3日
熱い
体が燃えるように熱い
あの日の熱さとは違う
体の中が熱い
『………クラ……』
『……サ……………ラ』
『……サク………ラ……サ……』
誰?
頭がボンヤリしてきた。
起きたくない。
でも
もうここにいちゃいけないよね。
「サクラ!!サクラ!」
「よしなさい、オルタナ。」
ベットに横たわるサクラの体をオルタナがユサユサと揺らす。彼女の体はそれに逆らうことなく、グラングランと前後に揺れていた。
「離しなさいよ、マクリナ!今一瞬この子の瞼が動いたのよ!今呼び掛けないでいつするのよ!」
マクリナに振り返りながらオルタナが叫んだ。
マクリナは首を横に振った。
「私にはそうは見えませんでしたよ。あなたが揺らしていただけです。それよりも無理矢理に体を触らない方がいいですよ。何が起こっているのか分からないのですから」
「…………分かってるわよ」
オルタナは項垂れながら、ゆっくりとサクラの体を寝かせた。
それから、サクラの顔の横に握った両手を乗せる。頭をその上に乗せると、祈るような形になった。
「……でも、どうすればいいのよ。」
そんなオルタナの肩にマクリナが手を置く。
「…あなたはもう休みなさい。もうずっと付きっきりになっていて、ろくに寝てないはずです」
それからマクリナは部屋の隅で体を丸めている彼に目を向けた。
「あなたもですよ、テト。ここは私が見ていますから一度部屋で休みなさい」
テトは膝を抱えたまま顔を上げた。幼いその顔は泣き腫らしたのか赤く膨れていた。
「………もう少しだけ、お側にいさせてください」
彼の声もまた少し渇れていた。
「…………お好きになさい」
もう何を言っても聞かないだろうと、マクリナは小さく溜め息をついた。
あの日から、サクラはもう3日目を覚まさない。
眠っているように見えるその姿は、先程のようにオルタナが力一杯揺すろうが、ルイスが数時間も手を握って話し掛けようが眉一つ動かさない。
息を微かにしているということで、生きていると分かるぐらいでいつ目覚めるのかさえ定かではなかった。
マクリナはサクラを見下ろしながら、あの日に起きたことを考えていた。
朽ちたクラウドの姿を見て、サクラが起こしたあの事。
あれは、どのような力なのか。
これが、龍が与えた異能の力なのだろうか。
だとすれば、サクラはやはりルミエールの為の存在なのか。
そのようなことがあるのだろうか。
ではアシャの者達はサクラを捕まえるのではなく、殺した方が都合がいいはず。
こちらと同じでサクラの力が何なのか気が付いていなかったのか。
いや、それよりもサクラの力はこの戦いで大きな力となる。
ならば一刻も早く目覚めて欲しいものだが。
もう一度サクラを見下ろす。
「………もう、限界だわ」
オルタナがボソッと何呟いたので、マクリナは視線をサクラから外した。
「どうしたんですか?」
オルタナはムクッと立ち上がると、両手でサクラの顔を挟んだ。
「オルタナ?何をするつもりですか?」
「………決まってんじゃない!この子の唇を奪ってやるのよ!」
「…………はい?」
マクリナの体から力が向けた。何を言っているのだ、こいつは。
一方のオルタナは本気だった。
「童話にもあるじゃない!王子がキスして姫が目覚める。それならあたしがやってやるわよ!もう、なんでも試してやるのよ!」
「!オルタナ!おやめなさい!」
「いやよ!もうこうして祈るだけなんて耐えられない」
「気持ちは分かります。しかし第一にあなたは王子ではないし、サクラ様は姫ではありません。童話のようになど」
疲労と不安のせいでおかしくなってしまったのだろうか。いや、それに真面目に答えている時点でマクリナもどこかおかしくなってしまっているのかもしれない。
「そんなの今関係ないわよ!あたしだっていいじゃない!あたしだって男よ」
「それはそうですが…」
マクリナは、グイグイと顔を寄せるオルタナを必死で押さえつけた。これ以上変な刺激をサクラに与えてはいけないと思っていた。
だが、貧弱な彼の力で怪力のオルタナに立ち向かうのは、カエルがゴリラと戦うようなもので、数秒後にはマクリナはテトの足元に転がされた。
「………サクラ。あたしのキスで助けてあげるからね」
オルタナがゆっくりとサクラの唇に自分の唇を近づける。
サクラの香りがする。
「…………………んっ………」
唇が届く寸前、サクラは小さくうなり声を上げた。
「…えっ?」
それまで何をしても反応がなかった彼女の声に、オルタナは触れそうなほどの距離で体を止めた。
「…………んっ………んん……」
ゆっくりとサクラの瞼が上がっていく。
射し込んだ光の中に、誰かがいた。
瞼に重さを感じたのは初めての経験だ。何度目かの試みで、ようやく瞼の上の筋肉が反応してくれた。
ゆっくりと白い光が入ってくる。
目の前に、誰かいる。
ようやく開いた瞳の中に、急に飛び込んできたものがオルタナの唇だと分かるまで、私はしばらくかかってしまった。
「…………きゃあっ!!」
叫び声を上げると喉の奥に痰が絡んだように、声がかすむ。
ゴホッゴホッと咳き込んだが、すぐ近くにいるオルタナは全く動こうとせずに私をキョトンと見つめていた。
「………えっ?」
その顔が『目が点になる』という表現のお手本になるような表情だったので、私は困惑してしまった。
えっ?なに?
「サクラ様!!」
「わっ!!」
固まった時間を動かしたのは、テトだった。
彼は勢いよく飛び上がると、私の首に抱き付いてきた。その反動でベットにまたドサッと倒れる。
その大胆なテトの行動に私は更に混乱した。
「テ、テト?」
私の胸に顔を埋めていた彼が顔をあげた。今までこんなに近くで彼を見たことはなかった。
「サクラ様……良かった」
彼は泣いていた。その可愛らしい瞳から溢れ出すものを堪えきれないように、泣いていた。
瞼が赤く腫れている。今さっき泣いたような顔ではない。
私は一体何が起こったのか分からなかったが、そのテトの顔を見た途端に自分が原因で彼を泣かせてしまったということだけは分かった。
私は優しくテトの体を両手で包むと、泣きじゃくる彼を抱き締めた。
「ごめんねテト。……よくわかんないけど、泣かせちゃって」
腕の中で彼が首を横に振る。
何か言おうとしているのか、懸命に喉を鳴らしている。
「…………ちょっ、あんた………」
それまで固まったままだったオルタナの口がワナワナと震え出した。
その異常な表情に私は狂気すら覚え、怯えたようにテトをギュッと抱き締めた。
「…………ほ、ほら見なさいよ!マクリナ!!あたしのキスで目覚めたじゃない!」
鼻息を荒くし、オルタナは突然指を私に突きつけてきた。
マクリナははぁーと重々しい溜め息をついで首を左右に振った。
私はそのオルタナの素早い動きに、遅れてビクッと肩を震わせた。
が、それよりも
何か気になることを言わなかっただろうか。
「キ、キスって何よ!?」
私は突き付けられて指をどけて、オルタナを見た。
まさか目覚めてすぐの光景は、オルタナにキスされた後の映像だったのか!?
事態が思わぬ方向に進んでいると分かり、私は自分の唇を守るように両手をあてた。
「オルタナの、嘘はいけませんよ。」
そんな私達を見て溜め息をつきながら、マクリナが近付いてきた。
「大丈夫ですよ、サクラ様。オルタナの言っていることは嘘ですから。」
「嘘とは何よ!あたしは本気だったのよ」
お前は黙っていろと言わんばかりに、マクリナはオルタナを押し退けると私の顔を覗いた。
「気分はいかがですか?どこか痛いとか苦しいとかはありますか?」
そう聞かれて、ゆっくりと深呼吸をしながら全身の感覚を確かめた。
テトがゆっくりと私から離れて、目頭を拭いながらマクリナの隣に立つ。
「………痛いとかはないみたい。ただ少しだけ、頭が痺れてるってゆう感覚があるかな」
しっかりと意識はあるのに、頭の中だけまだ寝ぼけているようなそんな痺れがある。
「そうですか。念のため医師に診て貰いましょう。テト、呼んできてもらえますか?」
「かしこまりました。」
涙を袖で拭い去ると彼は小さな体を扉の外へ投げ出した。
「………あの、私どうしちゃったの?」
部屋に残る二人の顔を見た。
二人とも明らかに疲れた表情をしている。特にオルタナは酷かった。
髪は櫛を通していないのかあちらこちら乱れ、目の下には化粧を落としていないのか、目の下にくまでもできているかのように黒い粉がこびりついている。
「…何も覚えてらっしゃらないのですか?」
マクリナが考え込むようにこちらを見ている。
私は頷いた。
思い出そうとすると頭の奥がグーッと痺れる。
「……あんたずっと眠ってたのよ。眠ってたっていうより意識がなかったっていうのが正解かもしんないけどね」
オルタナが自分の髪を撫でながら言った。
「もう3日になるわ」
「3日も!?なんで…」
ズキンッと頭の痺れが痛みに変わる。
アイスピックで突かれたような、鋭い痛みだ。
「んっ!」
私は前屈みで頭を押さえながらうずくまる。
かけてあったタオルケットをギュッと握り、痛みに耐える。
「どうしたの?」
慌ててオルタナが私の体を支えてくれた。
「頭が痛むのですか?」
痛みは一瞬だけだった。
顔を上げると首を振った。
「もう平気。それより何があったのか教えて欲しいんだけど。」
オルタナは口を開きかけて、それをグッと飲み込むように険しい顔をした。
それからマクリナの方を向くと、何か二人で目で語った。
「?なに?」
何か嫌な予感がした。
早く誰かの口から真実が聞きたい。
「…………本当に覚えてらっしゃらないのですか」
マクリナがもう一度私に問う。
「なんのこと?」
考えようとしても頭が働かない。
確信をついてほしかった。
マクリナにしては、慎重に言葉を選んでいるようだった。
一言一言の間が妙に長く感じられる。
幾分か考えた後、彼は決意したように口を開いた。
「クラウドのことです」
パンッと頭の中でそれまであった痺れが消えた。
それと同時に、あの日のあの冷たい感触が手に甦ってきた。
冷たい体にまとわりつく生暖かい血の感触が。
私はガクッと肩を震わせた。顔は見る間に青くなっていっただろう。
思い出してしまった。
あのクラウドの姿を。
目の前で消えていった彼の魂を。
「…………それで、クラウドは」
私の意思とは逆に、口が勝手にそう発した。
声が震えている。
二人とも顔を伏せた。
……やめてよ。
今度は声が出なかった。
二人の表情を見たくない。
「………ご自分の目で確かめますか?」
マクリナが重い口を開いた。
今の私にその光景を受け入れる余裕はあるのだろうか。
私は震える肩を必死で鎮めた。
マクリナは残酷だ。
しかしそれでも、私はちゃんと向き合わなくては。
マクリナだってオルタナだってちゃんと向き合っているのだ。
私だけが辛い訳じゃない。
唇を噛むと、マクリナに頷いた。
「…………連れていってください」