1 友達(1)
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私立星霜学園は平凡という言葉がこれ以上ないくらいにぴったりくる高校だ。
学力的に中の上くらいの公立高校の受験に失敗した人間が滑り止めで入ってくるような、取り立てて取り柄もない、普通の高校。
僕は二人兄弟で、下に優秀な弟が控えている。
僕は中学に上がったあたりから親の期待のようなものは全て弟に譲り渡し、のんびり気ままな青春を過ごすことを決めた。
親もそんな僕のスタンスをよく理解しており、最初から私立高校を第一志望に据えた僕に対して、ごくごく肯定的だった。
そうね、お兄ちゃんには私立があってるかもね、とこんな具合に。
弟と比べてしまうと無惨なものだが、それでも僕はそれほど勉強ができない方ではない。
目標を据えてひた向きに努力する、というようなことはないけれど、気張らない程度には学業もこなすし、それで中ほどより下に落ちこぼれるということもない。
星霜学園の推薦が難なく取れる程度の成績は持っていた。
「ようするに、つまんない男ってことだよな」
そんな風に入学3日目にして、隣の席に座る最初の友人に言われても、僕は動じない。
「いや、面白味がないってだけだよ」
こんな風に切り返す。
彼の名前は城崎勇人。出会って3日目でこんな失礼なことをいい放つあたり、かなり気さくな人間だ。無礼な奴、とも言う。
「ふーん。そこに小川なりのこだわりのようなものがあるんだなー」
妙に納得したように城崎はうなずく。
「そこまで言うほどじゃないよ……。ただ単に会話の切り返しだよ」
「なんだよ。わかりにくいよ」
と言って城崎は人の良さそうな笑みを浮かべる。
一昨日僕が彼と初めて喋ったときの感想は「人の良さそうな奴だな」である。そして多分その印象は当たっている。
「俺の城崎に抱いた印象を教えてやろうか?」
「おう、教えてくれ」
「馬鹿だけど、良い奴」
「うわー、どうなのそれ。落ち込むところ?」
城崎はさして気を悪くした風もなく、相変わらず善良そうな顔でこちらを見ている。
うん、きっとこいつは良い奴だ。
「小川ー、部活何にするか決めたー?」
後ろの席からもう一人の友人、片桐真一が僕の右肩を揺すりながら聞いてきた。
こいつの癖らしい、メガネにシャーペンの頭をコツコツ当てながら。
「なんだ山田、まだ決めてないのか」
僕は振り返って真面目な顔を作り答える。
「山田って誰だよ。片桐だよ。覚えろよ」
片桐もまた、真面目な顔でツッコむ。
「お前のあだ名だよ。昨日決めただろ?」
真面目な顔にさらに誠実そうな眼差しを追加して、僕は片桐の目を見る。
「え、なに、あれまだ引っ張るの?」
片桐は否定を求める顔で城崎に助けを求める。
城崎は人の良さそうな顔で曖昧に笑うだけ。
「『メガネ君』が嫌だと言ったのはお前自身だろ?」
「ちょっと待って、俺別にツッコミキャラじゃないから!上手い返しとかできないから!」
「残念だよ、山田君」
僕は大袈裟にため息をついて、前に向き直る。
「どの辺?どの辺が俺山田っぽい?ねえ!」
片桐はわざわざ席から立ち上がって僕の席の前に回りこんでくる。
多分、こいつも良いやつだ。
こんな風に高校の一番初めから良い奴に囲まれて、僕は幸せだ。
僕は幸せを胸いっぱいに噛みしめながら、親愛のこもった眼差しで片桐を見上げる。
「なんだ?落ち着けよ、田中」
「頼む、もう許してくれ……」
片桐は僕の机を両手で掴み、そう懇願した。
「許してやれよ、小川……」
「まぁ、城崎がそういうのなら……」
僕は不承不承うなずいた。
「あ、ありがとう……か?」
「礼には及ばないぜ、佐藤!」
僕は気さくな感じでそう言った。
「なに、何のコント?」
コントを見たにしては面白くもなさそうな顔で城崎の隣、僕からは2つ向こうの女子が口を挟んできた。
廊下側のドア横隅に座る彼女は前と左の席に男子、右をドア、後ろを壁に囲まれ、実に不憫な席を割り振られた渋沢成恵さんだ。
彼女自身がそれを気にしているようには見えないが。
「コントじゃないよ。ただの雑談だよ」
隣の席ということで初日から何度か彼女と言葉を交わしていた城崎が代表して答える。
思春期真っ只中の片桐は微妙に視線を反らす。
「早くも仲良いんだねぇ。うらやましい」
と、特にうらやましくもなさそうに渋沢さんが感想を述べる。
最初は緊張しているのかと思ったが、3日目にして僕は見抜いていた。彼女は実にドライでクールな性格をしている。
耳の下あたりまで伸ばした綺麗な黒髪と、常に眠たそうな目元、片桐曰く「けっこうかわいい」外見をしていながら、彼女は
女子特有の友達グループに加わることもなく、いつも一人で席に座っているのだ。
誰かが話しかければ答えるし、用事があればためらうことなく誰かに話しかける。
コミュニケーション能力に欠陥があるといったわけではないようだが、女子力はかなり欠陥だらけのようだ。
まだ一度も、彼女が笑っているのを見たことがない。
「渋沢さんは何か部活入るの?」
僕は何の気なしにそう聞いた。彼女を女の子として特別視する片桐とは違って、僕はとても彼女を魅力ある異性として見ることはない。
僕は笑顔の素敵な女性が好きだ。
「多分入らないと思うけど、一応今日の部活紹介次第と言っておくわ」
人間大の人形に話しかけるかのような無感情な声で渋沢さんは答えた。
なんだか僕という個性についての無関心具合が目に見えるかのような声だった。
「城崎君はバスケ部?」
城崎の長身を踏まえてだろう。
「いや、多分帰宅部。運動苦手だし、バイトしたいし」
「なんかもったいないな。多分お前学年で一番でけーんじゃないか?」
と片桐。初日に聞いたところによると城崎の身長は188㎝。僕より20㎝も高い。
「そんなこと言われても苦手なもんはしょうがないじゃん」
城崎は、あははと間の抜けた笑いをこぼしながら片桐を見た。
「そういう片桐はもう部活決めたの?」
「俺?うーん、中学は帰宅部だったからなぁ……。高校ではなんか部活やってみたいと思ってるんだけど……」
どうやらまだ決まっていないらしい。
「うーん、城崎が言っていたようにバイトってのも捨てがたいんだよな」
「小川は?帰宅部か?」
まだうんうん唸っている片桐を捨て置き、城崎は僕に話を振ってきた。
「なんだよ、そんなに俺って帰宅部っぽく見える?」
今だ僕ら3人のやり取りを少し後ろから眺めていた渋沢さんに
水を向けてみる。
渋沢さんはたっぷり5秒くらい間を開けて
「うん、見える」
と言った。
その日の6時間目は全校生徒が体育館に集まり、各部活の紹介が行われた。
僕と城崎と片桐は教室のテンションそのままに、クラスの列の中程に3人で固まってくだらない話で盛り上がっていた。
僕らの後ろには相変わらずの無表情で渋沢さんが控えており、片桐は明らかに彼女を意識して舞い上がっていた。
「端から部活なんかに所属するつもりのない俺と城崎はいいとして、お前が全く壇上に注目していないのはどうなんだ、片桐」
「いや、今やってんのは運動系の部活じゃん?俺、入るとしたら文化系だからさ」
『スラムダンクみたいな青春、送りませんか?!男子バスケ部です!』
「文化系かぁ……。軽音部とか?」
バスケ部の汗臭い紹介のあと、急いで機材を準備する軽音部を横目に、城崎が問う。
「うーん、バンドマンってのも悪くないなぁ……」
「なんだかんだ言って結局は帰宅部に落ち着きそうだよな、お前も」
「実はそんな気がしてきたところなんだ、俺も」
そう言って片桐は晴れやかに笑ってみせた。
各部の紹介が終わり、クラスごとに教室へ向かう生徒たちの波のなか、便所に行くという城崎と片桐と別れ、僕は一人階段を上っていた。男の連れションなんて薄気味悪いと僕は思っている。
一人、のつもりではあるのだが、僕の2段後ろには渋沢さんが続いている。もちろん周りは同じように階段を上がる生徒だらけなので、僕としては一緒に歩いているつもりではないのだが、なんとなく意識はしてしまう。
各階の踊り場には緑色のボードに委員会やらなんやらのお知らせを貼り付ける掲示板があるのだが、今の時期は各部活の勧誘ポスターで埋められている。
階段を上りながらそのポスターを何気なく眺めていたのだが、その中に一つ、なんとも奇妙なポスターを見つけて、僕は立ち止まった。生徒の流れを邪魔しないように掲示板にくっつかんばかりに近づく形で。横目に確認すると、渋沢さんも同じように立ち止まっていた。
「どうしたの?」
「いや、なんか気になるポスターがあって」
僕はそのポスターを指差しながら横に立つ渋沢さんに意見を求めた。
「どう思う、これ?」
「……奇抜なポスターね。ある意味では他のどのポスターよりもポスターらしいとも言えるかも……目立っている的な意味で」
「不気味、とも言えるよね、これ」
渋沢さんはこくん、とうなずいた。
そのポスターは単純に言えばデザイン性の欠片もないひどい代物だった。
画用紙の一番上に太い黒のマジックで『神秘部』とデカデカと書かれ、その下には細いマジックで部名より気持ち小さめな文字で以下の能書きがつらつらと記されていた。
曰く、『オカルトではない、幽霊でもない。この世のありとあらゆる場所に存在する"神々の世界"について、探究する意志を持つ者求む。入部希望者は3-C檜山まで』。
絵もなにもない、黒文字だけのそのポスターは他の色とりどりなポスターたちに囲まれて、異様な存在感を示していた。
なんだかわからないが、これは非常にヤバい予感がする。僕の本能が告げていた。
「なんだかわからんけど、電波さんかな?」
「さぁ……」
「……まぁ、触らぬ神に祟りなしだな。帰ろう」
この場にいるとなんだかよくないことが起こりそうだったので、僕らはそそくさと教室へと戻ることにした。
階段を上りながら視線を感じて振り返ると、下の階の廊下の奥、3年生の教室のある方からこちらを見ている女子生徒の姿が見えた。
新品のインクのように真っ黒な長い髪が遠目からも印象に残った。右手を腰につけ、重心を右足に乗せてななめに構えた彼女は凛々しい顔つきでこちらを見つめ、多分、小さく笑みをこぼした。
遠すぎていまいち顔はよく見えなかったのだが、僕は本能的に恐怖を感じた。背後にある『神秘部』の黒い文字と、廊下に構え立つ彼女の黒髪がリンクするようで、背筋に冷たいものが走った。
僕は慌てて前に向き直り、階段を1段飛ばしで駆け上った。