやったのか?」
声が固くなった。
さっきまでの優しいクラウドから、いつもの説教する時のクラウドへと戻ってしまった。
私は一瞬怯んだが、眉を寄せて彼を見た。
「な…なんのことかさっぱり分かんないよ。誰も説明してくれないし。第一私はさっきまで眠ってたみたいだし」
「それも問題だって言ってんだよ。俺はその日のうちに目を覚ましたのに、なんでお前は今日まで寝てんだよ!自分がどうなるか考えてから動けよ」
何を責められているのか分からない。
つい先ほどまでのあれはなんだったんだ。
ただ、一つ言えることは私が彼に何かしてあげたにも関わらず、彼はそんな私を一方的に責めているということだ。
私の涙はもうすっかり乾いていた。
「何よ!偉そうに!死んだと思ったんだからね」
「あぁ俺だってそう思ったよ!」
「生きてるじゃない!」
「悪いかよ!お前の方こそ無茶してんじゃねぇよ」
「してないわよ!」
「したんだよ!俺の代わりなんてな、誰でもできんだよ!だけど、お前の代わりなんてないねぇんだ。もっと自分のこと考えろよ」
「なっ、なによそれ!クラウドになんて言われたくないわよ」
いつの間にか私達はジリジリと睨み合っていた。
二人共ボロボロのなりで。
「コラコラコラァ!喧嘩はダメなんだぞ」
まだ言い争いをしそうな私達の間に、イーヴァが割って入ってきた。
「クラウドもサクラも病み上がりなんだぞ。何をアホなこと騒いでるんだぞ。感動の再会じゃなかったのかだぞ」
そのイーヴァの声に私達はフンッと顔を互いに反らせた。
私だってこんなことを言うつもりで来た訳じゃない。
本当に、本当に顔を見たときは驚いたし、その驚きが喜びに変わった。
生きていてくれた。
あの冷たい感触はもう二度と味わいたくない。
ふと、クラウドから反らした視線に私をここまで連れてきてくれた人物の姿が映った。
彼は口を真一文字に結んで、私達のことを眺めていた。
この顔は……私をからかう時に見せる顔だ。
この状況を見越していたはずの本人は、そ知らぬ顔で騒ぎ立てる私達を眺めているなんて。
「……ていうか、オルタナ達が紛らわしい事言うからいけないんだよ!」
一言文句を言ってやろうと足に力を込めた。
が、立ち上がろうにも力がうまく入らない足はその場に踏ん張ることしかできなかった。
オルタナはまだあの表情で飄々とこちらを眺めている。
「マクリナもオルタナも、知ってたのにあんな言い方したんでしょ?……本当に心配したのに、ひどいよ」
「………ひどい?」
私の一言にオルタナはツカツカと私の元に歩いてくると、グイッと顔を近付けた。
触れそうなほど近くに、彼の鼻がある。
「今ひどいって言った?あれくらいのことさせてもらわないとあたしの気がすまないってのよ。」
私はオルタナの殺気だったその勢いに身を小さくさせた。
「いい?あたしはね、あんたが眠っている間中ず~っと側にいてあげたのよ。眠らずに、お風呂にも入らずに、いつあんたが目を覚ましても一緒にいてあげられるようにってね。見なさいよ、あたしの姿。こんなにこ汚くなって、こんな姿ソウマ様に見られでもしたらどうすんのよ?それにね、あたし達のお陰でより素敵な再会ができたじゃない。感謝しなさいよね。あんな風に意地悪されたくなかったらね、今後一切あたしに心配かけるんじゃないわよ。わかった?もう二度よ!」
一気に捲し立てると、鼻をならして私から離れていった。
私は呆気に取られてしまい、うんうんと壊れたおもちゃのように何度も首を縦に振った。
「ったく。さっ、サクラも部屋に戻るわよ。あんたも医者に診てもらわないといけないんだから」
「あっ、うん。」
チラリとクラウドの顔を盗み見る。
なんとなくまだクラウドといたかったが、これ以上の我が儘をオルタナは許してくれないだろう。それに、ここにいたとしても、またさっきのようにきっと言い合いになってしまう。
クラウドは窓の方に顔を捻ったままだし。
私はオルタナの手に支えられながら、ヨロヨロと立ち上がるとイーヴァに見送られながら部屋の扉を開けた。
来たときよりも足がだいぶ動くようになった。
もしかしたら、ここにくるのを体が自然と拒否していたのかもしれない。
オルタナが扉を開けてくれた。
最後に何か彼に言った方がいいかなっと、もう一度彼の方に振り向くと、クラウドもこちらを見ていた。
その視線とぶつかり、私の胸はドキンっと音をたてた。
なんで。
なんで、そんな切ない目で見てくるの。
彼の視線は痛いほど切なく、そして温かいものだった。
「……………っ。」
何か言わなきゃ。
そう思って息を吸い込むも、言葉は胸の奥でつかえて出てきてくれない。
「……暇だから、また来いよ。」
私の変わりにクラウドが言葉を発してくれた。
その顔は少しだけ、赤らんでいたような気がした。
「…うん」
私が頷くと彼は片手を上げて見送ってくれた。
いつもの仕草だ。
パタンと扉が閉まると、私は胸に手を当てた。
体の中が温かいもので満たされていく。
こんなにも穏やかな気持ちになれるなんて、不思議だった。
クラウドは生きていた。
何故かは分からないけど、生きて私に話し掛けてくれた。怒ってくれた。優しくしてくれた。
また泣き出しそうだったが、それを必死でこらえた。
この気持ちまで涙と一緒に流してしまうのは、勿体なかった。
「………あんたもクラウドも、顔真っ赤だったわね」
温かな感情に浸っている私に、オルタナがボソッと呟いた。
「二人の世界に浸っちゃってさ。あたしにはあいつ挨拶の一つもしないんだもん。サクラしか見えてなかったのねぇ。見てるこっちが恥ずかしいわよ。まったく」
「なっ!!」
途端に私の顔は激しく赤く燃え上がった。
反論しようとオルタナを見上げるも、からかう気満々の彼のにやけた顔が見下ろしてきた。
「何て言うのぉ、甘酸っぱい空気が流れてだわよねぇ。素直になれない二人の間にっ。これが、書物で読んだ男女の初恋ってやつなのかしら」
「は、初恋!?何を読んで覚えたのよ!」
「ルイス様に言いつけてやろぉ。クラウドがサクラにちょっかいだしてますわよぉって」
「違うって!ていうか、ルイスに言う必要ないでしょ!」
「ぷぷぷっ。ルイス様怒っちゃうかなぁ、今のクラウドならルイス様にだってやられちゃうだろうしぃ。あっ、でもでも、もっと面白いこと考えちゃったぁ」
「ちょっと!オルタナやめてってばぁ」
赤い顔のまま、私はオルタナの言葉を止めようと奮闘するも部屋にたどり着くまで彼は延々と私をからかい続けた。
こんな姿見られたら、部屋で待つマクリナに呆れられてしまうだろう。